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29. こんなときに紅茶すすらないでよ


「メル」

「そう、だね。……まだ終わってない。あのばか皇帝をなんとかしなきゃ」


 メルは見つめる。しかしセオは声を落とした。

「俺は動ける。だが……」

 使っていた剣は折れてしまった。手近にあるものは、カミルの剣だけ。


「カミルさんの剣を」

「正気かメル、だいじなピクシーの片割れが入っているんだぞ」

「だいじな、この剣を放りだして戦うほうが危険だよ。あなたが剣として使えるなら使って」

「セオさま。カミルさまが常時使っていた剣であります、強度は大丈夫かと。あとは相性です」


 セオはしぶしぶカミルの剣を使うと決めた。はめ込まれている片割れの準結晶を、装飾で蓋をして固定。そうして剣をひと振り、ふた振りしてみた。


「……悪くない。いけそうだ」


 メルは横たわるカミルに、話しかける。

「もうすこしだけ、いっしょに戦わせて。ぜんぶ、けりをつけるから」


 カミルの剣を、腰に着けた。

「いくぞ!」


 そのとき、

 ――部屋に、皇帝の声が響いた。


『時間稼ぎに感謝する。総督府内にいるからには聞こえているだろう』皇帝は鼻で笑う。

『我われは、そもそも騎士どもの戦いに興味はない。三〇〇年探し続けたピクシーの技術を手に入れたいま、帝国という小道具はもう無用である。新たな地で、新たな手段で、この技術を世界に広める。発つ準備はいま、ととのった!』


「……っ、なんだ!?」

 ――部屋が小刻みに震え始め、しだいに大きな揺れへと変わっていく。

 ……まさか、総督府全体が揺れているのか!


『文字どおり、新たな文明の、礎となれ!』

 石レンガの床が激しい揺れに裂け、壁も崩れだした。床が抜けた――


「うわぁっ! ぐっ」

 セオは坂になった下階の床を転がり落ちた。受け身をとりこれ以上の落下を凌ぐ。

 崩れた壁の向こうを見た。信じられなかった。

「……嘘、だろ」


 縦三つに裂けたであろう総督府、その中央の建物が、動いていた。倒壊のさなかとかではない。石レンガ造りの壁にマモノの肉でできた太い足が四本生えていて、巨体を亀のようにのっそりと揺らしていた。

 向かうさきを選ぶように九〇度向きを変えていく。頭部らしき構造物が伸び、南を向いた。


 頭部の口が大きくあく。黄金色の光球を生み出し、肥大化させながら。

 光球が放たれた刹那、爆風がセオを襲う。そしてそのまま、意識を失った。




「……セオっ! セオ!」

「ん……うん?」

「『ん?』じゃないっ!!」

 ――バシィッ!

「痛っだあぁぁ!!」


 メルに叩かれてセオは目を覚ました。メルが「生きてた、よかった」と涙目でいるが、もうすこし優しく起こしてくれよと思ったセオだった。


「ここ、は」

「いちおう、総督府内。……跡形もないね」


 あたりを見れば、がれきしかない。三階、二階どころかセオは一階まで落ちていた。メルが落下の衝撃を和らげてくれたらしく、がれきに潰されなかったことは幸運だったとも聞かされた。


 セオは上体を起こす。

「メル、あのデカブツは?」

 メルが指をさした。光球によるものだろう、南の街なみが丸くくり抜かれていた。大きな足跡がそのなかに点々と残されている。


「あなたが気を失ってから時間が経ってる。もうこの街にはいない」

「そう、か」


 どこを見ても、人々は救助活動をしている。民衆も、兵隊も。


「戦えるのは、俺たちぐらいか」

「……ズズズッ、そのようですね」


 スチュワートが紅茶をすすりながら答える。

 セオは震えたままでいた息を、整えた。


「やるしかない。追うぞ!」


 メルの力を借り、セオは猛烈な速度で足跡を追う。通りすがる誰も、すぐには人が走っていると思わない。『風が吹いた』と勘違いする者さえいるほどだ。

 街を抜け人里も離れ、乾燥した平地に着いたころ、


「見つけた!」

 歩く総督府が、視界に現れた。セオは勢いをゆるめず疾走。迫った巨体の横をすり抜けながら右後ろ足と前足を斬りつけた。

 が、その足は斬るにはあまりに太かった。


「……かすり傷程度だな。困った」

 総督府の進路のさきで距離をとり確認するも、マモノ肉の足に深手を負わせていない。

 総督府の頭部が咆哮をあげた。


「セオさまがしっかり見えているようにございますね。皇帝が操っているはず。マモノ経由だと視認可能なのかもしれません」

(『本体』のピクシーもどきと皇帝を、直接壊すしかないね)

「玉座がある広間へはあのでかい足を越えないとだが……おいまさか! わかったやるよ」

「ちなみに残り三八秒で光球が三発きます。指示を出しますので回避するご準備を。……ズズッ」

(ちょっと、こんなときに紅茶すすらないでよ)

「もとの姿に戻れば、未来から拝借したこの紅茶は飲めませんので」

 スチュワートはメルからセオに向きなおり、お辞儀をした。


「私はあなたさまの勝利を確信しております。どうぞ、全力で臨んでください」

「もちろんだ。やつは、ここで仕留める!」



 セオへ向け総督府の口に光球が溜まっていく。

 脚に溜めた力を、セオは解き放った。


「いいですか、私の合図で右に一〇歩ぶん避けてください。……いまです!」

 迫る光球を指示どおりセオは避ける。地響きと爆音を後ろに、つぎの二発目、三発目も避けきる。総督府めがけ疾走を続ける。


「セオさま。皇帝の居場所をカミルさまのときとおなじ手法で突き止めました。が、広間ではありません。場所は――」

「……うわ、勘弁してくれよ」


 総督府から皇帝の声が響いた。

『セオドアよ、まだ邪魔をするか。降参しないのならば、お前の同盟軍どもをあの街ごと消し炭にしてやる』


 四本の足が乱れ動いて、総督府はあっさりと一八〇度の方向転換を済ませる。追うセオを横に、頭部の口に光が集まっていく。攻撃する方角はつまり、さきほどまでセオたちがいた旧エギシアの都市だ。


「させるか!」

 総督府の頭部の真下にたどり着いた。


(いくよーセオ! とりゃあぁ!)

 セオは、宙に飛ばされた。

「どっ、わぁぁひいぃぃぃっ!!」


 セオが覚悟した以上の急加速。そびえ立つ足や胴体をさかのぼり、猛スピードで上へ上へ。昇る心地はまさに恐怖の極み。

 光球がつくられていく、巨大な口に到達して、


「……こんな動きもう二度とやるか! 一気に決めるぞメル!」

(うん、決めようね!!)


 上昇方向だった加速が、水平方向に変わった。

「だあぁぁぁっ――!!」


 皇帝が鎮座する――総督府の口のなかへ。光球のよこを通りすぎ、巨大な口腔のさらにおく。

 セオは『皇帝を名乗る巨岩』の姿を捉えた。剣を抜き、メルは刃を強化し、そして、


「はあぁぁぁぁ!!」

(はあぁぁぁぁ!!)


 ふたりの声が重なる。

 カミルの剣が、皇帝を突き刺した。



 亀裂が入る音。巨岩が、崩れていく。


『なんだと……。まさか、我われが、負けるわけが』


 下部が欠け、ピクシーもどきが転がり落ちた。その球面は剣に穿たれた傷により、まるでガラス玉のように砕け散った。


『そんな……! 我われの希望が! 我われの、技術があぁぁぁ!! 我われの、我ワレ、ワ……』


 巨岩である皇帝は、みるみるうちに姿を壊していく。声も歪みだす。亀裂があらゆる面に広がった瞬間、……巨岩はついに、ばらばらに弾けた。



 うす暗い玉座の間。床には、皇帝の残骸が転がっている。そして、中身だったのだろう『紫がかった色の石』もあった。おそらく、本来は脳のような形をしていたのだと、セオはその表面から察した。数もひとつやふたつではなさそうだ。


 静かだった。心臓は高鳴ったままだった。


「……終わった、のか」

 メルも、自分を疑いながらも、けれど確信をもって、答えた。

(そう、だね。わたしたちは、勝ったんだよ)


 ――総督府が、揺れ始める。

「おふたりともお逃げください。総督府が崩れます!」

「みたいだな……」

(さっきの口から脱出しようセオ)

「待てメル。俺、さっきのはもう勘弁って、うわあぁぁ!!」


 セオたちは総督府から無事に飛び出した。着地して振り向く彼らの前で、『マモノ』の巨体は、土くれのように崩れ落ちていった。




 皇帝が倒されたという知らせは、『彼ら』の能力に負けず劣らず、広がる勢いが早かった。諸国を征し虐げていたシュトルグ帝国は各地で外部と内部から同時崩壊を起こし、二週間というあまりに短いあいだにその姿を滅した。皇帝の身ひとつで保っていた国とわかる、二週間だった。

 エギシアが管轄する地の同盟軍から祝いの席に呼ばれたが、セオは早々に抜け出した、……ある場所に行くために。


 いまセオは、荒れ地にある倒れた石柱のそばで焚き火をしている。敵に燃やされ煤をかぶったリメイア城は、けれども変わらず夜空の下で美しく映えている。思わず笑みがこぼれていた。


「やっぱりさ、ここのほうが落ち着くよ」

「ふふっ、嬉しいなぁその言葉。……んんーっ!」


 セオの身体から抜け出て石柱に座っているメルは、半透明の身体で背伸びをする。セオの目には、無邪気なその姿が彼女らしくもあり、また懐かしくもあった。


 セオは腰元につけるカミルの剣に触れる。あの戦いで生き残ったアーヴィンから、発見された敵騎士の遺体は埋葬したと聞かされた。……メルも、おなじことを考えていたのだろう。口を開いた。


「セオ。そろそろ、始めない」

「そう、だな」


 荒れ地の静けさのなかで、セオはトンボの装飾を外し、ピクシーの片割れを取り出す。メルはペンダントにぶら下がる、ピクシーを、胸元から持ち上げた。


 ピクシーの輪に片割れがぴったり嵌まる。ふたつの準結晶がひとつになった、その瞬間、白い光がメルを包んだ。


「……っ!」


 光がしぼむ。それとともに、半透明だったその身体は濃さを増していって――メルは完全に実体のある姿になっていた。自分自身を確認した。

 感じる。夜の冷たさも、吹いたそよ風も。


「ほんとに、ほんとに、戻った……!」



 ふたりは焚き火を囲んで座った。メルの手のひらには、実体化したピクシーがある。


「クラウスはわたしを救ったとき、きっとこうするつもりでいたと思う。わたしを生かすことが本来の目的だったんだから」

「未練は無いなメル」

「うん。この石に欲は無いよ。……けど、もしも、わたしが何かを望むなら、」


 メルはピクシーを、焚き火に投げた。

「クラウスに、父上に、みんなに、伝えたい。――ありがとう、って。もちろんセオ、あなたにも」


 柔らかな炎のなかで、ピクシーは砕ける。その欠片は火の粉に変わり、澄みわたる星空へ昇っていく。



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