24. 閣下、霧が晴れます
皇帝の声が消えたあと、地下室にどれだけのあいだいたかメルにはわからなかった。きょう、シュトルグの兵に『二週間』だと教えられるまでは。拐われて眠っていた期間を含めると、四週間が経っているとか。そして、こうも言われた。
「皇帝陛下が総督府にお着きになられた。よって、貴女を陛下にお送りする」
……セオは、助けに来なかったんだ。悲しさと、これからの不安で、メルは口を歪め、鼻をすすった。
メルが幽閉されていた、旧エギシアの第三区庁舎は、総督府に向かう準備で慌ただしい。地下から出たメルは、準結晶で動ける範囲を制限され、そのまま連行された。準結晶――皇帝が『複製した』いわば『ピクシーもどき』は連行する兵が運んでいる。窓にさす陽で、本当は濃い緑色をしていたことをメルは知った。
廊下を抜けた広間にはボラス公爵がいた。メルが睨むなか、ボラスは兵を労った。
「ご苦労。あとはこちらのものでやる」
「はっ!」
「公爵閣下。カミル・エーレンベルク卿がお見えになりました」
黒鎧姿のカミルが広間に入ってきた。メルにとっては初対面になる。リメイア城で拐われたときにカミルはいなかったからだ。カミルはメルに目を向けた。
「……この、少女がですか」
「そうだ」ボラスが答える。胸元にしまってあった書簡を取り出した。
「今朝、皇帝陛下からいただいた書簡のとおり、わしが、この娘を陛下のもとにお送りする。貴公はあとで総督府にまいれ。いいな、わしの役目だ」
「承知しました公爵閣下。私は持ち場に」
カミルは涼やかにそう言うと、メルを一瞥してきびすを返す。だがメルは自分でも不思議に、カミルの後ろ姿を目で追っていた。
ボラスがメルに声をかけた。
「貴女に乱暴な真似をしたことすまない。わしはボラス。公爵だ。名前は?」
メルはうつむいた。ボラスに対し、結局なにも言えなかった。
丘のふもとに広がる荒野。そこを進む騎兵と歩兵は長い隊列を組み、メルと、ピクシーもどき、ボラスら要人を乗せた馬車二両を護衛している。皇帝に粗相なきよう引き渡すため、轍に沿って移送は厳重な警備のもとおこわれていた。ただ、ひとつだけ不安材料があった。
「霧が晴れんな……」
一両目の馬車にいるボラスがつぶやく。荒野は霧により視界が悪くなっていた。本来であれば移送を遅らせるものだが、皇帝が待ちかねていることに加え、ボラス自らが功を急いたことで、いまに至っていた。同乗する護衛も、白飛びした景色を見やった。
「公爵閣下、いかがなさいますか」
「……さして濃霧ではない。このまま進む。一刻もはやく皇帝陛下のもとに」
そのときだった。前列の騎兵が片腕を上げて合図を送ってきた。意味は――
「『敵襲』……!?」
「閣下、霧が晴れます」
荒野の霧が抜けていく。ボラスは目を疑った。
「なんだ、この数は!」
二両目の馬車に囚われたメルも、外の異様さに気づく。息をのんだ。
荒野に広がる、人、人、ひと……。距離はあるものの、『兵士の姿をした人たち』が、シュトルグ側の隊列の前方と左右を囲んでいる。馬もいる。それに、あの兵器は――
「敵襲っ! 敵襲!」
「どこの奴らだ。帝国領内だぞ」
シュトルグ側が騒がしくなっていく。メルの耳にボラスの声が届いた。
「皇帝陛下にお送りする任務を優先しろ! 騎兵を先陣に馬車をとばせ!」
が、
「まずい、客車から逃げろ!」
ボラスたちが地面へ転げ落ちた瞬間、一両目の馬車の客車は強く揺さぶられた。原因は飛来した『鉄の鏃』。包囲する者たちが大型弩バリスタから放ったものだった。
鏃は馬と客車をつなぐ部分を貫き、客車は木っ端をまき散らせて半壊。馬は逃げていく。隊全体がパニックになり始め、メルもその一両目に釘付けになっていた。胸が早鐘を打つ。……いったい何が、起きているの。
メルがいる二両目は一両目が邪魔をして進めない。同乗する兵も外に駆り出された。……客車に足音が迫ってきた。ドアが開き、そこには、
「メル、無事か!」
「……セオ?」メルは目をまん丸にして、けれどすぐに状況を理解した。涙があふれだす。
「遅いよ、もうっ……!」
「メルさまご無事で!」
「スチュワートも。セオ、何が起きているの」
セオは客車内に身を乗り出した。
「説明はあとだ。彼らを味方にするのに時間がかかった。いまのうちに脱出しよう」
「……でもセオ、わたしここから出られないの。石のせいで」
「石?」
「……。なるほど把握できました」スチュワートが眉間を寄せた。
「その姿で制約があるのなら、セオさまの体に入りなさい」
「ぐすっ……。やってみる」
「なっ、おいちょっとま……、ひゃぁ!」
悪寒がセオの背筋に走るが、メルはすんなりセオに取り憑けた。そのまま客車から離れることに成功した。
(セオ大丈夫?)
「……あぁ。逃げるぞメル」
セオは全速力で駆ける。シュトルグの兵が異変に気づくもすでに遅い。持ち前の脚力で、メルを救出したセオは隊列から姿をくらました。
ボラスたちは、隊列の中央付近に逃げていた。ボラスは歯を食いしばった。包囲に気づいてさほど経ってはいないが、敵の騎兵や、ときおり襲うバリスタの鏃によって隊の士気がみるみると下がっていくのがわかる。
「公爵閣下」
「うるさい!!」兵隊長にボラスはがなった。
「……絶対に、お送りせねばならんというのに」
ボラスは手元を見る。深緑色の石、ピクシーもどきがそこにはあった。馬車を逃げたときから包むように両手で持っていたのだ。ボラスの心は煮えたぎっていた。……小娘は拘束しているのだ、馬車に隠れているはず。わしは、これらを陛下に届けそして、あのばか者の騎士を潰してやるのだ。その絶好の、機会というのに……! しかも囲む奴らは喚声まで上げ始めた。
「この邪魔者ども……。すべて殺してやりたい」
「公爵閣下! ご伝令、皇帝陛下からであります」
「なに……」
ボラスはピクシーもどきを片腕に抱き、『伝令』をひったくった。……おかしい。隊は囲まれているのにどうして伝令が届く。伝令文の始まりも『貴公らは負けてはいない』とある。なぜいまの戦況が……。しかしそんな疑問の思考は、途端に、まるで奪われたかのようにボラスの頭から消えた。
伝令にはこうあった。
『いま貴公が持っているモノを使え。準結晶を持ち上げ、渇望するものを強く思い浮かべろ。実地試験としてこの上ない環境ができた。よい結果を期待しよう』
「……公爵閣下?」
ボラスは伝令書を地面に落とした。その目は虚ろで、深緑色の準結晶を高く上げる手は、何かに操られているよう。天へ掲げ、ボラスは、獣のように叫ぶ――
閃光。大地が揺れ、空は陰る。
マモノが、ふたたびこの世に現れた。




