21. 私はただ、己の宿願を果たすのみ
盗賊団を撃退してはや一週間が経った。リメイア城の荒れ地はきょうも穏やかに時が流れている。青空の下、セオはメルに絵本を読み聞かせていた。メルが大のお気に入りの、『リミーアの妖精』。クワルツヴィルで手に入れた例の本だ。生意気なところがあるメルも、このお話を聞いているときは(見た目上の)年相応の女の子らしく夢中になる。セオも、その様子が微笑ましかった。
最後のページの朗読を終えたセオは、本の表紙を閉じた。
「ん? どうしたメル。まさか」
「もういっかい!」
「……おいまたかよ。ふっ、本当に好きなんだな、この話。でもお前、字が読めるだろうに」
「わるい?」セオが吹き出したことにメルは不満顔になった。
「だって面白いんだもん。セオの言い方上手いしさ、出てくる妖精想像しやすいの。かわいいし。だから、」
そう言って、メルがセオの服の裾を引っ張った。つんつんと裾を引く力加減が、セオにはなんだかこそばゆく、けれど心地よくもあった。幼い子供のそれではなく、……なんだかこっちも心が甘酸っぱくなってくる。
「あぁ、そうだな。悪くない、こっちこそ吹き出してすまなかった。面白いものはなんど繰り返しても面白いもんだ。だけど、」セオは座っていた石柱から腰を上げた。
「ちょっとだけ、待ってくれないか? 食べるまえに用事を済ませておきたい。水が足りなくなってきたんだ」
セオは午前中に飲み水が少なくなったことに気づき、それを昼食までにどうにかしたかったのだ。メルはふくれっ面になりがらも、彼の言葉をしぶしぶ受け入れた。
セオは革製の水筒をいくつか束ねて、肩に掛けた。
「はやく戻ってきてね。……気をつけて」
見上げてくるメルに、セオは答える。彼女の胸元にあるリング状の宝石が、いつもより陽に映えているようにも思えた。
「もちろんだ。すぐ済ませるよ」
水はリメイア城から北西にある山の山腹、そこを流れる小川から汲んでいた。テントでろ過と煮沸をして飲料水の完成だ。獣に襲われる可能性も考え、セオはいつもどおり鎧と剣を身につけて山に入った。ある程度登ったところにある小川の水を、革製の水筒にひとつずつ汲んでいく。目いっぱい水が入り、どれもなかなかの重さになっていた。セオは水筒が破れないように束ね直し、肩に担いだ。
「よし、と」
帰路につこうとした、ときだった。
「……セオさまっ!」
「うわっ! スチュワートか」
スチュワートが後ろに立っていた。……彼がこの場所にいるのはめずらしい。いや、荒城の敷地を離れたなんて初めてじゃないのか。そんな彼は、もともと半透明で青白かった顔をさらに青くさせている。気を動転させ早口のまま彼は言ってきた。
「城がじきに襲われます! どうかお助けを」
「また来たのか! あの賊たちが」
「いえ……。私が見た未来で彼らは『シュトルグだ』と口上を述べました」
背筋が、一気に凍りついた。自分の故郷を殺し数多の国を滅ぼした帝国。奴らがリメイア城を襲いにくるというのか。
「数は!」
「記憶、するかぎり、歩兵らしき者が複数人。あとは馬車も、いたかと」
「目的は」
「……わかりません。申し訳、ございません。なぜか、よく見えないのです。彼らについての未来が」スチュワートは、唇を震わせていた。
「私、このような状態は初めてであります。何が起こっているので……、セオさまっ」
革水筒の束を捨ててセオは走った。がむしゃらに、全速力で山を下る。帝国が荒城のリメイア城に何をするつもりかはわからない。だがとてもいやな予感がする。しかもメルはそこにひとりきりなのだ。息が乱れだしてもセオはひたすら駆けた。
山を降りきる。しかし荒れ地は砂嵐が吹いていた。距離のある城が見えるほど弱いものだがこんなときに……。構わず城めがけて急ぐ。砂嵐が濃淡を揺らがせる、そんなさなかだった。
「ようやく、か。すこし遅かったな」
前方から聞こえた声とほぼ同時に砂嵐が和らぐ。そこには、黒鎧姿の男がいた。
「……お前、は!」
男――カミルは、驚くセオに冷笑した。
「総督府以来かベルナルド。私を覚えているか?」
「なぜ、ここにきた! カミル・エーレンベルク」
「これもなにかの縁だ、隠さず言おう。勅命を受けた。でなければこんな場所にはこない」カミルは言う。
「あんた運が悪いな。追い出されたあとに、まさか皇帝陛下が求めるものの近くで暮らしていたとは」
……シュトルグの皇帝が、求めるもの? なにを言っているんだ。セオが抱いた疑問を、カミルは察したように言葉を続けた。
「あの荒れた城に長らくあったものだそうだ。それを陛下に献上する。邪魔をするか? ならば、」
冷ややかな笑みでいたカミルの形相が、一気に殺意に満ちたものへと変貌した。
「……っ」
「あんたにそもそも恨みはない。私はただ、己の宿願を果たすのみ。一族が誰ひとり叶えられななかった馬鹿らしい野望……それを叶える、いや超えるために。そのために私はどんな手だって使う。すまないがベルナルド、あんたにはまた泥水をすすってもらうぞ」
カミルが足に力を込めたのが見え、セオは静かに剣を抜いた。……彼の黒鎧は総督府で会ったときより軽装だ。機敏に動くつもりだ。しかしカミルは、いまだ剣を抜かない。
が、――カミルは地を蹴った。またたく間にセオは肉迫され――
「ぐ、は……っ!」
横腹に突然の衝撃。セオは重い痛みに耐えながら後ろへ逃げ、続くカミルの攻撃をギリギリでかわした。
脇腹を手で確認すると、鎧の板金部分がひどくへこんでいる。……革の部分でなかったことは不幸中の幸いだが、何が起きたんだ。カミルの拳を見れば、指に金属なのか硬そうなものを嵌めている。
あれは、ナックルダスターか!
未練なくナックルダスターを捨てたカミルは不敵に笑い、剣の柄をにぎった。恐ろしく速い薙ぎのあとさらにセオの防御をつこうとする。セオの反撃も舞うようによけ、迫り、トンボの装飾がついた剣の切っ先を差し向けてくる。
……ナックルダスターどころか、ひとつとしておなじ攻撃の型を見いだせない。脚力で彼から離れようにも駆けだす態勢をとれず、金属同士がぶつかる音だけが何度も響いた。はやく、いそがなくてはならないのに、……セオの焦りが募った、その矢先――
「いただいた!」
突きが鈍るセオの懐へ飛び込む。えり首を掴んで足元を崩し、勢いよく投げ落とした。カミルはセオの剣を奪って蹴飛ばすと、間髪をいれずセオの腹を蹴った。
「がはっ……!!」
カミルの靴が腹を抉るたびセオは呻いた。しばらくの蹂躙が続いたあと、汚れた肩を足で押され。セオは力なく仰向けにされる。カミルは、眉尻を下げた。
「殺しはしない。私を追うな、あとは好きに生きろ」
リメイア城のほうへカミルは歩きだす。セオは息も絶え絶えに、彼の後ろ姿を目で追うだけで精一杯だった。
……痛みと苦しさが和らぎ、セオは腹ばいになって、ぐらつきながら立ち上がった。ぼうっとして、まだめまいがする、咳き込む、すこしでも動くと痛い。それでも、リメイア城に体は向いた。カミルにやられてから時間がどれだけ過ぎたのかわからないが、でも、行かないと。
「……。あれは」
何かが走ってくる。蹄音と車輪の音も聞こえる。馬車だ、しかも一両や二両じゃない。
急ぎ足の馬車が脇を通る。四頭立ての、貨物運搬用の馬車が六両。それから、つぎの馬車は、――
「……セオ! セオっ! たすけ」
瞳から脳裏へ焼き付いた光景に、目が覚めた。別種の四頭立て箱馬車の客車、その窓にメルがいた。あきらかに怯えて、叫んでいる。
「メル!! うぐっ」
メルが乗る最後尾の馬車が遠ざかり、砂煙を荒れ地にばらまいていく。
……あいつらの目的は、メルだったのか! 追いかけるも、激痛がそれを妨げ、足はついにとまった。
「メル! ……メルーっ!!」
セオはメルの名を叫ぶ。
背後のリメイア城は、火に包まれていた。
※ナックルダスター
メリケンサックの別名




