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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
五章 万里一空の章

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#20 堂々と世界に生き恥さらしてて草

 



 永禄十二年(1569)六月二十四日






 上杉輝虎ドラゴン氏からお越しやすの報せを受けて半月後の六月下旬。そのドラゴン氏のお膝元越後春日山城下はまさに激動の渦中にあった。


 越後という国は日ノ本の国土に沿った南北に長い弓なりの形をしており、必然接する国(勢力)も多くなる。故に家臣の統率は困難を極め、事実としてドラゴン氏存命の期間、一度足りとも家内が纏まったことはないという文献も多く見られるほど越後国内の統治には頭を悩ませていたらしく、実情を知れば容易に想像できてしまう。

 そして本拠地春日山城は日本海側のそうとう越中寄りに位置していて、自身の宿願である上洛並びに天下を望むには好立地だが反面、越後全土を見渡すには位置条件的にかなり不利な場所であった。


 輝虎は七十戦無敗を誇る武の象徴として、そんな感じに威張り散らしている巨大にして誇大すぎる難攻不落の春日山城の天守から城下を見下ろす。そして急使が持ち込む報せを耳で目で知らされるたび怜悧な相貌を曇らせる。それも濃く深い影を落として。


「我、果たして何と戦っているのか」

「御屋形様は、いえ我ら越後衆はまるで神仏のお試しを受けているようでありますな」

「神仏の試し、とな」

「然様。そうは思われませぬか。この連続する災難と苦境を」

「連続する、か」


 ドラゴン氏は自身の軍師宇佐美駿河守定満の言葉に妙な納得を覚えて頷くと、またぞろ城下に視線を預ける。

 この多くの民が営む城下を望む景色こそが彼にとってのご褒美なのだろう。眺めているとこれまで険しすぎるくらいに険しかった表情が徐々に穏やかになっていく。


 軍師定満が定めた上杉暗号文が春日山城に舞い込むようになったのは五日前が始まりだった。以降は続々と引きも切らず報せが舞い込んだ。それも凶報ばかりが。

 第一報は越中神保蜂起。国境線に軍を展開せり。その主たる戦力は越中真宗武士と武装兵、そして門徒。その数七万。から始まった。

 目下駿河に軍事侵攻している越後にとってこれだけで十分な脅威である。なのに越中真宗武士を筆頭とした一向門徒蜂起の報を受け越後自国内の一向門徒が熱に浮かされるように反乱を濃く匂わせる集合を始めてしまっていた。

 主に瑞林寺、養泉寺、浄興寺の檀家門徒が中心となりかなり不穏な集会を繰り返していると報せが舞い込む。その数、実に十万にも及ぶとか及ばないとか。


 しかも凶報はそれだけにとどまらず……。


 陸奥蘆名氏、陸奥二階堂氏、陸奥伊達氏、出羽大宝寺、出羽最上氏が謎の軍事行動に入り越後方面へと進軍中。しかもこの五勢力は野合している節が覗えると観測者の私見も交えられていた。その数ざっと四万五千。

 たしかに軍事訓練と言われれば否定もできず本気度を測るにはかなり微妙な軍勢である。だがけっして捨て置けない。軍勢連動して軍事国境線目指しての進行ともなれば猶更。そんな何とも痒い事態であった。


 そして先ほど舞い込んだ悲報こそがドラゴン氏の怜悧な相貌を最も歪める最低最悪の報せであった。

 揚北衆あがきたしゅう主に色部・中条・黒川・本庄の離反である。これは一向門徒の反乱と同等かそれ以上にドラゴン氏の胸を痛めた。

 元々独立不羈の精神が強い揚北衆だったがここまで上手く共闘路線を歩めてこれた。なぜこの期に及んでの思いはそうとう強い。

 しかも本庄繁長は二度目である。加えて北条高広の動きも怪しいとの一報が舞い込み、ますます以って胡乱である。では何が胡乱なのか。むろんそれは同盟相手の後北条家。その当主新九郎氏政である。


「御屋形様、如何なさいまするか」

「我が軍師四郎右衛門尉は遂に軍扇を放ったか」

「はは、まさかにござる。某死して猶この軍扇は放しませぬぞ」

「知っておる。冗談てんごうじゃ」

「おお、これはなんともお珍しい。斯様なこともあるものですな。もしや雪でも舞いますかな」

「水無月に風雪。想像だにできぬがほとほと風雅よな。今ならば雪が舞っても儂は一向に不思議がらぬ」

「なるほど。では」

「うむ。面妖には面妖でと思ったまでよ」

「然様にて。ですがおやめなさいませ。家来どもが震えあがりまする」

「で、あろうの」

「して如何なさいますのか」

「何もせぬ。それが最上の策である。いやもはや我が越後にはこの策しか打つ手はなかろうよ」

「……動かぬことが、上策と」

「で、ある」


 ドラゴン氏の言葉に数舜思案していた軍師定満だったが、すぐにはたと閃いた表情を浮かべた。そして不謹慎なほどの笑みを湛えて声なく笑い、


「なんともはや。しかしなるほどそう考えればすべてに合点がまいりますな」

「四郎右衛門尉、貴様のその顔、久方ぶりに目にしたぞ」

「某年甲斐もなく血潮が滾っており申す。これら凶報のすべて、彼の五山のお狐殿の策ですな」

「うむ。そろそろ参る頃であろう。これら元凶の主殿が」


 まるで確定している事実かのような口ぶりで上杉輝虎は言い置くのだった。そして颯爽と背を向けるとまたぞろ眼下に視線を向ける。けれどその顔に先ほどまでの憂いはなく、むしろ真逆。

 そして視線を上に。次の瞬間には彼にしては異例の表情で南の空を茫洋と眺めるのであった。まるで期待に溢れた少年のような感情の伝わる表情で。




 ◇◆◇




 オレ、お山さん丸ごとお城にしたったん。かっちょええやろ。そんな感じの巨大すぎて誇大すぎる難攻不落の春日山城に天彦は参上していた。ソロで。紛れもなく阿呆である。


 格下先へ出向いているのだ。正しくは来臨である。少なくとも参上は違うと知りながら仕方がない。天彦の気分が格下なのだから。

 軍神、戦神、越後の虎、越後の龍、毘沙門天の化身、などなど。謙信公を例える異名は数多くある。だがそんなことに臆す天彦ではない。では何に格下感を覚えているのか。決まっている。この有利不利の極めて判別しにくい文明開化前文明の時代にあって七十戦無敗はさすがに引く。

 それはもはや無敵の称号と同等である。その無敵の称号に膝を屈しているのである。あと自分で毘沙門天の化身とか言っちゃう痛いところにも少しだけシンパシーを感じながら。


 さて天彦、結局家来の説得は諦めた。信じていないわけではない。むしろその逆。信じまくっているからこそソロ活動を決定した。死ぬなら一人で。ずっと決めていた言わば天彦にとっての曲げられない縛りプレイの一環である。

 むろん家来どもは劈くほどやかましいことだろう。成功裏に収まったときはそうとう寒いことになる。だがもう寒さが心地いいレベルまで達し凍えているのでそんな事後の憂いなどどうでもいい。気にしていない。

 ここ春日山城天守迎賓室は紛れもなく死に最も近い一丁目一番地なのだから。


 策はなった。なりすぎた。全部はまるとかなんやねん。あり得んやろ。あり得たけど。……菊亭の名、ヤバない。さすがに。あと茶々丸のカリスマ性もっとヤバない。さすがや。

 策がすべて刺さった。いやもはや貫いたのか。茶々丸の檄文に応じた一向門徒宗は実に総数二十万超。氏ぬ。これが菊亭助かりたさだけで掛けられた招集だとバレたら死ぬ。10,000%確実に。

 だが集会の本分は河川の改修工事なのでいいんだもん。知らんけど。

 天彦はこの夏に起こる大洪水に備えた策を茶々丸に授け、茶々丸経由で一向門徒に伝達せさて扇動に成功していた。

 東山道の国人や大名たちには想像しうるすべての餌をぶら下げて同日同時期の一定期間、とある方面に向かって軍事行動を起こしてくれとお願いしていた。

 一勢力でも賛同してくれれば御の字。そんなラフな策は見事にドンピシャリと嵌ってすべての勢力が呼応して作戦行動に移ってくれた。


 報酬エグそうやがしゃーないな。でもちゃんと支払えるさんやろか。


 従四位下参議菊亭天彦十歳きらりんは、そんなこの場にあっては益体もないことを思いながら菊亭秘奥義いろはのいの極意を披露しながら言葉がかかるのをじっと待っていた。つまり全力マンキン100の見事な屈服姿勢で。


 それを世間では土下座という。言うは易しされるは難し。いや大迷惑なのだろう。

 それを証拠に天彦に土下座されている側の主従は二人揃って大いなる困惑をその武張ったご尊顔に張り付けて掛けるも何も言葉自体を失っていた。

 それはそう。輝虎は自身人生初の完敗を喫し、こうして敗北を認めた上で上座を開けて出迎えているというのに。

 大勝利を挙げたはずの来賓が僅かな供だけを引き連れてやって来たかと思うと、下座のそれも入り口付近に陣取って額を床にこすり付けていたら言葉も失う。正気さえ保っていられるかどうか怪しいレベルで。

 何しろこれまで策という策を張り巡らされコテンパンに伸されているのだ。謙信公からすれば警戒してし過ぎということはないはずである。


 だがこれでは埒が明かない。そう考えたのかこの場で最も格下である宇佐美のお爺ちゃん軍師が意を決したように咳払いから導入した。


「参議菊亭卿、ここはお顔を上げられては如何であろう」

「……お許しのお言葉さんを頂戴しませんことには身共、この小さいお頭上げたくとも上げられませんのん」

「何故にござろう。太政官三席参議ともあろうお方が何故、圧勝しておきながら敗者に混迷をお与えになられるのか」

「圧勝……?」

「まさかご理解なさっておいでではないのか」


 天彦はすっと顔を上げた。その顔には露骨な驚きが浮かんでいる。


「やり合えば身共が確実に敗北致しますのに」

「この戦局では。ですがその後は」

「そうや。……魔王さん。いや織田の圧勝さんや」

「然様。あるいは勝者は武田やも知れませぬが。いずれにせよこの機を逃す織田殿ではござらぬであろう」

「嗚呼……、おおきにさん」


 またしても魔王に救われた。今の勝頼にその力はない。天彦は今回ばかりは本気で信長に損得勘定抜きにした感謝の気持ちを芽生えさせる。


 すると二人の会話をじっと訊いていた輝虎がくつくつと笑いを漏らし、何とも魅力的で味のある表情を天彦に差し向けて言った。


「ならば我の無敗神話、継続であるな」

「はい。謙信公はお無敵さんにあらしゃります」

「強がりを申したまでだが、……今なんと申された」

「はい。謙信公はお無敵さんにあらしゃります、と」


 キン。いやギンッか。


 いずれにしてもまたしても場が凍りに凍り付いていた。座に居合わせた家臣たちももちろんだが輝虎などは驚嘆では片付けられないほどの驚きをその武張った顔に張り付けて固まってしまっている。……手違いです。

 天彦も始めの何十秒かはわけがわからず焦りまくった。だが今はすでに感付いている。この緊迫に近い緊張の時間はすべて自分のうっかり大失言のせいであると。

 

 この時代の謙信公は謙信公であって謙信公ではない。上杉弾正少弼平三輝虎。つまり法号に戒名していないのである。

 来年の改元にあわせて戒名する流れ。つまり天彦が知っていたら辻褄が合わないのだ。一ミリも。一ミクロンも。

 何しろ謙信公、いや輝虎。法号を名乗ることは家中に周知はしていてもその戒名を知る者は誰ひとりとしていないからだ。


 輝虎の心中たるや。まるでキツネに抓まれたような心地であろう。あるいはキツネに化かされた気分やも。

 いずれにせよ輝虎が真面な言葉を発するまでには体感でそうとう長い時間を要した。


「公はケンシン的でおじゃりまするなぁ……と」

「無理にござろう」

「あ、はい」

「何故とは問い申さぬ。五山のお狐殿、我、不識庵殿真光謙信。行き詰まり背に腹は代えられなかったとは申せ、神仏の化身に対し行ったこれまでの数々のご無礼を、この通り深く反省しお詫び申し上げる仕儀なり」


 お、おおぉ……。


 ドラゴンカー土下座。違う。ドラゴン土下座。死ぬほど語呂は悪いがマジ半端ない圧。超絶威圧感の権化であった。

 それは土下座をしている当人からも勿論、そしてそれを見つめる絶望一歩手前の顔をした周囲からも。いずれ劣らぬ凄まじい圧が全方位から天彦に浴びせかけられていた。


 だが土下座は一向に解かれない。するとややあって座に居合わせた家来どもも主君に倣ってなのか次々順々と同じ姿勢を示し始めた。あーええ眺めさん。温泉浸かってこれ見ながらコーラ飲みたいわぁ。ゆーてる場合か。氏ぬ。


「毘沙門天さんの生まれかわりさんやろ。おんなじさんや」

「あ、いや」


 天彦はこのままでは一生縮まらない距離感だと割り切ってすたすたと歩み寄り輝虎の手を取ってにぱ。その訪れる結果が笑顔の上手い下手に起因しないことを祈りつつ、全力で苦手な笑顔を振りまいて媚びた。


 ややあって、


「同じにござるか」

「うん。おんなじさん」

「なるほど。六郷満山の鬼神殿が仰せなのだ。なれば我、毘沙門天の化身なりけり! 者ども、勝鬨を上げよっ」



 お、おおぉ――っ!



 あまりの大歓声に謁見の場が縦に揺れた。比喩ではなく。

 いったいどこに潜んでいたのか。そんな数の声が壁越しから響き渡り轟いた。

 この瞬間、軍神は本物となった。偽物の鬼神が請け負ったせいで。あはは、ウケるぅ。笑うしかないからね。あ、はい。


 今や天彦もこのDQN大応援団的なノリにも一縷の理解を示しているので訊いていられる。むくつけき漢どもの野太い絶叫ヲタコールが鳴りやむまでじっと静かに耳を傾けた。ややあって鳴りやむ。

 抽象的なやり取りはこれにてお仕舞い。今は戦国室町であり天彦と上杉はばちばちに火花を散らしてVSをしている真っ最中。


 好々爺はなるほど武人らしい顔つきで、


「領内の真宗と越中、並びに国境に展開している東山道の軍勢を引き下げては頂けぬか」

「流石やね。家来の謀反はちゃんと別口やと見抜いたはる」

「やはり。では先導者は後北条に決まりですな。御屋形様」

「然り。駆け引きは彼方が一枚上手であった」


 本当に凄い。天彦は率直に感心していた。どうすればそこの線引きができるのだろう。天彦には見つけられる気がしなかった。そのご褒美ではないがネタ晴らしはせずに条件を告げる。念願の……。


「身共のお願いはただ一つ。与六を、樋口与六を頂戴さん」


 輝虎の表情にほんの一瞬だが歓びの感情が差し込んだ。それを証明するようにすぐさま答えは返ってきた。それは最も一番最高形の見える化となって天彦の目の前に現れた。


「天彦殿。お久しゅうござる。相変わらず無茶ばかり致されますな」

「与六っ」


 元気か、痛いとこないか、お風呂入ってるか、飴ちゃん食べるか。

 天彦は大阪のおばちゃんもドン引きのおばちゃんムーブをかましてテレテレこっそり与六の手を取った。ごっつい手ぇさん。かっちょええわぁ。


「茶々丸殿にお強請りなさいましたな」

「そんなことどうでもええさん。もうどこも行ったらアカンよ」

「ははは、二十万を動員しておきながらどうでもよいとは剛毅なお方だ。しかしこれで確信いたした。某が菊亭を離れると天下が揺らぐとの殿の言、真実にござった。殿からも厳に仰せつかっておりますので、はい。どこにも参りませぬ」

「うん。おおきに。でも上杉さんが殿は違うで」

「あ。そうでござった。ご無礼を、我が殿」


 天彦は今日一の笑顔を浮かべて差し出された手を取って握った。


「うんおおきに。お殿さんらしゅう頑張るな。これまで通り天彦のままでもええさんやけど」

「ケジメにござる」

「まあそうゆうわな与六やったら。なんでもええわ、ほな参ろ」

「はっ」


 天彦は言うと心底からの嬉し味を満身に滲ませ本当に天守を後にした。解決すべき事案をてんこ盛りに残したまま。

 だが誰も静止の言葉は掛けない。その場に置かれた輝虎を始め上杉家の家中一同はポカンとその小さな背中を見送るしかなかった。


「与六、お願いあるん」

「何なりとお申し付けくだされ」

「ほんま? ほな一緒に怒られてくれるか」

「家臣になって最初のお役目とあらば是非とも」

「むっちゃ怒られんで。まぢにガチギレされるから。あいつらアホやし」

「はい。想像と覚悟はできており申す」

「おお、さすがや。身共なんかこわーてこわーてビビりまくってんのに」

「あはは、本当に貴方というお人様は」

「それとは別に、茶々丸にはナイショな」

「……それは重々。某の命もなさそうなので確と肝に銘じまする」

「うんそうしよ。それがええさん。ふふあは、あはははは」

「あははは」


 主従は二人して笑った。特に与六は大いに笑った。

 越後を筆一本で破滅せしめようとしていた人物の言だからこその可笑し味があった。

 

 与六にとってそれとは別の可笑し味もある。

 菊亭家人がどんなかは知っている。それと同じだけ菊亭がどんな家風かを承知している。

 与六は天彦の苦笑いを真正面から受け止め、そんな可笑し味に身を任せるかのように歯を見せて大笑いするのだった。












【文中補足】多いので年内かけてゆっくり順次補足していきます。

 1、上杉輝虎

 不識庵殿真光謙信(元亀元年・1570年法号改名)




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