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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
五章 万里一空の章

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#05 無情の風に誘われてただいま冥途へ赴きちう

 



 永禄十二年(1569)五月四日






 住まう世界が厳しければ厳しいほど人は早熟傾向にあるという。統計の有る無しにかかわらず普通に違和感なく想像できる仮説であろう。

 菊亭にはそんな子供らしく生きることを許されない子供年代の侍や武官がうようよ集う。なのに誰もが子供らしくにっこりむふふと顔を綻ばせ、けれど時代に最適化された決然とした芯を以って日々職務に従事しているのである。


 青味がかった黄色い声で常にいつも活気あるこの何とも賑やかしい光景もまた京の常識非常識と言われる一つの風物詩であろうか。

 しかし数カ月前とはまるで違って彼らは完ぺきに民意を得ていた。今では周囲の住民及び道行く人々から敬意はもちろん憧憬の目で見られている。


 これはハッキリ偉業といえよう。何かにつけて保守的な京町人のこの反応は、ほとんど奇跡にさえ等しいと思われる。一つに京の住民の99.9が熱心な仏教徒であるからだ。

 その通りウソ偽りなく菊亭、360度胡乱である。恒常的にげに怪しき胡乱の南蛮人が出入りしていることを始め、ともするとその南蛮人の本拠にすらなっている節が覗えた。これを胡乱と言わずして何というのか。控えめにいって怪しさ満開なのである。

 不気味と罵られれば異論を唱え反撃もする。だが胡乱だと言われれば申し開きのないほど天彦もそこだけは素直に認めている。


 なのにそんな状態の京都に洛外だからとはいえ存在を認められた上で尊敬までされているのだから何かの冥利に尽きるというもの。

 すべてはこの時代ならではの気風に救われている。その一言に尽きるだろう。この世界線の京町人は善きにつけ悪しきにつけレスポンスが素直。しかも即応性も高く、良いものには手放しの賞賛を、悪いものにはあるいは石を投げつけるほど拒絶しては意志をがっつり主張した。つまり住民も生きることに懸ける気合が違うのだ。何と比較はしないけれど。


 他方それとは別ベクトルで単純に治安の向上が生存率に直結するという大前提があるため、周辺地域の治安にむちゃんこ寄与している菊亭はそもそも論歓迎されずともけっして忌避はされないという強みはあるのだが、それでもそれらを押してめっきり菊亭は京町人からの支持を得ていた。


「若とのさん、さすがになんぞ」

「ちょっと黙っとき」

「はぁ」


 天彦はこのラウラが望む世界に一歩でも近づけている現況に少しの自負と大いなる運命を感じつつ、今日も今日とて職務に忙殺されている。

 果たしてそれさえ高等遊民の宿命とかなんとか嘯いていっそ愉しんでいる節さえ伺えるのだから相当感情含めた気分が持ち直していることはたしかであろう。


 実際天彦はここ数日の自分史上最も過酷な環境に置かれあるいはその中でも一番深刻に擦り切れた心をどうにか辛うじて持ち直していた。

 今回ばかりは認めているのだ。闇落ち寸前であったことを。故にその安堵感は一入でこの嬉し味のお裾分けは多方面にわたった。


 例えば青侍衆への太刀並びに諸太夫への筆硯の恩賜だとか。いずれも名工・名品ばかりを取り寄せ逸品揃い。ちょっとした寸志というにはあまりにも高額すぎたがそもそも入りが立場を利用したあぶく銭なのだ。天彦の感情に罪悪感は微塵もない。そういうことは案外ぱっとやる性質である。

 他には氏郷の謹慎明けだとか是知の無罪放免だとか。たとえば……。


「若とのさん、さすがに」

「お雪ちゃん。ほんま黙って」

「でも」

「お願いさん」

「はぁほな。でも……」


 でぶっちょ、太っちょ、まん丸おでぶ。デブを揶揄するちくちく言葉なんでも全般。この世界線では悪口にすらなっていない。むしろ逆。太れるほど食べられること即ち富の象徴であるからして尤もな理解を得られるはずである。


 その未来の現代なら自己管理能力の低さをあるいはバッド評価で弄られるであろうシルエットのお公家さんが天彦の目の前で這い蹲っていた。天彦曰くホワイトオインク産の豚さんのように。

 豚さんは故実にもない最敬礼のあるいは最屈辱の姿勢で謝意を示して。お姉さん連れで謝罪に参っているのである。ずるい。まあ薄以々なのでらしいと言えばらしいのか。なんか妙に笑けるし。


 義理姉勾当内侍お姉さんは終始にこにこと微笑まし気に天彦と義理弟を交互に見ては優雅な所作で茶を啜るばかりで、果たして何かを働きかけようとかいう意図は一切感じさせずにただそこにいるだけ。

 茶飲み客にしては後宮内待の序列一位はあまりに格が高すぎてとっととお帰り頂きたいのだがそれを口にはけっして出せない。それを強攻するには天彦の朝廷に対する不義理はちょっと積もり積もっていすぎであった。


 つまりこの場は天彦が何かリアクションせねば一生膠着状態が続くということ。地獄かな。だがこれも天命。お裾分けの一環として許してやって進ぜようではないか。雪之丞もうるさいことだし。

 天彦は何かを発することなく上座から丸くてぷよぷよした物体に歩み寄ると、下げられた顔に両手を添えた。そしてふぎゅ。何かが鳴くのもお構いなしにぷにぷにもちもちのほっぺを更にむぎゅ。きつく抓って起き上がらせる。


「い、いはいれす」

「そうやろな、痛くしてるんやから。お久やなもっちー」

「はいお久しぶりさんにおじゃります。でもそない呼んでくれはるの?」

「お前は誰や。身共はだれや。直言許した覚えはないが」

「ひっ、ご、ご無礼仕りましておじゃりまする。この通り伏して言上――」


 むにゃむにゃ泣き言をほざいているが、意地悪もこのへんか。

 天彦は言って頬から指を離した。そしてぽんぽんと肩を叩き以々の目を真っすぐに見つめる。咎めているつもりは毛頭ない。だが以々はくっと歯を食いしばり緊張の表情を張り付け動揺を見せた。

 その対応に天彦が咄嗟的にイラっとする。すると以々はますます萎縮してしまう。

 なんこれ。これではまるでいじめっ子みたいではないか。天彦が愕然としつつやはり苛々した感情が消せずにいる誰得無言時間が長らくつづいた。


 ゆうとくけど裏切ったんはお前やし。


 天彦はそんな今となっては大義かさえ怪しい唯一の大義にすがり以々を拒絶する。早く楽になればいいものを。雪之丞の目があからさまに呆れ果てているではないか。

 すると緊張に堪えられなくなったのか以々が義理姉勾当内侍に救いを求める視線を預けてしまう。こらっ。すぐさま叱責されひっと天彦に向き直った。


 そしてえいやっと実際に発声までして以々が言う。


「多くは語りません。ごめんなさい」


 以々は率直な感情を言語化すると、すーはーぶひぶひ呼吸を整えもう一度深くお辞儀をした。


 天彦は小さく笑ってうんと頷く。ごめんなさい。その魔法の言葉で十分だった。その程度の怒りだったということである。そしてそれまで無表情だったやや冷たく感じる相貌に真逆の顔を付け替える。すると対比ギャップがえげつなく作用して、終始にこにこ顔を張り付けて傍観役に徹していた勾当内侍さえ驚嘆させる一幕となった。佐吉をして“殿に食らわされるやつ”の一つがこれだった。


「ええよもっちーやし。今回に限り裏切りを許したろ」

「おおきに。感謝に堪えません。でも、またそない呼んでくれはるの?」

「呼んでるやん。不服なんか」

「まさか! ほな天ちゃんって……」

「アカンやろ」

「う」

「はは、嘘やん。好きに呼んだらええさんや」

「やた」


 以々は顎肉をぶんぶん揺らして喜びを表現した。ずっと見ていられる面白さだった。だから天彦は声出して大笑いした。体形が放つ面白みに完全に屈した会心の笑い方で。

 取りようによっては肥満体型を弄っているようにも受け取れる。そうであれば未来の現代なら地獄行き直行だがこの時代では皆無新鮮。内心がどうあろうと揶揄と受け取る者はいない。だから天彦は遠慮なしに大いに笑った。その行為が二人の間にできてしまっていた溝を埋める一番冴えたやり方だと知っているから。

 実際に狙いとおり溝は急激に埋まっていった。笑われている以々まで釣られて笑顔を咲かせるという結果によって。


 勾当内侍も頬を緩めて場に倣った。けれど然も不思議そうな内心までは隠せておらず、しかも確と見定める視線で天彦をじっと観察していることを菊亭の多くの文官たちが確認していた。メモメモ。


「ほなな、もっちー。また今度」

「おおきに、ほんまにおおきにさん」

「ええよ今度奢ってくれたらそれで」

「そのくらいお安い御用や」

「菊亭総勢四千人、育ち盛りが多いんでそれなりにかなりお食べさんやが、まあお安い御用か。権大納言高倉家のお財布からすれば」

「んごっ――!」

「これ参議」


 天彦は以々越しに勾当内侍に嫌味を言った。むろん男子の覚悟の場に居合わすなんて誰様であっても僭越やぞ。の意味合いで。

 心配な感情はわかるとしてもそれをしていてはいつまで経っても以々の成長が見込めないではないか。という老婆心も少し。


「無理を申しましたね」

「ほんまです」

「あら、少し雰囲気がかわりましたか」

「どうですやろ。自分ではわからっしゃりませんのん」

「おほほほ、しらばっくれる。やはり参議は参議にあらせられる。それで九の大安。間違いないのでしょうね」

「やっぱしそっち」

「咎められたので意趣返しに。ですが主上の憂いは本当ですよ。忠臣を標榜するならもっと御心に沿いなさい」

「はい。確と心得ましておじゃる」

「それが噂の嘘の顔ね」

「ははは。身共が敬愛する勾当内侍に対し、そんな僭越なことするはずがおじゃりません」

「よくもほざく。それでどないさん」

「参りますやろ。何もなければ」

「何かがあっても参ってもらわな困るんです。いい加減にせんと後宮すべて敵に回りますよって、その笑い顔が凍って張り付くまで仕返しますよって御覚悟を」

「おうふ」


 何よりいっちゃんおっとろしい宣告だった。天彦は否応なく折れて曲がって言質を与える。

 勾当内侍は今日一のいい笑顔でおおきにさん言い置いて颯爽と籠に乗ってお帰りあそばせるのだった。


 見送った天彦は、


「六男、有りっ丈のお塩撒いといてんか」

「へい旦那様」

「おまっ」

「なんですやろ旦那様」

「今日はとことんやったろか」

「望むところです旦那様」

「おう上等や、よっしゃかかってこい」

「その前にお駄賃くれないと遊べません」

「おおそやった。ほらお食べ。とっておきの甘いさんやで」

「はい。おおきに頂きます菊亭さま」

「あ、うん」


 陣屋玄関先。相変わらずの玄関担当丁稚に今日も今日とて余所行きの応接でけっして短くない天彦にとってのおもしろ応酬を繰り広げているとそこに、これ絶対偉い人のやつ。ひと目で伝わる早馬がはた迷惑にも砂塵を巻き上げ駆けてくる姿が目に飛び込んだ。


 急使が誰発信なのかはこれまたひと目。ド派手な黄色地の旗指物にはでかでかと永楽銭が縦に三文並んでいた。これを知らない京町雀はいないだろう。紛れもなく魔王軍からのお使者であった。


「参議菊亭卿はあらせられるか!」

「ここに御座す」

「鞍上にてご無礼仕る」

「どうぞお務めをお果たしさんや」

「ご寛恕痛み入る。申し上げる! 織田弾正忠様、急ぎ報せよとの仰せ。我が軍団麾下徳川家、駿河領内にて甲越軍と交戦! その旨即刻お報せせよとの下知にて参った次第。確とお伝え致した」

「おおきにご苦労さんにおじゃります。なんぞ茶でも振舞いたいところやがそうもゆうとれんようや」

「お構いなく。それでは御前御免仕る。はいやっ」


 急使は駆け去っていった。……どはっ。気が焦る。今の顔を家来には見せられない。天彦は目を固くつむり敢えて深刻ぶって昂る感情を制御した。次第に落ち着く鼓動。整う感情。よし。これなら。

 そっと目を開けるとやはり周囲にはすでにイツメンたちが集結していた。皆一様に浮かない表情だが、中でも最も不安げな与六の姿が天彦の目に真っ先に飛び込んでくる。


「参議……」

「まず一個。知ってたんか」

「いえ」

「ふむ。なら問題ないさんや。どないする」

「帰国なら参議の御意志に従い申す」

「なんで身共の」

「常々危急のことあらば参議に伺えと殿から命じられているからにござる」


 越後のドラゴン氏はいったい何を考えているのだろうか。最悪は与六が人質にされてしまうというのに。だが裏を返せば謙信公とて予知できないほどの不測の事態ともとれる。むしろそちらが本命か。

 天彦は長考の闇に自らの意思で落とし込み、周囲の物音さえ聞こえないほど深い思考ゾーンに入るのだった。














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