表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
五章 万里一空の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/314

#04 瞳を縁取る嬉し味の日向

 



 永禄十二年(1569)五月三日






 天彦の個人的には感触がよくない日が続く中、それでも菊亭定宿陣屋旅籠は大盛況、今日も今日とて来客で立て込んでいて世は事も無し。いやあるいは玄関担当おもしろ丁稚六男にとっては事もありまくりだらけなのだろう。

 いずれにしても六男の不機嫌面が来客の多さを象徴して物語っているそこで一句。


 凄まじい数の快気祝いの贈り物を横目に菊亭、新たな負傷で寝込み草生える。字余り。


 むろん設定上の話である。寝込むどころか本人は至ってぴんぴんと引きも切らない来客の応接に汗をしている。

 実益が出ずっぱりとのことで西園寺家からの使者の丁重な快気祝いの言葉とお品を頂戴し、そのまま帰すのもご無礼と茶飲み話でもして送り返したのがついさっき。


 然は然りながら下手すぎた。この酷さはきっと我ながら。天彦はあまりの出来栄えに“はよ先生雇わなあかんなぁ”そんなことを思いながらも反面、詩を思うとスキル向上より何よりもお胸がチクチクと痛んでしまうのだから話は一向に前に向いては進まない。目下詩にかんしては師の選別どころの話ではなかった。


「お茶をどうぞ。先ほど主家より頂戴致しました宇治産茶葉にございます」

「おおきにさん呼ばれよ。……でもなんやおっかいないねん。実益のおべっか」

「またそんなご冗談てんごうを申されて。ご無礼ですよ」

「無礼なことあるかい。お前さんらはあの恐ろしさを知らんから……、ええわ。何事もお気楽さんが一番やもんな」

「はぁ。……あの」

「ん、なんや」

「主家の若殿様はお次、いつ参られますやろか」

「おまっ」

「あ、お忘れください。御前失礼いたします」


 ぬぐぅぅぅ、実益め。


 イケメン滅びろの対応語句である実益に呪詛を吐きつつ、天彦はその実益を想ってうっとりな親実益派な侍女をしっしと追い払ってセコすぎる留飲を下げて人心地。手土産の高級茶葉とやらをずずずと啜った。……癪だが美味い。

 が、またしても内心で舌打ちさせられはたと気付いて己の狭量さにまぢ凹みするそんなルーティンをこなしつつ。


「お雪ちゃん、さっきのん」

「はいどうぞ」

「おおきに」


 まだまだ捌かなければならない本日、立て込む来客の合いの束の間、宇治産のほうじ茶を啜りながら天彦は佐吉と雪之丞がせっせと夜なべで組んでくれた手書きの来客名簿に目を通す。……エクセルさんはよ。


 今日はビジネス関係の来客で万来であった。この後の魔王城から参られる魔族の来賓を除けば。

 菊亭はこの頃、座を主催しているのだ。祇園さんとの一件で頓挫していた香油座を。それ以外にも香り利権全般の。近頃は京の常識畿内の非常識と揶揄されるほど京は文化面でも異質の発展を遂げていた。それもこれも信長が打ち立てた経済政策あったればこそ(棒)。人口流入はとどまることを知らず、今では未来の現在さえ凌駕する京雀の数となっている。五畿内含めればあるいは大台にさえ手が届くのではと実しやかに囁かれているとかいないとか。


 そんな空前の好景気経済真っ盛り。みすみす食いっぱぐれる天彦ではない。

 天彦はここぞとばかり恩恵に預かり主に得意分野である衛生面や生活向上の一助となる(香り関係)座を独占的に手中に収め利益のかぎりを貪っている。暴かどうかは主観によるが、人件費のオニ安さが菊亭の貸し蔵の数にそのまま反映されていることだけは紛れもない事実である。

 その貸し倉の持ち主はむろん主体として天彦率いる菊亭を陰に日向に鬼支えしている。ほとんど身内の信用度と親しさで。しかも献身的に。

 きっと理屈ではないのだろう。商人なのに。あ、はい。普通に考えて天彦が単純に好きなこととは全く別にオニ儲けさせてくれるから、だろうけど。


 このように香り製品全般フレグランス系の香油座(通称・雅座)は吉田屋が座主だが実質は天彦の菊亭ということは公然の秘密として知れわたっている。

 九州や依然として辺境認識の奥羽でさえ菊亭=香油というイメージで浸透しているほどである。控えめに言ってむちゃんこ儲かっているのである。実益の綺麗な眉がぴんと跳ねる程度にはえげつなく。


 言い換えるなら雅の先端は常に菊亭が駆け抜けていた。そんな流行の最先端発信基地を利に明るい吉田屋が黙って見過ごすはずもなく。先ほどの女中にしてもそうだが相当の数、お手伝いさんという名のレシピ泥棒が送り込まれているのだった。

 しかしだからといって術理の伴わない情報などただの張りぼて。ましてやその泥棒情報は“こんなんあるらしいやん弟弟子くん、兄弟子淋しいわぁ、天ちゃん一緒に儲けまひょ”的な単なるお強請り専用に扱われている現在、天彦の視界には入ってこない。


 ならばなぜ吉田与七が危険を承知でせっつくのか。それは単純に天彦が利権の囲い込みを渋るからに他ならない。

 例えば近頃発売された飴湯などはその最たる事例ではないだろうか。堀川の流行茶屋が発信基地と実しやかに噂されているその甘味飲料。与七は絶対に菊亭発信だと信じて疑っていない。なぜなら天彦、専ら好んでこの飴湯を飲んでいるからだ。アレンジして。冷やし飴などとネーミングしていい顔で飲んでいるのだ。しかも味変までして。ニッキ味という今では魔王お気に入りのシナモンを足した風味にして。絶対に天彦がレシピを与えたに決まっている。お気にの娘給仕に強請られて。


 その飴湯はもはや洛外の風物詩として日ノ本中に広まっている。同意があるのかないのか菊亭も唸る絶品という副題に加え、なぜか“河内国魂飴湯”という謎の呼び込み文句までついて広まっているではないか。河内国守護もさぞびっくりだろう。

 与七が天彦に問うと“大阪ソウルドリンクが通じひんのん”というこれまた謎の言葉が返ってくるだけで皆目要領を得ないのである。

 天彦のことなので自分に対しては嘘や誤魔化しはないと知っている与七だが、けれどそれ以上の追及はせずにおいている。なぜならラウラがいない最近の天彦の言動は益々意味不明に磨きが掛かっているからで、説明しようとすればするほど泥沼にはまっていくような理解の難易度になっていたのだ。

 ラウラ説明して。言ってハッとしてするとラウラがいないことを思いだし目に見えてハイライトを消してしまうのだ。それは周囲も気を遣う。相当慎重に。


 故に絶対に関わっていないはずがないのである。突飛なことは菊亭発信。京雀の共通の認識であることもそうだが、天彦という人物、ああ見えて自分の評判にはかなり敏感なタイプであることを兄弟子与七は承知していたから。世が世ならエゴサしまくる性質であったから。むろんそんなことは一ミリも関心がないと平然を装いつつ。



 閑話休題、


「さて」

「さて」


 ハッピーアイスクリーム!


 天彦はテンション高く発声するが賛同はなかった。当たり前である。

 雪之丞は極めて冷めた目で言った。


「茶々丸さんの用事ってなんですやろ。若とのさんはご存じですか」


 するとその雪之丞がまたしても核心を突く。ほんとうにこの男子、思うままに言葉にする。天彦は貴重な人材だと思う反面、他所では生きづらいだろうとも危惧してしまう。

 むろん一個の男子の将来詮索など烏滸がましいことこの上ない僭越とは承知なれど、やはり世は戦乱。いつ何時自分が消えてなくなるかもしれず、兄弟同然のお気にの行く末はやはりどうしたって気懸りである。


「知ってるか知らんかの二択なら知らん。けど予想は立ってる。かなり高い確度で当たっているとも思ってるで」

「おお、さすがは若とのさん。昔っから、当てモンだけはむちゃんこ得意でしたもんね」

「あ、うん」


 そんな認識ね。ええけどちゃうよ。これはかなり高度な予測術理の応用なんやで。

 天彦は誰も褒めてくれないぶん自分を余分に高評価して、雪之丞に生温い視線を向けて小さく笑う。


「佐吉はどないさん」

「あの意地っ張りはあきません。休むくらいなら腹を召すとほざきよる」

「お雪ちゃんの言い方ちゃうのん。昨日は休むとゆうとったで」

「若とのさんが仕事与えはるからやん。なんで某のせいにしはるん。嫌いやわ」

「あ、はい」


 そういえば墓を移し替えてとお願いした気が……。忘れよ。

 あれだけの怪我を負ったのだ。そうとう熱が出ているはずだが。武士の意地を粗末に扱うと、手痛いでは済まされないしっぺ返しが怖いのである。

 よって無理はしたいだけさせる。それで勤めに穴を開けたらそのときが天彦の出番。鬼の首をとったかのように畳みかけて性根を叩き直すのである。ホワイト気質に。アホちゃう阿保やん。


「それで予想とやらは訊かせてくれませんのん」

「茶々丸なぁ」


 さて結局手は取ってもらえなかった。あの門徒一千万とも自称する大本尊の直系嫡子茶々丸のことだ。プライドの高さは天彦の比ではない。あるいは第六天魔王に突っ張ってみせた実益といいとこどっこいしょ。素直に取ってくれるとはさすがに天彦とて思っていなかった……、のだが。


 それと凹まないのとは別物。天彦は珍しくカッコつけずにガチ凹みしていた。


「そんな渋るってことは、さてはあまり自信ないんとちゃいますのん」

「あるよ100、いや99で」

「ほな教えてくださいよ」

「いやや。1の可能性に賭けてんもん」

「……ほな訊くんやめときます。某もその1とやらに賭けますよって」

「ええ勘してるで、うんそうしとき」

「はい。それにしても茶々丸さんの肩パンえげつなかったですね」

「ぐすん、まだ痛いん」

「湿布薬、張り替えましょか」

「そないしてくれる」


 手は取られなかった。だが肩パンはされた。豪快なやつを一発。そして用事を済ませたら陣屋に参るとも言わせたのだが、何の用事、どこさん用事。訊くとニヤリ。

 天彦にはDQNの思考回路が読み解けない。何一つとして共感できる要素がないからだが、だから予測してみたところで徒労に思わる公算が高い。

 なのに天彦は99の確度で用事が何かを予測できると豪語した。天彦は見栄っ張りの意地っ張りだがけっして嘘つきのほら吹きとは違う。よって予測は立っている。しかも当たっていると不都合な予測が。

 だからこそ外れる方に張ったのだ。外れると知っていながら。

 エビデンスを積みかさね史実を織り交ぜれば誰にでも解けてしまう簡単な方程式に加え極力無駄は省きたいのだ。だから茶々丸のことは考えたくない。タスクがオニ山積みだし。

 ましてやDQNの思考に寄り添うなど心理的に勘弁だった。欲しいのはドヤ顔ではなく単純な意思表示の言葉だけ。


 結局のところ何一つわからないままけれど確実にわだかまりは解けていた。それだけはわかった。

 そして茶々丸を思うと天彦の頬が緩んでいることも確実で、だからにんまり。周囲もほっこり。絶賛一名、異次元の住民さんを除いては。


「むっちゃ笑てますやん、今朝からずっと」

「そんなことないさんや」

「そんなことしかないさんですやん。佐吉、どない思う」

「おお佐吉参ったんか。こっちおいで」

「はっ。失礼仕りまする」


 佐吉がおっちん。天彦に一礼、雪之丞に面と向かう。


「殿はお心お優しい御方にござる」

「某そんなこと訊いた?」

「殿がお笑いであると家中に温もりが増しまする」

「まあ、それはそうなんやけど。なんかちゃうわ」

「なんか違うと仰せ。植田殿は御立場上、その何かを説明する義務があると存ずるが如何」

「それもちゃうねん。佐吉、お前はほんまに残念な男や」

「あはは、それは傑作。これは愉快。永禄一の冗句にござるな」

「おいコラ」

「なんでござろう」

「ちっ、もうええわ。お前弱ってるし」

「お気遣い無用なれど、此度は頂戴いたしまする」

「うん、そうしとき」


 雪之丞の不承知はさて措き、天彦は確かにご機嫌だった。

 雪之丞は目下天彦の専属秘書である。よってスケジューリングの円滑な進行のため(棒)心を鬼にして天彦に告げる。


「まあよろしいわ。絶対に賛同してくれるお馬鹿さんの謹慎が解けるまでの辛抱やろし。そんなことしかないさんですけどお次は武井肥後守ですよって、そろそろそのだらしなくたるんだお顔、引き締めてくださいね」

「たるんだはちゃう。せめて緩んだや」

「たるんだお顔、引き締めて」

「あ、うん」


 ややあって、肥後守さまお越しです。是知に代わった呼び込み代理文官の案内で魔王城からの使者が参った。

 雪之丞と佐吉の元服の礼で贈り物をしたその返礼も兼ねているとのこと。大そうすぎる贈答品目録に加え、単なる御使者と括ってしまうにはあまりにも大物のお遣いだった。

 織田信長筆頭祐筆・京都行政官一席・中国地方外交担当・織田家大蔵方奉行といった肩書無数の博識学徒にして天下有数の茶人夕庵こと武井肥後守妙伝助直である。

 そう。織田家経済財政諮問会議の同僚にして天彦の未来の現在経済知識を会で最も正しく理解できている秀才有識者であったのだった。


「御無沙汰しております。本日は主家当主弾正忠三郎に成り代わり快気の祝賀言上仕り申した。御前、お目見え叶いまして祝着至極に存じ上げまする」

「我が家来の元服の儀の折り京都所司代・村井民部少輔どのには一方ならぬご高配を賜り、加えてこのような立派な品の数々。弾正忠さんには一方ならぬご温情さん、参議この通り厚く御礼もうしあげますぅ」


 気心が知れた仲。天彦と夕庵は挨拶もそこそこに早速くだけて和気藹々と会話を弾ませる。

 しばらく話していると、夕庵が背後に控えさせていた小姓に目配せして座の前に押し出した。


「参議、こちらに居るのは我が倅の十左衛門にござる。甚だ若輩者にござりまするが何卒よしなに御頼み申す。ご挨拶差し上げなさい」

「はっ! 某、武井肥後守妙伝助直が嫡男、武井次郎三郎十左衛門にござる。よしなに御願い奉りまする」


 次郎で三郎で十左衛門って。もう十五郎でええな。そないしよ

 紹介されたのはご嫡男殿であった。夕庵、なんと実子を伴ってやって来ていた。意図は交流なのだろうが目下の天彦と近しく交流して得があるとはあまり思えない当人天彦は、意図を予測しながら会話を進める。


「ようこそご丁寧さんにあらしゃります。参議藤原朝臣天彦におじゃります。こちらこそよろしゅうに。十五郎、父御前見習うてたんと励みや」

「あ、いや、某は――」

「十五郎。御前のお言葉、ありがたく頂戴いたせ」

「……! はっ、御目もじ叶い光栄至極に存じ上げまする。十五郎、お下知に従い粉骨砕身励みまする」

「なんべんもゆうけど骨は砕いても粉にしてもお勤めは果たせへんのやで」

「初耳に、あ、いや、ぐぅ……」


 すると夕庵が、


「参議、そこらで勘弁してやって下され、この通りにござる」

「ははは、有識者会議では鬼で鳴らした夕庵も人の親におじゃりますな。ではこの辺で」

「忝く存じまする」


 二人して笑い合う。だが紹介だけが本意ではない。天彦は察していた。なにせ十左衛門改め十五郎の胸には堂々とシルバークロスがぶら下げられていたのだから。

 うち切支丹の駆け込み寺ちゃうねんけど。天彦はリアルでため息は吐かないものの吐いたも同然の面持ちで夕庵を咎め見た。


「はて。身共、夕庵になんぞ借りでもあったかいな」

「逐一すべて書きつけてござるがお目通し致しますか」

「あ、うん。お豆さんなことで宜しいさんや。で……、いつからや」

「本日にでも」

「預かるのはかまへん。そやけど主家へは何と報告なさる御心算さんや」


 嫡男の放出は主家への見限り、延いては謀反を疑われても不思議はない仕儀。天彦はそのことを指摘した。普通に考えてあの信長が捨ておくはずがないのである。

 しかも信長、人材蒐集コレクターなところがある。最近では好きが高じて黒人奴隷も傍に置いているという噂も耳にするくらい。するとこの申し出、益々以って不可解だった。


「殿にはすでにご報告差し上げて申す」

「おい。訊いてへんぞ」

「たった今、まさに申し上げてござる」

「どいつもこいつも。……まあええわ。お雪ちゃん」

「はい」

「十五郎や。そっちで面倒みたって」

「はい。十五郎はおいくつや」

「13にござる」

「ほな某と一緒やな。おいで十五郎」

「はっ、よろしくお引き立てのほどお願い申し上げます」

「硬いわ。緩ぅ参ろ」

「へ」


 十五郎は雪之丞のペースに面食らいつつもいい顔で共に階下に向かった。

 きっと笑顔の理由は天彦の部屋に飾ってあった十字架の絵だろう。天彦には単なる絵でも信徒には意味ある絵となる。そういうこと。

 それにしてもお雪ちゃん、いつから13のお兄ちゃんになったんかな。元服したら三階級特進とかそんなルール、どのローカルにもあらへんねんで。


「それではこれにて。御礼は後日また改めまして」

「お構いなく。おおきにさんにおじゃります」


 夕庵を見送り、天彦が半ば呆れながら雪之丞のやたらお兄さんぶりたい衝動に同感の念を送っていると、ややあって不意の来客を知らせる告知が入った。


「申し上げます」

「前置きはええ申し」

「はっ、……ですが」

「言いにくいことも申す。それが御取次のお務めさんやで」

「はっ、では。客人曰く、三流公家に参ってやったぞ。もたもたせんと出迎えんかいっ。――と、仰せにございます」

「あ、ひょっとして、目がやたら好戦的で口元がやたら世の中を舐め腐っている風に皮肉気で、態度はむちゃんんこ不遜なのにくりくり愛らしい小坊主風のお人かな」

「はっまさしく然様にて」


 天彦は急ぎ大至急階下に駆け下りた。


 やはりそこには予想に違わぬ人物がいた。しかし別れた一昨日とはまるで違う装いに変化して。

 正確には絶対にあり得ない、だが現にあり得ている紋付の狩衣を着用した凛々しいにも程がある茶々丸の姿があった。……まあ知ってたけど。

 人物が身に纏うのは陽明家の家紋。公家なら誰もが一目置いて当然の、位人臣を極めることを宿命づけられた名門中の名門貴家の。即ち近衛牡丹紋章である。 


 天彦ははぁと内心でため息一つ。そして相変わらず厭な方の勘だけは的中率100%を誇る呪われ体質を逆に呪いながらそっと言う。


「お帰りなさい茶々丸さん。ほんでようこそ菊亭へ」

「はん。何がようこそや。おい三流公家菊亭。よもや不遜にも大摂関家猶子ゆうしであるこの近衛茶々丸を招いておきながら、まさかこの襤褸屋に迎え入れようという腹心算ではあるまいな」

「ふふ、嬉しそうで何よりさんやな茶々丸。それとも近衛さんと慇懃にお呼びした方がええんか」

「やかましいわっ! 嬉しいことあるかい。呼び方なんぞどうとでも好きに呼べ」

「あはは。おもろ」

「なにがじゃい」

「何がって。そんな見たことないくらいむちゃんこ嬉しそうやのに嬉しいことないんやな」

「お、おう。ぜんぜんおもんないわ。……ぜんぜんおもんないわっ!」


 嘘つけ。嘘過ぎておもろいけど。

 茶々丸は見たことものないほどむちゃんこドヤ顔だった。麻呂て。……案外、案外やけども。


「はは、おもろ。負けず嫌いも極まったらそないなるんや。まんじおもろい」

「大変やった。……ちゃう。儂の勝ちやな。はっきりさせえ」

「あれ麻呂とちゃうのん」

「……勝ちかどうか。先ずはそれや」

「あ。こちらが急に我に返ってハズなったはる人の絵です。みなさんどうぞ」

「だ、黙れ! 知るかっぼけ、はよ申せ」

「さあ。どないさんやろ」

「おい、ちゃんとせえ。でないとシバくぞ」

「暴力反対」

「ほな早よせえ」

「ふーん。ほな身共の負けでええんとちゃうかな」

「なんか腹立つ。おいコラ菊亭、その申し分やとぜんぜん勝った気せえへんぞ」


 うん。それが術理を尽くした話術の神髄やから当り前やん(棒)。


 天彦は釈然とせずまだぷんすかオコの茶々丸の肩を抱き、馴れんことして疲れたやろ参ろ。上でも下でもなくフラットに、竹馬の友として我が菊亭仮宿へと招き入れるのであった。三回ばかし“馴れ馴れしいぞっ”肩に回した腕を振り払われながら。



 嬉しいさんやわぁ



「おい腹黒鬼畜外道、なんやその顔は」

「あ」

「き、菊亭、なんやその顔」

「うん。嬉しいさんを表現した顔。かっこええやろ」

「どこが。キモいからやめえ」

「そんな嬉しい顔で言われても」

「おいこら」

「ぷぷ、なにそれ。今まで訊いたおいコラの中でいっちゃん迫力なかったで」

「なっ……」

「だって茶々丸、考えてみ。中一日で猶子の約束取り付けるなんて手際、命でも張らな早々通らん無茶さんやで」

「お。おう」


 張っとんな、こいつ。まじか。


「よし! ほなご褒美や。今日は久々一緒にお風呂入ろ。なんやったら実益呼んでもええさんやし」

「あんなキモ公家侍はええけど、え、風呂あんの」

「うちどこや思てんの。菊亭やで。あるに決まってるやん」

「すごっ……、ちゃうちゃう。は、入るかぼけ!」


 入るということで。京言葉ってほんまツンデレやわ(棒)


 頑張ってきたご褒美か。友が友として参ってくれた。さすがの意地っ張り天彦でも衒いなく思わず感極まってしまうほど嬉し味に押しつぶされそうになる。

 わあ……! すると夕日までもが美しく映るそんな心地に見舞われて、今なら何を相手取っても勝てる気がする天彦だった。

 むろんまったくの気のせいであることは知っていつつも、今だけはこの嬉し味に酔いしれていたいそんな歓天喜地の心地であった……が。


 新たな火種が目の前でくすぶり始めた予感がする。


 本願寺は本来九条派である。茶々丸のぱっぱ顕如も九条の猶子。そのぱっぱもそのまたぱっぱも代々九条派。

 そこに来ての近衛の参入。近衛の横槍。憂慮は尽きない。つまり近衛は関白となった今でも依然として何事かを画策していると読み解くのが自然である。史実では本願寺を利用した九条との格付けの意味合いが大きいように思えるがこの世界線では果たして。


 だから天彦は史実への介入を極力嫌った。予測予見が立てづらくなってしまうから。

 近衛前久。それでなくとも動きが読めないトリッキーなお方。本願寺と密接に繋がっていて、あるいは敵の敵は味方的に九条とも裏では繋がっているかもしれないし、あるいは親織田の顔で裏では反織田であっても驚かない。驚けないよう可能性は広がってしまった。茶々丸のやんちゃのせいで。強すぎる自尊心のせいで。


 茶々丸さあ。……ええねんけど。招いたのは身共やし。


 いずれにしてもその分だけまたしても茶々丸の価値が跳ねあがった。猶子に相続権がないとはいえ、意味づけは途轍もなく大きい。

 未来の浄土真宗宗主が公家。それも殿上極める摂関家となれば字面だけでも相当である。よって茶々丸自身の箔も余りあるほど付いてしまった。

 どうやら歴史神はどうしてもどうあっても茶々丸を表舞台に立たせたいようである。神とやらがいるのであれば。


 だが天彦は態度を保留する。策意は常にフラットな思考から編み出されるとしたものだから。そして同時に懐に仕舞ってある最後の一通の書簡の沙汰も保留とするのであった。










【文中補足・人物】

 1、武井次郎三郎十左衛門(1558)

 十五郎として改名(通名)菊亭に礼儀見習いとして預けられる。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 茶々丸さんへのお強請り聞いてくださったような気がして、有り難く思います(*´∀`*) (実は筆者様この結末腹案で予めお持ちで、私の勘違いなら恥ずかしいですが、、) [一言] なんとも菊亭一…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ