#12 月夜鴉と天に張り弓
永禄十二年(1569)三月十二日
定宿陣屋二階、天彦の私室は両横の襖扉を開くと倍ほどの広さになる。
手狭な現状、その私室を応接室として兼用して使用しているのだが開け放たれた隣の部屋にはむくつけき漢ども、つまり荒々しくもむさ苦しい男どもが我先にと詰め掛け、主君にして当主の会談光景を観察していた。観察……?
観察という言葉の字義には愛刀の柄に手をかけて半身状態で身構えること、という意味がふくまれているだろうか。いない。
つまり観察ではなく参戦である。誰もが室内の温度をかなり引き上げるほど殺気立ち、失言あらば秒で斬りかかる意気込みでこの会見に参加していた。あるいは失言なくとも斬りかかろうとせんばかりの意気込みで臨んでいた。しかも押しかけ勝手に。天彦は何一つ声をかけていないのだから。
気持ちは嬉しい。ただしそれが邪念がないのなら。ただ暇だから、ただ揉め事に顔を突っ込みたいだけなら要らないのだ。そんな大迷惑なお仕着せは。
そんな心境で愚かしい家来を一瞥し、視線を移し上座から下座を眺める。ざっと総勢二十名ほどだろうか。下座には祇園社代表団が鎮座している。
その先頭には彼のイケメンくんが。代表団の代表選手主将なのだろう。お疲れ様です。
揃いも揃ってつるりと綺麗に剃り上げた剃髪を天彦のいる上座に向けている。
むろんイケメン忌々しい貴族僧侶こと尊意も居る。故実の作法にもない絶対服従の低姿勢で。
「銭ならある」
「天彦さん、お下品ですよ。もっと風雅にお包みください」
ちょ、ラウラちょっと黙って。
天彦は目線で釘を差し、先頭のつんつるてんに向けて言葉を放った。
「その銭はお返しいたします。詫びに参られたのでございましょう。ならばお気持ちだけでけっこうです」
「……」
この姿勢だから詫び以外に理由があったら逆にビビる。そんな低姿勢で祇園社御一行は天彦に剃髪の頭頂部を曝していた。
だが一向に応答がない。さすがに恐縮しすぎも無礼ではなかろうか(棒)。
知ってた、お顔さん上げさせていないって。どないしよかなぁ。天彦は散々意地悪をしてから窮屈姿勢から解放してやる。
「面を上げや」
「は、はは――」
全員が上げた。重鎮から若手まで様々な守備範囲を揃えたのだろう。どんな難癖にもその場で即応対できる布陣だ。天彦は感心した。しただけだが。
「ご尊顔を拝し奉り、祝着至極に存じ奉りさんにおじゃりまする」
「ええよ、普段使いのお言葉で。下賤な狐相手やし。やったよね。内裏で触れ込んでいたお言葉さんは」
「っ――、いえ、はい。その節は我が身の不徳、心中より深くお詫びさんにあらしゃいまする。何卒ご寛恕くださいますよう、このとおり伏して言上仕りさんにおじゃりまする」
ええか。ここら辺で。
「もう怒ってへん。いつまでも引き摺るんは愚か者のすることや。よってこの件に関しては菊亭と祇園さんは円満さんや。これでええかな。後で書面交わしておきましょ」
「はっ。寛容な御沙汰。恐悦至極に存じまする。して、例のお沙汰は」
「はて、何のことやろか」
「くっ、石像のすべてを打ち壊すなどという前代未聞の愚かな行為、破廉恥極まりない、……失敬、已むに已まれぬお沙汰のことにおじゃります」
「ん? それは普請を司っている所司代代行殿のお沙汰にあらしゃりますやろ。身共はなーんも関係おません」
「く……っ」
人聞きの悪いこと、仰せにならしゃってかなわんわぁ。
天彦の嫌味がさく裂した。効きすぎるくらい効いていた。尊意は満身を胴震いさせ、ともすると口元にまるで紅を差したような朱味を差し滴らせた。
これぞまさに憤怒であろう。だがこれで開き直ったのかそれとも二寧坂家の意地を見せたか。尊意はどこか腹を括った表情で天彦に険しい視線を向けてきた。潮時か。もっと遊んでたかったのに。
「尊意」
「なんや」
「人を貶めるとはこういうことや。わかったやろ」
「わからん。でも許してくれ。十分懲りた」
「アカンやろ。お前、身共の命欲しがったんやぞ」
「冗談やんけ。お前好きやろ、笑えん冗句が」
「笑える方がスキやけどな。そうか尊意、お前も想像力の足りんど阿呆やったんやな。がっかりやわ」
「なんやと」
「その冗談とやらを抱えて逝けばええやろ。二十年後には笑えるんちゃうか」
「綺麗ごとをほざけ」
「あのなぁ尊意。綺麗ごとで生きていくんは大変なんやぞ。意地汚く生きる数倍はしんどいねんで。いっぺんやってみ。やってからほざけお前こそ。佐渡はええとこらしいし、ええ汗かいて猛省しい。ほなさいなら」
待て、待ってくれ。まてぇえええええ――っ!
尊意の絶叫が室内に響き渡った。そっちで十年ロムっとけ。天彦は命を狙われた相手にしてはおチャラけて敵を見送った。
確かに命は狙われた。だが結果生きている。天彦なりに落としどころをかなり考え込んだ結果がこの結末。つまりどちらにも振れなかったのだ。許すも許さないも。だから等価交換とする。それでいいと思えたから。
尊意の信心が本物なら佐渡でも布教はできるはず。天彦は衒いなくそう思えたから追放刑で聴しとした。
家来の大部分にはありありとした不満の色が目立っていたが知らん知らん。チャンバラごっこは他所でやれ。
さて天彦は祇園社の完全武装に身を固めた僧兵に連行される尊意を見届け、視線をおそらく最上位であろう僧侶に移す。品、格、共に申し分なし。
即ちこれまでは前座。これからが本番なのだろう。天彦僧侶双方共に織り込み済みの認識を共有している表情だった。
「御坊さん、御挨拶は必要におじゃりますか」
「結構さんや」
「おおきに。お如何さんですやろ。身共としてもこれ以上は望んでおじゃりませんのんや」
「当方も同意にて。これにてお手打ちとはなりませんやろか」
「無料ではお無理さんです」
「無料で堪忍さんにおじゃります」
そうなる。だが高位の僧侶は強気の仮面をけっして脱がない。
背後に何かが立っているのは火を見るより明らかだった。比叡山さぁ……。
天彦はうんざりに輪をかけたうんざり具合でうんざりしながら口を開いた。
「ほんっっっまにど厚かましいですね。相変わらずお寺社さんは」
「菊亭さんはご意向には添えませんと。そう仰せなのですね」
「自らの意向に御をつけるのは誤用では」
「なんとでも仰い」
「ああそうですのん。では存分に。御覚悟なさいませ。そのお言葉、百の確率で確実に後悔せしめてご覧に入れますんで」
「……口がすべり申したでおじゃる」
「口がすべったからどないなん」
「滑った。そういうことや」
「御坊さん、面白いお人さんやね」
「元服も済ませていない小僧さんが一門の大人さん相手に生意気な口を叩くもんやない。あんさんは元は公卿かもしらんけど、今や地下人さんなんやで」
「これは失礼を申しました」
「ふん」
相当高貴な出自なのだろう。事情にも明るい。何よりこの高級僧侶には遜るという感情が予め備わっていないことが手に取るように伝わった。だっる、こんなん真面に相手してられへん。もう仕舞お。
天彦はうんざりして店じまいの支度を始める。
「菊亭と祇園さんの拗れ、どう縒りを戻しましょか。あるいは戻さなくともどう落着させましょか。ご検討さん願えますかぁ」
「拙僧には皆目てんで。菊亭さんが何をお望みかによるんと違いますやろか」
「そうやって何も発さず考えず、ただ答えだけを引き出したいと。こすいお考えさんにあらしゃいますなぁ。それが叡山の教えにあらしゃりますのんか」
「そこまで。そこまでにしときっ」
高級僧侶の感情が揺れた。むろん菊亭家の武官たちの感情も大いに振れた。
高級僧侶はさすがに不味いと察したようでぺちんと剃髪を叩いてお道化る。そしてお気持ちばかりのお辞儀をぺこりとしてから特に悪びれる風でもなく、のうのうと言い放った。
「何卒、折れて頂きたい。それが菊亭はんの御為や」
天彦は一瞬“へ”何を言われたのか言葉を見失ってしまう。
ようやく事態が把握できたころには部屋中の気配が非常に不味い状況にまで落ち込んでいることに気づいた。どうでもええけど。
「折れる。身共に折れろと。あははは、なるほど、なーるほど。これは目から鱗におじゃった。詫びというのは見かけだけで、その実は菊亭に戦を仕掛けに参られたと」
「叡山におじゃりますぞ。もう十分におじゃろう」
「ほーん、ふーん、はーん。ほなついでさんやしお社さんにもお役に立っていただきましょか。材木はようさん燃えはるやろし焚き木くらいなら使えますやろ、年季の入った御本尊さんも。きっと本望ちが――」
「何卒!」
高級僧侶が天彦の言葉を遮ってまで激発し、膝立ちでにじり寄った。すかさず家来たちが鯉口を一斉に解き放ち応戦する。室内にはたちまち濃い死の気配が充満した。
天彦はその最先端に陣取り、しかも身内同士で我先に先頭を奪い合う与吉高虎と樋口与六の二人に向けて明確な口調で凛然と言う。
「死にたがりさんを敢えて楽にしたることはない」
「なれど」
「はっ」
「高虎、身共はここで今夜も眠るんやけど。厭やなぁ血塗れの寝床とか」
「ならば止む無し。ちっ、おのれら。いずれ覚えておれ。楽には死なさん」
最後まで抵抗していた与吉高虎が渋々切っ先を下げると、高級僧侶も脱力した。
「くっ、ふぅ……」
図星だった。それを合図に僧侶神官の全員が脱力した。
この二十数名はおそらく祇園社即ち比叡山の面子を保つ丁度いい人身御供だったのだろう。あるいは戦の大義名分。だが知らされていないのだろう。この弛緩状態が何よりの証拠。覚悟を決めた人間の放つ緩みではけっしてない。
自分も彼らも所詮は駒。使うだけ使われたらいずれぽいっ。放られてお仕舞いの使い捨ての駒。
そうと知るとさすがに天彦も切なさが振り切れていた。
「石造製品はすべて打ちこわし。その輸送費も社さん持ち。それで手を打っときます。そやけど次はおませんよ。身共の烈火は如何な叡山さんでも鎮火できるものやおじゃりません。ご苦労さん、気ぃつけてお帰りあそばされますように」
はは――っ。
その場の全員が平伏した。文字通り都合数十名漏れなく全員が。
意外なことに高級僧侶も。まだ僧侶はわかる。だがなぜ家来も。お雪ちゃんなんでなん。まあノリだけなんやろうけど君のことやし。佐吉はええとして、高虎、なんで与六とどちきあってんの。丸見えなんやで先生の教壇からは。
天彦の呆れと怪訝は置き去りにされ、解除の声を発するまで延々とつるつる頭と並んで丁髷頭が向けられるのあった。
すっかりお坊さん神官さんらが去った陣屋の天彦自室には、イツメン+射干党の幹部メンバーが集結していた。懐かしの顔ぶれでもある。射干党創設メンバーだ。
そんな彼女らを見て改めて思う。
祇園社をやりこめたところで射干党の何が変わるのか。変わらない。比叡山の増上慢とて同じこと。だが胸はすいた。
「天彦さん。何と言っていいのか。感激しました。この御恩は毎日の働きで必ずお返しします」
「主君、惚れ直したでござる」
「天ちゃんラブ、ちゅ」
うん、ええけど。
内心で毒づきながらも満更でもなさそうな天彦は、自分以上にいい笑顔を浮かべている射干党の満点笑顔を報酬として今回の一件を手仕舞いとした。
【文中補足】
1、月夜鴉
月夜に浮かれて鳴くカラス。転じて夜遊びに浮かれる人のたとえ
2、天に張り弓
弓を張ったような凛とした美しい三日月のこと。




