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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十八章 神算鬼謀の章

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#06 巫山戯ることで世界を欺く

 



 元亀二年(1571)三月十六日






 純粋な軍事力同士の激突なら織田は上杉には勝てない。あるいは圧倒的な敗北にお家が木っ端みじんに消し飛ぶのでは。

 それが世間一般的な世評であり、織田家中にも広く浸透している風潮である。


 だが天彦はそうは思わない。悪くても惜敗くらいには持ち込めると分析している。

 そしてそれですら単なる武力衝突した場合。経済力や技術力、あるいは朝廷を押さえている文化的優位性を上手く使えば、何なら圧勝もあるのではと踏んでいた。


 むろん勝つには気の遠くなるくらいの根気と、長期スパンで考えられた気が長い長期戦略が必要とされるが。

 けれど勝てる。それが天彦の見立てであった。それほどに上杉謙信公とは権威主義であり延いては敬虔な天皇崇拝主義者であったから。

 謙信公は朝敵にはけっしてなれない。短期的になったとしても絶対に長期的汚名には耐えられる精神構造をしていないのだ。彼は生粋の潔癖症なのである。

 その思想が室町幕府や足利家への義理堅さに表れている。天彦はそうプロファイルする。


 だが少なくとも織田家の当主は敗北する。それも圧倒的な一敗地に塗れるだろうと踏んでいるよう。信長公にはそう強く考えている節がありありと感じられた。


 即ち信長こそ謙信公を軍神として神格化している最大の人物ではないだろうか。応である。

 こればかりは天彦も呆れる他ない。

 何しろあの豪胆を地でゆく魔王様が、過敏なほど上杉家の動向には注意を払い、ときには文でご機嫌をとり、そして毎年盆暮れには欠かさずかなり値の張る贈り物を送りつづけているのだから。


「うけるぅ」


 だが今回はその臆病とも思える謙信公に対する神格視が悪巧みの追い風となり、すべてがいいように作用していた。ありがてー。



 申刻晡時 夕七つの鐘が鳴る頃。


 辺りはすっかり陽が陰り始めた逢魔が時、菊亭一行が向かうは近江国滋賀郡大津・大津城。

 この大津城には万を優に超える大軍勢がそれこそ無数とも思える旗印、馬印を棚引かせて、上杉家の威勢を張って天彦の来臨を今か今かと待ち受けていることだろう。


 果たしてどんな特大の厄ネタが持ち込まれるとも露とも知らずに。


 むろん見えている数万の軍勢が軍団のすべてではない。単なる軍鋒・先陣に過ぎず、総勢二百万の大軍勢で此度の上洛(戦)に臨んでいるというのが街道筋での専らの噂であった。


 二百万が公式実数かはさて措き、その軍勢の凄まじさは進軍だけで大地を揺らすほどだった。それだけでも十分、今回の上洛(戦)に懸ける上杉家の意気込みのほどがうかがえる。

 天彦にはちょっとでは済まない重圧となって圧し掛かる大軍勢ではあるけれど。


 謙信公が目を三角にしていないことだけを願いつつ。


 ここに至る道中、天彦たちは二度ほど凶賊の襲撃に遭っていた。

 鼻先を小突けば散らせる程度の軽微な襲撃だが、洛外の治安終わってる。

 そんな簡単な言葉で片付けてよいものだろうか。少なくとも天彦は“果たしてそうかな”いつもの懐疑的胡乱の目を向けている。いったい誰に。


 それは今朝方お会いした、織田家のお偉い御方さん方々に。


 というのもこの場所のセッティングには惟住長秀にも一肌脱いでもらっていた。

 移動の安全は請け負ってもらっていない。むしろ丁重に固持していた。

 薄っすらとだがこんな予感が、天彦の脳裏にはかすめていたのかもしれない。

 いずれにせよ襲撃はあった。経路の安全を担保できるのなら、むろんその逆も然りである。はたしてそれは考え過ぎだろうか。


 だが天彦を筆頭に菊亭家のイツメン衆には、織田家に措ける菊亭のポジショニングが克明にインプットされたことだろう。他に解釈の余地のない。


「これやからお武家さんは。はっきり申して苦手ねん」

「その総本山とこれから対峙なされるのでしょう。今からそのご様子では先が思いやられます」

「ラウラ。ほなら先が思いやられる表情しよ?」

「あら、ごめん遊ばせ。うふふふ」


 ったく。


 女史はルンルンで、今にも鼻歌を歌い出しそうなほど。

 ともすると推しのリリイベに向かうドルヲタのように、目をハートにして舞い上がっていた。珍しい。


 そう。ラウラは軍神の隠れファンだったのである。

 ファンは大袈裟だが推しは確実。何しろラウラは魔王をことのほか毛嫌いしていて、天下の仕分けが二択なら、迷わずドラゴンを推す上杉派であった。


 むろん公言はしてないし、彼女のことだ。本心かも定かではない。

 それでも彼女は天彦にその旨を匂わせている以上、少なからずその思いはあるのだろう。


「たしかにイケおじやけども」

「うふふ。心待ちにしてございます」


 あり得るのか。……はは、もしあり得たらちょっとおもろい。


 さて、

 天彦率いる菊亭家一行は、総勢六十名ほどの最小限単位の護衛小隊を組んで上杉家の本陣がある大津長昌が城主を務める大津城に向かっていた。

 むろん籠移動で。本日は一日本域のお公家様コーデ。衣装に合わせて心映えも清らかに厳かなお公家様モードでいかなければならない。対談があるなしに関わらずに。多少はあったとしても。

 天彦はちょっと自覚が足りていなかった自分自身にも絶賛喝を入れ中なのである。いい人キャンペーンならぬお公家様ムーブキャンペーン中なのであった。


 大津城を謁見の城と決めたのは天彦である。本日奉迎の任にあたっていた惟住越前守長秀。彼の妹の嫁ぎ先が今から向かう大津城の城主、大津長昌なのである。

 果たしてこれは偶然か。あの菊亭さん家の天彦くんに限って。


 読まれて愚策、成して上策、ならば果たして露と気づかれない策とは……。


 とか。


 だが勘違いなきように。今回はまったく何も仕込んではいない。←当人談。

 当たり前だが夜陰に乗じて何某ということも絶対にない。彼は腐っても貴種のそれも殿上人なのである。

 今回はほんとうに誠意を示すだけの簡単なお仕事。事実はさて措きノリ的には。故に小賢しい策意はむしろ邪魔になった。


「今回ばっかしは期待感ゼロでお届けしてるん」


 とか。


 ようやく山科峠を越えたあたりか。


 天彦は一段低い籠の視線からギリギリ見えるか見えないかの地平線に視線を送り、数刻後に控えている今後数百年を占う巨大事業の結果に思いを馳せる。


 首脳会談が巨大事業などと兄弟子あたりに訊かれれば、片腹痛いと叱責されるか。

 単なる思い上がりかもしれないが、事実として上杉家の説得には経済も含めた途轍もない恩典が付与される。失われるだろう人的被害も積算すれば、おそらく被害額は天文学的数字に跳ね上がるはず。


 これを事業と呼ばずしてなんと呼ぶ。


 叱られるのが厭なので言わないが、故に決死。覚悟だけは超一流。生まれ落ちたその日から今日にいたるまでずっと。少しずつ積み上げてきた覚悟と度胸、天彦はすでに戦国公卿の一員であった。


「人の頭など精々が5~6キロ。釣り合い取れんとは申さんやろ」


 知らんけど。


 公家としての人格が天彦に奇麗ごとを吐かせてしまう。むろん奇麗ごとこそこの世で最も醜い詭弁である大前提を承知した上で。

 果たして己の首だけで採算が合うのかはわからない。だが天彦は失態を演じたそのときには潔くこの世とおさらばするくらいの覚悟で臨んでいる。


 嘘つけぼけ。ロクデナシのアルティメットどクズ。


 どこからともなくそんな悪しざまな野次が聞こえてきそうだがほんとうに。

 だって身共、世界に愛されすぎてるし。しんど、うざっだるっ。

 は、さて措いて、天彦は誠意でことにあたる心算なのである。言葉を尽くして丁寧に“人を動かす最後の手段はお心さん”の合言葉を胸に刻んで。

 その誠意という概念が人によっては多少、解釈が異なるかもしれないけれど。ほんとうに(棒)。


 いずれにせよ六十名は寡兵である。非戦闘員を省けば四十名少々。

 だがそれでよかった。何ならこれでも多いくらい。胡乱の賊どもを余裕で蹴散らせられれば御の字である。

 大原則に立ち返って公家は武力を持ってはいけない。これこそが公家に許されたたった一つの冴えた生き方、なのである。寡兵はむしろ逆に命を守るのだ。


 果たしてそうかな。


 そんな本日何度目かの果たしてそうかな問題はさて措いて、公家は必要最小限度の自衛できる戦力だけを持てばよい。その必要最低限の解釈に議論の余地があったとしても。今回はその定理が真理であろう。天彦は確信している。

 何しろお相手は二百万を遥かに凌ぐとされる巨大軍勢。交渉が決裂すればそもそも論、護衛が万でもまったく意味はないのだから。刺激するだけ余計に要らぬ危うさが増す。


 その理由で、ラウラと与六チョイスの菊亭精鋭六十名で今回の会談にあたっていた。


「さすがに上杉軍は賊どものようには参らぬ。扶殿、六十はさすがに心許ないのでは」

「ほう音に聞こえし菊亭の武神藤堂殿ほどの剛の武士もののふでも、さすがに二百万と訊けば恐れを為すか。だが僭越ながら某は、この顔ぶれをひと目見て六十でも過分であったと思っておったところだがお恥ずかしい。まだまだ経験が足りぬようにござる」

「な……ッ! 待て、待たれよ。某は五十、いや三十で十分じゃ! 侮ってくれるな樋口殿、考え違いも甚だしいぞ」

「ふっ。で、ござろうな。実に頼もしき猛者であられる。いざのときはその御命、いの一番に放ってくれよう。信じてござる」

「あたぼうじゃい! 一番槍、努々他に預けるでないぞ」

「確と心得てござる」


 高虎以外みなドン引き。


 そんな場面を想像しがちな軽口の応酬だった。だが実際は真逆の反応。

 その軽口が菊亭選抜侍衆の闘志に火を点けて、誰彼ともなく気焔を吐いた。ありもしない大口を叩いて。


「ひとりあたり三万か。ちと骨が折れるが不可能ではないな」

「近頃は勝っても負けても後味の悪い戦つづきであったが、此度はなるほど腕がなる」

「愚か者の小心者どもめ! よいか、この氏郷がいざとなれば敵陣深く突撃し、見事軍神の首級を挙げてくれるわ」

「それで申すなら、殿さえお守りできれば我らの勝利。そうは考えられぬかな」

「確かに。そう考えればこの戦、それほど不利とも思えぬな」

「然り」

「然り」

「むしろ余裕か。がはははは」


 いくら先ほどから二度ほどあった戦闘で血が滾っているとはいえ、この状況でヌルゲー発言は真正のアホである。痛いにも程があった。


 だが彼らは誰も彼もが本気である。さすがは織田・徳川と言った屈強で知られる尾張三河武士を震え上がらせるだけのことはある。


 むろん彼らを纏める扶殿も。同じくらい痛いことにかわりはなく。

 あの天彦と同じかあるいはそれ以上の負けず嫌いでお馴染みの樋口与六のこと。主君を死なせる気など一ミリだってないはずで、この寡兵で守り切ってみせると心静かに闘志を燃やしていることだろう。その他も以下同文。


「是知。お前さんは違うやろ」

「そ、某とて侍なれば」


 天彦の脇で敵陣中に突撃する自身の姿を思い浮かべ、厨二的妄想にでも耽っていたのだろう。

 是知は天彦の指摘にはっとして、気恥ずかしそうに頬を赤らめるのだった。


「やめとけ。声が震えてる」

「殿、お言葉なれど、これは武者震いにございまする」

「ええか是知。人には分がある。お前さんの領分が家政や。それに考えてもみろ、文官が敵陣に突撃しているようではどのみち仕舞いやろ」

「これは覚悟の問題にて、……某も、侍の端くれなれば」

「強情っ張りめ。けどお前さんのそういうとこ、キーボードのRとGねん」

「そうやって。どうせ揶揄っておられますのでしょう。どうぞ存分にお揶揄いになられませ。某は主家菊亭家の譜代諸太夫として長野の名に恥じぬ突撃を見事に果たして見せまする」

「嬉しないけど、お気持ちさんだけ受け取っとく」

「光栄至極に存じまする」


 是知は拗ねた。だが紛れもなくこれは天彦からのラブだった。


 天彦は、是知が命を懸ける場に自ら率先して臨まないとどこか高を括っていた節があったのだ。

 だが蓋を開けてみればこの通り。扶としての強権を発動してまで佐吉を押しのけ文官では少ない席であった随行者に名を連ねた。加えてこの強がり。

 過呼吸一歩手前まで笑いこけるくらいには可笑しかった。それと同時に嬉しかった。

 忠心はもちろん、長らく自身に仕える家来の成長が何よりも嬉しかった。


 天彦がほっと人心地、視線を逆に切り替えると、わきわき。


 すると茶々を入れないと死んでしまう系ヒロインが満を持して発言の順番を待っていた。だる。

 もちろんこの会談の随行に、最後まで付いて行きたくないとオニ駄々をこねていた正統派ヒロインである。


「若とのさん」

「なにお雪ちゃん。めんどいのはあかんで」

「はい。疑問なんですけど、あいつらなんであないにアホなんです。あ! そうか。お殿様がアホやから」

「ひとりで悩んでひとりで完結するやつ! しかもまったく見当違いの。おい待てしばく」

「何でですのん。これ以上の図星おませんやろ」

「おますわしばく」

「えらい今日はご機嫌さんですね」

「そんなこと……、あるかも、くそ」

「そうですか。ところでなんですのさいぜんより短いお足でじたばたしはって。お足、まったく届いておりませんけど」

「あ」

「あ」


 おかげで少し緊張が解れた。


 大津城まではあともう少し。











【文中補足】

 1、大津伝十郎長昌(1542~)

 信長馬周り衆、内政に明るく主に税制と寺社を担当した。

 妻に惟住(丹羽)長秀の妹を娶っている。子はすべて惟住家に仕えた。

 この後、大津家は濡れ衣によってお家取り潰しとなる。

 播磨神吉城攻めの検使を行った経緯から万見仙千代とは親交が深い。















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