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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十七章 風流三昧の章

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#16 不可分な別添資料

 



 元亀二年(1571)二月七日






 大前提、北条単体の関東平定を許す心算は更々ないとして。


 だがしかし、この野心家を納得させる代案は必要で。



 しんしんと降り積もる雪はやがて世界から音を消し去り、茶室をどこまでも奥深い静寂へと誘う。


「これは身共の思う世界のお話。お武家さんが日ノ本を統べる世界の、僅かひとつの可能性の世界の物語――」


 天彦は静寂に身を委ねるように静かに語り始めた。冒頭の大前提を叩き台とした結論ありきの物語ではなく、天彦の知るとある世界線での日ノ本を取り巻く状況を訥々と。誰に解く風でもなく、そっとじっと。物語仕立てにして。

 ことさら私心を交えずに、あくまで俯瞰で語りつくした。けれど言葉は思いつく限りを尽くして。


 冷静に務めた。だが次第に天彦の口調も熱を帯びてしまう。まるで静寂に抗うかのように。大っぴらにぎゅっと。

 やがて語りの中身が如何にして外国勢力に浸食されたのか。外国勢力が如何に無慈悲であり卑劣であるのか。反面、日ノ本がいかに愚かであったのか。

 その段階に差し掛かると、次第に語気が荒くなり口調も平素の雑さを帯び始めていった。


「そうやって日ノ本は不平等なる約定を、諸外国と結ばされる羽目となる」

「……なんたる愚かしさ、何たる悲劇」

「愚かに悲劇。卑劣やのうて?」

「はい。無能な天子を仰ぐ無知蒙昧なる民草の悲劇以外にございましょうや」

「おいこら」

「ご無礼を。ご不快ならば政権を預かる将軍家と直しまする」

「ん」

「して亜相様。この将軍家はいずれの大名にございましょうや」

「身共に訊ねてどないするんや」

「目下日ノ本という盤上を支配なさっておられる御方なれば。某の言、果たして至極当然かと思いまするが如何」


 なるほど。


「この際、それは室町幕府でも織田幕府でもそれ以外でも。お武家さんが君臨する世界ならどこも一緒であらしゃいます」

「ふむ、あくまで明かしてはくださいませぬか。ならば某、得心はいきませぬが合点はいき申したと申し上げます次第にて」

「ん」


 天彦は氏政の言葉から彼の為人を知る。むろんその知見の深さも同様に。

 なので切り口を少し変えた。氏政側にそっと寄せた風にして。


「これにて長きに亘った幕府政治は終焉を迎える。だがこれこそが真なる地獄への序章であった」

「……」


 物語を続ける。

 敵の狙いは、思惑は、目的は、その結果が果たして何をもたらすのか。

 あるいは如何にその状況が危ういのかを、推測を交え熱心に語る。


 その対策を一切語らず。


 時代の英雄たる氏政ならば己が語りたい話の結末を、想像できないとは言わせない。方々端々にそんな無言の圧力を匂わせ語った。


 物語は佳境を迎え天彦が語る世界線の仮説が、日ノ本の木っ端みじんの大敗北でグランドフィナーレを迎え、外国勢力による完全征服で幕を閉じたとき。


「おのれ……ッ!」


 自ずと聞き手に回った氏政はたまらず拳を固く握り、前のめりになって激怒を露わに憤激していた。

 嗾けた天彦が気圧され、たまらず仰け反ってしまいそうになるほどの熱量と迫力で。


「あくまで仮説や、そう気張らんと」

「あ。……ご無礼仕りましてござる」


 だが天彦のひとり語りもやがて終焉のときを迎える。


「――終ぞ思いもせず善きお話を訊かせていただきました。亜相様の亜相様たる極意も知れ申した」


 果たしていかほど語っただろう。いかほどの刻が経ったのだろう。

 気付けば雪はやんでいて、月光の灯りが涼やかな銀世界を映し出していた。


「ご清聴、おおきににおじゃりますぅ」

「なるほど天晴れ、お見事様にございます。某、これほど感心させられたこと、果たして記憶にございませぬ。しかし言の葉を操るとは誠にございましたな。危うく戦支度を叫ぶところにございましたぞ」


 氏政の感心は誠なのだろう。早口にそして力強く語る口調はどこまでも熱く滾る。


 天彦は終始あくまで仮定の話として物語を語って訊かせた。すると必然、物語の結末を引っ繰り返せる秘策は封じられることとなる。

 だがそれを語りたいがために、これほどの遠回りをしたのではないのか。した。

 ならばなぜ語らないのか。自身の胸の内にある本当の物語を。


 だが天彦は語らない。口説かない。

 あくまで氏政の想像力や発想にすべて委ねた。


 それは即ち、氏政の優秀さ、有能さを確信したからに他ならない。

 延いては事ここに至ってお得意の知らないふりマウントを取る気が一切ないことの表れとして、故に物語仕立てとしたのであった。


 そうならないための核心部分、即ち天彦の真意をぼかす危うさはむろん承知している。

 だが天彦は信頼していた。目の前の人物が時代の大英雄であり叡智を備えた知将であることを。


 余韻に耽るような静かな時がながれていく。

 そんな静寂を破るように、切り出したのは氏政であった。


「この筋書き、果たしていずこまで筋立ってございまするか」

「すべて」

「すべてとは」

「すべてとはすべてにおじゃる。即ちお前さんが首を縦に振れば、この策はなったも同然と申すると意味におじゃる」

「な……、なるほど」


 菊亭天彦を見損なうな。どやぁ。


 天彦はどやった。


 筋立てとはむろん大連立を意味している。

 織田・上杉の大連立を。


 天彦はここにきて大きく方針に舵を切った。

 思っている百倍公家がだるく、感じていた十倍武家が有能。極めつけは外国界隈が知っていると思い込んでいた二千倍くそすぎた。


 だから大きく舵を切った。


 武家が統治するある種の軍国主義国家へと。


「朝廷も、織田家にも。……に、ございまするな」

「然様。だがそれでは足りぬ」

「なるほど。商家にございまするな」

「やっぱし左京太夫さんはご賢明さんなん」

「氏政とお呼びくださいますれば、これに勝る喜びはございませぬ」

「ほなそれで」


 実益と明院良政による内裏の意見取り纏めと、松井友閑、万見仙千代による織田家中の取り纏めはすでに仕上がっていた。そして兄弟子吉田屋と薩摩屋JVによる新経済圏の確立案も抜かりなく。


 残すは本丸魔王城のラスボスだが、これには天彦が直にあたる。口説き落とせる公算は高い。少なくとも自信があった。魔王が首を縦に振らざるを得ないその伏線は各所に張ってきているので。


 故にすでに細工は流々、あとは仕上げを御覧じろ。なのであった。

 その仕上げさんは、ながらくの硬直から復旧すると、


「某のお役目とは」


 天彦は東の空を指さし、


「猛虎退治におじゃりますぅ」


 お道化て言うのだった。ことさら事もなく然も造作もない風を装って。

 難攻不落の上杉丸を、あの軍神ごと口説き落とせの意味として。


 そう。この策の肝は軍神上杉謙信公。


 天彦をして、ここの攻略だけは50%の可能性をどうしたって超えてくれなかったのである。

 天彦の信条として50%の確率はゼロに等しい。少なくとも50%の確率に命を張ることはできなかった。天彦は公家であり、何よりそれは分の悪い博打だから。


 氏政は相貌を険しくして虚空を睨んだ。


 ややあって、


「盟主上杉殿への裏切りではございませぬかな」

「心にもないことを申すものではあらしゃいません」

「某が打ち明けぬとなぜ高を括られますのか。もしや某を侮っておられますのなら……」

「そう凄まんでも迫力は満点なん」

「では」

「別に」

「別、にござるか」

「おほほほ、そう別に。打ち明けたくば打ち明ければよいだけのこと。然様な些事になぜ頭を悩ませる必要がおじゃる」

「なるほど。お覚悟はお見事にござる」

「それはお互い様におじゃろう」

「はっ。なればこのお話、――」


 氏政はたっぷりと間を置いて言い放った。


 訊かなかったことにいたしまする。――と。


 氏政は天彦の矛盾を指摘せず聞き流した。その代わりなのか、一見してわかる翻意不可能の決意を浮かべて告げるや、まるで挑みかかるような視線をぶつけて天彦を見つめた。

 その双眸には、すべてを承知なら当然この結末をも想定していたのだろう。と言わんばかりの好戦的な色が滲む。


 対する天彦はというと。


 先ほどまでの熱っぽさなどどこへやら。好きバレした男子の気まずさを見せるかと思われたがそれどころか。まるでかえる化した女子のような冷めに冷めた表情で、じっと愛用の扇子を見つめるばかりであった。


 とても期待外れの感じではない。あるいは策がすべった照れ隠しの感情ですらないように思える。


 両者はこうなってはもはや語る言葉を持っていない。早い話が埒が明かない。

 するとややあって氏政が腰を上げる前振りとして、胡坐のまま拳を畳みに突き付けた。


「御前、ご無礼仕りまする」

「左京太夫さん、大儀におじゃった」


 はは。氏政が腰を上げようとしたそのとき、天彦が扇子の先を鼻先に突き付けた。


「そや、これを持て」

「……」


 それは文であった。

 天彦の懐に忍ばされていた体温が伝わるほっかほかの文であった。


 天彦は怪訝な表情で文を受け取った氏政に向かって言い放った。

 お得意ではない(と思っている)権高く鼻もちならない表情で。


「有難くもいみじくも帝からお預かりしている天領に戻ってから読むとええさん」

「……はっ。なれば始祖早雲の代より四代に亘り、実力で切り取り支配して参りました我が領地に戻りますれば、必ずやお読み差し上げたくござる。これにて御免――」


 ここでも見解は大きく相違した。


 天彦はどうだか知らないが、おそらくだが少なくとも氏政はその心算で応接していた。旗幟を明確にするという意味合いで。


 いずれにせよこれにてお仕舞い。談合は決裂した。


 そして天彦はおそらくだが、人生で初めて大いなる誤算、大いなる敗北を覚える羽目となるのであった。






 ◇◆◇






 堺町のはずれにあるとある一角。

 そこはわりと知られた茶屋であり、堺を訪れたあらゆる貴種貴人がお忍びで通う談合茶屋でもあった。


 その個室で、北条氏政は倅共々引き連れて謁見の余韻に浸っていた。


「父上、噂の化け狐は如何にございましたか」

「うむ」


 氏政は多くを語らない。だがそれには髭面の偉丈夫が答えた。後北条家三代に仕える重臣、大道寺政繁である。


「見ると訊くとでは大違い。若、噂に踊らされてはなりませぬぞ」

「おお。駿河守は話したのじゃな!」

「……話したも同然の距離にて、狐めの妄言を訊いてござった」


 つまり盗み聞きである。


 だがこれには別の家来が異を唱える。板部岡江雪斎である。

 僧衣をまとった剃髪のこの男は、見たまま外交僧を務める軍師であった。


 こうして感想戦が始まった。


「拙僧が思いまするに、これは離反の計にございましょうな」

「おお、離反の計とな! 江雪斎、なぜそう思うのじゃ」

「はい。お言葉にもございましたように彼の亜相。そうとうに関東管領様の武威に手古摺る、いや戦慄いておる様子。ならばどのように攻略するのか」

「いや待て。儂は昵懇の仲と訊いておるぞ」

「若、物事を杓子定規に捉えてはなりませぬぞ」


 うんぬんかんぬん。次代の当主の軍師によるレクチャーを挟んで、


「……! なるほど、故の離反の計か!」

「然様にて。我ら北条と上杉とを引き離す心算にございましょう。化け狐、いよいよ馬脚を現わしましたな」


 嫡男国王丸の感心を始めとして、後北条家臣たちが漏れなく納得の感想を口にする中、ただ一人、沈黙を守っていた人物がようやく重い口を開いた。氏政である。


「読んでみるか」

「苦し紛れに寄越した文にございますな」

「苦し紛れかどうか。いずれにせよ読む他あるまい」


 氏政は蜜蝋で封印された仰々しい文を紐解くと、そっと目線を走らせた。


「そんな……、まさか」


 果たして何が認められていたのだろう。


「殿!」

「殿……ッ!」

「御両殿様――」


 皆の心配と不安を尻目に、氏政はそっと立ち上がった。


「参る」


 果たしてどこに。氏政は告げず、代わりにそっと文を差し出す。


「なんと」

「な……ッ」

「あり得ぬ! あり得てよいはずがござらぬぞ」

「ば、化け物め」

「千里眼とは誠にござったか」


 文言は違えど異口同音。天彦の寄越した文に目を落とした家臣たちは驚愕を超え、いっそ恐怖に駆られてしまっていた。


 ではいったい何が書かれていたのか。それはいずれ追々と。

 氏政の表情を見れば一目瞭然であり、いずれにせよ天彦の悪巧みが炸裂したことだけ火を見るよりも明らかであった。


 そして、


「父上! 某も亜相様と話しとうございまする」

「国王丸。そなたあれを恐れぬのか」

「いいえ、はい。物凄いとは思いまするが恐ろしいとは感じませぬ」

「露ともか」

「はい露とも」


 氏政の双眸に驚愕が浮かぶ。それはおそらく無知なる好奇心に対する愚かしさの表情であろう。

 だが反面、倅に対し頼もしさも感じているのだろう。

 国王丸を繁々と倅を見つめるその視線にはどこか温かな温もりを感じる。


 しかし次の瞬間には氏政は豹変していた。父から当主へ。あるいは一介の侍から戦国の雄へ。はたまた個人から大名へと双眸を変貌させると、その瞳の奥に怪しい輝きを宿らせる。


「国王丸よ。其方、見聞を広めるべく京に修行に参らぬか」

「父上ッ!」


 国王丸は瞳を綺羅ッ綺羅ッに輝かせ、応と受けとる以外に解釈がない真っ直ぐな瞳を向けて父氏政に応じるのであった。


 なるほど。


 氏政は痛感する。

 悲観が感情のもたらす結末ならば、対して楽観は意志がもたらす結末であると。


「条件は整った。江雪斎、頼めるか」

「はっ。微力ながら拙僧が再謁見の場を整えましょうぞ。よろしいのですな」

「皆まで申すな。甲八州480万石の命運がかかっておるのじゃ。何より倅はこの通り自ら進んで望んでおる」

「ならば結構」



 国王丸くん、逃げてぇ――!



 いずれにしても、

 本気になった天彦が負けるはずなどなかったのである。


 少なくとも悪巧みに限っては。














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