#07 あ、箒星や
元亀元年(1570)五月十三日
比叡山延暦寺消失の報が京都中を駆け巡った翌日午後、内裏紫宸殿。
「我が倅の不始末は親であるこの織田上総守三郎信長がとった! 何人たりともこれ以上騒ぎだてすること罷りならぬ。よいかっよく訊け! 織田弾正忠家は朝家にけして弓を引かぬぞ!」
どの口で。
だがこの場の総論が言葉にされることはけっしてない。
数名の家来だけを引き連れて押し入った信長は、どんっ――。風呂敷に包まれた拳大の物体を雑に置いて立ち去った。
信長が去ってすぐ。
粗末に置かれた物体はごろんと転がり、中から……、
「ひぃ……っ」
「おのれ弾正忠、不敬にも程がおじゃります」
「あの野蛮人め、内裏さんに穢れを持ち込みあらしゃった」
ほとんどの公卿が血塗られた首級に戦慄く中、数は少ないが武骨な感情を露わに微かな気炎を上げる公家もいた。
だが言葉ばかりで実際は腰が引けてしまってむしろ滑稽。その強い語気と弱い言葉のアンバランスさが公家の憐れを浮き彫りにする。
そんな中、関白近衛前久と前の関白二条晴良の二人だけは冷静に、持ち込まれた首をじっと凝視していた。
「怒っておじゃったな」
「ほんに。見たことのない形相にあらしゃいました」
前久と晴良は認識を確認しあうように頷きあった。
「けれど腰の物は遠慮なさっておじゃった」
「伴も最低限。理性は働いているご様子におじゃった」
二人はようやく落ち着きを取り戻したのか、首の始末を指示すると二人並んで廊下に出た。
向かう先には清涼殿があるのだろう。報告というより今後の方針を練る作戦会議に違いない。なにせこれは織田家からの和睦宣言なのだから。
そう受け取る以外、他に取りようがない首を差し入れられてはさすがの寝業師にもお手上げであった。
「……次男坊と申しておじゃったが」
「然り。政に関してはあまりよい噂は耳にせんかったが、織田侍従三介具豊。覇気あるよい武士と専らの評判におじゃったな」
「父御前瓜二つの気性におじゃったとか。理屈は合うが……」
「押し付けたんか、それとも……」
「事実と思いたいところにおじゃるが、何分武家は厳しくおじゃるのでな」
「ほんにこの通り厳しくおじゃりまするなぁ」
判断も判別もつかない。こうも焼け焦げていたのでは。
だが疑うことも憚られた。何しろこれだけの公卿の前で死を公言したのだ。倅はたとえ生きていようとも社会復帰は不可能に等しい。
「織田侍従。叡山押し入り並びに火付けの咎と申しておじゃった。そして罪を問うて首を寄越した。ならばこれ以上の罪は問えば角が立つ。まんまと上手いこと逃げ遂せられてしもた」
「逃げ遂せたで思い出したが、寛恕さんもどうにかこうにか逃げ遂せたようにあらしゃいますなぁ」
「不幸中の幸いにおじゃりますなぁ。何やら抵抗した門徒はことごとく根切りにされたとか」
「三介の枕元に立った氏神の報せに従ったとか。抜け抜けとほざいておじゃります」
「何が氏神の報せにおじゃるか。なるほどこれが第六天魔王さんのやり口におじゃりますか」
「どこぞの子狐と波長が合うのも納得にあらしゃいますなぁ」
「ほんにあらしゃいますなぁ」
普通に考えて人身御供にされたのだろう。そう考えるのが自然である。
憐れなり侍従三介。
前久と晴良の二人は改めて武家の厳しさを思い知り、そして多少なりとも面識のあった織田家の次男坊に哀悼の意を表するためしばしの間足を止めて黙祷を捧げた。
「しかし上総守、難しいお相手さんで」
「清華家の子狐も絡んでおじゃります」
「絶対に」
「確実に」
ほな益々ややこなる。ふーしんど。
二人はそんな結論を言葉にはせず、けれどいそいそと清涼殿のある方向へと足を急がせた。
◇
二条衣棚妙覚寺
「がはははははは、儂、切腹――ッ!」
じんおわ。
天彦は盛大に勝ち誇り威張り散らすど阿呆を前に、ツッコミの言葉さえ惜しんで痛む眉間を手で揉みこんだ。
結論、阿呆には勝てない。
アホの優勝。真正にして純正のど阿呆にはどんな策も敵わないから。
しかも実父とはいえ激オコ状態の魔王を前にして、ここまで眼中に入れずマイワールドを展開して好き勝手振舞える神経はもはや本物。いや片仮名のホンモノであろう。
常識人代表を自覚する天彦に勝てる道理などありはしない。天彦が常識人代表かどうかはこの際脇に置くとしても。
どん、ごん――ッ
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお」
お約束の通り強烈な拳骨が二発お見舞いされて、織田家の問題児は床板の上を転げ回った。
「何をするんじゃ親父! 痛いではないか!」
「何をするは儂の言葉じゃこのど阿呆めが」
「こ、これ以上阿呆になったらどうするのじゃ」
「ならん」
「いや、なるかも」
「ならん」
「くっ」
さて三介。たしかに不敬は働いた。軍権を持ちだし五万という大軍を動かす勝手もした。そして多少の死傷者を出しはした。
だが根切りは大袈裟。一昼夜と待たずして京都中を駆け巡った悪風はあからさまに悪意があった。いや悪意しかなかった。
猶、依然として出所も不明。おそらくは惟任を担ぎたい勢力から。あるいは惟任自身からが火元だと当たりを付けているが……。
それ以前に、
問題はなぜ三介がスタンドプレーに走ったかである。
三介の自己判断で。そんなことはあり得ない。天地が引っ繰り返ってもあり得ないというのが世界の総意。世の真理であろうから。
「あれを焚きつけたのは貴様か、狐」
「さすがに酷い!」
「ならば誰であるのか。答えよ」
「身共が関係者確定なん可怪しい!」
「ならば目を見せてみよ」
「はいどうぞ。じい……」
「……解せぬ」
「酷い!」
「で、あるか」
「茶筅さんの単独行動とは考えはりませんのん」
「ならばもっと説得に熱を込めよ」
「あ、はい」
「で、あろう。誰も考えぬ。あれは阿呆で愚か者。このような意図と脈略のある作戦行動などできるはずもないからの」
あ、はい。
茶筅は言った。朝廷が巨悪であると。だが天誅は下せない。ならば朝廷が庇護し庇護される間柄の寺院に天誅をくだせばいよい、と。
確かに理に適った説明である。しかも概ね正しくもある。何より効く。
これで天彦に思い当たりがあれば話は早かった。だが無いものは無い。
本当に心当たりのない天彦は、可能性を考えこんだ。
は……!? おいて!
しかし幸か不幸か長考に沈む必要はなかった。まさかそこに答えが転がっていたのだ。
正確には答えの方から自分が答えですとアピっていた。――あ。
天彦は本能的に目を逸らした。力いっぱい“じんおわ”とつぶやきたい衝動に抗いながら。
なぜなら少し前までその元凶は菊亭の禄を食んでいたのである。無関係です無実です。知りません存じませんが通用するとは思えない。
実際に通じないだろう。何しろ相手は可能性が三割を超えたらぶっ殺すでお馴染みのあの織田信長なのだから。
「おうふ」
すると急転直下。なんということか。つい数秒前まで三介の身を案じていた自分がまさかの窮地に陥っているではないか。
ぐぬぬぬぬぬ、算砂めぇ……。
居ようが居まいがやってくれる。もはや祟り。そういうこと。
弾正尹さん、犯人はあいつです。
天彦の目の端では織田家にトレードされた本因坊算砂が邪悪極まりない笑顔でにこにこと犯人アピールをしていたのである。
ならば、
「信長さん。そんなことより」
「なんじゃ申せ」
力技で逃げ切るしかない。
「茶筅さん、どこに預けるお心算さんで」
「うむ、三介か……」
信長は双眸険しく考え込んだ。あるいは考えこむフリ。
勘の良すぎる天彦は察した。タイミングを見計らい扇子を鳴らして自らに意識を向けさせる。
「当家の雅楽のお弟子さんに如何やろ。雅号は筅で、どないさん」
「ほう。なるほど悪くない申し出である。だが自ら進んで火中の栗を拾いに出るか。……胡乱よな」
「ぎく」
見つめ合うことしばらく。
「で、あるか。三介のこと、頼まれてくれるか」
「はい!」
セーフ。……おそらくきっと。
天彦は額に浮かぶ大粒の汗を拭ってこの勢いのまま本題に切り込んだ。
「この度の浅井・六角征伐並びに近江国制圧、誠に祝着至極におじゃりますぅ」
「忝い。その節は大そうな馳走を賜った。弾正忠、この通り御礼申し上げる」
天彦と信長は周囲にそれと伝わるように、やや大げさながらも礼儀の限りを尽くし合って互いの健闘を称えあった。
そう。浅井並びに六角は滅亡した。挟撃ならぬ逆挟撃の計によって。
自国を襲撃され防衛戦に掛かりきりなはずの徳川軍と、背後を突かれて甚大な被害を出すはずであった織田軍との逆挟撃によって、僅か半刻足らずで歴史の表舞台から消え失せたのである。
「余はもはや何も驚かぬ。そして何も問い質さぬぞ」
「お顔さんが悔しそうなん」
「……で、あるか」
天彦の勝ち。
「謙信公にはくれぐれもお伝えいただきたく」
「はい。確と伝えておきます」
「うむ」
越後の介入がなければここまでの勝利は納められなかった。
改めて菊亭と上杉との蜜月関係を実感する信長は、だがやはり負けず嫌いを発揮した。
「此度の献策を一番手柄と致した! 菊亭天彦」
「はい」
「貴殿に近江半国を取らせる」
「……え」
「ふふふ、如何した。斯様な間抜け面を晒しおって」
「あ」
だが天彦の惚けは思いの外長く。
「おい、いつまで惚けておる心算か! 家来の目があるのだぞ」
「は、はい。……ほんまは要らんけど、ありがたく頂戴いたしまする」
ざわざわざわざわざわざざわざわざわ……。
何という言葉。何という態度。
たちまちカイジも真っ青なざわめき声が囁かれた。
しかしそれも尤もである。
この場に集う侍は足軽や雑兵に至るまですべて誰もがその土地恩賞を望んで命を張って奉公しているのだから。
それをほんまは要らんとはいったいどういう了見なのか。
座がざわめいて当然である。
しかし言った当人はもちろん、信長公も怪訝な顔をしていない。
「何か言いたげであるな。申せ」
「ほな遠慮なく申し上げさん。この程度で褒美を寄越すとは魔王さんの名折れにおじゃりますぅ」
「抜かせ。だが然り。京には邪魔者が残っておったな」
「はい」
まさに以心伝心。二人は苦い顔をした後、同じタイミングでニヤリと微笑みあっていた。
ややあって、
「ならば狐よ。申し付ける! 人心を金柑頭から引き剥がし、かつ内裏を唸らせる最上の策を授けよ。さすれば貴様の存念、思いのままの免状を与えてやろう」
出たまんじ無茶振り――!
そこまでは言ってない。天彦は率直に思う。無茶が過ぎる。
これでは家来が離れてしまうではないか。それに気づかない信長ではないはずなのに、なんで信長さんは思う倍の試練与えてくるんやろう、と。
だが一方で、提案された報酬は破格。これはいわゆる傾奇御免状の発行である。むろん魅力満載である。
ある意味では何よりも欲しい免罪符ではないだろうか。よって天彦としては引く手はない。
ならば一歩を踏み出すのみ。
天彦は心中でOMG(おーまいがっ)を叫びながら歯を食いしばって強がった。
「その挑戦状、まんまと受けて進ぜましょ」
「ほう」
「ですがその前に」
「なんじゃ、申してみよ」
「近江半国。ありがたく頂戴した上で奇麗さっぱりお返しいたしますので、我が家来に一番槍の栄誉を授かりたく」
「……一番槍であるか」
「うん、そうなん」
「で、あるか。よかろう。菊亭に一番槍とやらを授ける」
「おおきになん」
おおおおおお――!
訳はわからない。だがなんだかわからないものの一番槍は授かった。
絶叫に近い歓喜の雄叫びを挙げたのはご存じ菊亭青侍たち。
悲運の氏郷を筆頭にイツメンたちも吠えまくった。
それに反して織田家はとても静かであった。
菊亭の侍共の感情は理解できるとして、やはり理解できないのはその当主の意向である。
天彦は公家。合戦は仕掛けない。
それは信長ならずともこの場に居合わせる者の共通の認識である。
ならば一番槍とは何ぞや。
専らその謎解きに全関心が向けられている中、信長だけは興味のベクトルを別方向へと向けていた。
その心は、これもすべて織り込み済み。
恐るべきはその策にはない。策に至る下調べと準備にある。
すべてが的中、的を外したことが一度もないとなればそれはもはや神懸かりに他ならない。
「貴様、いったいどこまで策中であるのか」
「あははは、何を今更。そんなもん決まっているではあらしゃいませぬか。身共は何でも知っておじゃります」
「ならば問う。狐、その千里眼で視た世をなんといたす」
「甲論乙駁、世に意見はお人さんの数だけあらしゃりますんやろ。ふん、好きにせえ、身共は知らんし」
「端的に申せ」
「身共の気に入らんもんはみーんな氏ねどす」
「っ――、……で、あるか」
藤吉郎は貴様に疎まれた時点で詰んでおったのじゃな。
信長は自嘲ぎみにつぶやいた。
それはむろん家臣を失った悲しみも含まれている。だが藤吉郎の死を悼むというよりかはもっと内向きの何かであった。
さすがの天彦もこの暴露には魂消たのか。無表情を装いつつも、すぐに堪えきれなくなった笑みを懸命にかみ殺した。だが奮闘虚しく口角を釣り上げ奇妙な笑みを浮かべてしまう。
その様は見る者十人が十人ともに目を背けたくなる超絶薄気味悪い表情であったとかなかったとか。
「それは何の呪いであるか」
「ひどい!」
「酷いのは貴様の顔であろう」
「もっとひどい!」
やや空気が和んだところで、
「菊亭天彦。我が至宝の宰相よ、誠に大儀であった」
「はい。信長さんもよう頑張らはってご苦労さんにあらしゃりますぅ」
「ふん小癪な小僧め。薄気味悪い面を仕舞って疾く下がりおれ」
「もうほんまは好きなくせに。でもほなこれにて、御前失礼いたしますぅ」
つたつたつた。
立ち上がり背を向けるなり天彦は、なんと“うっしゃ”の掛け声とともに小さくガッツポーズを決めてしまう。
天彦には珍しい感情の発露。だからなのか、周囲から向けられる視線はどれも驚愕の感情ばかりであり、不謹慎を問う叱責の視線は一つもなかった。
さあて、お家に帰って考えよ
何とかなれー! を合言葉に。
最後までお読み下さいましてありがとうございます。
ブクマ・☆・いいね・誤字等で応援くださっているドクシャ―の皆さま、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとー。またねー




