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転生音楽家 ~男女比が三毛猫の世界で歌う恋愛ソング~  作者: 赤野用介@転生陰陽師7巻12/15発売
第3巻 ツチノコ快進撃

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第76話 クルージング

「夜まで時間がありますので、クルージングに参りましょう」

「了解」


 鈴菜が立ち上がるのに合わせて、俺も縁側から腰を上げた。

 今回の旅行は鈴菜からのお誘いなので、スケジュールはお任せにしている。

 離れの玄関に横付けされた車に乗って、黒塗りの高級車4台での移動となった。

 その際、俺の護衛の数を見た鈴菜が尋ねる。


「悠さん、護衛の人が増えました?」

「IQテストの結果で、護衛が増えたんだ」


 ドラマ撮影していた頃の護衛は、日中に4人、夜間は2人ずつで2交代だった。

 その後にIQテストを行い、黄川への挨拶に行った後、増員された。

 増員分の費用は、黄川が出している。梨穗に遺伝子提供を約束したので、黄川が護衛を増やすのは自然かもしれない。


 現段階で何人体制なのかは、俺も知らない。

 だがマンションの隣室だけではなく、その隣からも護衛の人間が出てきたので、それなりには増えていると思う。


「それは増やさざるを得ませんわね」


 鈴菜は、至極当然だと言わんばかりに頷いた。


「IQ160の3万人に1人って、女性にはそれなりに居るけどな」

「男性に居ることが、重要なのですわ。誘拐の可能性だってありますわよ」


 前世の感覚で若干受け入れがたい俺に対して、鈴菜が言葉を重ねた。


「男女比が1対1で生まれた時代の遺伝子があるし、他国は狙わないと思うけど」


 30年前には、男女比が1対1の頃に生まれた50代の男性が、沢山居た。

 日本の場合は1学年につき100万人の男性が居たので、3万人に1人くらいの男性の遺伝子であれば、充分に確保できたはずだ。

 日本よりも人口が多い国であれば、それなりに獲得できていると思う。

 他国民と自国民の遺伝子であれば、自分の子供には自国民の遺伝子を選ぶのではないだろうか。

 願望は、やや混ざっていると自覚する。


 ――横流しは、あるかなぁ。


 国の献精システムの管理体制が、いまいちよく分からない。

 預けた国の担当者が横流しすることも、有り得ないとは言えない。

 その場合、逆に献精する限り俺は安全だが。


「国民も人工授精の機会を提供されている。相手が誰かは公開されていないから、宝くじみたいなものだけど、宝くじに当たらないから銀行を襲うという人は、あまり居ないはずだ……」

「ガチ恋勢、居ますわよ」

「それは、マンションのセキュリティとか警備が通用するだろう。もちろん自分から、渋谷のスクランブル交差点を歩いたりはしないけど」


 ツチノコが渋谷のスクランブル交差点を歩いた場合、通行人は一斉に、スマホを向けて撮影を始めるだろう。

 より積極的な人々は、堂々と群がってくるかもしれない。

 すると包囲されたツチノコは、護衛が居ても、その場で動けなくなる。

 交差点の信号が変わっても、密集状態は解消せず、道路は大渋滞を引き起こす。

 多分俺は、渋谷警察署で怒られることになるだろう。

 何も悪いことはしていないのに、解せない。


 そんなことを考えている間に、車は熱海の街並みを抜けて、海沿いに入った。

 温泉街の旅館やホテルが建ち並ぶ坂道を下りながら、相模湾の青い海面が車窓に広がっていく。

 夏の強い日差しが海を照らし、キラキラと光る波が美しかった。


「今日は天気が良くて、花火日よりですわね」

「そうだな。雲もほとんどない」


 空には薄い雲がわずかに浮かんでいるだけで、青空が広がっている。

 やがて車は小さな港の係留所に到着した。

 海の匂いと潮の香りが強くなり、カモメの鳴き声が聞こえてくる。

 係留所には同規模の船がズラリと並んでおり、平日にもかかわらず、幾人かのオーナーが出入りしている様子も窺えた。


「あちらです」


 鈴菜が指差したのは、白い船体に青いラインが入った大きなクルーザーだった。

 全長15メートル、全幅6メートルほどで、幅の広さが特徴的だった。


「船の幅を広くすることで、船室が広くなるタイプだよな」

「はい、カタマラン船型(双胴船)ですわ」


 船として航海するには適さないが、バカンスでは大活躍するタイプだ。

 全長48フィート級でありながら、全長60フィート級の船室の広さになる。

 船の係留料金は、全長で決まるところもある。

 そのため48フィートは、かなりお得だ。

 例えば48フィートなら年間130万円が、60フィートでは年間330万円に跳ね上がる。

 青島家の場合、維持費だけを基準にはしていないかもしれないが。


「最大船速は、20ノットですわ」


 カタマラン船型と聞いた俺の表情を読んだのか、鈴菜が補足した。


「意外に速いんだな」

「去年発売されたばかりの新しい国産船ですわ」

「へぇ、国産で良いのがあるんだな」


 感心しながら船に近付くと、船長らしき女性に迎えられた。


「鈴菜お嬢様、お待ちしておりました」

「よろしくお願いしますわね」


 乗り込んだ船は、建物であれば2階建ての構造だった。

 1階には、オーナールーム1室とゲストルーム2室があり、2台ずつのベッド、化粧室、シャワールームを備えている。

 2階には、キッチンやダイニングがある。

 設備は、冷熱混合栓、引き出し式蛇口、電子オーブンレンジ、3口電磁コンロ、人工大理石の流し台、冷蔵庫178L、冷凍庫42L。

 燃料タンク1200L、清水タンク600L、温水器60L。

 船には、燃料が尽きない限り宿泊できる環境が整っていた。


 ――お値段は、2億円くらいかな。


 青島グループなら、社員への福利厚生用として、会社で買えるかもしれない。

 俺も自費で欲しいくらいだ。


「出港して下さいな」

「かしこまりました。それでは沖に出ます」


 船長がツインエンジンを始動させると、俺達を乗せたクルーザーは、係留所からゆっくりと離れていった。

 目的地は、相模湾である。

 俺と鈴菜は船の前方デッキに立ち、熱海の街並みが徐々に小さくなっていくのを眺めた。


 港を離れるにつれて、温泉街の建物群が山の斜面に広がっているのが見える。

 赤い屋根の旅館、白い外壁のホテル、緑の中に点在する別荘群。

 夏の午後の光に照らされた熱海の全景が、まるで絵葉書のように美しかった。


「ああ、のどかだ」


 港を離れると、船速が上がった。

 船体が波を切り裂って進み、海面には白い航跡が伸びていく。

 海風が、心地よく頬を撫でていった。


 初島がだんだん大きく見えてきたが、そこは目的地ではない。

 注目を浴びすぎた今の俺は、隠れ潜むツチノコだ。

 人が居ない場所で、のんびりすべきである。


「沖に出たら、ゆっくりできますわよ」


 鈴菜は、俺にとって最適解のバカンスを提供してくれている。

 やがて船は、熱海の海岸線から十分に離れた沖合に到着した。

 エンジンの音が静かになり、船はゆっくりと停止する。


「ここなら、のんびり過ごせますわね」

「はぁ、助かる」


 俺は船上で身体を伸ばして、深呼吸した。

 相模湾の青い海が広がり、遠くには伊豆半島の山々が霞んで見える。

 波は穏やかで、船体がゆるやかに揺れるだけだった。

 海風が頬を撫でて、潮の香りが心地よく鼻をくすぐる。


「釣り具もありますわよ」


 鈴菜が、船に用意されていた釣り竿を持ってきた。


「それは優雅だ」


 船が青島家所有なのか、グループ所有で従業員の福利厚生なのかは知らないが、いずれにせよレクレーションの道具があっても不思議ではない。

 俺は釣り竿を受け取り、リールの具合を確かめた。


「釣りをされたことはありますか?」

「小学生の時に、少しだけ川釣りをしたな」


 数千円の釣り竿と、家から自転車で行ける距離にある川でチャレンジした。

 釣果は、フナくらいだった。


「悠さん、何でもやっていますのね」

「生憎と釣りは、そこまで成功体験は無いかな」


 鈴菜も釣り竿を手に取って、ルアーを選んで取り付けている。

 手慣れた様子で、何度か経験していることが窺えた。

 鈴菜のほうが、俺よりも上手いかもしれない。

 準備をした後、二人で同時にルアーを投げ込んだ。


「いい感じに飛びましたわね」

「そうだな。かなり前の経験なのに、意外にできた」


 ルアーが弧を描いて着水し、小さな波紋が広がった。

 海中に沈んでいった後、リールを巻きながら、海中でルアーを泳がせていく。

 時々、竿先を引いて、魚を誘う動作を繰り返した。


「このあたりは、どんな魚が釣れるんだ?」

「アジ、イワシ、サバがよく釣れますわ。運が良ければ、金目鯛やマダイ、ヒラマサなどでしょうか」

「へぇ、なるほど」


 かなり詳しい鈴菜は、何度か釣りに来たことがあるようだった。

 しばらくすると、鈴菜の竿が曲がる。


「あら、来ましたわ」

「おおっ、早いじゃないか」


 鈴菜は慌てることなく、ゆっくりとリールを巻いていく。

 やがて海面に、銀色に光る魚体が現れた。


「サバでしょうか」

「多分そうだろう。結構大きいんじゃないか」


 なかなか食べ応えのありそうなサバが、午後の陽光を浴びて輝いた。

 俺は網を伸ばして、魚を掬い上げた。


「写真を撮ったら、逃がしますけれど」

「まあ旅行中だからなぁ」


 旅館に持ち込めば捌いてくれるかもしれないが、手間を掛けるのは申し訳ない。

 甲板に置いたサバの傍に、鈴菜がしゃがみ込んだところをスマホで撮影して、サバはリリースした。


「最初からいい釣果だったな」

「ええ、幸先がいいですわ」


 鈴菜の釣果を撮影した後、釣りを再開する。

 魚群の下にでも来ているのか、俺のほうにも魚が掛かった。


「おっ、来たな」

「悠さんにも来ましたわね。どうですか?」


 竿のしなり具合から見て、程々の魚のようだ。


「鈴菜ほどではないかもな」

「油断は禁物ですわよ」


 リールを巻いていくと、鈴菜と同じくサバが上がってきた。

 サバが群れているのか、あるいはルアーがサバ向けなのかもしれない。

 俺は左手に竿を持ったまま、右手から網を伸ばして、サバを掬い上げる。

 サイズは、鈴菜が釣ったサバより若干小さめだった。

 釣り針を外して、手袋越しにサバの口に親指を入れて、ヒョイと持ち上げる。


「撮りますわよ」

「ああ、頼む」


 俺のほうはSNSにアップする予定はないが、記念として撮影した。

 撮り終わると、掴んでいたサバを海にリリースする。

 投げ込まれたサバは、尾ひれを力強く振りながら、海中に潜っていった。


「釣果ゼロは避けられたな」


 安堵した俺は、釣り竿を脇に置いて、椅子に深く沈み込んだ。

 午後の時間が穏やかに流れていく。

 俺が釣りを止めたからか、鈴菜も釣りは再開せず、代わりに船の冷蔵庫から麦茶を出してくれた。

 お礼を言って受け取り、ゆっくりと揺れる船に身を委ねる。


「平和だ」


 まるで陸のゾンビから逃れた気分だった。

 鈴菜が隣に座って、空を指差す。


「あの雲、猫が座っているように見えませんか?」

「確かに。ちゃんと耳と尻尾があるな」


 空に鎮座した猫は、その姿勢で横に向かって、ゆっくりと流れている。


「雲を見ていると、時間を忘れますわね」

「そうだな。少し休もうか」


 それからしばらく、特に何もせず、のんびりと過ごした。

 やがて日差しが少し和らいだ頃、船は係留所に進路を取った。

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