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転生音楽家 ~男女比が三毛猫の世界で歌う恋愛ソング~  作者: 赤野用介@転生陰陽師7巻12/15発売
第3巻 ツチノコ快進撃

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第74話 絶対権力者の館

 IQテストの結果を配信で公表してから、1週間後の昼下がり。

 俺は約束していた梨穗の曾祖母の邸宅に到着した。


「立派な日本庭園だな」


 横浜にある邸宅は、家の範疇を超える規模だった。

 敷地内に入ってから、母屋が見えるまでに、車で3分ほど掛かった。


「広いですよね」


 梨穗から見ても広いのだから、相当だろう。

 庭の中心には大きな池があって、回遊しながら鑑賞できるように造られている。

 そのような造りの池は、確か池泉回遊式と呼ばれたはずだ。

 庭師の手入れの行き届いた樹木が池の周りを囲み、水面には青空と雲がゆらゆらと映り込んでいた。

 水中には、色鮮やかな錦鯉が群れをなしている。


「退避用の池が沢山あるから、ちゃんと掃除が出来るな」


 池の向こう側には、洋風の庭園が広がっている。

 花が咲き乱れており、奥にはテニスコートがあった。

 テニスコートの隣には、青いプールの水面が太陽の光を反射して輝いている。


「こんな施設、使い切れるのか」

「何年か前までは、たまに遊びましたよ」

「孫や曾孫の遊び場にもなるのか。それなら意味があるか」

「時間があったら、テニスでもやりますか?」

「絶対にやらない」


 初訪問でテニスは、蛮勇にも程があるだろう。

 冗談を聞き流して進むと、和洋折衷の母屋に辿り着いた。母屋は重厚な造りで、黒い瓦屋根と白い漆喰の壁が、美しいコントラストを描いている。


 建物の延床面積だけで、2000坪くらいだろうか。

 30坪の1戸建てが、3LDKから4LDK。

 2000坪は、60戸分。

 庭などの敷地面積を含めると、町内1つ分。

 真っ先に思い付いたのが、築年数が古くなることで建物の相続税が安くなることだった。リフォームしても、価値は下がったままだ。

 そして黄川の財産に思いを馳せて、馬鹿馬鹿しくなって妄想を取り下げる。


 黄川グループの総資産は、全体で200兆円以上。

 負債も100兆円ほどあることになっているが、自社グループで金融機関を持っており、他行からは金を借りていないので、税金対策だろう。

 そのグループの絶対権力者が、前会長にして創業者の娘である梨穗の曾祖母だ。

 家と土地の相続税ごとき、端金ですらない。


「左手が迎賓館で、今日はそこで宴席があります。それまで庭園で懇親会ですが、先に曾祖母へ挨拶に行きましょう」

「ああ、分かった」

「集まりがある時は、いつも迎賓館に居ます」


 俺は梨穗に連れられて、石畳の小径を歩いて迎賓館に向かう。


「母屋の右手には、茶室と能舞台があります。ほかにゲストハウス、使用人住宅、管理棟などもあります」

「色々とあって便利だな」


 ほかに何と評すべきだろうか。

 車庫には20台くらいの車が収納できそうで、奥にはヘリポートも見えた。

 ここまで来ると、流石に笑えてくる。

 土地が広い田舎の山奥なら、まだ分からなくもないが、ここは横浜だ。


 迎賓館の前には、松が植えられていた。

 松は、出かける家族などを待つという意味と掛けているのだと推察できる。


 ――全部、網羅しているな。


 重厚な扉をくぐって、両脇にズラリと並ぶ美術品を一瞥しながら進んでいくと、格調高い和室が現れる。

 畳は新しく、い草の香りが鼻腔をくすぐる。

 床の間には山水画の掛け軸が掛けられており、その下には季節の花を生けた花器が品よく飾られている。

 茶道や華道には詳しくないが、その辺にも抜かりが無いのだと察した。

 天井は、格子状に組まれた木材が美しい幾何学模様を描いている。

 障子から差し込む午後の陽光が、室内を柔らかく照らしていた。


「いらっしゃいますね」


 梨穗が視線を向けた上座に座る女性が、曾祖母のようだった。

 88歳という年齢相応かもしれないが、枯れ木のように細い体躯をしている。

 だが背筋はまっすぐで、着物の着こなしは堂に入っていた。


 その傍には、60代ほどの小太りした女性が座っている。

 梨穗の肩書きを調べた時、ネットに公開されている黄川の取締役を閲覧したが、そのページの一番上に乗っていた代表取締役会長の写真と一致する顔だ。

 その傍には、代表取締役社長の欄に載っていた女性も居る。

 ほかにも年配から若年まで複数の女性が居るが、この場に居るからには黄川一族で、それなりの立場なのだろう。

 俺を伴った梨穗は、一直線に堂々と進んでいき、最年長者に声を掛けた。


「曾祖母様、ごきげんよう。梨穗ですよ」


 曾孫らしく親しげに歩み寄った梨穗が、気安く挨拶した。


「いらっしゃい。待っていたわよ」


 曾祖母のほうも気楽な言葉を返して、俺のほうを見た。


「こちらは、私のパートナーの森木悠さんです。私に遺伝子提供して下さるので、連れてきました」

「あらあら、良かったわね」


 にこにこと微笑む曾祖母の仕草は、普段の梨穗にそっくりだった。

 梨穗は、新社会人と大学生くらいの年齢に見える女性達へ交互に視線を送って、これ見よがしに話す。


「凛佳さんや美桜さんのところと同じで、国よりも私を優先して下さるそうです」


 凛佳は、新社会人くらいの年齢だ。目つきが鋭くて、きつめの印象を受ける。

 美桜は、20歳ほどだろうか。高校の正ヒロインが成長しましたという印象だ。

 年齢から考えて、凛佳がIQ127の20代前半男性、美桜がIQ121の男子大学生を確保しているのではないだろうか。

 2人を含む周囲の視線が俺に集中したので、梨穗に頷く形で答えを示しておく。

 そして曾祖母に対して、挨拶した。


「お初にお目にかかります。梨穗さんと仲良くさせて頂いております、音楽家の森木悠と申します。この度は、米寿を迎えられたとのこと。おめでとうございます」

「あなたのことは知っているわよ。来てくれてありがとうね」

「お耳汚し、恐縮です」


 梨穗の曾祖母は、俺に対しても気安い態度だった。

 そして気安い調子のまま、尋ねてくる。


「梨穗から聞いたのだけれど、飛び級で音大の准教授を目指しているの?」

「はい。いずれ教授にもなりたいと思っていますが」

「だったら、黄川が支援しますよ。自分の力だけでも成れるでしょうけれど、早いほうが良いでしょう」

「ありがとうございます」


 お礼を述べると、笑顔のまま問われる。


「教授で満足なのかしら」

「教授で生涯を終わりたくはないですね。音楽の実績でも、音楽界への貢献でも、ほかの教授に負けるとは思いませんので」

「あら、どこまで目指したいと思っているのかしら?」


 問われた俺は、即答せずに梨穗へ視線を送った。


「子供の父親の肩書きだが、音大御三家の教授、主任教授、学科長、学部長と上がっていったら、子供も嬉しくないか?」

「凄く良いですね。子供の自信になりそうです」

「それならやってみるか」

「楽しみですね。悠さんなら出来ますよ」


 俺なら出来ると断言した梨穗は、次いで凛佳と美桜と呼んだ対抗馬2人に向かって微笑んだ。

 IQ127とIQ121の男性は、成れるのかという意味だ。

 もちろん、そんなことは不可能である。

 そもそも大学院の博士課程を修了しなければ、教授には成れない。

 そして博士課程を修了した程度では、講師にも成れない。

 大学の講師募集に対する応募倍率は、数十倍から数百倍だ。IQ127は、その中でトップではない。


 中学から専門機関までの音楽教科書に載るような実績があれば引く手数多だが、そういう人間であれば、俺でも存在を知っているはずだ。

 だが相手男性のことは、一度も聞いたことがない。

 俺と相手とは、比べるべくもない。


「黄川のことは、どう思うかしら」


 曾祖母が、次の話題を振ってきた。


「日本にとって、最大の外貨獲得手段ですね。柱が一本は危ういですが、2本目を考えるのは政府の仕事で、ほかならぬ黄川自身が鉄鋼、化学、電機、情報通信、半導体などで頑張っています」


 本人達を前に失礼なことを言っているが、グループ創設者の娘にして、創設当初から関わっていた前会長が回答を求めている。

 俺は、思っているとおりのことを口にした。


「黄川には、揺るがずに歩んで頂きたいと思っています。私にできることは、梨穗さんに協力することですね。幸い、一番重要な協力ができそうなので、他人任せで心苦しいとは、思わなくて済みそうです」


 俺は、どうぞ自由に観察して下さいと言わんばかりに身を晒す。

 そして梨穗と視線を交わして、笑みを浮かべ合った。


「決まりね」


 最初に短く告げた曾祖母は、隣に居る自分の娘と孫娘を見ながら、独白した。


「後継者問題って、面倒なのよ。梨穗が自分で勝ってくれて、助かったわ」


 独白の後、あからさまな溜息が溢れた。

 そして刺を含んだ口調で、孫娘を刺し始める。


「沙耶。黄川は立場を確立させたのだし、もう代理出産を多用しなくても良いんじゃないかしら」


 刺を刺された梨穗の母は、やや不満げな表情を浮かべて言い返した。


「その代理出産で、優秀な梨穗が生まれましたけど」

「後継者争いになったでしょう。こういう事をしていると、後継者が微妙だったら分家が割れるし、いつか事故を起こすから、次代は梨穗に再検討させなさい」


 曾祖母の指摘は、あり得ない事態ではない。

 黄川本社の株式は、分家が社長を務める各子会社が所有している。

 本社の株式を持っている分家が割れると、本社の経営が不安定になる。

 絶対権力者である曾祖母が居る現在と、亡くなった後とでは、悪影響の度合いも異なるだろう。


「再検討でしたら、構いません」


 梨穗の母は、玉虫色の回答をした。

 それに対して曾祖母は、毅然と言い放つ。


「分かっていないのかしら。IQ160以上の森木悠さんが、黄川の後継者争いで献精しないとなれば、世論が敵に回って、うちですら屋台骨が揺らぐわよ。あなたがしていることは、黄川に大打撃を与える事故を引き起こすの」

「男性が献精しているか否かは、公表されませんが」

「全員の口なんて、封じられないわよね」


 曾祖母が目をやったのは俺、そして梨穗の対抗馬である凛佳と美桜だ。


「献精の拒否は許されないという世論を生み出して、横流しさせようとするのではないかしら。同じ条件の遺伝子で、もう一度勝負するために」

「優秀な子供が増えるのは、良いことですが」

「でも献精は拒否されて、その過程で拒否の原因となった黄川が、批判を受ける。森木さんの発信力、黄川くらいはあるわよ」


 確かに俺が使っている動画投稿サイトやSNSは、海外企業だ。

 動画投稿サイトの運営会社はアメリカで、黄川よりも時価総額が大きい。

 SNSのCEOは、世界で黄川と競るアメリカの自動車会社のCEOを兼ねる。

 日本政府が何を言おうと、動画投稿やSNSでの発信を止めさせたりはせずに、むしろ嬉々として発信に協力するだろう。

 黄川でも、止められない。


「献精させない原因を作った沙耶は責任を取らされて、黄川の社長を降ろされる。黄川も大打撃。梨穗が社長に就任して、争いが終わって、献精の受け入れで決着。そんな展開が目に見えるのだけど、どう思うかしら」


 梨穗の母親を黙らせた曾祖母は、梨穗の祖母にも圧を掛ける。


「孫の子育てだし、時代が違うからと口出しを控えていたら、困ったことになってしまったわ。父親や夫が居ないと、感覚がズレるのかしら。それとも生まれたときから黄川が大きすぎて、世間知らずになってしまったのかしら」


 娘と孫への説教を終えると、俺に謝ってきた。


「身内の恥を晒して、ごめんなさいね」

「いえ、梨穗さんは私の身内ですし、私にも関わることなので、私は当事者です。それとお義母様、梨穂さんを誕生させて下さったことには、感謝しておりますが」


 頭を下げた後、俺も念押ししておく。


「子供のことは2人で決めます。梨穗の負担を考えて代理出産は否定しませんが、私と梨穗の考え次第です」


 梨穗に量産の圧を掛けても、俺が阻止するぞと、視線と態度で牽制した。

 梨穗の曾祖母の考えを聞いた上で、勝ち馬に乗る形での行動だが。


「そうそう、これこれ。男の人って、これくらい気概が無いとね」


 唖然としている梨穗の母を見て、曾祖母は笑った。


「夫婦のことは、夫婦で決める。当然よね。沙耶も自分の子供のことは好きにしたのだから、あなたが梨穗に口出しする権利も無いわよね?」

「……梨穗の子供に関しては、そうなります」

「会社の方針もね。黄川グループは、株式会社なの。沙耶の次には、梨穗が社長。25歳になったら就任。その次も、梨穗の子供で繋げます。決定事項として、主要株主に伝えておきます。皆に株式を預けた私が決めました」


 曾祖母は、キッパリと断言した。

 そして断言は、実現可能だ。

 黄川自動車の主要株主は、黄川子会社の会長や社長達で、黄川の分家だ。

 そして分家とは、梨穗の曾祖母にとっては自分の子供や姪、孫などにあたる。

 それらを子会社の会長などに任命したのは、曾祖母自身だろう。

 黄川が親会社と子会社で株式を持ち合い、本家と分家で任命し合うシステムは、曾祖母が作り出した。


 それなら分家筋は、自分達の子孫が子会社の社長に指名されるために、本家当主による本社社長の指名に応じざるを得ない。

 このままでは黄川の屋台骨が揺らぐと言われれば、なおさらだ。


「梨穗が社長になる時に、清美は会長を退きなさい。沙耶は社長を退いて、会長になりなさい。凛佳と美桜は、努力を認めて、新しい子会社の社長にしてあげるわ。馬鹿騒ぎは、おしまい。梨穗、黄川を任せましたよ」

「お任せ下さい、曾祖母様」


 ニコニコと微笑む曾祖母に対して、梨穗も同様に微笑み返した。

 これで次代でも、下克上は不可能になった。


「それじゃあ森木さんも、ゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

「それと、言わなくても分かってくれると思うけれど」

「はい。梨穗にだけ預けて献精しないのは、止めですね。少なくとも、献精しないことと黄川とは無関係です。馬鹿騒ぎは、終わりましたので」

「ふふふ、そうそう。そういうこと」


 俺のIQ公表が、黄川への脅しになったのは、想定外だった。

 前世の感覚では、そこまで大きな影響を与えるとは思っていなかった。

 もちろんそんなことは、おくびにも出さない。


「効果的だったわよ。あれだけ動揺したのは、50年振りくらいだったわ」

「恐縮です」

「大学での出世は、ちゃんと手配しておくわ。梨穗をよろしくね」

「ありがとうございます。お任せ下さい」


 曾祖母に一礼した後、俺は絶対権力者の館を退出した。

 庭園の懇親会では、決着が着いた元ライバル達は誰も突っ掛かってこず、とても平和だった。

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