第72話 IQ三毛猫
知能検査の結果は、IQ160だった。
測定上限が160なので、実際にはさらに高いという。
1週間前は対面に座っていた梨穗が、今は俺の隣で上機嫌になっていた。
「最高の結果でしたね」
「テストの結果次第で、梨穗の曾祖母の米寿祝いに同行する話だったな。お許しを頂ける数値だったか」
「もちろんですよ。男性では、悠さんが一番ですよね」
IQ160の人間は、3万人に1人しか居ない。
さらに今世は男性も、3万人に1人しか居ない。
するとIQ160の男性は、9億人に1人となる。
日本の総人口は、現在1億2000万人ほど。
俺は、日本を7つ集めると現れるという、幻のツチノコであった。
「私が知る限りで、IQ127の20代前半の男性と、IQ121の男子大学生が日本にいます」
「それは、すごいな」
そのIQは、前世における東大生と京大生の平均値と同等だ。
今世の男性は、義務教育がオンラインで、カメラに映っていない部分でサボっていても叱られない。
学校で周りの生徒と点数を競うことも、誰かと比較されることもない。
男子が全日制に進学するのは、ワニ園に生肉を放り込むようなものと言われる。おそらく捕まって、パクンと食べられる。
就職先もワニ園で、そこのワニは巨大化しており、獰猛になっている。擬音は、パクンではなく、グワシュッだろうか。
現代社会には、男性が勉強しても、それを活かせる環境が整っていない。
それは社会が男性に求めていることが、男児が生まれる自然性交や、人口を保てる献精だからだ。
男性は、献精さえすれば、家で寝転がっていても暮らしていける。
男児を増やすために、未婚男性をマッチングさせる法律も制定した。
それが男性向けに敷かれた、社会のレールとなっている。
――徹底的に意欲が削がれる環境で、それだけ頑張れるのは、相当に凄い。
彼らの遺伝子は、DNAの断片化率や遺伝子変異のリスクが高くない。
素直に感心していると、梨穗がネタばらしをした。
「私のライバル達が、次代で下克上しようと探した人達です」
「ライバル?」
俺が怪訝な表情を浮かべると、梨穗が前置きをした。
「悠さんは、私個人に遺伝子提供して下さると仰いましたよね」
「ああ、言った」
「男の子が欲しいとしても協力すると仰いましたよね」
「それも言った」
梨穗には西坂グループとの争いで、決着まで手を借りた。
音大の准教授という進路希望にも、多大な支援が約束されている。
そんな梨穗に払える対価は、遺伝子提供だ。
義理と利益の両方で、国よりも梨穗のほうが、優先順位は上になる。
「でしたら特別な関係ですので、私の事情に関わって頂きますね」
「もう一蓮托生だろう。梨穗がライバルとやらに負けると、俺も危なそうだ」
小さな笑みを浮かべた梨穗は、淡々と話し始めた。
「現代は、人工授精が主流ですよね。男性は、沢山の子孫を残します」
「そうだな」
「女性は、1年に数回、1回につき5個から15個の卵子を採卵できます。複数の代理母を使って出産する場合、1年に50人ほどの子供を作れます」
「……うん?」
一瞬、梨穗の話に困惑した。
だが話の流れからは、それを黄川がやっていると考えるのが自然だ。
「つまり黄川は、代理母で子供の数を増やして、優秀な子供を選んでいるわけか」
「私の世代では、やっていますね」
だから梨穗は、中学3年生で黄川の取締役が担えるのだろう。
アッサリと肯定した梨穗は、俺の疑問に先回りして、答えを示す。
「子供の遺伝子は、卵子と精子の組み合わせで、代理母の遺伝子は混ざりません。母親の遺伝子は、黄川です。そして私には、姉妹が結構います」
「それが、梨穗のライバルか」
「はい。私の代は決まりですけれど、次代は白紙です。姉妹の遺伝子が同等なら、用意する男性の差で、次代の優劣が付きかねません」
「日本最大の企業を継ぐとはいえ、競争が激しすぎるな」
「私の母が実行して、祖母も認めていますので」
俺は思わず、溜息を吐いた。
軽い口調とは真逆で、とても重い話だった。
もっとも梨穗が話した代理母は、今世の日本では合法だ。
前世でも、アメリカの多くの州やロシアで、金銭報酬有りでも合法だった。
そして今世では、とりわけ人工授精に関わる国民の理解や周辺の法整備は、前世よりも遥かに進んでいる。
「それで代理母は、どうやって確保しているんだ」
「奨学金の返済で自己破産する人って、結構居るみたいですよ」
「奨学金か」
奨学金と聞くと、学費を給付してくれる制度のように誤解しがちだ。
フランスでは、給付型の奨学金が充実している。
ドイツでは、半額給付・半額貸与で、返済上限も設けている。
北欧諸国では、多くの国で高等教育が無償で、生活費支援も給付型だ。
だが日本の場合、貸与型が中心となっており、実態は借金だ。
所得に関係なく返済義務があり、正職員に就けなかった人間が返済できなくて、自己破産に陥ることも少なくない。
日本は『奨学金』ではなく『借金』という名称にしたほうが、借りる側の誤解を減らせるのではないだろうか。
わざと誤解させているのなら、それは詐欺という。
「経済的な理由で自己破産する20代の人は、毎年4000人以上居ます」
「ふむ」
「その債権をローン会社から買い取れば、候補は選り取り見取りですよね」
「確かにそうなるな」
学生ローンを組んだ人間は、全員が進学しており、学歴は立派だ。
親の学歴が高いほうが、環境要因で子供の学歴も高くなる。
代理母の候補として、かなり優良と言える。
「形だけ黄川に就職させて、立て替えた借金を給与から天引きにして、自宅待機の扱いにする。感謝した相手は、自発的に代理母を引き受ける」
「その形なら、従わざるを得ないだろうな」
代理母が黄川に従うのなら、定年まで雇用を続けて給与を払う。
逆らうなら、その時点で解雇すれば良い。
理由や形式は、いくつか思い浮かぶ。
梨穗は他人事のように、自身と姉妹達の境遇を語った。
「生まれた子供は、優秀なら引き取って、黄川になります。優秀でなければ黄川の娘とは伝えず、代理母に金銭的な支援をして、育てさせます」
その方法を用いれば、1人の母親から、年間50人の子供が生まれる。
沢山の子供が生まれて、そこから選別されたのが梨穗や、対抗馬であるスペアの姉妹達というわけだ。
大変な話を聞いてしまったが、既に俺は、梨穗とは一蓮托生の身だ。
「俺は梨穗のパートナーだと名乗り出て、争いに決着を付ければ良いわけだな」
「はい。IQを公表して、曾祖母への挨拶に同行して下さると、決着します」
「そうなるだろうな」
梨穗のライバルは、IQ127とIQ121の男性を確保している。
IQ127は、28人に1人。
IQ121は、12人に1人。
現代の1学年が100万人の場合、3万人に1人の男性は1学年に33人居る。男性の高校進学率が2割なので、33人のうち6.6人が進学する。
IQ127で、28人に1人は、4学年を合わせてトップの男性。
IQ121で、12人に1人は、およそ2学年でトップの男性だ。
それだけ頑張って、経済的にも困っていない男性を、よくぞ引き込めたと思う。
ライバル争いをしている以上、梨穗に金を積まれても、提供に応じないだろう。横流しのリスクを避けるため、献精にも応じないかもしれない。
だが梨穗と姉妹とでは、取締役である梨穗のほうが、優秀だと評価されている。
その梨穗がIQ160以上の俺と組めば、127の男性では対抗馬にならない。
「子供のIQは、遺伝要因と環境要因で決まります。遺伝要因で勝って、環境要因でも負けないのですから、下克上なんて無理ですよね」
「そのとおりだな」
同世代で一番高い評価を受けた梨穗と、IQ160以上の俺。
梨穗よりも評価の低い姉妹と、最大でもIQ127の男。
IQは30以上も異なると、健常者と知的障害のレベルで能力が変わる。
それはIQ100が平均の社会で、IQ70未満が軽度知的障害の診断の目安の一つと定められていることから、客観的な事実だ。
世界保健機関(国際疾病分類・第11版)や、アメリカ精神医学会(精神疾患の診断分類・第5版)が定めており、国際基準として日本でも採用されている。
もちろん100と130、130と160の間にも、同等の隔たりがある。
今回の場合、双方の父親には、少なくとも33以上の差がある。
そして子供のIQは、親からの遺伝と環境で決まる。
俺も相手陣営と同様に、ライバルに流れる可能性があれば、献精しない。
知能の高さを重視する梨穗の母親は、どちらを黄川の後継に選ぶだろうか。
俺と梨穗が組んだ時点で、梨穗の次代でも下克上は不可能だ。
それより先の未来では、祖母や母親ではなく、梨穗が実権を握っている。
――俺を殺すくらいしか、逆転の方法は無いが。
俺が採精して梨穗に預け、それを相手に伝えた時点で、殺しても無意味になる。
それで相手は詰みだ。
「配信で、検査結果を丸ごと公表する。梨穗は研究所に連絡して、俺の検査結果をホームページにも掲載するよう依頼してくれ。ダウンロードされても良い」
そうしないと視聴者から研究所に、確認の問い合わせが殺到する。
黄川と関わりが強い研究所だったので、黄川が連絡すればやってくれるだろう。
「俺が公表する名目は、作詞作曲と楽曲提供をしている音楽家として、信用を増すためにする。実際には、梨穗のライバルを逆転不可能にするためだけどな」
「それは楽しみです」
俺の可愛い子リスが、小悪魔的に微笑んだ。
それから具体的な手順を確認した俺は、SNSで告知を行った。


























