第63話 ツチノコの進路相談
無人島での撮影から2日後。
俺は帝都音楽大学に赴き、教授の鳥越女史と面会した。
「貴重なお時間を頂戴しまして、ありがとうございます」
「あなたのように優秀な人と会う時間は、いくらでも捻出しますよ」
去る6月21日、俺はショパンワルツ全集を演奏した。
すると鳥越は、その場で俺に音大進学を打診してきた。
『私は、帝都音楽大学で教授を拝命している鳥越と申します。森木さんは、専門家レベルです。入学を希望される場合、教授会に伝えまして、複合型音楽才能枠での教授推薦による特別選考をご用意します』
その誘いに対して、俺も前向きな言葉を返している。
『音大には興味がありますので、ご推薦を頂けるのでしたら、前向きに検討させて頂きます』
前向きに答えた理由は、俺が楽曲提供している音楽家だからだ。
高卒よりも音大卒のほうが、肩書きに説得力がある。
そこから連絡を取って摺り合わせを行い、音大内部で確認してもらった。
結構な無茶を言ったが、学内で内諾を得て、最終段階に入っている。
初めて会った鳥越は着物を着ており、まるで琴の師範のような印象を受けた。
向かい合って座ったところで、傍に付いた大学職員が、資料を差し出してきた。
『帝都音楽大学 音楽総合学科 作曲コース』
俺の進路希望である。
資料には、履修する基礎科目、専門科目、選択科目、追加履修授業科目、そして追加で取れる教職課程が載っていた。
「それでは確認させてもらいます。森木悠さんは、帝都音楽大学へ進学されたい意思で、間違いありませんね」
「はい。帝都音楽大学への進学を希望します。進学の際には、音楽総合学科の作曲コースを希望します。同時に、教職課程も履修したいです」
鳥越に確認された俺は、予め伝えていた希望を口にした。
「まったく問題ありません。森木さんは、既に卒業レベルです」
鳥越に保証されて、俺は小さく頷き返した。
そう評された理由は、音大で教えている科目だ。
例えば基礎科目には、次のような記載がある。
現代社会と音楽、現代と音楽ビジネス、音楽指導実践(基礎)。
ポピュラー・カルチャー論、デジタルメディア進化論。
ビジネスマナーとコミュニケーション能力、楽譜作成ソフトウェア講座。
――むしろ、俺が最先端なんだよな。
教える側より、教わる側のほうが詳しい。
もちろん音大には、専門科目の音楽実技もある。
事前に確認したところ、ピアノ、オルガン、管打弦、声楽などだった。
ピアノや声楽は、ショパンワルツ全集をピアノ演奏したり、アーティストとして歌ってダブルミリオンを出したりしている。
管打弦については、管楽器、打楽器、絃楽器が組み合わさった音楽を指す。
管楽器: 笙、篳篥、龍笛など。
打楽器: 鉦鼓、鞨鼓、楽太鼓など。
絃楽器: 琵琶、箏など。
管楽器は、笛を吹けと言われれば、即興で何でも吹ける。
打楽器は、太鼓は前世で修めており、ほかの音に合わせられる。
絃楽器は、撥弦楽器がギターで、俺はまさにギタリストだ。
つまり専門科目も、単位を取るくらいの腕前は持っている。
「先月送って頂いた実技動画を見ましたが、専門科目まで修めているとは、思っていませんでした」
「ネットでは披露していませんが、実は色々とやっています」
それらを学んだのは、もちろん前世の話だ。
何でもやってみるものである。
「選択科目には記譜法、混声合唱、ソルフェージュもありますが、今更ですね」
「はい、大丈夫です」
最後に言われたソルフェージュは、音楽の理解を深めて、音楽を表現するための基礎となる訓練のことだ。
学べば、初めて見る楽譜を演奏したり、初めて聞いた音を耳コピしたりできる。
ショパンワルツ全集を連続演奏できる人間が、楽譜を読めないわけがない。読めなければ、むしろそのほうが凄い。
作曲コースに進めば、音楽のマネジメントも学ぶことになるが、教える講師より俺のほうが結果を出している。
「それで森木さんは、音大に進学して何を学びたいですか。あるいは卒業後に、何をしたいと思っていますか。事前に伺っていますが、再確認させて下さい」
鳥越が尋ねた理由は、俺を推薦する立場だからだ。
俺は、事前のやり取りで確認したとおりのことを口にする。
「帝都音楽大学を卒業した後、修士課程の作曲専攻、博士後期課程の音楽研究専攻で音楽学研究領域を修了し、大学講師を経て准教授という進路を希望します。実績を単位認定して頂き、可能な限り飛び級で進めたいです」
「飛び級ですね?」
「高卒認定を取って大学に飛び級して、大学でも3年間で早期に卒業したいです。大学院でも飛び級をしていきたいです」
それが俺の進路希望だ。
日本には、飛び級制度が実在する。
大学への飛び級は、学校教育法第90条。
大学院への飛び級は、学校教育法第102条。
大学に飛び級する方法は、2種類ある。
1種類目は、高卒認定試験に合格することだ。
そうすると法第90条で、大学入学資格を得られる。
受験資格は、『受験する年度の終わりまでに満16歳以上』で、俺は対象者だ。
――6月に音大の話が来たから、1回目の試験には間に合わないけど。
高卒認定試験は、年二回行われる。
1回目は4月から5月中旬の出願で、8月に試験が行われる。
2回目は7月から9月中旬の出願で、11月に試験が行われる。
俺は7月に出願しており、11月に受験して、12月に結果が来る予定だ。
高卒認定試験のレベルは、中学から高校1年生程度の学力レベル。前世で中学と高校の教員免許を持ち、今世で学び直した俺には容易だ。
2種類目は、大学院を置いている各大学で、高校に2年間以上在籍して優秀な成績を修めた者を学校長が推薦することだ。
そちらは俺にとって、保険である。
「高卒認定試験は、11月に受験予定です。高校に関しては卒業確約を頂いておりましたので、大学側のご了解を頂いた上で、学校長推薦を相談します」
大学院には、法第102条で1年早く入学できる。
大学は3年間で早期卒業できる制度があって、それで大学院への入学資格を得られるからだ。
大学院の修士課程と博士課程は、それぞれ最短1年で修了できる。
優れた研究業績を有する学生に対して『早期修了制度』があるためだ。
条件は、『学会発表や学術論文の掲載など、客観的で優れた研究業績』、『修士論文の完成と審査合格』、『博士課程への進学試験合格』となる。
それらをフル活用すれば、高卒認定で2年、大学早期卒業で1年、修士で1年、博士で2年、合計6年間の飛び級が可能だ。
「森木さんの場合、実績による単位認定は、相当可能です」
鳥越は、事前に確認済みの内容を改めて保証した。
音大の作曲コースで教える内容の結構な部分について、ミリオンヒット曲を2度楽曲提供した俺は、すでに卒業に相応しい実績を持っている。
大学院の卒業には、研究成果が必要だが、ベルゼと業務提携して受けた仕事で、大学院での単位も相当カバーできると確認した。
「来年度に音楽の教科書への掲載も控えており、研究機関で男性視点の音楽分析も進められています。ご自身の研究内容や業績にすれば、飛び級は可能でしょう」
俺の場合、教科書に掲載されれば、活動実績が学術的に認められたことになる。教科書編集委員会という第三者の評価によって、公平性も担保される。
さらに大学や音楽教育への貢献も、顕著と認められる。
それらを自身の研究としても発表すれば、院卒に相応しい実績となる。
「それで大学の講師になって、何を教えたいのですか」
「私に可能なのは、デジタルミュージック配信論や、エンターテインメント産業論などで、動画コンテンツの有意性を教えることです」
「それは具体的に、どういったものですか」
「配信サイトやSNSを利用すると、音楽活動の宣伝力や収益を得られて、学生が卒業後に音楽活動を継続できる可能性が高まります。私が協力すれば、フォロワーも増えるでしょう。講師としての価値は有ると自負します」
そうアピールすると、鳥越は苦笑を浮かべた。
「音大を卒業した学生は、必ずしも音楽の道に進めるとは限りません。可能性が高まる、あるいは将来も趣味で音楽活動を続けられることには価値があるでしょう」
「それは音大に進んだ生徒にとって、幸せなことだと思います」
「そうですね。どうも森木さんとお話ししていると、学生と話しているようには思えません」
「恐縮です」
なにしろ前世では、バンド活動をしていた三十路であった。
鳥越は、俺の顔を真っ直ぐに見て尋ねた。
「どうして講師、そして准教授になりたいのですか」
「現代では、男性の高校進学率が2割、大学進学率が1割となっています。つまり男子大学生は、全国で1学年に5人です」
俺はまず、前提となる状況を話した。
そして、今世での建前を話す。
「その状況で、何年も飛び級して准教授になる男性が居た場合、その男性の価値は高まるのではないでしょうか。私の音楽活動にプラスが見込めます」
ついでに嫁探しの成功率も高まるというのが本音だ。
前世には、バブル期に三高という言葉があったそうだ。
結婚相手の条件として『高学歴、高身長、高収入』の三つが気にされたらしい。
制度を最短で進めば、16歳で大学生、19歳で大学院の修士課程かつ講師、20歳で博士課程、21歳で准教授まで有り得る。
ツチノコは、地道に頑張っているのだ。
「大学の講師には成れても、准教授のハードルは高いですよ。教育への貢献と、研究実績は大きいですが、ほかにも必要なものがあります」
音楽の教科書に掲載される時点で、教育への貢献と研究実績は絶大だ。
だが大学で出世するためには、ほかにも必要なものがある。
もちろん俺は、それも手配している。
「大学への研究助成金の獲得でしたら、私の進路希望を後援者に相談したところ、黄川グループが『准教授は30億円くらいで足りますか』と言ってくれました」
30億円は、准教授のポストを創設して、人件費や設備の支払いを見越しても、10億円くらいは余る。
要約するなら「肩書き代として、経費ゼロで、寄付金10億円でどうですか」となるだろうか。
しかも「足りますか」なので、足りないと暗に伝えれば増額される。
そして「准教授は30億円」ということは、教授でさらに増えると期待できる。
大学に、いざという時の打ち出の小槌は要りますか。
要らないと言う経営者は、多分居ない。
俺から梨穗への代金は、遺伝子提供になるだろうと思っている。
なにしろ初対面の時、それを評価していると明言された。
子供の父親が准教授という肩書きを持つのなら、梨穗も惜しくはないだろう。
摺り合わせた内容を全て話し終えると、鳥越は頷いた。
「教授会は、森木さんの推薦入学を認めています」
「ありがとうございます」
高校1年生の夏、俺は今世での進路を定めた。


























