第61話 拠点作成
「だああっ」
俺は叫びながら、足ヒレを脱ぎ捨てた。
足ヒレを付けていると、歩き難いことこの上ない。
無人島への持ち込み検査を突破した以上、海に潜らない限りは無用の長物だ。
「ちょっとウエットスーツを脱いでくる」
「いってらっしゃい」
俺が伝えると、優理は苦笑して見送った。
カメラに向かって駄目だと首を横に振った後、無人島にある森に入っていく。
森は思ったより深く、シイやカシの木が生い茂っていた。
足元には枯れ葉が積もり、小さな虫が散見される。
セミの鳴き声が木陰に響き、どこかでウサギが駆け回る音がした。
――瀬戸内海って、昔は地続きだったらしいからな。
およそ7万年前から1万年前の氷河期は、海が凍って海面が130メートルほど低くなっていた。
その頃の瀬戸内海は、陸地だったらしい。
数万年前に存在していた虫は、島にも残っているだろう。
ウサギのほうは、人間の持ち込みかもしれないが。
そんな事を妄想しながら、視界が遮られた木々の裏でウエットスーツを脱いで、手で汗を払った後、服だけに着替えた。
それから海岸に戻る。
「おかえり。それじゃあ行きましょうか」
「ああ、キャリーバッグを持つぞ」
俺は優理に答えながら、右手を差し出した。
ちなみに左手には、銛とウエットスーツを持っている。
「ありがと」
受け取ったキャリーバッグは、軽かった。
それを右肩に担いで、海岸を見渡した。
砂浜は弧を描くように湾になっており、両端には岩場が続いている。
背後の山は緑濃く、頂上付近では雲がかかっているのが見えた。
潮の香りに混じって、草木の青い匂いが漂ってくる。
「どこに設営しようか」
「地面が柔らかい砂地で、平坦なら良いんじゃないか」
優理に聞かれたので、俺は辺りを見回して適当に答えた。
無人島は広くないが、それくらいの環境はある。
「潮の満ち引きも考えて、あまり海に近くないほうが良いかもしれない。森の傍でどうだ」
「それじゃあ、あの辺とか?」
俺の提案に、優理はと指差した。
視線を向けると、少し小高くなっている場所があり、そこから木が生えていた。砂地と草地の境目で、程よく風通しも良さそうだ。
「良いんじゃないか。木が生えているということは、波が安定して来ていないということだろうし」
「そうね。それなら設営しましょう」
賛同が得られたので、俺達はそちらに歩いて行く。
足元の砂は柔らかくて、歩くたびに足跡が付いていく。
目星を付けた場所に辿り着くと、キャリーバッグからテントを引っ張り出して、地面に垂直に広げた。
テントのトップスケルトンの下にあるバランスブラケットを軽く押して開く。
するとダークグリーンの防水テントが、まるで傘のように一気に広がった。
――優理は、緑が好きなのかなぁ。
優理自身のイメージカラーにしているのかもしれない。
キャリーバッグに杭が6本入っていたので、それでテントを地面に固定した。
木が生えている辺りは、砂地ではなく土だったので、杭はしっかりと刺さった。
「なかなか良いテントだな」
背後で撮影カメラが回っているので、感心してみせた。
テントは両側に、二重層ドアがある。
メッシュのドアと窓は、虫を入れないことと、換気を両立しているのだろう。
軽くて性能が良いのだから、きっと高いテントのはずだ。
「内寸は、長さ205センチメートル、幅が195センチメートル、高さが130センチメートル」
「そんなものなのかな」
「クイーンサイズのベッドが、長さ195センチメートル、幅160センチメートル。だから、寝袋は余裕をもって広げられるわけよ」
「ほほう」
優理は収納袋から寝袋を出して、テントの中に広げていった。
高品質のポリエステルポンジーと起毛生地の寝袋がテント内に敷かれると、一気に居住空間らしくなった。
ちなみに色は、ダークグリーンである。
ピンクだと俺がきついので、助かったと思うべきかもしれない。
「この後どうしようか」
拠点が完成したところで、優理が次の方針を尋ねた。
拠点となるテントと寝袋の設営は完了したが、まだ日は高い。
時刻は午後2時を回ったところで、容赦ない夏の陽射しが肌を焼いている。
――撮影、昼過ぎから始めたからなぁ。
しっかりとロケ弁を食べてから始めており、今夜の食事が抜きでも、耐えられるように配慮されている。
日が暮れるまで数時間の労働であれば、体力的にも保つ。
もちろん、このまま寝るはずもない。
俺の目的は、魚突きだ。
「穫った魚を焼くために、木材が必要だ。海岸で、木の枝とかを拾い集める。それと、ロープが漂着していたら、穫った魚を括るのに欲しいな」
俺が砂浜を見渡しながら告げると、優理は不思議そうに首を傾げた。
艶やかな髪が肩で揺れている。
「どうしてロープで魚を括るの」
「魚を1匹獲るごとに浜辺に上がると、時間が掛かって沢山穫れない。穫った魚のエラから口にロープを通して、繋いでいこうと思う」
説明を聞いた優理は、納得したように頷いた。
俺が陸に上がらないまま、魚を穫っていく光景を想像したのだろう。
1を言えば、2や3は理解してくれるので、非常に助かる。
「探しに行きましょうか」
方針が定まった俺達は、砂浜を歩き始めた。
足跡が砂に深く刻まれ、歩くたびにサクサクと心地よい音が響く。
瀬戸内海に浮かぶ無人島には、周辺からの漂着物が流れ着いている。海岸線に沿って歩いていると、様々な漂着物が目に付いた。
太陽で白く漂白されたビニール袋が風にはためき、錆で茶色に変色した空き缶が砂に半分埋まっている。
角の取れた大きな流木は、長い間波に揉まれたのか、滑らかになっていた。
「結構いろんな物が流れ着くのね」
優理の瞳が、キラキラと好奇心に輝いている。
どこかから流れ着いた赤いブイには、干からびた海藻が絡まっている。
古びた発泡スチロールの箱には、昭和感の強い手書きの文字が書かれていた。
「海だからなぁ。何でも流れているんだろう」
そう答えながら、使えそうな物がないか辺りを見回した。
歩いていて気付いたのは、潮の満ち引きの境界線には、より多くの漂着物が打ち上げられているということだ。
そこまで押し上げられて、それ以上は波で押せないので留まっているのだ。
しばらく歩いていくと、優理が尋ねた。
「空のペットボトルって使えるかな」
指差していたのは、2リットルのペットボトル容器だった。
ラベルは外れているが、容器自体は綺麗なままだ。数ヵ月前には、まだ新品だったのではないだろうか。
「井戸水で洗えば、使えそうだな。捌いた魚の血を洗い落とす時に便利そうだ」
俺が答えると、優理はペットボトルを拾い上げた。
砂粒が手に付いたのか、軽く手を払う。
「持っていくね」
撮影クルーを連れた俺達は、再び歩き始めた。
少しだけ潮風が強くなって、髪が乱れるのを優理が手で押さえる。岩場に近付くにつれて、波音も大きくなってくる。
そして岩場の手前で、思いがけない物を発見した。
「おおおっ?」
俺は思わず声を上げた。
なんと魚網が、岩の間に引っかかっていたのだ。
年季が入っており、一部が破れている。
網目は思ったより細かく、破れた部分を縛れば、銛で突いた魚を入れるには充分に思えた。
「ロープを探していたけど、もっと良い物が有ったな」
俺は笑みを浮かべながら、岩場から魚網を取り上げた。
これは思わぬ収穫だった。魚をロープで括るよりも、格段に効率が良い。
海藻が絡まっていたので、手で取り除く。
「俺は魚を穫ってくる。多分時間が掛かるから、その間に優理は、木の枝を集めておいてくれ。テントのほうに置いてあるファイヤースターターナイフも、自由に使ってくれ」
「分かったわ。ところで悠さんって、泳げるの?」
優理は俺のことを「悠さん」と呼んだ。
ドラマのダブル主演でのバラエティ参加だが、呼び方はドラマでの「悠くん」ではなく、普段の「悠さん」にしているらしい。
そんな事を考えながら、俺も鈴川悠馬ではなく森木悠として答える。
「未就学児の頃から、水泳を習っていた」
「どれくらい泳げるの?」
「競泳で、1500メートルの大会に出られる気がする。足ヒレとゴーグルを付けたら、よほどの潮流に流されない限り余裕だろう」
優理に問われた俺は、堂々と答えた。
習っていたのは前世だが、中学の時には市の大会で、入賞したこともある。
前世と身体は異なるが、柔道と同じく、水泳も技術だ。
どうやって水に手を入れ、効率的に水を搔けば良いのか。どのような手の形を作って、腕を動かせば良いのか。
直線的に水を搔くよりも、より強く搔く動きがある。
身体の捻り、効率的な息継ぎの方法。
未就学児からやっていたので、全てを完璧に身に付けている。
泳ぎに関しては、俺は水泳を習っていない漁師よりも遥かに上手い。
「ドラマの収録で、柔道も習っていたって言っていなかったっけ」
「どっちも習っていたぞ」
前世では、小学1年生の頃には週7で毎日習い事をしていた。
流石に多いのではないかと、小学生ながらに疑問を抱いた記憶がある。
一応、役に立たないこともなかったが。
「それじゃあ行ってらっしゃい。気を付けてね」
優理が手を振りながら言った。心配そうな表情は変わらないが、信頼してくれているのが伝わってくる。
「おう。サメに気を付ける」
俺は軽口で応じて、ウエットスーツを置いてきたテントに向かった。
砂浜から草地へと足を向ける。
設営したテントのダークグリーンが、周囲の緑と調和している。
森の木陰は涼しく、汗ばんだ肌に心地よい風が吹いてきた。


























