第54話 7曲目作成
自室のカーテンの隙間から、西日に照らされた壁がじわりと色を変えていた。
大きく背伸びをして首を鳴らし、俺は椅子の背にもたれてスマホを耳に当てた。
『本当に翌朝データを送って来られるとは、思いませんでした』
咲月に曲を作ると伝えた翌日の夕方。
徹夜で作業を終えてデータを送信した俺は、学校を休んで盛大な昼寝に勤しみ、目を覚ましたところで咲月と連絡を取った。
近くのサイドテーブルには、コーヒーの湯気が立っている。
口に含むと、苦味が舌を刺した。
「芸能活動で自由に学校を休めるのは、芸能コースのメリットですね」
『作詞作曲も、立派な芸能活動ですからね』
俺達が通う撫子高校の芸能コースでは、芸能活動に融通が利く。
俺の場合、楽曲提供した曲が、2連続でミリオンを出した実績がある。だから、作詞作曲をしていましたと言えば、それで通るわけだ。
そもそも、俺の卒業は確約されている。
――学校が、イージーモードな件について。
労働する社会人に比べれば、授業を聞く生徒の生活は楽なほうだ。
もちろん社会人にも学生時代はあったのだから、皆が公平だ。
その上で、現在の俺は、楽々な学生時代を送っているわけだ。
それに輪を掛けて、芸能コースは甘々である。
撫子高校の芸能コースは、撫子テレビが様々な撮影を行いたくて作った学校だ。
仕事を選ばなければ、現在放送中のドラマ『セカンドフレア』にはエキストラで出られるし、ほかにも別のドラマやテレビ番組にも出演の機会がある。
芸能コースの生徒は、よほどおかしなことをしなければ、事務所との契約を解除されて転校する目には遭わない。
したがって、休みを増やせる芸能コースは、砂糖のように甘いのである。
『学校では、悠さんはどうして来ていないのかと聞かれました』
「それはすみません。今日はパンダが姿を見せないけど、元気なのかと聞くようなものなのかな」
パソコンには、昨夜まで使用していた作曲ソフトがまだ開かれたままだ。
コード進行のデータを横目に、俺は片手で画面を操作しながら、咲月の声に耳を傾けた。
「それでジャパン交響楽団には、依頼して下さいましたか」
『黒原が手配済みです』
黒原はベルゼの正職員で、俺達のバンド『バアル』のマネージャーだ。
サブマネージャーである咲月にとっては、上司のような存在でもある。
俺は咲月と同時に黒原にもメールを送っており、黒原のほうが動いたようだ。
「交響楽団への依頼料400万円につきましては、悠さんが参加して下さることで増えるチケット代の収入から、経費として出すそうです』
椅子の背にもたれていた身体を少し起こし、机の上のマグカップに手を伸ばす。
少し冷めたコーヒーを一口含みながら、俺はのんびりと答えた。
「確かに、チケット代で回収できそうですね」
俺のチャンネル登録者から、1000人に1人が来ると仮定する。
すると来場者は1万4000人増えて、5000円の1日券が7000万円ほど追加で売れる。
明らかな黒字を見込めるのだから、必要経費を払うことは、何ら問題ない。
マグカップを所定の位置に戻し、パソコンで検索すると、SNSの投稿やニュース記事がいくつも目に入った。
それらをチェックしながら、咲月との話を続ける。
『新曲はフェス用に頂けますので、CDとしてグッズ販売したいそうです。利益の配分は、夏の蛍と同じでどうでしょうか』
「構いませんよ」
咲月を経由したベルゼの打診に、俺は快諾した。
6曲目に出した『夏の蛍』は、作詞作曲の俺とベルゼが社入金を折半して、ベルゼが得た利益を歌手の俺と折半している。
つまり俺の取り分は、合計75パーセントになるわけだ。
一般的な契約に比べると高額だが、俺はツチノコなので、こんなものだろう。
2000円で1万枚売れれば、2000万円以上。
プレス工場に100万円、交響楽団に400万円を払えば、残り1500万円。
そのうち75パーセントが俺の取り分なら、俺には1125万円が入る。
出演料と考えれば、それで充分ではないだろうか。
「ですが、開催まで半月ほどですよね。完成まで1週間弱として、そこからCDにするのは間に合いますか?」
『特急プランで依頼しますし、ディスクジャケットは夏の蛍で撮影した未使用データを使います』
随分と無茶をするものだ。
もっとも工場自身が特急プランを用意しているので、後ろめたい話ではない。
裏事情としては、CDの生産量が落ちたプレス工場では仕事量が激減しており、スケジュールに余裕があるのだ。
特急プランは、原価が同じなのに料金は跳ね上がるので、先方からは喜ばれる。
『8トントラック2台で、会場に運ぶそうです。店舗への発送がありませんから、間に合います』
「確かに、全国の店舗に発送する必要はありませんでしたね」
今回の場合、全国の各店舗に細かく送る必要が無い。
大幅に手間を省けるので、相当の時間短縮になる。
「分かりました。それで去年のベルゼフェスは、何万人ほど来たんですか?」
『3日間で12万人弱でした』
かなり多いのではないだろうか。
ネットで去年のフェスを見つけた俺は、内容に目を通しながら訊ねた。
「それならCDは、1万枚くらいは売れますかね」
そう言ったところ、通話先の咲月が沈黙した。
生憎と映像を出していない通話なので、表情は見えない。
予想するに、1万枚は少ないのかもしれない。
「チャンネル登録者の1000人に1人が来たとしても、1万4000人の全員が買ってくれるわけではないと思いますが」
わざわざ来るくらいだから、概ね買ってくれると見越して1万人という計算だ。
そんな俺の予想に対して、咲月は異なる予想を出した。
『CDの生産数は、10万枚を予定しています』
呆気に取られた俺は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべたと思う。
どういう計算で、そうなるのだろうか。
唖然とする俺に対して、咲月は説明を始めた。
『5月下旬に発売した夏の蛍、先週までにCDが180万枚売れていますよね』
「はい。2ヵ月間で、初週結果の2倍になる予想とピッタリのペースでしたね」
俺が出した『夏の蛍』は、半世紀振りに若い男性が歌った曲だった。
初週ストリーミング6800万再生、ダウンロード148万件、CD106万枚という衝撃的な数字を出して、その後も伸び続けている。
それは、認知度が上がり続けた結果だ。
テレビCM曲として全国放送されている最中で、俺もドラマに主演で出ている。
勝手にニュースとなり、ファンが売り上げ速報でお祭りを続けて、今でもこちらが関与していない広告が続いている。
おかげで、CDを買う年配世代にも認知されていった。
俺自身の付加価値も、上がっている。
俺はショパンワルツ全集をライブ配信して、音大の御三家である帝都音楽大学の教授から、複合型音楽才能枠で特別選考しますと、提案された。
実際に進学したわけではないが、入学確定と言われているようなものだ。
音大に行くような歌手の音楽には、付加価値が付く。
だからCDは、未だに売れ続けていた。
『悠さん自身が歌った1曲目が180万枚なのに、2ヵ月後に出す2曲目が10万枚以下って、有り得るでしょうか?』
「ですが、全国販売するわけではないですよね」
ベルゼフェス限定品であることが、俺が売れないと見なした理由だ。
店舗に売っていないのだから、買えるわけがない。
その前提は、次の咲月の言葉で崩れ去った。
『悠さん、転売って御存知ですか』
「もちろん知っていますよ」
転売とは、商品を購入して、その商品を他の市場で再販売する行為のことだ。
いくつかの法律では、転売に規制がある。
中古品の継続的・反復的な転売は、古物商許可が必要だ。(古物営業法第3条)
特定興行入場券の高額転売は、禁止である。(チケット不正転売禁止法第8条)
酒類の転売は、酒類販売業免許を持たないとできない。(酒税法第54条)
医薬品の転売は、医薬品医療機器等法に違反する。(薬機法第55条)
偽ブランド品の転売は、商標権侵害となる。(商標法第37条)
最近、米穀の転売も規制された。(国民生活安定緊急措置法第26条第1項)
これが、法律脳である。
「ベルゼフェスの会場限定CD、転売されますかね」
『絶対にされちゃいますね』
「まあ、法律で禁止されていませんからね」
今のところ新品のCDを転売しても、違法ではない。
元値より高く転売しても、購入・運搬・販売のコストを価格に反映することは、通常の商取引だとみなされる。
なぜ違法ではないかと言えば、禁止する法律が無いからだ。
法治国家は「法律で禁止されていないけど、気に食わないから処罰する」などと言ってはいけない。
それを認めると、世紀末な世界になる。
『だから10万枚、生産するんですよ。それだけあれば、買い占めできませんし』
「確かに10万枚も出せば、高額転売なんて不可能でしょうね」
売れ残って、次回のフェスでも再販するくらい作れば、高額では転売されない。
だが売れ残った段ボール箱の山を見るのは、流石に悲しい。
「分かりました。チケットとCDを買ってもらえるよう、私も動画で告知します。それと咲月さんと鈴菜が出演する時は、私も演奏で参加しますよ」
『……20万枚に変更したほうが良いのかなぁ』
売れ残りを回避しようとしたところ、ハードルを上げる呟きが聞こえた。
解せぬ。


























