第52話 安住の地
「出発するわ」
早朝の空が白み始めた頃、俺達は『木曽福島道の駅』を後にした。
弓道部顧問のオリオンが、中央自動車道を走り出す。
車に乗っているのは、俺、優奈、千尋、元部の4人だけだ。
車内は、妙に広く感じられた。
「道、空いていますね」
「朝だからね」
優奈が車外を眺めて呟くと、元部が答えた。 代わりにラジオが流れる。
『長野県内の指定避難所について、改めてお知らせします。現在、長野市では南長野運動公園総合体育館、松本市では……』
三重県に向かうのに、長野県の避難所情報を聞いても仕方がない。
俺が放送局を変えようとすると、元部が優奈に指示を出した。
「優奈さん。予約人数を4人に変更してちょうだい。お金、そこまでは無いのよ」 「分かりました」
咲を思い浮かべた俺は表情を強張らせたが、口は開かなかった。
優奈がスマホを出したので、俺はラジオの音量を下げる。
だが、スマホを耳に当てた優奈からは、予約変更の言葉が発せられなかった。
「……電話、繋がらないです」
「早朝だからかしら」
「普通は、フロントに誰か居ると思います」
現在の時刻は、朝7時20分。
優奈が指摘したとおり、誰かは居る時間だ。
「予約した時は3軒に断られて、4軒目は本当に小さいところだったわよ。それで繋がらないんじゃない?」
元部の発言に、優奈が困惑顔を浮かべた。
俺達は、スマホで宿のホームページを再確認する。
宿は3階建てで、6部屋という小さなところだ。
「確かに小さいところですね。家族経営できそう」
本当に電話が繋がらないだけなのか、トラブルが起きたのか、判断が付かない。
「最悪の場合は、別の宿に移ることも考えるべきかしら」
最悪とは、感染者によって宿が機能しなくなっていた場合のことだ。
しばらくの沈黙のあと、優奈が口を開いた。
「むしろ感染者を排除すれば、泊まり放題かもしれませんね」
「どういうことかしら」
「あたし達は水と食料を安定的に得るために、赤目四十八滝に向かっています。宿の人達が感染していたら、宿泊代の清算なんて出来ませんし、新しい予約だって取れませんから、そのまま連泊してしまえば良いんです」
つまり民家を占拠する場合と異なり、誰も文句を付けられなくなる。
「宿なら入口以外にも、部屋に鍵を掛けられるから、良いかもしれませんね」
千尋が優奈に加勢した。
「感染者が入って来られないってこと?」
「はい。だって相手は、高熱を出した普通の人間ですから、鍵は開けられません」
元部は、しばらく考えるように黙った。 そして結論を口に出す。
「分かったわ。でも宿の人達が感染しているかどうかは分からないから、感染していなかったら予定通りに民家も探すわよ」
「分かりました」
優奈が応じると、元部は頷いた。
「念のためにATMで、お金も下ろしておきましょう」
「了解です」
方針が纏まった後、しばらく高速道路を走り続けた。
そしてETCレーンを通って高速から出ると、元部は一般道を進んで、ATMが開いている郵便局の駐車場に車を停車させた。
「それじゃあ、お金を下ろしてくるわ」
「俺も下ろしたいので行きます」
俺と元部は車から降り、ロックを掛けて、ATMコーナーだけが開いている店内に入っていく。
2つあるATMの前に立つ先客は1人だけで、店内は空いていた。
俺は床に記されている進路順に進み、先に元部がATMの前に立つ。
少し離れて後ろに並んだ俺は、財布の中身を覗き込みながら、考え事をしている風を装った。
そうしていると、前方でガタンと音がする。
「離してっ!」
慌てて前方を見ると、先客の女性が、元部の肩口に食らい付いていた。
「感染者っ!?」
俺は慌てて割って入り、感染者を掴んで元部から引き離す。
そして地面に引き倒して、頭を床に押し付けた。
このシーンは効果音が入り、俺が感染者の頭部を床に叩き付けたことになる。
カットが入り、美術スタッフが素早く血糊を撒いていった。
それが終わりと、俺は床に叩き付けた感染者から手を離して、立ち上がった。
元部の肩口は、袖が破れており、肌に噛まれた傷痕が刻まれている。
元部は苦々しい表情で、俺に尋ねた。
「咲さんは6時間だったかしら」
「咲は、千尋を噛みそうだと言っていました。6時間は保たないかもしれません」
頷いた元部は、ATMに向かうと、手際よく操作を始めた。
そして出てきた札束を、顧問の財布に突っ込んで、俺に押し付けながら言う。
「貴方も、引き出せるだけ出して。車を自動運転にするから、宿まで行きなさい」
俺は受け取った財布を手にした後、元部の顔を見つめて、何とも言いがたい表情で黙り込んだ。
すると元部は、淡々と告げた。
「気にしなくて良いわ。移動する案に応じたのは私だし、ここでお金を下ろすと決めたのも私。あなた達に感染者が出たら置いていったし、自分の番なだけ」
だから気にせず置いていけ、という意味だ。
ドラマの第10話では、咲に続いて、運転要員の元部も脱落する。
ここまでの流れは、すべて台本通りだ。
俺は、二度ほど言葉にならない息を吐き出した。
◇◇◇◇◇◇
第11話は、現地が壊滅していくシーンが流される。
俺達は最後に到着するシーンだけで、ほとんどすることが無かった。
順調に撮影をこなして、いよいよドラマ最終回の撮影となった。
「ようやく最後の撮影か」
撮影場所は、赤目四十八滝にある旅館の一つだ。
小さい旅館で貸し切りなので、かなり自由な撮影を行える。
それによって旅館の客室は、俺達が到着してから2年後という設定に合わせて、生活感が溢れる空間へと変えられた。
「2年後かぁ」
現在居る部屋は、メインヒロインである優奈に割り振られた一室だ。
周辺から回収した物資によって、旅館らしからぬ女子の部屋になっている。
具体的には、ピンクのカーテン、可愛いぬいぐるみや小物などだ。
撮影されていない2年間で、俺は色々と頑張ったらしい。
「時間を飛ばすのは、まさに最終回っていう感じよね」
「そうだな。最終回にしか使えない技だな」
ドラマは12話なので、到着後に畑を耕したり、物資を回収したりするシーンは入れられない。
実際には、男性俳優が感染者を排除して回るシーンを撮れないからだろう。
前任の時から、この結末になる予定だった。
「ちなみに生存者って、前の時から優奈と千尋だったのか」
「一応ね。主演女優のあたしと、農業に詳しい役柄の千尋を残した感じ」
それと男性俳優で、仲間の生存者は3人となる。
人類が絶滅する勢いだ。
だが救いは、ちゃんと用意されている。
「このドラマって、男性は感染しないでしょう。日本に男性は4000人で、一緒に居る女性も同程度と考えたら、1万人くらいは無事に居ることになるわよね」
「一応そうなるな」
「人類は何度か、総人口が1万人以下になったことがあったんですって」
「聞いたことはある。直近だと7万年から7万5000年前だったか」
「うん、そうそう」
優理は首を縦に振って、そのことだと頷いた。
人類の人口が激減したのは、最終氷河期の頃だ。
現代の遺伝子解析によれば、現世のホモサピエンスは全員、7万5000年前に生存していた1万人以下の子孫であるという。
「だから大丈夫じゃない」
「そうかもしれないな」
絶滅に瀕した人類は、その時に突然変異を起こした。
突然変異の内容は、言語や認知能力に関するものだそうだ。
人類以外の動物も言語は持っており、『ライオンがいる』などと言える。
だが人類の言語は、『もうライオンは去った』、『その男がライオンを倒した』、『あいつが神の声を聞いた王だ』などと言えるように進化した。
それで人類は、国家規模の集団を作れるようになり、100人単位の集団しか作れなかったネアンデルタール人を圧倒して覇権を取った。
絶滅に瀕した生物は、突然変異を起こす。
つまりドラマでは、感染者に滅ぼされ掛けた人類は、生き延びて感染に対抗できる能力を獲得する。
人類の希望と再生が、ドラマの結末らしい。
「安住の地に辿り着いた悠くんと千尋の子供は、期待の人類になるわけね」
「それで千尋の子供役として、乳児が連れて来られたわけか」
2年後の世界では、生活基盤を整えた俺と千尋に、子供が生まれている設定だ。
千尋の部屋にはベビーベッドが置かれていて、スヤスヤと眠っていた。
「このドラマの主題歌になった『白の誓い』って、冬に愛を育んで、春になる歌でしょう。ちゃんと歌詞も回収できたよね」
優理が言ったように、白の誓いにはそのような歌詞がある。
奇しくも感染者に覆われた世界で、春を待つ歌になった。
咲月の『歩んだ道』くらいドラマの内容に合っており、支持されるだろう。
「それにしてもメインヒロインは優奈なのに、千尋が先なんだな」
「えっ、あたしとの間に子供欲しかった?」
わざとらしく優理が聞き返してきたので、俺はムッとした表情で口を結んだ。
「ごめんって。続編の可能性が有るから、あたしとの間には子供が生まれていないらしいよ」
「ドラマ撮影は大変だった。視聴者は喜ぶだろうけど、もっと楽なほうが良い」
「乗り気じゃないんだ?」
「正直、かなり疲れた」
俺は、役に入り過ぎたと思う。
その典型的な一例が、勢いで新曲を作ったことだ。
それを活かすために、これから一番重い撮影も控えている。
「この後だけど、営業時間外の18時に借りた滝で、悠くんだけで撮影だって」
優理が、丁寧に念押ししてくれた。
「滝の入場時間は、通常だと17時までだよな?」
「観光協会に使用許可をお願いしたんだって。7月は日の入りが遅いから、暗くなる前に撮れそう。頑張ってね」
ドラマは、安住の地に辿り着いた俺が1人で滝に行き、咲を想いながら『道標』を歌う最終エンディングで締め括られる。
俺は、自分で書いた歌詞を思い起こした。
ドラマに合った歌詞だったと思う。
作詞作曲した音楽家としては満足だ。
出演者としては、当面やりたいとは思わないが。
「きっと凄いことになると思うよ」
「文字通り、魂を込めたからな」
そんな事を話していると、監督が時間を告げに来た。
俺は大きく深呼吸をして、最後の撮影に臨んだ。
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【音楽速報】バアル『道標』が前人未到の大記録を樹立!
森木悠の紡ぐ"絆と希望"が日本中を震撼させる
大ヒットドラマ『セカンドフレア』の感動的なフィナーレを飾った音楽ユニット『バアル』の最新曲『道標』が、日本音楽史上類を見ない快挙を成し遂げた。
リリースからわずか1週間で、ストリーミングサービスの再生回数1億回、デジタルダウンロード227万件、CD160万枚という前人未踏の大記録を樹立。これは同ユニットの最高記録だった『夏の蛍』の初週結果の約1.5倍の売上となり、音楽業界関係者を驚愕させている。
作詞作曲を手がけたのは、登録者2300万人を誇る男性音楽家、森木悠。
自らボーカルを担当し、視聴率34.1%を記録したドラマ『セカンドフレア』最終回のエンディングとなった本楽曲は、SNS上で「泣かずにはいられない」「心の奥底まで響く」といった感想が相次いでいる。
音楽評論家の佐々木真理氏は「『道標』の真髄は、決して会えない人への変わらぬ思いを昇華させた点。これほど純粋な想いを歌にした作品は近年に無い」と絶賛。「失ったものへの哀しみと、それでも前に進む勇気という、相反する感情の狭間を見事に表現している」と分析する。
特に注目を集めるのは、バアル2曲目『歩んだ道』との対比だ。『歩んだ道』が「見送る側」の視点だったのに対し、『道標』は「先に行った側」の視点から描かれている点が話題となっている。
音楽プロデューサーの三上葉月氏は「二つの楽曲が対になることで物語性が生まれ、リスナーの心を震えさせている。森木悠の才能は計り知れない」と評する。
ドラマ『セカンドフレア』の最終シーンで、主演の森木悠が幻の恋人に向けて歌う姿は、SNSで「史上最高のエンディング」と称賛の声が相次いだ。共演者の桃山咲月との繊細な演技も高く評価され、俳優としての才能も証明した形だ。
各音楽配信サービスによると、特に10代から30代の支持が厚く、海外からのアクセスも急増しており、日本発の新たな音楽ムーブメントとして世界的な注目を集めつつある。
音楽事務所の関係者は「森木さんの才能には我々も驚愕しています。『道標』の大成功は彼の音楽に対する真摯な姿勢の結果でしょう」とコメント。今後の活動にも期待が高まっている。
次回作の情報はまだ明らかにされていないが、業界内では「森木悠の才能はまだ開花し始めたばかり」との声も。日本音楽界に新たな歴史を刻んだ『道標』の快進撃は、今後も続きそうだ。
音楽ニュースオンライン 9月29日 17:50
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今話で、第2巻が終了しました。


























