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<月飼い>少女は<狼>とともに夢を見る  作者: 神崎右京
第四章

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夢の終わり⑦

 そういえば、人並外れた優秀な頭脳を持つ白狼が、言っていた。

 ――今回の一連の事件に、<朝>の意思が介在している可能性は低い、と。


 さすが、千年を生きた優秀な<狼>だ。その考えは、勘も含まれていただろうが、確かに的中していた。

 だが――さすがの彼も、予想していなかっただろう。


 まさかすでに――<狼>種族の宿敵が、ひっそりと千年も昔に、命を散らせていたことなど――


「そ――そんな――……ぇ……え……?」

 混乱の極致に入り、意味のある言葉が紡げない。

 目の前の眼鏡をかけた姉の横顔が、ふとマシロの方を向いた。

「で?そろそろオネイサンの質問にも答えてよ。今、何がどうなってんの?」

「ぇ、あ、え、えっと――ハーティアが、<夜>の番にされちゃって、戒で操られて攻撃してきて……」

 衝撃から回復出来ないところに当たり前のように話を戻されて、つい何も考えず正直に口を開く。ひゅぅっとシュサは口笛を吹いたあと、堪え切れぬように吹き出した。

「っ……アッハハハハハ!!!何それ、ウケるんだけど!そりゃあの白狼も怒るわ!」

「わ、笑い事じゃないよ……!ほ、本当に、本当に怖かったんだから――!」

「いやぁ~……千年前から、馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、本当に馬鹿だったんだねぇ……どこまで行ってもガキくさいエゴの塊……愚かで馬鹿で身勝手で――喧嘩売る相手も選べないのも、相変わらずか」

 ククッと笑いをかみ殺しながら、階下を見下ろす瞳には、うっすらと昏い光が宿っている。どうやら、彼女にも千年前から何か因縁があるらしい。

「でも、ふぅん……なるほど。……それで、あの白狼は、あそこで隙だらけでうずくまってるわけね。<夜>は死んだの?」

「さ、さぁ……あたしも鼻が利かないからわかんないけど――でも、クロくんが出てこない、ってことは、たぶんまだ死んではないんじゃないかな……さすがにあの広範囲攻撃を避けられるとも思えないから、あの瓦礫の下で瀕死の重傷、くらいかもしんないけど」

 クロエは、グレイと直接戦ったこともあると聞く。その時、片手で捻られたというが、それでも歴代最強の灰狼というからには、それなりに凄絶な戦いを繰り広げたはずだ。グレイが戦闘においてどれほど周囲に影響を及ぼし得るかその身をもって体験しているクロエが、グレイが怒りでぶち切れればどれだけの被害が出るのか、察せられぬはずもない。「生き残れ」とマシロに言い放ったのも、大げさでも何でもない心からの言葉だったのだろう。――事実、マシロはあと少しで、グレイの激怒による戦闘の巻き添えを食って死ぬところだった。

 おそらく、グレイの激怒は<夜>の命の灯が尽きるまで収まらない。

 <夜>を殺したところで、ハーティアの寿命の問題が解決するわけではないが、戒を使って彼女を人形のように操り、率先して酷い扱いをするであろう<夜>をグレイが放置しておくはずもなかった。何より、愛する女を無理やりに手籠めにしたも同然のその行為に、殺意以外のどんな感情を抱けというのか。

 <夜>の命が尽きれば、グレイと建設的な話が出来る。しかし、少しでも<夜>の息吹の気配があるうちは、いつまたグレイが大噴火を起こすかわからない。――巻き添えを食って死ぬ可能性が高いこの状況で、クロエが動かないというのは、つまりそういうことだろうとマシロは結論付けた。

「なるほどねぇ……一応、クロくんとやらは、こっちの動向はずっと気にかけてるみたいだけど。あたしが気まぐれにあんたを殺そうとしたら、あっさり瞬殺されそうだわ」

「え……?」

「ま、さっきあたしがあんたを助けたのを見てるから、あんたと同じで意図が掴めずとりあえず見張ってる、って感じなんじゃない?――盗み聞きくらいはしてそうだけど」

 飄々と言いながら煙草をくゆらし、蹲るグレイを眺めて、何事かを考える。

「あのお嬢ちゃん――あたしがここに転移させたとき、矢は持ってなかったはずなんだけど」

 記憶をたどれば、彼女が最初から持っていた矢筒は、石牢の前で瞳をつぶされた怒りで、あの時セスナが破壊してしまったはずだった。

「となると、あの子に持たされてたのは、施設の連中が使う弓矢――<狼>にも効くような、強力で即効性のある毒だろうね」

「う、うん。ちょっとかすっただけで、足元ふらついたわ」

「ふぅん――……じゃあ、あの白狼、毒にやられてんじゃない?」

「へっ!!?」

 シュサの言葉に、弾かれたように手すりに駆け寄り、がばっと身を乗り出して階下を見る。

「シャンデリア落として攻撃すれば、問答無用であの女の子も巻き込んじゃうわけだから――きっと、転移で助けたんだと思うのよ。あたしがアンタを救ったみたいに」

 ピコピコ、と短くなった煙草が言葉に合わせて揺れる。

「けど、黒狼の戒で操られてたなら、あの子にとって白狼は『敵』っていう認識でしょ?抱きかかえられて助けられたとしても、抵抗するのが普通じゃない?矢筒背負ったままだっただろうし――あたしなら、毒をたっぷり塗られたその矢を、そのまま相手に突き立てるけどねぇ……」

 そういえば、そんな感じでセスナの眼球もつぶされたことを思い出し、シュサは仮説が高確率で当たっているであろうことを予想する。

「白狼も、<朝>とか<夜>と一緒で、永遠の命はあっても、内臓系への攻撃の耐性は普通の<狼>と大差ないと思うんだ。さすがにすぐ死にゃぁしないだろうけど、死んだ方がましだ、っていうような苦痛でうずくまってるんじゃない?……単純に、麻痺ってるだけかもしんないけどさ」

「グ――グレイ!」

 慌ててマシロが手すりを乗り越えようとするのを、クスクスと笑って手を取る。

「もー。危ないねぇ。せっかく久しぶりに旧交を温めたんだから、オネイチャンに頼りなって」

「ぇ――」

 軽薄な声が響くと同時――

 ふぉんっ……

 姿が一瞬で掻き消え、瞬きの後には、グレイの傍らへと転移していた。


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