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<月飼い>少女は<狼>とともに夢を見る  作者: 神崎右京
第四章

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<太陽>の夢④

 目覚めたとき、視界に入ってきたのは、見慣れた自宅の天井と、見知らぬ青年の顔だった。心配で心配でたまらない、とその顔に書いてあるような表情で、ベッドの傍らから、シュサの顔をじぃっと覗き込んでいる。

「――――誰――……?」

 どことなく自分の視界に違和感を感じながらも、怪訝な顔で尋ねると、ぱぁっと青年の顔が輝いた。――まるで、あどけない少年のように。

「シュサ!」

「――――……いやだから……アンタ、誰よ……」

 心地よいテノールが嬉しそうに響く。尻尾がついていたらぶんぶんと振り回していそうだな、と頭の片隅でどうでもいいことを思いながらシュサ・アールデルスはゆっくりと身を起こした。

「ここはどこ?あんたは誰?――坊やは、どこ?」

「僕だよ!僕が、<朝>だ――!」

「……はぁ???」

 傍らのイケメンが、何やら訳の分からないことを言い出した。

 しかし、青年は冗談を言っているそぶりはなく、必死に身振り手振りを交えて経緯を説明した。

「……何それ……アンタ、そんな荒唐無稽な話をあたしに信じろ、っていう訳?」

「ぅ……でも、全部、本当のことだ!」

「…………はぁ……」

 頭痛がする。しかし――確かにシュサの右側の視力はなくなっており、青年へと姿を変えたとはいえ、キラキラとした無垢な瞳を向けてくるその尻尾が見えんばかりの一生懸命な仕草は、『坊や』と呼んでいた少年に通じるものがある。

「――煙草」

「え?」

「煙草、頂戴。吸わなきゃやってらんないわ」

「ぅ……で、でも、あの臭いは――」

「うっさいな。今日はここで今すぐ吸うの!我慢しな!」

「ぅぅぅ……」

 少年と暮らし始めてからは、嗅覚の鋭い<朝>に気を遣って、なるべく同じ部屋にいるときは吸わないようにしていたそれを問答無用で要求する。哀しそうな顔で目を伏せてから、そっと嫌そうにシュサが愛用している煙草とライターと灰皿をセットで差し出す姿は、確かに少年とそっくりだった。

「ったく……何が何だか……」

 イライラと火をつけて煙草をくゆらせ、つぶやく。自分を<朝>と名乗った青年は、涙目で鼻を抑えていた。

 一度自分は命を失い、陽水晶の力で蘇ったという。そして<朝>は二度とシュサを失わないようにと、<狼>の”番”とやらに据えたらしい。少し眠りこけている間に、永遠の命を手に入れましたと言われて、そうですかとすんなり承諾など出来るはずもない。

「第一"番"って何よ。嫁さん、ってこと?」

「嫁……?」

 きょとん、とした瞳は、外見だけ青年になったとはいえ、少年だったころを思い起こさせる。どうやら、嫁という概念を理解していないらしい。――<狼>社会にはない制度なのだろう。

「まぁいいわ。それはおいおい聞いていくとして――で?今、ここは安全なの?」

「あ……う、うん。一応、ごまかして出てきたよ。後をつけてくるような変な臭いもなかったから、大丈夫だと思う」

 <朝>は鼻を抑えたまま、あたふたと状況を説明する。

 広間にいた全員の命を奪ってしまったことは、あの場から唯一消え去った黒髪の『少年』に罪を着せてごまかしたこと。衛兵の服を拝借してシュサを抱きかかえて安全な場所で休ませる、と言って連れ帰ってきたこと。多少疑わしいと思われたとしてもごまかせるように、目につくものすべてに戒をかけて、不自然に思われないようにしておいたこと。

「ふぅん……坊やにしては、よく考えたじゃない。偉い偉い」

 ふっ、と笑みを漏らして、傍らの青年の頭をポンポン、といつも通りの軽薄な調子で撫で――いつもと違う身長に、ぱちりと隻眼を瞬いて我に返る。

「って……もう、『坊や』なんて呼べないね」

 ふっと息をするように子ども扱いしてしまった手をひっこめようとして――ぱしっとその手を取り、引き留められる。

「構わない。――呼んで」

「え?いやでも――」

「頭も、もっと撫でて。……嬉しい。――シュサに触れられるの、好きだから」

 すり、と愛しそうに引き留めた手に頬を寄せらられ、一瞬息を詰める。

 急に大人の色香を含んだ声音で流し目をされ、記憶の中の少年の姿とのあまりに大きな乖離に困惑した。

「坊や……何か、変なものでも食べたのかい?」

「なんで?――僕は、シュサと一緒じゃないと食事なんてしないの、知ってるだろう?」

「いやまぁ……そうなんだけどさ」

 シュサ、シュサ、と可愛らしく子犬のように纏わりついていたころと、口から出てくる台詞は大して変わらないのに、空気がねっとりした物に変化しているのはなぜなのか。

「大好きだよ、シュサ。――ずっと一緒だ」

「……はぁ。まぁ……うん」

「シュサにはわからないだろうけれど――君は今、僕の匂いに染まってるんだ」

「……はぁ……うん……なるほど?」

「<狼>の群れにいたころは、"番"になったとたん、そいつらがどうして急に、あんなにベタベタしたがるのか不思議だったけど、初めて分かった。シュサから自分の匂いがするの、凄く嬉しい。ずっと近くで嗅いでいたくなる」

「はぁ……?」

 寝台に腰掛け、するり、とシュサの腰に手を回して距離を詰めてくる元少年に、シュサは呆れた声を出す。

「なんだろ。特別なフェロモンとかが出てるのかな。――愛しくてたまらない。ずっとこうして傍にいたい」

「……なんか、大型犬に懐かれてる気持ちだよ……」

 つい昨日まで『坊や』に他ならなかった<朝>を前にして、まるで大人の男の色香に当てられているようだなんて認めたくなくて、憎まれ口をたたいてうっとうしそうに身体を押し返す。しゅん、と哀し気な目をするのは、まぎれもなくあの少年と同じなのに、"番"とやらのフェロモンだかなんだかのせいで、途端に大人の色香を振りまく別人になるのは何なのか。おまけに、無駄に整っている顔がなんだか恨めしい。

「それで?――罪を着せた『少年』はどうなってるのさ」

「あぁ……うん。指名手配がかけられてるみたいだ。あれだけの大規模殺害をしたわけだし、当然だと思う。……まぁ、見つかるはずもないんだけどさ」

「そう。じゃぁ――」

 シュサは、少し言葉を切って、息を吸う。

 何となく答えはわかっていたが――それでも、尋ねなければならないだろう。

「――あの、男は」

「――――――……」

 しん……と一瞬、部屋に沈黙が落ちる。<朝>は居心地悪そうに長い睫毛に覆われた瞳を伏せた。

「……死んだ。……ごめん。僕が、殺した」

「――――」

「許せなかったんだ。あのとき――シュサを、殺した、あいつが――どうしても――っ……!」

 ぐっ……とこぶしを固く握りしめる。

 シュサが、あの男に復讐することだけを希望にして生きてきたことは知っている。<朝>は、自分の感情の暴走で、彼女から永遠にその機会を奪ってしまった。

「――――そっか」

 ぽつり、とシュサの声が虚ろに響く。

 短くなった煙草を灰皿に押し付け、もう一本を無言で取り出し、火をつける。

 すぅ――と肺に目一杯煙を吸い込んで――

「――――――――そっか」

 吐き出す煙と一緒に、もう一度だけ、口の中でそう呟いただけだった――



 煙草が短くなるまで、<朝>は静かにシュサの言葉を待っていた。シュサは、丸々一本の煙草をゆったりと吸い終えてからジュッと灰皿にそれを押し付けて、大きく息を吐く。

「さぁて……じゃあこれから、どうしようかね」

「……これから……?」

 問い返すと、ニッとシュサはいつもの皮肉気な笑みを浮かべた。

「とりあえず、あたしがやりたかったことは、これで一段落したわけじゃん?――だから、これから、どうしようかなって思ってサ」

「これから……」

「今までは、あたしのやりたいことに坊やが付き合ってくれてたわけだ。じゃぁ、今度はあたしが坊やのやりたいことに付き合うよ。――坊やは、何がしたい?」

「――僕……?」

 きょとん、と青年の大きな瞳が瞬かれる。

「僕は――シュサと、一緒にいたい」

「んん?」

「ずっと――ずっと、一緒にいたい。僕の味方になってくれるのは――シュサ、だけだから」

 すり、と甘えるように身体を寄せてくる青年に、シュサは内心困り果てる。それは、「やりたいこと」とは言えない。ただの思考放棄だ。

 雛鳥が親鳥を盲目的に慕うように歪な愛情を向けられることを、今まではそれでもいいと許容してきた。それは、シュサの野心を叶えるために都合がよかったということは勿論――所詮、二人は永遠を生きる<狼>と刹那を生きる『人間』だ。自分が死んだ後のことまで責任を持つつもりはなかった。

 だが――どうやら今は、違うらしい。

 一緒に永遠を生きる羽目になった以上、彼の自立性も育ててやるべきだろう。

「そうだねぇ……」

 甘えるようにしてその黒髪の頭を摺り寄せてくる青年を、あやすようにしてポンポンと軽く撫でながら、シュサは考える。

「――じゃあ、あんたの親父さんの横っ面を蹴り飛ばしに行く、ってのはどうだい?」

「え――……?」

「ムカつくやつだったんだろう?あんたの親父も、弟も。――でも、そんな奴ら相手に、辛くて逃げ出した、なんて思われてるの、癪じゃないか」

「…………」

「坊やはこんなに優秀で、こんなに頑張ってるのに。――見返してやりたい、とか思わないのかい?」

「――――――見返す……」

 ぽつり……と<朝>の唇から音が漏れる。

 そんなことは、考えたこともなかった。

 父は、何においても万能で――それに歯向かうことなど、意味のないことだと思い込んできた。

「そうだね……手始めにまず、坊やの弟をちょちょいと捻ってやろうか」

「え――」

「不出来なくせに、色々与えられてる贅沢な奴なんだろう?そうだね……まずは、相手の<狼>たちをせん滅して、弟くんの『味方』を全部奪ってやろう」

「――――」

「<狼>っていうのも、あんたの親父さんが造り出した奴らなんだろう?そいつらを、徹底的に叩きのめせたら、坊やが優秀だ、っていうことの何よりの証明だ」

「<狼>……を……」

「それで、親父さんに認めさせるんだよ。――<狼>を味方としてつけさせるべきは、坊やの方だった。特別扱いすべきは坊やの方だったんだよ、って」

「で、でもっ……」

 <朝>は慌てて言い募る。

「始祖は、本当に、万能なんだ――!<狼>を作って、少し弱っているらしいけれど、それでも、魔法は絶対的だし、頭もいいし、リーダーとして申し分ない!僕が喧嘩を売ったところで――」

「何で?――あたしがいるじゃん」

 ぽん、と頭を軽く撫でると、虚を突かれたような瞳が、ゆっくりとシュサを見上げた。

 ニッと白い歯を見せて笑う。

「大丈夫。坊や独りじゃ勝てないかもしれないけれど――あたしの頭脳で、力を貸すよ。あたしに姑息なことを考えさせたら、右に出る者はいないんだ」

 シュサは茶化すように言って、よしよし、と乱暴に黒髪を混ぜた。

「ふざけんなクソ親父!っつって、思いっきり横っ面蹴り飛ばしてやればいいよ。きっと、死ぬほどすっきりするはずさ。――あぁでも、甘ったれな坊やは、「さすがだな」って言って、こうやってグリグリ頭を撫でられたいのかな?」

「っ……ち、違っ――!」

 子ども扱いされ、カッと頬を染めて反論するも、くくく、と喉の奥で笑われただけだった。

「とりあえず、やりたいことがないなら、さ。……途中で面倒くさくなったら、バックレればいい。他にやりたいことが見つかったら、投げ出したっていい。――なぁに、時間だけは腐るほどあるんだろう?暇つぶしに、世界を軽く牛耳ろうじゃないか」

 言いながら、すでにシュサの頭は回転を始める。

 手始めにシュリ帝国を手中に収め、陰から操り、<狼>たちと全面戦争を仕掛けていく計画の大枠が次々と組み上がっていく。


 ――<狼狩り>の、始まりだった――


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