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<月飼い>少女は<狼>とともに夢を見る  作者: 神崎右京
第二章

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28/90

赤狼の夢③

「……ふむ……?」

 静かに口の中でうめいて、グレイは口元に手をやり、何事かを思考する。

「……なるほど。それならば、確かに、一通りの説明がつくな」

「でしょう?」

「……おい。お前たちだけで話を進めるな。わかるように話せ。――次は東が狙われる可能性があるんだろう」

 クロエがイライラとした声で告げると、マシロはふ、とため息をついてからクロエを見た。

「南の襲撃があったのは覚えてる?」

「あぁ。<月飼い>の連中がヒトの世界と交流を持とうとし、秘密が漏れて、<狼>を研究しているとかいう狂気の沙汰の施設の連中が赤狼の集落を襲ったと聞いた」

「えぇ。……グレイにだけは話していたけれど――あたし、本当は、その施設で造られた<狼>なの」

「え――!?」

 声を上げたのはハーティアだ。しかし、他の族長も驚いているのは同じようで、一瞬で怪訝な表情を露わにする。

「だから、あの施設のことには詳しいわ。――そこでは、千年前の<狼狩り>で捕虜にした<狼>たちの血を使って、長年研究が繰り返されてきた。地獄のような、悪魔の研究が、ね」

 マシロは静かに瞳を伏せる。赤茶色の長い睫毛が伏せられ、頬に影を落とした。

「純潔の<狼>を作ることはもちろん、気まぐれに人間と<狼>の混血を作ってみたり――<狼>同士の掛け合わせを作ってみたり。変な薬とか、機械とか、いろいろ使って、よくわからない"実験"と言われることを繰り返していたわ。そこで造られる存在は、所謂実験動物みたいなものだから、ボロボロに扱われて、目覚ましい成果が現れなければ廃棄処分。主に、そこで出来た『目覚ましい成果』は、人間同士の戦争に用いられていたみたいだけど。……基本的に、あの施設にいるときは、知らないうちにも薬漬けにされてたのか、なぜだか逆らおうっていう気持ちにならないのよ。試験管の中で造られたわけだから、外の世界を知らないっていうのも大きいかもしれないけれど。そこで、絶対的な強者だと思っている『人間』たちにおもちゃみたいにされるのを、ただ茫然と受け入れるだけの日々だったわ」

「――じゃあ、君の瞳の色が違うのは、混血だからじゃなくて――?」

「ううん、それは本当に混血だから、よ。……実際に親が繁殖活動をして生まれたわけじゃなく、試験管の中で混ぜられた、っていうだけだけど」

 壮絶な過去の告白に、ハーティアは言葉を失う。

「あたしが他の赤狼より優れているのも、からくりは簡単。――中身を、あちこち、無理やりいじられてる。普通に交配してたら出来ないくらい、無茶苦茶な遺伝子配列で、ね。ただ、発現したスキルは全部赤狼の特徴ばかりで――優秀な頭脳と、治癒の戒。それらは、おかげさまで、普通の赤狼の何倍も優れているけれど――混ぜられたはずの、灰狼の戒はほとんど使えない」

 ハッ……とハーティアは息を飲んだ。昨日、風呂の中で過去について話してくれたマシロのことを思い出す。

 いつも勝気なマシロが、過去の話をしている最中に、自分がひどく優秀だと語った時――珍しく、哀し気な表情をしていたことを。

「だけどあたしは、最終的に失敗作という烙印を押されて廃棄処分が決まった。……嗅覚がないのと、この、異形のせいで。頭が回りすぎるのも、奴らにしてみれば嬉しくなかったみたい」

「ぁ――……」

 ぴょこ、と軽く獣耳が揺れて、ハーティアは痛ましげにそれを見つめる。

 昨日、何も知らず無邪気に撫でまわしてしまったそれは、彼女にとっては、哀しい過去の象徴だったのだ。

「だから――あたしを見てもらえばわかると思うけど、正直、<狼>の中に交じっても、能力的には何の違和感もないわ。あたしみたいな異形は他にはいなかったみたいだし。もちろん、個体によって優秀さにはばらつきがあるでしょうし、生粋の<狼>とまったく同じとまで言えるかどうかは、他の個体を全部見たわけじゃないからわからないけれど――自分にされた研究を基準に考えるなら、かなり高度な研究が進んでいたんだと思う。――灰狼や黒狼を、普通に作り出すくらいは簡単だと思うわよ。混血だって作ってたんだから」

「…………」

「――で。ここからが、あたしの仮説」

 マシロは、瞳を閉じてから切り替えるように強い口調で言って、ゆっくりと瞳を開く。左右で色の違う瞳が、まっすぐにグレイを見据えた。

「千年前から研究を続けていたやつらが、南の赤狼の集落を襲った。何人かは、奴らに捕まえられて連れていかれたわ。死体になっても研究価値はあるはずだから、それもいくつか持って帰っていたでしょう。――彼らは、持ち帰った個体から、情報を抜き出した。東西南北の集落の存在を」

「――――!」

「拷問して吐かせたのかもしれないし、何かしら記憶を見るような技術があるのかもしれない。そればっかりはわからないけれど――もし、東西南北の集落の存在を知って、赤狼のサンプルは十分だったでしょうから、南の次に<狼>を狙うとしたら――どこから行くかしらね?」

「……西、だろうな」

 グレイが、静かに言葉を引き継ぐ。全員が、グレイの方を振り向いた。

「北は、論外。いかに優れた<狼>もどきを作ろうと、私に叶うはずがない。次に東も排除。――戦闘に特化した一族と最初に事を構える必要はない。まして、今の族長は『申し子』のクロエだ。施設の連中が我らの同胞から情報を取ったなら、それくらいの知識は得るだろう」

「ええ。――ちなみに、あたしが施設にいる時点で、クロくんが『申し子』だっていうのは知られてたわ。あたしがこの異形を気味悪がられてもすぐに捨てられなかったのは、嗅覚がないのが『申し子』の特徴なんじゃないか、って思われてたからみたい。『申し子』を人工的に作ろうとして、あえて何かを欠損させた個体を生み出してた時代もあったみたいだけど、うまくいかなかったらしいから、今はやってないみたいだけど。たまたま出来た私にその望みを託したらしいわ」

「つまり――消去法で、僕の集落が襲われた、と……?」

 セスナの暗い声が感情を押し殺したように響いた。

 マシロは少しだけ同情めいた視線を投げた後、言葉を続ける。

「きっと――同士討ちを狙ったんだわ。まず、黒狼もどきを用意して、灰狼の若手に声をかける。相手が未熟な若者なら、黒狼もどきの戒にもかかりやすいだろうっていう魂胆だったのかも。……それで、灰狼の説得に成功したら、ラッキーだわ。そのままいいように操って、黒狼の集落を襲わせる。もし説得が失敗しても、自分たちの手駒にも灰狼はいるしね。……で、当然、セッちゃんたちは、灰狼にやられたと思って、クロくんを恨む。でも、クロくんに心当たりはない。あわあわしてても、時間を置けば、グレイが良しなに間を取りなすでしょう。……だから、すぐに北の集落を襲った。結果――グレイまでもが、あたしたち族長を疑い始めて、族長間の連携は断たれる。お互いがお互いをここでにらみ合うように監視しているうちに――東を襲う。これで、赤狼、黒狼、灰狼全部のサンプルがそろうわ」

「そんな――」

「北の集落をヒトが襲ってきたというのも、施設の関係者だったと考えると、納得できる。北の<月飼い>の集落を襲ったのは、あくまでグレイを疑心暗鬼に陥らせるのが目的だったんでしょう。だから、徹底的に殺戮した。なるべくグレイの怒りを買うように。――さすがにあの施設の連中も、千年前の戦いを生き抜いて、ずっと<狼>の頂点に立っているグレイをサンプルとして引っ張って来られるとは思っていないでしょうし」

(すごい――…本当に、つじつまが、合う――…)

 ハーティアは、マシロが展開した論に驚嘆し聞き入った。

 一気にしゃべったマシロは言葉を結んでから、一つ息を吐いて、再び瞳を伏せる。

「だけどこれでも、まだ、わからないことはある。一番わからないのは――なぜ、西を襲ったとき、黒狼の群れではなく、<月飼い>の集落を襲ったのか、ということ」

 赤茶色の睫毛が震え、オッドアイが静かに揺れた。

「灰狼を使ったなら、黒狼の集落を襲ってもよかった。事実――あたしたち赤狼のときは、<月飼い>の集落なんて見向きもしないで、直接<狼>の群れに来た。黒狼の精鋭を皆殺しにして、セッちゃんも半殺しに出来るような強い灰狼を手中にしてたなら、黒狼の群れを襲ったって良かったはず。<月飼い>なんて、あの研究施設の奴らにとって、何の意味があるかわからない」

「それは――あれじゃないか?最初にグレイが言っていた通り、夜水晶を手に入れて、北の集落を襲うために――」

「もしそうなら、黒狼のサンプルが手に入らないわ。今回は、結果として黒狼の精鋭たちの死体を手に入れられた可能性はあるけれど――夜水晶をさっさと手に入れて引き上げるつもりだったなら、引き上げる前に黒狼の精鋭がやってくるかどうかは賭けだし。第一、全員殺しちゃってるじゃない。あいつらの一番の目的は生け捕りよ。それなら、群れを襲って精鋭を先に殺して、残った個体を狙う方がよっぽど有意義だわ。うまく精鋭を殺せなかったとしても、子供くらいなら数人は攫えるでしょうし」

 まさに悪魔の所業としか思えぬその仮説に、ゾッ……とハーティアの背筋が寒くなる。話を聞いていたグレイは怒りを覚えたのか、ぐっ……とこぶしを固く握りしめていた。

「黒狼の群れを襲わなかったのは、仮に、黒狼のサンプルは要らなかったとか、万全を期して後からもう一回襲うつもりだったとか、何か理由をつけたとして――だとしても、もう一つわからないことがあるわ。――北の<月飼い>の集落に行くのに、夜水晶が必要だ、という情報を、どこで仕入れたのか、ということ」

「――――!」

 ハーティアは、ハッとグレイを振り返る。グレイは厳しい表情をしたままじっと一点を見つめていた。

「一応、聞くけれど――グレイ。その秘密を話した人はいる?」

「いいや。誰一人、話したことはない。――大切な私の『月の子』らを守るための仕組みだ。万が一にも、誰にも洩らしはしなかった。――この千年、ずっと」

「そう。……やっぱり。あたしも、昨日初めてグレイの口からきいたから、きっとクロくんもセッちゃんもそうなんだろうな、って思ってた。――ま、あたしは、予想だけはしてたけど」

「え……?」

 ハーティアが驚いたようにマシロを見ると、困ったようにマシロは苦笑した。

「ただの予想よ。集落の村長だけは、儀式のたびに行き来しているんだから、何かそこにからくりがあるに決まってる。儀式のたびに毎回グレイが集落からここまで転移させているとかならともかく、そんな様子はない。――生身の人間は、戒による転移に耐えられないのか、<狼>との接触を断ってたからかは知らないけれど。……となると、村長そのものにグレイが用意した壁をすり抜ける理由があるはず。……グレイが用意した壁の原理は、きっと、北の果てにいる白狼の群れとの間にあるのと同じ原理のはずよ。一般の白狼でも、他の<狼>たちでも破れないものを、一人間がちょっと何かしたくらいで敗れるはずがないから――選ばれた村長そのものにグレイが何かしら特別な戒をかけているか、代々の村長に共通する何かをカギにしているか、どちらかだとは思ってたわ。……グレイの口から聞くまで、確証は持てなかったけど」

「――――……」

「だから――もし、グレイが洩らしていないなら、つまり、それだけ頭の回る『人間』か<狼>もどきのどちらかが、相手にいる……っていうことね。予想レベルで、最後まで確証が持てなかった私と違って、確証を得ていたことになるから――少なくとも、頭の回転は、あたし以上だと思った方がいいわ。人工的に優秀に造られたあたし以上の頭脳、なんて、とんでもないレベルだけど」

 そういってから、マシロは最後にグレイに視線を向ける。

「――以上、あたしの仮説よ。いくつかわからないことがあるのは確かだけど、セッちゃんもクロくんも疑わなくていい、幸せな仮説だわ。……あたしね、グレイ。ここにいる、族長の皆が大好きよ。――お互いがお互いを疑って、ギスギスなんてしたくない。少なくとも、数十年は一緒にやってきた仲間じゃない。そんな仲間が、相手の大切にしているものをあえて傷つけるようなことをするメンバーじゃないって信じたい。綺麗事だ、甘い戯言だ、って言われるかもしれないけれど……それでも『夢』を見ることを、諦めたくない。あたし、もう――地獄の底を歩くのは、うんざりなの」

「――――……」

「もし、過去のつながりがあるだろうっていって、あたしを疑うっていうなら、証明は簡単よ。今すぐ、あたしが造られた施設の場所を教えてあげる。そして、すぐにでもカチコミかけてあげるわ。一人でやれって言われても大歓迎よ。――あたし、あの施設の『人間』を皆殺しにするためなら、命なんて惜しくないの」

 オッドアイの奥で、昏い炎が揺らめく。

(あぁ――一緒だ……)

 ハーティアは、静かに胸中で認める。

 あの、昏い昏い炎揺らめく狂気の表情は――きっと、グレイにヒトを皆殺しにしたい、と懇願したときの、自分だ。

 彼女もまた、ハーティアやグレイと同じく、彼女の"地獄の底"を歩み続けているのだと実感する。

 その昏い炎を宿した瞳は、客観的に見てみれば、痛ましく、哀れで、哀しくて――

「……マシロの言い分はわかった。私も、お前たちを好き好んで疑いたいわけではない」

 グレイはしばらく考えた後、肺の中のすべての空気を押し出すようなため息を吐いた後、ゆっくりと口を開いた。

「最年少の族長が、己の目を背けたい過去を、おそらく誰にも打ち明けたくはなかったであろう過去を、勇気をもって口にしてまで守りたいと願った絆を、最年長の私が、そんなのは綺麗事だと一蹴して壊すのは大人げないだろう。――マシロに免じて、お前たちを信用しよう。不届きな『人間』どもが、我ら<狼>に許しがたい行いをしたと、その線で考え、行動する」

 言われた言葉に、ハーティアはほっと安堵の吐息を漏らす。見ると、マシロも向かいの席で、同様にほっと吐息を漏らしていた。

「マシロの仮説で行けば、次に襲われるのは東だが――場合によっては、黒狼のサンプルを集めるため、西をもう一度強襲する可能性もあるだろう。……二手に分かれよう。クロエは東へ戻れ。セスナは西だ。戦力を考えたとき、灰狼もどきが襲ってくると仮定すれば、セスナには私が付き添おう。マシロは東だ。もし仮説が当たり、戦いになったら、クロエに付いて積極的に治癒してやれ。そいつは、痛覚がないから加減というものを知らん戦闘狂だ。致命傷になる前に治せ」

「うん!任せて!」

「各自、必ず他の者の目がある場で行動しろ、という命は解除する。各々の良心を信じているぞ」

 言ってから、グレイは黄金の瞳を隣へと向けた。

「ティア」

「え、あ、う、うん。何?」

「――お前は別だ」

「え――?」

「お前の単独行動は許さない。――何があっても私の傍を離れるな。これだけは変わらない」

「ぇ――……」

「すべてが解決し、お前が私のもとを離れても必ず安全だと確証が得られるまで――決して、私の許可なく、離れるな」

 その瞳が、驚くほど真剣で、ドキン、と心臓が一つ大きな音を立てた。

 反射的にこくこく、とうなずくと、ふ、とグレイの整った面差しが安心したように緩む。再びドキン――と胸が高鳴ると――

「ナツメ。言わなくてもわかっていると思うが、お前も同じだ」

「はい、クロエ」

 隣では、いつものように腰を引き寄せむせかえるような濃厚な空気を纏いながら、今にも口づけを交わしかねない距離感で似たようなやり取りが交わされていた。視界の端に映ったセスナとマシロが砂を吐きそうな顔をしている。

(でも――よかった。もう、仲間を疑わなくていいんだ)

 きっと、族長たちは知らないだろう。

 グレイが、仲間を疑うことになったことに、心を痛めていたことを。

 一緒に眠って『夢』を見て――寝る前よりもずいぶんとすっきりとした顔で目覚めて、柔らかな笑みを浮かべていたことを。

 家族と呼んだ<狼>の心を想い、ハーティアはほっともう一度安堵の吐息を密かに漏らしたのだった。


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