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第35話 師匠とともに働かない勇気!

 全く恐ろしい職場見学だった…………。

 エメラルダさんの職場に見学に行くという事で何か問題でも起きないかとヒヤヒヤしたものだけど、まさか部下の方に問題があるとか盲点過ぎるでしょ……。

 でも、クラスのみんなにとってはある意味有意義な体験だったのかもしれない。

 だってこれで文官クラスに行くとどういう運命が待っているか分かったしね!

 とは言え私は元々文官クラスにも武官クラスにも行くつもりなんてさらさらなかった。

 だって私が行くクラスはもう決めているのだから。


 そして今日は遂にそこへ職場見学に行く事になっていた。

 そう、私の未来。私の進むべき道。それは…………。


「さて皆さん。今日の職場見学はミラール伯爵家になります」

「「「はい!」」」

「もしかすると知っている人もいるかもしれませんが、ミラール伯爵夫人はかつてシルヴァニアの睡蓮と謳われていたほど素晴らしい女性です。そんな彼女が今日は皆さんのためにお時間を取ってくださいました。分かっているかと思いますが、くれぐれも粗相のないようにお願いしますね」

「「「はい!」」」


 マジで!?こんな堅苦しい世界で王国を代表するほどに優れた女性って一体……。

 前世ではまさにみんなのお母さんであった理想の女性像であるトモちゃんのことですら花には例える人なんていなかったよ。これはもう凄いと言うより正直そんなことを言ってる人の頭の方が心配になるレベルだよね。まさに神をも恐れる所業。正気の沙汰とは思えない……。


「ト、トモちゃんはどう思う?」

「どう思うって何が?」

「何がじゃないよ!睡蓮だよ睡蓮!人間じゃないんだよ!一体どれほど人間離れなんてしたら花になんて例えられるの!漫画の世界じゃないんだよ!」

「人間離れって…………、ツッキーだって良く雑草に例えられてたじゃない」

「転んでもすぐに起き上がるからね。というか前世のみんなが私を踏みつけすぎだったん……」


 そりゃあ、あれだけ踏まれたらただでは転ばなくなるよ。就職活動のときなんて勢い余って社会と組織の枠組みに反発して『働きたくないでござるSNS』なんて立ち上げたくらいだし。そう、私の中で『働かない』ことは逃避ではなく闘争なのだ!


「って違うよね!?雑草は花じゃないよね!?」

「ツッキーも対抗してシルヴァニアの雑草を名乗ってみるのはどう?」

「え!?自分で!?しかもシルヴァニアの雑草って全然二つ名っぽく聞こえないんだけど……」


 普通に日常会話で使われてそうな言葉だよね……。シルヴァニアの雑草って知ってる?あぁ、何でも根が張ってて抜きにくいらしいな……みたいな?


「だったらトモちゃんにはシルヴァニアの『お母さん』なんてのはどう?くぷぷ」

「お、お母さん!?」


 私は知っている。ソルに「トモカ様ってお母様よりお母様みたいです」って言われてショックを受けていたのを!そして当然私のママもその言葉にショックを受けていた。仕方ないよね。ときどきパパに襲われて育児放棄するんだもん。


「お、面白いことを言うわねツッキー……」

「トモちゃんこそ……」

「オホホホホホホホ」

「フヒヒヒヒヒヒヒ」


 私とトモちゃんの間に冷たい木枯らしが吹き荒む。

 しかし……


「やめましょうか……」

「そうだね……」


 私達は知っている。この行為がお互いの傷を抉るだけだということを。

 でもトモちゃん。私はこれでもトモちゃんのことを応援しているんだよ。

 ソルにはいつも一般的な女性の恐ろしさとともにトモちゃんの良さをしっかりと洗脳……もとい教え込んでいる。変な女に騙されないように。そしてトモちゃんと結ばれるようにね!

 もし上手くいけば王族と結婚したソルは跡取りになれる可能性が高まってくると思うし、トモちゃんは私の義妹になってずっと一緒にいられるだろうしでまさに一挙両得の計画!


 ちなみに私はエメラルダさんとの結婚についてはもう半ば諦めかけている。

 以前はエメラルダさんには是非ちゃんとした男の人とって思ってたんだけど、エメラルダさんと長くつきあっていくうちにそれは不可能なのではと痛感してきた。

 エメラルダさんは確かに仕事では厳しいみたいだけど、オフのときは本当に優しい。

 そして美人で背も高くてスタイルも良いと良い良い尽くし。

 もしエメラルダさんが現代日本に転生したとしたら、それはそれはおモテになったことだろう。

 だけど、この国…………というか多分この世界では、ミラール伯爵夫人の例からも分かるように控えめな女性、奥ゆかしい女性が理想とされているみたい。

 そして特務部隊長であるエメラルダさんは、この国においてはまさに生きた英雄なのである。

 それはもうその肩書きだけで控えめとか奥ゆかしさという言葉が飛んで逃げるほどの。

 竜という名の災厄はそれほどまでに人々に深い傷をもたらすものであり、それを討ち果たす特務部隊にはそれだけの期待が向けられている。

 この国においてエメラルダさんよりも知名度のある人って国王陛下くらいじゃないかな?貴族から一般市民まで、そして子供からおじいちゃんおばあちゃんにまでこの国の守護者としてその名が知れ渡っているのだ!

 なぜか私は知らなかったんだけどね……。

 これはもうどう考えても作為を感じるよね……。


 当然エメラルダさんは私が生まれた頃から英雄だったわけで、それから十二年が経過した今現在、適齢期の男性は当時十歳前後だったということになる。

 そのくらいの年頃の男の子がまさにリアルタイムに救国の英雄になったエメラルダさんに対して憧れをもたないわけがないよね。

 つまり今現在適齢期を迎えている男性からするとエメラルドさんは女性ではなく英雄なのだ。

 それに加えて侯爵家嫡男であり、現元帥閣下の孫である私との婚約。

 それはまさに英雄に相応しい結婚相手…………と世の中の人たちは考えているだろう。

 そこへ割って入ろうなんて猛者が現れるはずもなく、私たちの婚約は国中に祝福されているも同然だ。

 あのたぬき親父の所為で。


 もし私から婚約破棄などしてしまえば、それはもう国中から総スカンを食らうこと間違い無し!それはもうこの国では生きてはいけないことを意味している。

 それに加えてなぜか私はエメラルダさんに気に入られてしまっている。

 私もエメラルダさんのことは嫌いじゃない。むしろ好きだと思う。ただしそれは友達として。

 正直なところ未だに私は恋愛とはどういったものか掴み兼ねていない。

 異性としての好きと友達や家族に対する好きがどう違うのか。

 私にとっては親友のトモちゃんも許婚のエメラルダさんもメイドのメアリも弟のソルもお祖父様もママもそして一応はパパもみんな大切な存在であるし、好きには違いない。

 しかしその好きに明確な差は付けられない。みんなが好きで大切なのだ。

 前世でもそうだった。

 もちろんモテなかったというのもあるけれど、私は死ぬまで恋というものをしたことがなかった。

 してみたいとは思う。

 でも現世で性別まで変わってしまった私が果たして恋なんてできるだろうか?


 私の悩みを他所についに私たちはミラール伯爵家へと辿り着いた。

 辿り着いてしまった。

 ここには確かにあるはずなのだ!私の目指すべきものが!


 私たちが屋敷の入り口で馬車から降りると、家令とメイドたちが出迎えてくれた。

 そして屋敷の中へと通され、一室の広い客間へと通されるとそこには一人の女性が佇んでいた。

 そう、まさに佇んでいたのである!

 貴婦人オブ貴婦人ず!決して貴腐人ではない貴婦人がそこにはいたのだ!


「ようこそいらっしゃいました、皆様。私はエドガー・ミラールの妻、ミシェル・ミラールでございます」


 そう言ってとても優しげな声色でまるでティッシュペーパーを宙で離したかのようにふわりとお辞儀をするその姿はまさに花に形容されるに相応しい人外であった。

 とても私と同じ人間とは思えない。

 この人のバックに花が咲いたとしても誰も驚かないだろう。

 はっきり言って映画に出てくる俳優なんて目じゃない。

 あまりにも自然な動きがあまりにも不自然で、鳥肌が立ったくらいだ。

 見た目だけで言えばこの人より美しい人はいくらでもいるだろう。

 でもそんなのは問題じゃない。

 笑顔、声、ブレス、眉の角度、えくぼの深さ、目の潤い、唇の潤い、髪の動き。服の皺。その全てにおいて最善が維持されている。

 まさに女性として美しいところだけを最高の状態で魅せている。

 そう、魅せているのである!

 そしてそれがあまりにも自然で全く嫌味じゃない。

 こんなことが人間にできるのだろうか?


「本日はお招きありがとうございます、ミセス・ミラール。今日は主婦クラスにおいて全ての科目を満点で卒業されたミセスにお話を伺うためにやってまいりました」


 先生が睡蓮にそう言うと、睡蓮は可憐に笑った。

 可憐という言葉はまさにこの睡蓮のために生まれてきたのかもしれないと思えるほど可憐に。

 ちなみに前世の私が笑った様子を形容する言葉としてはワロタが相応しいらしい。

 言った奴にはもちろんそれ相応の制裁を加えておいたけどね。


「皆様のようなこの国の将来を担っていく若者のお役に立てるのであれば光栄です」


 そう。私の進むべき道。それは…………。


 主婦!!!


 もとい、主夫なのだ!!!


 エメラルドさんが全力で稼ぐなら私は全力でそれをサポートすればいい。

 そもそも常識的に考えれば、領地を運営しながらこの国の英雄であるエメラルドさんと結婚生活なんておくれるわけがない。領地の運営も、特務部隊の指揮も片手間にできることじゃない。

 もし私が当主となってそのままエメラルダさんと結婚したとしても、生涯ほぼ別居生活になることは間違いない。

 そしてそんな生活をエメラルダさんが望んでいるとは思えない。

 結婚後、義務のために時たま会っては子作りに励み、実質は今までと全く変わらない生活。

 ただ社会の歯車となって食い潰されるだけの人生。

 私がこの世で最も嫌うものだ。


 だから私は働かない!絶対に働かないでござる!


 しかし現時点で言えば、先生の反応からも分かるように誰もが私の将来に期待している。

 それを打ち破るためにはどうすれば良いか。


 私はそれを三日三晩寝ないで考えたのだ!ときどきうとうとして意識を失うことはあったけど…………、と、ともかく!


 私はそうして思いついたのである!


 この国の国民が、いや、世界が認める立派な主夫になれば良いと!


 それはもう誰もが私が主夫になることを反対できないほどに完璧な主夫に!


 ここで一つ問題が浮上してくる。

 それは知ってのとおり私は家事が壊滅的にできないのだ!

 もちろん練習すれば多少はできるようになる…………はず…………なる…………よね?…………なる…………と願ってる!

 でも貴族の主婦は家事なんてできなくていい!そんなことは執事やらメイドやらに任せておけばいいのだ!実際ママも家事なんてほとんどしてなかったしね!

 では何をするか。それは……。


「ではまず生徒の皆様に質問です。皆様は貴族の奥方が何をしていらっしゃるかご存知ですか?」

「はい」


 私は手を挙げた。

 もちろん今日は仮面なんてしていない。さすがに尊敬すべき先達を前にしてそれは失礼にあたるからだ。


「あなた様は…………なるほど。どうぞお答えください」


 ミラール夫人は私の顔を見て納得したような顔をした。この恐ろしい顔を見ても眉一つ動かさないその所作はまさしくプロと言える。


「貴族のご夫人方の仕事…………、それは夫の心の支えとなるのははもちろんのこと、屋敷の管理と対外的な社交だと思っています」


 そう。家事はメイドが全部やってくれる。そしてその指示は家令がしてくれる。ではそれに任せきりでいいのか。いや、いいはずがない。

 家令は確かに優秀な人間である。しかしことセンスに限って言えばば産まれながらにして貴族社会の中で育ってきたご令嬢には及ばない場合がある。

 さらに言えば、やはり女性的な視点で管理されている屋敷は華やかさがあり、夫人が管理しているということはそれだけでステータスとなりうる。

 ちなみに理系女子である私は工程管理にはちょっとした自信がある。

 それに加えて重要となってくるのが社交性。

 もちろん夫には夫の付き合いがあり、そこに踏み込むことはあまり推奨されたことではない。しかし夫人同士による友好関係を築き、それを以って夫のサポートをしたり、夫と共に社交界に赴いたり、夫の招く客に対して好感を持たれるというのは夫人にとって重要な役割でもあるのだ。

 内助の功という言葉があるが、貴族社会ではそれがより顕著に成果として現れることとなる。

 と、私は思っている。


「素晴らしいお考えだと存じ上げます。既にロルス様には理想の夫人像があるのですね」


 ありますとも!もちろん私が夫人側ですが!


「こう言うと不快に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私が主婦クラスを通して学んだこと。それは如何にして夫の理想に近づくかということでした」


 確かに自分を曲げて男の理想とあろうとすることを嫌う女性もいると思う。というか多分かなりの女の子がありのままの自分を受け入れて欲しいと思ってるんじゃないかな。


「しかしこれは決して男性に媚びることを目的としているのではありません。自分を男性の思う理想へと変える事、それは技術なのです。皆さんは未だに若いので想像がつきにくいかと思いますが、人の性格とは変えようと思ってもなかなか変えられるものではありません。それは私も皆さんと同じです。しかしどんな性格であろうとも、行いを変えることはできるのです。エリーヌ。皆様にお茶をお出しして」

「畏まりました」


 ミラール夫人の指示によりメイドさんが私たちに紅茶を用意してくれた。


「どうぞ、召し上がってください」


 私たちが紅茶に口を付けると、ミラール夫人は言葉を続けた。


「私が皆様くらいの年の頃はそれはもう我が侭な娘でした。いえ、今もそれは全く変わってはおりません。一つ変わったことがあるとすれば、私にとっての我が侭が『与えられるもの』から『掴み取るもの』へと変わったことです。小さな子供のように泣き喚いていれば与えられる我が侭で手に入るものとは今思えば本当に限られたものばかりでした。人の心も信頼も安らぎさえも手に入ることはありません。では、どうすれば良いか。それは勉学と同じだったのです。勉強をすれば成績は上がります。運動をすれば体力がつきます。魔法を使えば魔力が養われます。それと同じなのです。人の心が欲しければその人の欲しいと思う形に近づく努力をする。信頼が欲しければどうすれば良いか学ぶ。その全ては弛まぬ努力によってなされるのです。例えばこの中には勉強の嫌いな子もいることかと思います。その子は先生の授業を全く聞いていませんか?」


 ミラール夫人がそう問うと生徒たちは首を横に振った。

 勉強嫌いだからって全く先生の話を聞かない子はさすがにいない。それならばテストで0点を取っているはずだし。


「それはつまり嫌いなことはできないことではない、ということを意味しています。だから我が侭である私が、全く我が侭を言わない淑女として振舞うこともできてしまうのです。そしてそれは自分を歪めてしまうことではありません。ただ技術によって私の我が侭が形を変え、周りにバレていないというだけなのです」


 ミラール夫人の言葉に私は完全に引き込まれていた。

 しかしミラール夫人の言う我が侭とは一体なんだろう?私は疑問をそのまま口にした。


「あ、あの。ぶしつけな質問なのですが、ミラール夫人の我が侭とは一体…………」

「私の我が侭は、私と私の家族が幸せになることです。ふふっ、こうやって言うと我が侭に聞こえないかもしれませんが、それは本当に難しいことなのですよ?」


 そう言ってミラール夫人はおかしそうに笑った。それはもう美しすぎる笑顔で。


「私は生活が豊かでなければ幸せには感じません。夫が私しか目に入らないような状態にならなければ幸せには感じませんし、あまつさえ他の女性に視線を向けるようなことはあってはなりません。もちろん屋敷は美しい状態を保持していなければ幸せには感じませんし、使用人たちが優秀でなければ幸せには感じません。そして夫が世間や仕事で評価されていなければ幸せには感じませんし、子供たちが可愛く優秀に育たなければ幸せには感じないのです」


 我が侭だとは思いませんか?と言って今度は子供のような笑顔を見せた。

 た、確かに我が侭すぎる!

 つまりミラール夫人は何一つ不満のない生活が送りたいっていうことなんだろう。

 でもそんなことってできるものなの?


「皆さんに一つだけ間違って欲しくないのは、主婦クラスとは単に良いお嫁さんになるためだけに通うところではないということです。作法や美しい所作を学ぶのは当然の事、必要とあらば剣術、魔法学、政治、人間心理にまで手を広げなければなりません。そしてそれを決めるのは全て自分自身です。卒業だけならば誰でもできます。しかし、主婦クラスに行くつもりの人はもう一度よく考えてみてください。自分に必要なのものが一体何なのかということを。もちろん先生や大人たちに尋ねてみるのもいいと思います。皆さんの学校生活が少しでも有意義なものとなることを期待しています」


 そう言ってミラール夫人の講釈は終わりを告げた。

 やはり私は間違っていなかった。そう、主婦とはまさに家庭を守るために戦う戦士なのだ!全ては主婦の能力にかかっていると言っても過言じゃない。結婚相手の心をすり減らすも満たすも、家庭をすり減らすも満たすも主夫の能力次第でどうにでもなることなのだ。つまりミラール夫人のように突出した戦闘能力を身に付ければその家庭はまさに磐石!

 もし仮にエメラルダさんが仕事や人間関係で疲れて心を磨り減らすことがあったとしても、私がそれ相応の能力を身に付けていれば瞬く間にそれを癒すこともできることだろう。

 さらに注目すべきはミラール夫人のあの笑顔。

 恐ろしいまでに完璧すぎるそれは、それぞれが違う笑顔なのに一部たりとも不快なところがなかった。

 顔の筋肉を完全に制御する技術。

 それを習得すれば私でももしかすると怖くない顔ができるかもしれない!

 この人はまさに私の心の……。


「「師匠……」」


 トモちゃんと声がハモった。

 横を見るとトモちゃんと目が合った。

 トモちゃんの目が「これだ!」と言わんばかりに輝いている。

 そして直後、ふへらっという笑いに変わった。

 トモちゃん…………何を考えているか丸分かりだから…………、ちょっとは自重しようね、王女様。

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