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『そして、別れの時』〜猫たちの時間13〜  作者: segakiyui
10.人間たちの夜

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3

「種明かし、と言うほどのことでもない」

 木暮宗は客間に集まった面々の、誰に言うこともなく口にした。ソファの端、膝には慈が頭を乗せ、いっときも離れたくないのだと言いたげにしがみついている。まだ青ざめた顔は、どこか虚ろなブルー・アイをいよいよ際立たせ、慈は時折思い出したように、掛けられた毛布の下でぶるっと身を震わせては、不安そうに木暮を見上げた。心得て、木暮が掌をそっと慈の頭に乗せ、優しく撫でてやっている。場合が場合なら結構熱い場面だろうが、場合が場合だけに俺の意識はそこまで働いていなかった。

「単に、私が死んでいなかった、というだけのことだ」

「そ、それはわかる」

 俺はとりあえず同意した。

「お宅には足がある」

「くっ…」

 お由宇が吹き出し、木暮は複雑な表情になって俺を見つめた。

「何だ?」

「いや……つくづく不思議な人間だな。よくこういう時にそういうことが言えるものだ」

「放っといてくれ」

 どーせ、俺の辞書には緊張感という文字はない。

「そう言えば、さっきも、君だけだったな、慈を助けようとしてくれたのは。……どうしてだ?」

「どうして?」

 俺はキョトンとした。

「男が襲われている場合は助けちゃいけないって法律でも出来たのか?」

「いや…そういう、意味では……ないんだが……」

 木暮はなぜかふいにぐったりした顔になった。

「宗……いえ、九龍クォロン、まともに相手をしない方がいいわよ、疲れるから」

「……らしいな、由宇子。彼は、これで本気、なのか…」

「そう。本気も本気、大真面目なんだから」

 あ…あの、あのな……。

「バカを見たような気がする。何のために、あれだけの計画を組んだんだ」

「狙うなら、周一郎だけにするべきだったわね。この人まで巻き込んだ日には、『お人好し症候群』(エンジェル・シンドローム)にかかって収拾がつかなくなるのが常だから」

「周一郎を狙ったつもりだったんだ。だからこそ、弱点である滝君を標的ターゲットにしたんだが……周一郎がああいう態度に出てくるとは計算していなかった、『氷の貴公子』と呼ばれた人間が、あれだけ滝君を守ろうとするとは…ね。……『お人好し症候群』(エンジェル・シンドローム)とはいいネーミングだ」 

 木暮た乾いた笑い声を上げた。

「君もだろう、由宇子。滝君に、昔のことを話した、と聞いたよ。誰にも話さなかったのにね」

「耳が早いこと。とすると、やっぱりここに使えている人間の1/3はあなたの配下だったみたいね」

「そっちこそ、耳が早いじゃないか。情報屋『嬋娟チャンユエン』の名を取っただけはある」

 穏やかなやりとりだったが、2人の間にチカっと鋭い殺気が飛んだようだった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、昔話はどうでもいいんだが、それより謎解きの方をしてくれ、俺の頭が重力崩壊を起こす」

「昔話はどうでもいい、ときた」

「たまらないでしょ?」

「たまらないね」

「だからっ!」

「はいはい、わかってます」

 お由宇はおやつをせがむ腕白坊主を宥めるように肩を竦め、ウィンクしてみせた。

「始めからいきましょ。いいわね、九龍クォロン?」

「どうぞ」



「周一郎を狙い出した理由はもう話したはずだ」

「ああ」

 木暮は、敵ながら天晴れな落ち着き払った態度で話し出した。木暮の膝に頭を預けていた慈がもぞもぞと身を起こし、それでも木暮にぴったりと寄り添って座る。その細い体に腕を回し、自分の胸に頭を寄せる慈を抱いてやりながら、腕の優しさとは真反対の冷ややかさで、木暮はことばを継いだ。

「朝倉大悟が慈に証明を渡した時、この上もない好機会と読んだのは、ある意味では私の早合点だったかも知れない。きっと彼には自信があったのだろう……周一郎に対して。私や慈や、その他朝倉家の当主を狙う人間達の誰一人として、掌中の珠である周一郎に勝る者はいない、とね」

 そのことばを、周一郎あいつに聞かせてやりたい、と俺は眠っている周一郎のことを想った。

 聞いたか、周一郎。大悟がお前以外に実子証明をしたのは、お前を認めなかったからじゃない。たとえ実子だろうと、お前しか朝倉家を継ぐ者はいないと確信していたからかも知れない。お前は立派に認められていたんだ、大悟のパートナーとして、また、跡継ぎとして。だからこそ、遺言状に慈の名前はなかったんだ。周一郎が大悟の遺言状に細工していないのは、高野も弁護士も、口を揃えて証言している。

「が、逆に言えば、その自負にこそ煽られた。名だたる『氷の貴公子』、ならば、慈と私こそが、彼をその座から引き摺り下ろしてやろうと」

 慈はどこか物憂い眼で、コーヒーに手もつけずに俺を見ている。

「情報を調べていけば、君……滝君が周一郎の唯一の弱点だということは、すぐにわかった。『氷の貴公子』ともあろうものが、たかが『留年万年大学生』一人におろおろしている。おそらくは、この男を封じるだけで、周一郎は身動きできなくなるだろうと誰もが理解する」

 思うに……それはかなりきつい罵倒…じゃないのか……?

 俺の恨みを込めた視線を、木暮はあっさり無視した。

「慈の母親が死んだのを機に日本に渡り、証明書をもとに朝倉家の相続権を要求するとともに、周一郎が買い取っていた多木路家の別荘に住みたいと申し出た。言わずとも知れているだろうが、滝君を周一郎から引き離すためだ。滝君は、父母との再会を周一郎に遮られ、その間に妹も死んでしまったと知れば、周一郎に愛想を尽かすだろうと踏んでいたんだが、失敗だった。車の事故や紅茶の毒については、こっちの手じゃない……それは小木田が説明しただろう?」

「でも、資金源がどこにあったかは聞かなかったわ」

 お由宇が同じぐらい冷えた声音で突っ込む。木暮はにやりと様になる笑みを返した。精悍な顔立ちだけに凄みがある。

「やっぱりそう来ると思っていたよ。香港では散々やられたからね」

「…というと…?」

 俺の問いに、木暮は目を細めた。

「小木田敏一の資金源の一部は、こちらから出ていた……一種の陽動作戦だったんだ。朝倉財閥攻略のためのね。次は別荘……パーティの時、慈と一緒にいる限り、周一郎は動けないだろうと計算済みだった。由宇子を呼んでおいたのも、私のアリバイ作りに欠かせない手順だったよ。君を誘ってシャンパンを手に出ていく私を、数人が目撃している。シャンパンに毒が入っていないことは、慈が同じ盆からシャンパンをとることで証明出来たはずだ。部屋に入る時も、鍵を閉める時も、常に第三者が証言出来るように仕組み、後は何事かに寄せて外部に連絡を取った後、私が死ねばいいだけだ。言わせて貰えば、あのシャンパンに毒が入ったのは、私が倒れる寸前だったんだよ」

「へ?」

 俺はきょとんとした。

「滝君の目の前で、ついうっかりシャパンを含んだだろう? あれをいつ思い出されるかとひやひやしていたんだ。少なくともその時、シャンパンに毒は入っていなかったということになる。実際のところ、電話をかけるまで珍しく緊張していたんだが……。シャンパンを飲み、電話をかけながら、残ったシャンパンに毒を入れる、口の中を少々噛み切って血を流す、シャンパングラスを倒して割り、倒れ込む………そう難しい手順でもなかった」


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