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『そして、別れの時』〜猫たちの時間13〜  作者: segakiyui
9.月下魔術師

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3

 厚木警部が姿を見せたのは、次の日の午過ぎのことだった。

「狙撃したのは、小木田利和、御存知でしょうが、小木田源次の長男です」

 変わり映えのしない灰色の背広を着た厚木警部は、ゆっくりした口調で話しながら、周一郎の部屋に居た俺、高野、慈、そして他ならぬベッドの上の周一郎を見渡した。ぴたりと周一郎に止めた眼は妙に静かな色を湛えている。

「若い頃、モデルガンに凝っていて、今回使ったのもその類ですな。素人の改造だったから、比較的威力も弱かった。おかげで、貴重な人命が救われた、と言う訳です。だが、罪になるかどうかは何とも言えません」

「どうしてです? 坊っちゃまの御命が狙われたのは事実ですが」

「事実、ですな」

 高野の如何にも解せないと言いたげな反論に、厚木警部は溜息混じりに答えた。

「今回のことばかりじゃない、利和は、ちょっと突っ込むと、実に素直に喋ってくれましたよ、洗いざらい、すっかりね」

 どこか気怠い調子で厚木警部は溜息をついた。これでいよいよ、念願叶って追い続けてきた獲物を仕留められるという男にしては、嫌に生気が欠けている。

 少し沈黙し、やがて思い直したように、厚木警部は話を続けた。

 曰く。

 小木田利和は小木田源次と父子ともに朝倉財閥を狙っていた。自分達のしていた悪辣な金儲けを封じられた逆恨みだったが、逆恨みをしている人間が、その理不尽さに気付いたためしはない。市場と商品の流れから鋭く動きを読んだ朝倉財閥から、早急に阻止するべく手が打たれ系列から外されたが、飼い主も道連れにしてやろうと思い立ったのは、利和ではなく源次の方だった。源次は裏の世界に多少の伝手を持っており、お伽噺のようなネタを聞き込んだことを覚えていた。

 朝倉大悟の養子、朝倉周一郎は、単に頭がいいだけではない。人の心の裏を読み取り、策略を見抜き、企てを潰すことにかけては天才的、悪魔のような才能の持ち主だ。周一郎は人間の域を越えた化け物、その証拠に、飼い猫のルトと心を通じ、闇夜に暗躍することをこそ喜びとする、おぞましい物の怪だ。


 ぴくっ、と掛け物の上に置かれていた周一郎の指が動いた。クッションと枕を重ねた中、埋まり込んでしまいそうな華奢な躰の隅々にまで、緊張を満たしている。陽射しの中、サングラスをかけているせいか、頬の蒼白さが眩い。

「大丈夫か?」

 俺の問いかけにこくりと首を頷かせ、僅かに唇の両端を上げた。瞳に優しさが漂った、と見えたのは一瞬、すぐに元の凍てつくほどきつい眼に戻って、厚木警部を凝視する。


 源次は、それを事実だとは思わなかった。この現代に、物の怪も何もあるものか、と考えていた。が、情報通としての勘が理性を押し除けた。事実ではないかも知れない。しかし、その情報には『情報としての価値』の『匂い』があった。取引に使えると感じた感覚は、今まで源次をさまざまな窮地から救い出してきた。だからこそ源次は、軽く、ごく軽く、その情報を朝倉家に流してみた。

 結果は過敏で過激だった。早々に取引に応じると言う返答を受け取り、源次は嬉々として取引場所に向かった。朝倉財閥をバックとした、巨大な金の幻影がいつもの狡猾さを半減させていた。誘い込まれた末の爆死……罠だと気付いた時には源次の首は胴体と泣き別れ、炎に焙られ煙に燻っていた。

 状況を知った利和が、親父の仇は元より、それほど激しい反応を好機とみなし、父親に勝る金への欲望を煽られて、周一郎を狙い出したのも当然と言えば言えた。


「一つずつ、片付けていきたいものですな、朝倉さん」

 厚木警部は、背広のあちこちを叩き始めながら言った。

「小木田源次の爆死に、責任をお持ちですか?」

「お待ち下さい。あれは坊っちゃまではなく、私が…」

「高野」

 狼狽えたように口を挟む高野を、声を荒げることもなく、周一郎は制した。

「し、しかし、坊っちゃま! 事実、あの一件は私の…」

「浮き足立つな」

 淡々とした声が再び命じる。

「僕は話せとは言っていない」

「周一郎様! こればかりは…」

「高野。それが、お前の朝倉家当主に対する仕え方か」

 冷ややかな声に、はっと高野が息を呑む。

「これからどうなるかは知らないが」

 ちらっと素早い一瞥を、慈が周一郎に走らせた。勝ち誇るように激しい喜びの表情が、陽炎のようにブルーアイを掠める。

「『今』は僕が朝倉家の当主だ。背くなら、二度と朝倉家に踏み入るな」

「坊っ…ちゃま……」

 高野が苦しげに呻いた。

「申し訳…ございません…」

 高野にもわかっているはずだった。ここで高野までが小木田に関わっていることになれば、朝倉家そのものが小木田を陥れたことを認めることになる。

『だから、滝さん』

 耳の奥で昨夜の周一郎のことばが蘇った。

『ここまでくれば、もう僕に朝倉の名はないでしょう。少なくとも、僕がトップなら切り捨てる。スキャンダルは消えていく一人の人間が負う方が無駄がない』

 おそらく、周一郎は相続資格を失うだろう。ルトを闇に向けて放った時から、それは覚悟していたに違いない。だから周一郎は、立ち去る瞬間に全ての証拠を消し去ろうと、俺の静止も聞き入れず、病床にあって書類を整理し続けた。それが拾ってくれた朝倉大悟に返せる唯一のことなのだ、と寂しげに笑った周一郎を、止めることばは俺にはなかった。

「朝倉さん?」

「続きを伺いましょう」

 落ち着き払った声音だった。もしここが舞台なら、観客はどちらに拍手を送るだろう。追い詰めていく狩人か、追い詰められながら、なおも冷ややかな牙を失くさない手負いの獣か。

「わかりました」

 厚木警部は肩を竦めて話を続けた。


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