第九十七話 徳姫の婿取り
随分と待たせてしまった申し訳ありません。
しかも、今回も誤字脱字の見直しをしていないので読み難い所があるかもしれません。
後日、訂正を入れたいと思いますが取り急ぎ。
「兵庫頭殿。私は伊勢に参ったのは何故か、聡明な貴方ならお分かりですよねぇ!」
元亀五年の正月は穏やかに過ごし、家臣への新年の挨拶と宴の席も初めて出した清酒のお陰もあってから恙無く済み、松も明けて通常の日々が戻って来たある日。
何の先触れもなく突然我が母・吉乃が尾張から伊勢の霧山御所へとやって来た。
突然の訪問に戸惑いながらも俺は自分の私室へと母を招き、妹・徳姫と妻・雪姫と共に新年の挨拶を済ませ、突然の訪問は何事かと問い掛けようとする俺の機先を制す母からの問い掛けに俺は言葉に詰まった。
行き成り、伊勢に参ったのは何故か分かるだろうと言われても何のことかと母からの視線を躱し、時を稼ぐ為に視線を彷徨わせると徳姫の顔が目に飛び込んできて…。
「申し訳ござりませぬ。徳姫の輿入れについてでござりますな。昨年は何かと忙しく腰を落ち着けて徳姫の相手を探す時がござりませんでした。」
素直に非を詫びる俺に、母は大きな溜息を吐いた。
「その様な事ではないかと思って居りました。良いですか兵庫頭殿、徳川次郎三郎殿の下に輿入れされた冬姫様は御子をご懐妊された由にございます。冬姫様は徳姫の二つ下、そろそろ徳姫のお相手を見つけてくれなければ婚期を逃すことになりかねませんよ!」
と、最後通告とも取れる様な言葉を突き付けられてしまった。
母の言葉に委縮する俺と、何故か少し困ったような表情を浮かべる徳姫を見て、雪姫は滅多に見られない物を見たとでも言うように、一瞬驚きの表情を浮かべるものの直ぐにクスクスと可愛らしい笑い声を上げ、そんな雪姫の声に俺も徳姫もそして母も顔を見合わせると苦笑を浮かべた。
しかし、真面目な話、徳姫の輿入れは確かに早く相手を見つけないといけない事案ではあった。
徳姫の婚礼については父から俺に一任されているものの、何時までも決められないとなれば痺れを切らした父がどの様な輿入れ先を申し付けてくるか分からない。その為、早い内に何とか纏めたいのだが、ここで問題になるのが徳姫が出す条件だ。
徳川次郎三郎信康の許に輿入れする際も、鷹狩りや武術の鍛錬を自由にさせて欲しいと申し出て、破談になり冬姫が輿入れする事となった実績がある。
その為、ごく一般的な大名や武将の下に輿入れさせれば後々問題になることは火を見るより明らか。
此処は、北畠家や織田家と並ぶ様な大名や武将の下ではなく、徳姫の事を理解する機会のある身内に降嫁させた方が良いのではと思ってはいるのだが、今俺の近くで徳姫と似合いの年回りの物となると、前田慶次郎の息子・安虎、奥村助右ヱ門の息子・助十郎、蒲生藤次郎重郷、川之辺寛太郎顕長、石川五右衛門顕恒と言った所だが、五右衛門は寛太郎の妹と婚約しており除外。寛太郎も徳姫の事は良く知ってはいるが、俺の実の妹という事で恐れ多くて…といった具合でこれも外すとなると残りは三名となる。だが、此処で思わぬ伏兵が現れていた。
近衛前久の嫡男・明丸だ。
明丸は近衛関白の伊勢入りに遅れて母親と共に伊勢に来たのだが、公家でありながら武芸を好み、二日と開けず霧山御所の庭で行われている剣術・槍術の稽古に参加していた。
その稽古には当たり前のように徳姫が参加していて、明丸に自顕流の打ち込みを披露した後、請われるままに指導までしているという。
その様子を見た近衛関白は相手が俺の実妹と知って満更でもない顔をしていた。
確かに、近衛家との縁組は北畠家としても織田家としても良縁と言ってよいだろうが、これが徳姫にとっての良縁となるかはまた別物。
徳姫が求める相手は、自身が太刀や薙刀を振るい、時には鷹狩りをさせてくれる相手だ。公家である近衛家に嫁ぐとなれば、その様な事を許してくれる訳はなく公家としての立ち居振る舞いや、都人特有の人との付き合い方と言うものも身に着けなければならず、その様な事を徳姫が望んでいる訳はなく、仮に近衛家に輿入れとなれば徳姫自身は不幸になるは必定。そんな事の為に、次郎三郎と縁組を破談とし冬姫に嫁いでもらった訳ではないのだから、関白や明丸には悪いが仮に申し出があったとしても受けることは出来ないだろう。
そうなると、残るのは前田安虎に奥村助十郎、それと蒲生藤次郎の三人となる。
ところが、安虎は父・慶次郎を反面教師としているのか非常に物静かで、武と言うよりも文を重んじている様に見受けられる。
もちろん、武士の子という事で日々の鍛錬を怠るという事は無いのだが、徳姫から見ると物足りない様で、共に稽古をしている時に身が入っていないと叱咤されている姿を見掛ける時がある。その一方、兵学や論語などを身に着けようと勉学に励み、最近では小野和泉守に政について質問をする姿が度々見受けられる。
和泉守も俺の方針に従い行われる北畠家の政を広く知らしめようと日々忙しくしている中、率直に政について問い掛ける安虎に対し邪険に扱うことなく、一つ一つ丁寧に答えている様だった。
もしかしたら、遠江で別かれた井伊虎松を安虎に重ね合わせているのかもしれない。
そんな訳で、武を好む徳姫と文を貴ぶ安虎の組み合わせは合わないとは火を見るより明らかだった。
次に、助十郎だが。助十郎は、父・助右ヱ門の薫陶を受けているのか、文武共に励む努力家なのだが、主筋である安虎を立て過ぎる傾向が強い。また、助右ヱ門同様武士としての嗜みとして剣術・槍術にもそれなりに取り組んではいるが、助十郎自身としては武辺者よりも軍師を目指している様で、“今孔明”と名高い竹中半兵衛や鳥尾屋石見守などに教えを乞うている姿をよく見かけ、半兵衛や石見守もそんな助十郎の事を気に入っている様で、あれこれと軍略や兵法などを語って聞かせている様だ。
最後に、蒲生藤次郎だが元々蒲生家の次男として左兵衛大夫から仕込まれたようで、高い教養と品位を持っており、槍術に長け既に初陣も済ませている為、安虎や助十郎からは兄の様に慕われ、寛太郎や五右衛門も一目置いているのだが、本人は兄・藤太郎賦秀に疎まれて蒲生家を出奔したという負い目を抱えている様で、己を前で出さず安虎や助十郎を立て様とするところがあった。
しかし、武術の修練は好きなようで特に槍術は同輩たちに指導するほどの腕前を示していた。
また、その様子を見ていた徳姫から『自分にも槍術の指導を!』と請われ手解きをしている。しかし、主君《俺》の実妹という事で戸惑いを隠せない様で時々しどろもどろになったりしている姿が目撃されている。
徳姫はそんな藤次郎に満更でもない様で、手解きを終えた後や修練の終わりに率先して水を絞った手拭いで藤次郎の汗を拭おうとして藤次郎を赤面させていた。
ただ、剣術の修練では槍術の時と立場が逆転し、徳姫が藤次郎に自顕流の打ち込みの手解きをしているようだ。
何せ、徳姫は赤子の頃から生駒屋敷で俺たちが剣術の稽古をしている声と音を子守唄にして過ごし、物心がつく前から見様見真似で俺たちと同じように木太刀を振るって育ったため、俺や寛太郎それから五右衛門には及ばないもののその腕は下手な武士など打ち負かしてしまうほどの力量を備えていた。
そのため、霧山御所で修練を積むようになった安虎や助十郎はもちろんの事、初陣を済ませている藤次郎にまで剣術ならば打ち勝ってしまう程で“生駒の鬼姫”の面目躍如といった感があった。
本来ならば徳姫の相手として安虎や助十郎、藤次郎より先に不智斎の三男・式部少輔親成を上げるべきなのだろうが、式部少輔は先の伊勢攻略の際の俺の様子を不智斎に聞いてすっかり俺に心酔してしまい、俺の実妹である徳姫が尾張では“生駒の鬼姫”と呼ばれていた事を耳にすると、修練の場にて徳姫との立ち合いを申し出た。
当初は寛太郎や五右衛門など俺の近習を務める者たちが止めたのだが、
「“生駒の鬼姫”様が臆されたか?やはり女子が剣術などままごとの類であったか。であれば、この後は木太刀など握らず一日も早く良き嫁ぎ先が見つかるよう花嫁修業をされるが宜しかろう!」
と徳姫の剣術の修練をままごと遊びと断じたのだ。この式部少輔の言葉に、気の強い徳姫が唯々諾々と従う訳が無く、
「そこまで仰られるのであれば、女子のままごと遊びが如何ほどのものかお見せ致しましょう!」
と立ち合いを受けてしまい、木太刀を持って式部少輔と向かい合うと間髪入れず裂帛の気合いと共に発せられた猿叫の叫びを合図に式部少輔へ打ち込み、一太刀にて式部少輔の構えた木太刀を叩き折り、その衝撃で地に打ち伏せてしまった。
いくら俺の実妹とは言え、北畠家直系の式部少輔を女子の徳姫が木太刀にて打ち据えたと言う噂は瞬く間に広がり、式部少輔の実姉である雪姫の耳にまで入り、雪姫は徳姫の下に乗り込んで来たのだが、事の仔細を知った雪姫は徳姫に対する式部少輔の無礼を詫び、一太刀の下に伏した式部少輔を惰弱と叱責すると徳姫に式部少輔への剣術の手解き願い出た。
この時、雪姫と共に同道した式部少輔は頬を腫らした顔を横に振り雪姫の申し出を拒否しようとしたのだが、雪姫の一睨みで体を硬直させた後、顔色を青くさせながら了承するように頷いた姿は、姉と弟の力関係を如実に表していた。
以降、修練の場には徳姫に叱咤される式部少輔の姿がよく見られるようになり、此処でも明確な力関係が出来上がってしまったため、式部少輔では徳姫のお転婆を御することは出来ないと確信させるに至り、徳姫の輿入れ先からは排除せざるを得なかった。
もっとも、式部少輔に徳姫との縁談を進めたところで、顔を青く染め小刻みに震えながら丁重な断りを申し出て来ただろうことは日頃の姿を見ていれば自ずと察せられたが…。
更に言えば、他の北畠家家臣の徳姫と年の近い者たちも式部少輔同様に徳姫との縁談は難しいと思われた。
これには徳姫と言うよりも、伊勢入りの際に徳姫と薙刀を手に立ち合いを行った雪姫に原因があった。
この事は俺も知らなかった事なのだが、雪姫の父・不智斎が彼の剣聖・塚原卜伝から剣を学び、家臣にもその剣を教えていたそうだがその中に雪姫も居たらしい。しかも、兄・右近大夫将監よりも筋が良いと褒められたことで雪姫は剣術にのめり込み、更に義母である北の方に、
「戦に出られた良人《夫》が後顧の憂いなく戦場にて存分なる活躍が出来る様に努めるが女子の務め。剣術も良いですが殿方に比べて非力な女子でも扱える薙刀術を身に着けておきなさい」
と、教えを受けて北の方より薙刀術を学んだ結果、大抵の男どもでは敵わぬ腕前となっていた。そんな雪姫と伊勢入りの際に対等以上に立ち会い武威を見せた徳姫に恐れを成したという訳だ。
しかし、困ったものだ。伊勢入りをして一年が経ちその間に徳姫の輿入れについて何の報せをしなかったのは俺が悪いのだが、しかしまだ一年しか経っていないのにまさか母が伊勢に乗り込んで来るとは…今のところ伊勢国内で徳姫の相手となりそうなのは藤次郎ただ一人。しかも、藤次郎も俺に臣従し近習となってまだ一年経っていない。徳姫とは共に修練を積み互いに教え合う親しき仲ではあるが、婚姻話を持って行くと言うのは時期尚早の様な気がする。何せ、藤次郎は俺の近習として俺と共に尾張で一向門徒と戦い、丹波では近衛関白を出迎えに向かうなど伊勢を離れていた事も多かったのだ。そんな中で親しいと言える仲になっていること自体が奇跡なんじゃないだろうか。このまま、時間が二人に仲を醸成し自然と婚姻へ話が進むと思っていたのだが…
事態は俺の思惑など無視して突然動き出した。六角家より蒲生左兵衛大夫賦秀から徳姫への輿入れの話が舞い込んできたのだ。




