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第九十五話 徳栄軒の苦悩 顕如の野望


甲斐国 躑躅ケ崎館 武田徳栄軒信玄


「兄上、公方様からの使いが参ったとお伺いいたしましたが、一体…」


公方様からの書状を手に思い悩む儂の許に、弟の信廉が声を掛けて来た。儂は何も言わず公方様からの書状を信廉に差し出すと、信廉は少し驚きの表情を浮かべたものの、即座に差し出された書状を受け取ると書面へと目を通し、再び驚いたように目を見開いた。


「兄上。この書状は誠に公方様からの者にござりますか?もしや偽書では…」


信廉の問いに対し儂は首を横に振ると、


「いや。その書状は公方様からの物に相違あるまい。摂津中務大輔殿の添え状もある。中務大輔殿と云えば織田嫌いで有名じゃからのぉ。しかし…」


儂はそう言い淀むと信廉から公方様からの書状を取り返し、まじまじと見つめた。

公方様からの書状には織田弾正忠に対する恨み事がしたためられ、儂に一日も早く上洛し本来の幕府の秩序を取り戻すべく尽力するようにとあり、更に儂の上洛に合わせて摂津の石山本願寺に働きかけて、尾張や伊勢で一揆を起こすとまで記されていた。

しかし、堅田にある本願寺派の寺・本福寺が近江にて一揆を起こしたが、北近江の浅井備前守と南近江の六角左京大夫によって鎮圧され、一揆勢が逃げ込んだ比叡山延暦寺は、公方様の命により焼き討ちに遭ったと耳にしたのはつい先日の事。

公方様の命により近江の一向門徒と叡山は浅井と六角の軍に滅ぼされた様なもの。にも拘らず、公方様の命で儂が上洛する際には本願寺光佐殿が尾張と伊勢で一揆を起こすとはとても思えなかった。

 確かに、織田弾正忠によって一大勢力を誇っていた加賀の尾山御坊を廃却され、加賀の門徒はこれまでと変わらず、真宗を信仰する事は許されたものの本願寺とは切り離される事となり、本願寺光佐殿の怒りは大きいと言うのは分からなくもない。

しかし、事の原因は公方様の要請により上洛した越前の朝倉左衛門督の不在を好機と捉えて、越前に乱入した加賀一向宗に非があるのは子供でも分かる事。

しかも、弾正忠が加賀の尾山御坊を包囲している最中に願証寺に入った下間豊前守頼旦の指揮で一揆を起こし、一揆勢は弾正忠の実弟・彦七郎信興が治める尾張の小木江城を攻めたものの、小木江城に籠る織田勢によって十日の籠城の後、伊勢の北畠兵庫頭が率いる北畠軍が小木江城へ援軍に現れると瞬く間に打ち崩され、兵庫頭と彦七郎の情けにより生き残った一向門徒は願証寺へと生きて帰ることを許されたのだ。

これほどの力の差を見せつけられ、恩を受けては公方様から乞われたとて伊勢と尾張で再び一揆を起こす事などおいそれとは出来る事ではない。

しかし、叡山が焼き討ちされた今、ここで存在を見せつける事が出来れば、本願寺の将来は盤石となり、他の宗門を従える事さえ夢ではない。

その欲望に本願寺光佐殿は抗えるのかと問われると、些か心許ないと言わざるを得ぬ。

本来、欲を抑え御仏の教えを体現し人々を導く僧が、己が欲望に最も抗えぬと言うのは何とも皮肉な事ではあるが、叡山の乱行ぶりを見ても分かる様に他者には禁欲を説きながら己の事は別と考えるのが今の僧の有り様であった。

斯く云う儂も僧籍に身を置きながら、最も禁忌とされる殺生を行っているのだから同じ穴の狢と言った所ではあるが…と、そんな事を考えていると、


「ならば公方様の下知に従いご上洛なさりませ!今こそ割菱紋と四如の御旗を都に立てる好機にござりませぬか!!公方様の下知による御上洛ならば、越後の龍も妨げるような事は致しますまい。」


と、信廉が興奮したように声を上げた。その声に儂の脳裏には都に割菱紋と四如の旗がはためく光景が映し出された。

儂もこの所体調が優れぬ事が増え、そろそろ家督を譲る時期に来ている事もまた事実。

家督を譲るとすれば既に嫡男・太郎義信と三男・三郎信之はこの世にはおらず、次男・次郎信親は盲目。

と、なると庶子ではあるが四郎勝頼しかおらぬ。

しかし、四郎は諏訪家の家督を継ぐ身。

それを武田家の頭領に据えるとなればそれ相応の武名が必要となる。その為にも、公方様からの誘いに乗り上洛して都に我が旗を掲げ、儂と共に四郎を公方様に拝謁させれば武田家の家督を継ぐお膳立ては出来る。その後は儂が後見し数年もすれば押しも押されぬ武田家の頭領として皆にも認められよう。

儂から見ても四郎の器量は悪くはない。上洛を成したという肩書があれば成せぬ事ではない。その為に、徳川と織田には四郎の贄になってもらう事もやむを得ぬ。これも戦国の習いよ…。



摂津国 石山本願寺 本願寺光佐顕如


「公方様は今さら何を申されておられるのか!?」


「その通り!叡山と共に本福寺の門徒までも浅井備前守と六角左京大夫に攻めさせておいて、よくもこの様な事を我らに申された物じゃ!!」


都の公方からの手紙を前にして、多くの僧たちは口々に公方を罵っておる。

まぁ、その気持ちも分からなくはないが、本福寺の者たちは所詮捨て石にするつもりであった者達ばかり、儂からすれば痛くも痒くも無いと言った所よ。

むしろ、叡山に助けを求めた事で、それまで本福寺の一向門徒にのみ向けられていた浅井備前守の怒りを叡山に向けられたのじゃ。思惑以上の働きをしたと言えよう。

しかし、丹波に都落ちしておった近衛関白の奏上があったとは言え、帝も思い切った事を成されたものよ。

これまでの叡山の行いに嫌気が差していたとは言え、まさか御弟君であらせられる覚恕様に叡山・延暦寺座主の座から降りられる様にと申されるとは。

帝の御言葉によって覚恕様が座主の座から降りられていなければ、公方も叡山攻めなどと備前守に命じる事もなかったであろう。

また、備前守が叡山の討伐に動いたとしても、叡山に広がる仏閣を全て焼き払うなどと言う事を決断し実行することは出来なかったであろうな。

さすれば、叡山は力を残したまま、時が来ればこれまでと同じように立て直しに動いたであろう。

されど、此度ばかりはそれも難しかろう。

公方の命で叡山討伐の前に長年蓄えて来た経典や書物は全て運び出された上で焼き討ちに遭い。その後には都の六条河原で叡山の乱れ振りが公にされると共にその罪により叡山の高僧たちが百叩きの刑に処せられ、その姿を都の者たちに曝したのだから。

これで、叡山の権威は失墜したであろう、日ノ本の仏門を導くに値する力を持つは、我ら本願寺がその筆頭となった。

正に時の氏神、叡山攻めの命を降した公方様々よ。 

更に今度は己の面目を保つ為に、上洛し将軍職に付けてくれた織田弾正忠を廃する事を謀り、甲斐の武田徳栄軒殿に上洛を促し、徳栄軒殿の動きに合わせて我らに尾張と伊勢で一揆を起こせとは。

これまでも足利家歴代の公方は皆、手前勝手であったが、今代の公方は歴代の公方に輪をかけて手前勝手の恩知らずよ。

しかし、上洛を促されたのが徳栄軒殿とはのぉ。

徳栄軒殿の御妻女は我妻の姉君に当たる御方。徳栄軒殿と直にお会いしたことは無いが、これまでも幾度となく文を交わしてきて、その為人は分かっておる。

仮に、徳栄軒殿が織田弾正忠を排除し上洛されれば、都は徳栄軒殿が抑える事となり、我ら本願寺は徳栄軒殿の上洛に尽力したことで摂津から都へと勢力を伸ばす事が出来る。

いや、そのまま武田家が天下を取ることに力を貸そう。さすれば徳栄軒殿と我らの絆はより強固なものとなり、日ノ本の政は徳栄軒殿、仏事は我が本願寺が握る。さすれば、本願寺の教えを日ノ本に遍く広める事が出来、その後は仏法の皇に…


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― 新着の感想 ―
こちらの顕如もまた、俗物ときたか( ̄▽ ̄;)
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