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第九十四話 比叡山焼き討ち 顛末

「兵庫頭。伊勢は良き地におじゃるのぉ。」


「はっ。関白様にその様に申していただける事、北畠家末代までの誉れにござります。」


近衛関白を丹波よりお迎えして十日余りが経った。伊勢に入った関白は妻子と共に俺が用意した大湊にほど近い館に居を移した。

伊勢は丹波に比べ温暖な気候である為か過ごし易いらしく、時には館の近くの野で好きな鷹狩りに興じ、館の庭を眺めて詩を詠み、海に出て釣り糸を垂らし太公望と洒落込む、といった具合に悠々自適な生活を楽しんでいる、と身の回りの世話をしている者達から報告があった。

そんな関白の許へご機嫌伺いに出向いた俺に対する第一声が、伊勢の地を褒める言葉だった。

そんな関白に俺は素直に謝辞を返すと、関白は満足そうに笑みを浮かべ何度か頷いた後、笑みを消し、


「都の山科権大納言から文が届いた。」


そう言うと懐から一通の書状を取り出し、俺に手渡した。書状の差出人である山科権大納言とは山科言継のことで、父・信長に対する朝廷側の交渉役として抜擢された人物だ。史実ではこの時の働きが、三百年後の大正の世でも認められた程だったという。

そんな山科卿から関白の許に届いたという書状を開いた。

書かれていた内容は、公方・足利義昭の命に従い浅井備前守様と六角左京大夫兄上が行った叡山焼き討ちについての都での反応だった。

俺が書状に目を通し始めると、


「そこにも書いておじゃるが、都でも叡山に放たれた火が見えた様におじゃるのぉ。随分と都雀を騒がした様でおじゃる。しかし、それも直ぐに鎮まり、代わりにそちの実兄・六角左京大夫の評判が大いに巷を騒がしていると書いておじゃる。流石は“今雲長”よのぉ。ほ~っほっほっほっほっほ」


と笑い声を上げる関白。

関白の言う通り、山科卿の書状には叡山を焼く火の手が三日三晩立ち昇り、都の東の空を赤く染めたと書いてあった。

叡山の焼き討ちは史実では、根本中堂とその近くの仏閣を焼いたのみであったが、浅井備前守様は一罰百戒の範とするとして、比叡山に広がる全ての仏閣を一つの漏れも無い様に焼き尽くした様だ。

その徹底振りには備前守様の生真面目な御人柄が見えた気がした。もっとも、ただ生真面目な性格だったから比叡山に広がる仏閣の全てを焼いたと言う訳ではなく、父・信長と共に上洛を果たした後に公方から直々に命じられた朝倉家上洛の実現に奔走し、ようやくこぎ着けたところへ勃発した加賀一向宗による越前乱入とその後に起きた堅田・本福寺による近江一揆に対する怒りがその根底には有ったと思われる。

そんな中、焼き討ちを前に左京大夫兄上は僅かな手勢を率い、叡山を下りて来た一人の僧に叡山への案内を頼むと叡山に乗り込み、叡山とともに果てる覚悟をしていた高僧たちが籠る根本中堂に赴き、御堂から問答によって高僧たちを引きずり出し、乱れに乱れた叡山の現状を放置し、指導を怠った事を高僧たちの罪として捕らえ、叡山の焼き討ちの後に、都にて高僧たちの罪を明らかにし、六条の河原にて百叩きの刑に処し、その様子を都の者たちに曝したという。

叡山が焼き討ちに遭ったと聞いた都の者たちは当初は叡山焼き討ちを命じた公方・義昭と実行した浅井備前守様と左京大夫兄上を恐れ、仏罰が下ると噂していた様だ。

しかし、叡山を焼き討ちにするに至った経緯と乱れに乱れた叡山の様子が白日の下に曝されると、掌を返したように評価は一転。

堕落し、欲に塗れた叡山を批判し、そんな叡山を罰した浅井備前守様と左京大夫兄上の行いは称賛に値する行為だと都の者たちからの喝采を受ける事となったようだ。

更に、叡山の乱れを放置した高僧たちを捕らえて叡山の実状を明らかにする一方で、伝教大師最澄の教えを改めて伝えようとする叡山の修行僧に手を差し伸べ、近江にある第三代天台宗座主・慈覚大師円仁が平安の御代において叡山の修行場として定めた金剛輪寺へ招いたことが知れると、その名声は更に高まり六角左京大夫信賢の名を知らぬ者は都には居ないと称されるほどだと書かれてあった。

俺は書面に目を通すと、


「流石は浅井備前守様。叡山の焼き討ちを公方様から命じられたとしても、生半可な覚悟では致しかねる難業。それを見事に成し遂げられるとは、父・弾正忠がお市様を輿入れさせて義弟にと望む訳にござります。

また、左京大夫兄上も備前守様と共に此度の難業の達成に尽力され、更に焼き討ちを御命じになられた公方様の命が誤りではないという事を満天下に示されたその御働き、感服いたしました。」


と、満面の笑みで応じた。そんな俺に関白は驚いたように目を見開いたかと思うと、破顔し、


「聞きしに勝る仲の良き兄弟でおじゃるのぉ。都での左京大夫の評判も、元を糺せば麿を丹波より連れ出し帝に言上奉る様に仕向けた、そちの手腕があってこそではないのかえ。

公方も帝が覚恕様に延暦寺座主の座から降りる様に促さなければ、『叡山を討て』などと命を出す事も無かったでおじゃろう。そうなれば、今の備前守の評判も左京大夫の名声も無く、むしろ、寺を焼いた悪鬼羅刹などと悪名が響いていたやもしれぬ。違うかな?」


そう言いながら俺の顔を覗き込んで来る関白に対し、俺は首を横に振り、


「確かに帝の御言葉が無ければ覚恕様は延暦寺座主の座から降りられず、公方様から『叡山を討て』と命が出されなかったかもしれませぬ。ですが、公方様の命が無くとも備前守様は叡山の焼き討ちを、断固たる決意で行ったことにござりましょう。

また、兄上の許には甲賀の忍び衆がおります。決して備前守様を悪鬼羅刹などと呼ばれぬ様、何かしらの手を打たれた事にござりましょう。

それこそ、某ではなく兄上が関白様の許を訪れたやもしれませぬ。」


そう告げると、関白は少し面白くなさそうにしながら、


「そうでおじゃるか…」


と溢すと視線を俺から外し、整えられた館の庭へと視線を向けた。

 関白には左京大夫兄上が関白の許に動いただろうと告げたが、実際には今の現状では難しかっただろう。

左京大夫兄上が動けば、関白は丹波から近江へとその身柄が動くことになる。近江は都とは極近く目と鼻の先。そんな所に政敵となりうる関白が動けば、義昭と二条晴良が黙ってはいない。必ず左京大夫兄上に関白を捕らえるようにと、無理難題を命じてきただろう。

今は公方も表立って父・信長に対して反旗を翻していない為、左京大夫兄上は公方の命を拒否する訳には行かなかっただろう。

俺や義父の不智斎が公方の命を突っぱねる事が出来たのは、元々北畠家は公卿家であり、家格で言えば公方よりも上に当たる。さらに、足利家と対立した後醍醐天皇に与した家であったため、室町幕府成立時から足利将軍に対し一線を引いていたため今さら命に従わなくとも『あぁ、北畠家ならば仕方ない』と思ってもらえる家だったという点が大きい。

しかし、左京大夫兄上が養子に入った六角家は、宇多源氏佐々木家の流れを汲む足利家に近い家柄であり、時に対立する事はあっても足利家から重きを置かれた家柄だ。しかも、義祖父に当たる六角定頼は足利家を支え管領代まで勤めた御方で、『六角が動けば都の勢力が変わる』とまで言われた程。その様な関係の六角家が、表立って敵対していない公方の命に背くなどすれば、都は大混乱に陥る事となる。

それらの事を考慮すれば、公方や二条晴良と確執がある関白を、左京大夫兄上が近江に迎えるなど出来はしない。

その事を理解していながら、それでも左京大夫兄上が関白の許に動いただろうと告げたのは、父・弾正忠をはじめ俺や左京大夫兄上も関白に対し隔意を持ってはいないと伝えたかったからだ。

要するに今、都を押さえている公方や二条晴良を織田家は支えてはいるものの、“最良”とは考えていないという事を、関白に認識してもらうためだった。

そんな俺の意図を察したのだろう、関白は暫しの沈黙の後、大きな溜息と共に独白する様にぼそぼそと呟かれた。


「は~ぁ。そちの事じゃ、既に掴んで居るでおじゃろうが、公方は甲斐の徳栄軒信玄に都に上洛をするよう促す書状を送り、摂津の本願寺光佐には甲斐の動きに合わせて再び一揆を起こすようにと使いを送ったそうでおじゃる。

また、越前ではようやく国元に左衛門督が戻り、吉崎御坊跡に陣を張る一向門徒との和睦に動き出したそうにおじゃるが、一向門徒と直に対峙した式部大輔や援軍を率いた新十郎の意向を汲むことなく、一向門徒に対し即座に越前から退去する様に求めたために和睦はならず、再び戦端が開いたとか。米の刈り入れが目の前に迫る中での戦に越前の国人は左衛門督に対し不満を募らせておるやに聞く。これでは、何時まで経っても帝の御心を煩わせるばかり。困ったことにおじゃる…」


と、何処から耳にしたのか公方や越前の動きを口にした。

如何やら、関白の近くには俺に仕える伊賀の忍び衆や左京大夫兄上の甲賀忍び衆に勝るとも劣らない忍びの者がいるのだろう。そう考えれば、公卿でありながら長尾景虎の関東出兵に同行したことも納得できる。関白の身を護る忍びがいたからこそ、公家が忌み嫌う穢れ多き戦場に赴けたのだろう。

もちろん、史実では関白が忍びを使っていたという記録はない。しかし、忍びの始まりは厩戸皇子(聖徳太子)に遣えていた“志能備”だとされている。であれば帝または朝廷に仕える志能備の流れを汲む忍びがいたとしても…。

と、そこまで考えて俺は思考を止めた。これ以上は俺にとっても関白にとっても良いことでは無い。俺はこの後の事を考えて関白と手を結ぼうとしているのだ。その関白の背後で動く者たちの事を暴く様な事をすれば、折角結んだ関係を自ら断つ事になりかねない。イギリスのことわざに『好奇心は猫を殺す』とあり、日ノ本では『触らぬ神に祟りなし』とも言う。

それよりも今は叡山の焼き討ちによって動き出した次なる戦に向けて備えなければならぬ時。そう思い定めて、関白の言葉に同意するように深く頭を垂れるのだった。


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