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第九十三話 比叡山焼き討ち その七

すいません、遅れてしまいました。



近江国 比叡山延暦寺 ある一人の僧


「そ、そんなご無体な…」


「欲に目が眩んだ己らの所業を悔いるが良い。では、通達致したぞ!」


叡山の麓にある坂本の町を囲む浅井と六角の軍から浅井家の磯野丹波守殿が、公方様から届けられたという書状と共に浅井備前守様からの通告を告げに訪れられた。

公方様が備前守様の許に届けたという書状は、『朽木谷の御座所に押し入った一向門徒からの銭に目が眩み、彼の者達を匿う所業、断じて許し難し。寺院内から仏法の経典などの書物を持ち出す猶予を与えた後、叡山を攻めるべし!』という御内書であり、三淵大和守藤英殿の副状が添えられていた。

そして、公方様の御内書に副う形で備前守様が三日の猶予の後に叡山を攻めると通告なされたのだ。

その通告に叡山は蜂の巣を突いた様な騒ぎとなった。

室町に幕府が起こり、以来何回か幕府や武士と対立して焼き討ちに遭った事がある叡山であったが、その度に再建されてきた。それ以来、叡山は武力を用いて武士に抗ってきたが、此度は所蔵されている経典や書物を持ち出すようにと命じられるという事は、これまで叡山が被って来たもの以上のものが降りかかるのではないかと推察できたからだ。

思えば、先日は朝廷より天台宗延暦寺の座主を務めておられた覚恕様が、帝の勧めにより座主の座から降りる事が伝えられたばかり。

それだけでも、叡山の長い歴史の中で無かった事であったが、それは此度の叡山を攻める様に公方様がご命じになられた事に繋がっているのかと合点がいった。

合点はいったが納得は出来ぬ。何故に御仏はこの様な仏難を叡山に与えるのであろうか。

確かに、昨今の叡山では僧侶とは呼べぬような所業を成す輩が増えてはいた事も事実であろう。然れど、開祖・伝教大師様が開かれてより日ノ本の仏門の学び舎として多くの僧侶を輩出し、日ノ本の鎮守に貢献してきたというのに…。


 とは言え、今ここで泣き言を言うておっても仕方のない事。三日の内に叡山に所蔵されている経典などの書物を運び出さねば開祖・伝教大師様に申し訳が立たぬ。そう思い一冊でも、一巻でも多くの経典や書物を運びだそうと奔走する事となった。


しかし、叡山の僧兵を纏める常陸坊はそんな我らを見て“惰弱”と断じ、配下の僧兵を引き連れて浅井と六角の軍勢が取り囲む坂本の町へと降りてしまった。

今は少しでも人手が必要だと言うのに一体何を考えているのかと憤っていたのだが、半日の後に最悪の形で判明する事となった。

愚かにも、坂本の町を囲む浅井・六角の軍に対し奇襲を掛けたのだ。

しかし、浅井と六角の軍勢は総勢一万にも及ぶもの。対して常陸坊が引き連れた叡山の僧兵の数は三千程。堅田の本福寺から逃げて来た一向門徒を合わせても五千に達するか否かで、浅井・六角軍の半数にも満たなかった。

しかも、六角は甲賀衆を擁しており、その働きによって常陸坊ら僧兵どもの動きはその監視下に置かれていた為に、坂本からの奇襲は奇襲となり得なかった。

手ぐすね引いて待ち構えていた浅井・六角の軍による火縄の一斉射撃によって僧兵の多くが撃ち殺され、坂本の町に逃げ込んだ僧兵どもの後を追って浅井・六角の軍が坂本の町に雪崩れ込むと、女子供以外は全て殺される事となった。

私も含め叡山の者たちは、僧兵どもの暴挙によって三日と定めた猶予期間を待たず坂本の町と同様に叡山に浅井・六角の軍が攻め寄せてくるのでは?と思っていたのだが、兵の動きは坂本の町にて留まり、先に公方様の書状を届けられた磯野丹波守殿が再び来訪されて、


「僧侶のなりをし『叡山の僧兵』を名乗る不埒者が我が軍へ奇襲を掛けて参った。我らは不埒者を迎え撃ち、これを撃退。

坂本の町に逃げ込んだためそれを追い、町に潜む敵兵を討ち取った。この戦いにより、我が方にも犠牲が生じたため先の通告より三日の後と告げていた叡山攻めを一日遅らせることと致し、本日より二日の猶予を与える事とした。早々に経典や書物を運び出し、山を下りられるが良い。先の不埒者の件もある、叡山に残る者が居た場合、“根切り”と致す。左様心得られよ!」


と告げられたのだった。

その丹波守殿の言葉に多くの僧が震え上がり、経典や書物だけを抱えて先を争うように叡山を下りた。

そんな中、数人の高僧が叡山を去る多くの僧を見送られると根本中堂に籠り、経文を唱え出した。

思えば彼の御方達は出家するため叡山に入られて、既に四十年以上を過ごされた御方ばかり。叡山を離れて如何に生きて行けば良いのか見い出せず、浅井と六角に叡山を焼かれるのならば共に朽ち果てようと考えたのやもと思われた。

そんな御方たちに手を合わせ一礼して私も山を下りた。


 山を下りると、麓の叡山へと続く参道入り口には浅井と六角の軍が陣を構え、山から下りた者達の名を検めていた。

私も名を検められ、持ち出した経典や書物の確認をされた後に解放されたのだが、その際に一人の若武者に呼び止められた。


「つかぬ事を聞くが、叡山に残る者はあとどの位居られるのか差し支えなければ教えてはいただけぬか?」


立派な当世具足を身に纏った若武者は、纏った鎧に不釣り合いなほど丁寧な物言いで、未だ叡山に留まっている者が居るのかを訊ねられた。

その丁寧な物言いに、それまで浅井の兵に荒々しい口調で問い質されて荒れていた私の心が穏やかになっていくのを感じつつ、


「はい。叡山を取り仕切っておられた御方たちが未だ残っておられます。ですが、その御方たちは御山を下りられることはありますまい。彼の御方たちは叡山と共に御仏の許へ向かわれるおつもりなのではと拝察いたしました。」


と、答えると若武者は表情を曇らせ、


「そうですか…もしや、その御方たちは根本中堂に籠られていられるのではござりませぬか?」


と申されたのです。その的確な推察に対し私は驚き、


「仰られる通りにござります。皆様、根本中堂に籠もられて読経をあげられておられました。」


と答えると若武者は大きく頷かれて、


「今ならまだ間に合いますね。」


と呟かれて、僅かな供の者と共に参道を登って行かれたのです。その姿に私は思わず、同道を申し出ていました。

私の申し出に対して御供の者達は怪訝な顔をされておられましたが、ただ一人若武者は微笑みを浮かべられて、


「そうですか。では案内をお願いいたします。」


と私の同道をお許しになられました。その道中、若武者のお供の方に若武者は何方なのかをお聞きしたところ、なんと六角家の御当主・六角左京太夫信賢様だと聞いて驚きました。

六角左京大夫様と申せば、浅井備前守様と共に叡山を囲む軍の一翼を担う将。その様な御方が僅かな供を連れただけで叡山に残られた御方たちの許に向かおうとされている事に。

叡山の僧兵の多くは既に坂本の地にて浄土へと旅立たれておられるが、全ての者が彼岸を渡った訳ではなく、叡山の森に隠れ浅井・六角に対し一矢報いんと考える者も居ると考えられる最中に、僅かな手勢だけで叡山を登られるとは。豪胆なのか或いは粗忽者なのか、判断に迷う御方にございました。

 そんな私を余所に、左京太夫様は黙したまま叡山を登り読経が漏れ聞こえる根本中堂へと向かわれた。そして、


「御堂にて読経をあげられておられる御方たちに申し上げる!某は六角左京大夫信賢。今、浅井備前守様と共に叡山を取り囲む軍勢の将にござる。」


根本中堂に向かって告げられた左京大夫様の声に、根本中堂から聞こえて来ていた読経の声がピタリと止み、


「備前守殿と共にこの叡山に弓引く御方が何用かな?己の悪行に気が付き御仏の慈悲におすがりし、悔い改めると言うのなら我らが御仏の道を説いてしんぜるが。」


読経の声が止むと同時に、根本中堂から左京大夫様に声が返って来たのです。

その言葉を耳にしたお供の武者たちは怒りの形相となり腰の太刀へと手を伸ばし、今にも根本中堂へ打ち掛らんとするところを、左京大夫様は片手を上げる事でお供の方々の動きを制されると、


「御仏の慈悲におすがりし、悔い改めなければならぬのは其の方らだという事がまだ分からないとは、叡山も長い年月の間に悪鬼羅刹の巣窟となったと見える。

公方様が叡山を攻めよと命を下し、備前守様が焼き討ちに成されようとするのは間違いの無い事であったな…」


そう告げられると、踵を返しその場を立ち去ろうとされました。そんな左京大夫様に根本中堂に籠られていた高僧の御方たちが、怒りの形相を浮かべ御堂から姿を現し、


「おのれぇ、世の中の道理も理解しておらぬ小童こわっぱが言うに事欠いて叡山を悪鬼羅刹の巣窟とのたまうかぁ!」


「この世を修羅道へと引きずり込んだ武家が、御仏に仕える我らを悪鬼羅刹呼ばわりするなど言語道断!貴様にはきっと仏罰が下ろうぞ!!」


と罵詈雑言を吐き付けた。しかし、左京大夫様は顔色一つ変えず。


「言う事はそれだけか?ならばそのまま御堂に籠り、叡山が焼落ちるのと共に地獄に向かい、閻魔様に其の方らの悪行がなんであるか教えを乞うが良い。」


「何を言うかぁ!何故我らが地獄に落ちるのじゃ!!」


「出家した身であるにも拘わらず戒律を破り、魚鳥を喰らい、飲酒淫乱に身を委ね、欲に目が眩み人殺しを唆す輩が、地獄に落ちぬ訳が有るまい。そも、其の方達は叡山において指導的立場に在る者だと聞いている。叡山の乱れの責めを負わねばならぬ立場に其の方等はあるのであろう。にも拘わらずそんな事も分からぬとは、恥を知れぇ!!」


左京大夫様の大喝に、それまで怒りの表情を浮かべていた御方たちは、まるで雷に打たれたかのように身を震わせると、腰を抜かしたようにその場に崩れ落ちてしまわれた。 

その姿を見て左京大夫様は心底呆れられた様で、大きく溜息を洩らされるとお供の武者に叡山で高き地位に居られた御方たちを捕らえさせて荒縄で縛り上げ、叡山を下りられた。

左京大夫様と共に叡山を下りると、入れ替わる様に浅井の兵が叡山に登り始め、その後方で指揮を取られておられる偉丈夫の鎧武者の許へと左京大夫様は向かわれた。


「我儘をお許しいただき、かたじけのうござりました。」


謝罪の言葉を口にし頭を御下げになる左京大夫様。その姿に驚く私を余所に、偉丈夫の鎧武者は闊達な笑い声を上げられた。


「はっはっはっはっは…なに、大して時を費やした訳でもない。其処許そこもとが動かれたのであれば必要であったのだと分かっておる。気に病まれるな。」


「はっ!備前守様にそう言っていただき安堵いたしました。叡山の高僧をそのまま延暦寺と共に灰燼に帰しては、御仏に殉じたと考える者もおりましょう。それでは此度の叡山を討つと命じられた公方様や、公方様の命に副い叡山をお討ちになられる備前守様を悪し様に申す者が現れるやもしれませぬ。その様な事が無き様に叡山の罪を世に明らかにせねばと愚考致しただけの事にございますれば。小心なる私をお笑い下さいませ。」


そう備前守様に返す左京大夫様の深謀遠慮にただただ感心させられた。

これまで叡山に居た身としては、恥ずかしき限りではあるが左京大夫様の懸念は十分に考えられること。

これまで、叡山が横暴を働いたとしても“御仏の思し召し”“御仏の御意思”という言葉を用いる事で押し通してきてしまった。その結果、叡山をはじめとする寺院は何をしても許されると思い込み、仏の教えを伝え人々を導く場ではなく我欲を貪る“悪鬼羅刹”が集いし場と化していた。

彼の伝教大師様は、当時は貴族などの限られた者達が死後に御仏の許へ成仏するための教えを広める場であった寺院を離れ、日ノ本の者が遍く成仏できる教え『法華経』を広めようと叡山を開いた。そんな伝教大師様の想いから乖離してしまった今の叡山に、討伐の命が下されたのも口惜しき事ながら無理からぬことなのであろう。

 叡山に広がる寺院仏閣の全てが焼け落ちて行く様を目に焼き付ける様に見つめながら、その様な益体にもならぬ事を鬱々と考えている私に、左京大夫様がお声を掛けられた。


「其の方、叡山で修業をしていた僧侶であろう。この後は如何致すつもりか?」


「はい。叡山に参る前は陸奥国会津郡高田の郷に住まう蘆名の一族の者にござりますが、今さら高田の郷に戻るという訳にも参りませぬ。どちらかの天台宗の寺に身を寄せ、叡山が何故焼き討ちに遭う事となったのかを伝え、同じような過ちを二度と起こさぬ様に戒めを残す所存にござります。」


と答えた。そんな私を左京大夫様はジッと見詰められた後、


「そうか。では淡海(琵琶湖)の東岸にある我が領地の寺を訪ねるが良い。東岸には天台宗の寺院が幾つかある。その一つ金剛輪寺は叡山の慈覚大師が参られて天台宗の修行場とされた事もあり、叡山との関わりも深かろう。金剛輪寺にて伝教大師様の教えをもう一度思い出し、この後如何すればよいかを己に問うと良い。

其の方なりの答えが得られた時には私にも教授して貰いたいと思っている。」


その言葉に私は己の行く末を見出した気がして、


「はい。その時には是非私の話を左京大夫様にお聞きいただければと思っております。」


「そうか。ではその時を楽しみに待つと致そう。そう言えば、其の方の名をまだ聞いておらなかったな。名を何と言う?」


「はっ!私は随風と申しますが、此度の事を機に名を改めとうござりまする。もし許されるのであれば左京大夫様に名を付けていただけるのであればこの上なき喜びにござりまするが…」


そう答えた私に左京大夫様は苦笑を浮かべられ、


「叡山を討ち、其の方が生きてきた場所を奪った私に名を強請るか…では、『天海』と言うのはどうであろうなぁ?」


私は一も二もなく即座に伏礼をし、


「ありがたき幸せに存じます。この後は『天海』として伝教大師様の教えに立ち返り、精進いたします。」


と答えた私に左京大夫様は大きく頷き、苦笑ではなく微笑みを浮かべて下されたのだった。


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― 新着の感想 ―
まさかの怪僧天海爆誕⁉️(笑)
[気になる点] 天海では空海と並ぶようで恐れ多いのでは? 隋風→天海は分かりますが…
[一言] ここで天海が来たか!
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