第九十二話 比叡山焼き討ち その六
京の都 本圀寺 三淵大和守藤英
「‥‥‥‥‥‥‥。」
北畠不智斎様と兵庫頭殿が去られた大広間を異様なほどの静寂が覆っていた。
事の発端は、二条様から丹波に落ち延びておられた近衛関白様が、都に戻っていると報せがあった事にあった。
二条様の報せに義昭様は急ぎ近衛関白様を捕らえようと関白様が居られる北畠家の館に兵を向かわせたのだが、遣わした兵は北畠の者たちによって追い返された。
そして、時を置かず北畠不智斎様と兵庫頭殿が本圀寺へ参られたのだ。
急遽、主たる幕臣が集められ大広間に御二方をお通しし、関白様の身柄を御渡し頂ける様にと中務大輔殿が申されたのだが、兵庫頭殿はけんもほろろにお断りになられた。そんな兵庫頭殿に中務大輔殿は再度要求を繰り返そうとなされたのだが、決然と要求を拒否されただけでなく、関白様は兵庫頭殿の申し出により丹波から伊勢に下向される岐路で、都に寄られたのは今起きている叡山と浅井備前守殿との争いの為であり、ひいては公方様の御為と申され、そんな関白様を無体に扱おうとすれば公方様は“忘恩の徒”とする事になると叱責された。
兵庫頭殿の言葉に中務大輔殿は顔を青くし弁明しようとした。そんな中務大輔殿に私と弟・兵部大輔が口添えをしたのだが、兵庫頭殿からの更なる一喝に我らは言葉を失い中務大輔殿は震え上がりその場で平伏してしまわれた。
その状況を目の当たりにして流石に不味いと思われたのか、不智斎様が兵庫頭殿を諫められたものの、公方様の関白様に対する御考えを御伝えするとされただけで、公方様の御意向には何一つ添わぬまま本圀寺をあとにされた。
北畠家の御二方が去られた大広間に残った幕臣たる我らは上座に居られる公方様の方を見る事が出来なかった。下手に目を向けようものなら、公方様からどの様な御言葉(叱責)が飛ぶか皆分かっていたからだ。と、その時、
「失礼を致します。只今織田弾正忠様より公方様へ書状が届きましてござります。」
と織田弾正忠様に召し抱えられ、都の守りを任された明智十兵衛殿が一通の書状を手に姿を現したのだった。
十兵衛殿はつい直前まで大広間で起こった事など気にした様子もなく大広間に進み入ると、手に持った書状を公方様へ差し出された。
公方様は十兵衛殿が差し出した書状を受け取り、その場で開き読み始めたのだが直ぐに表情を歪められ、
「おのれぇ、織田弾正忠までも余を愚弄するかぁ!」
と怒声をあげると手にした書状をグジャグジャに丸め投げ捨ててしまわれた。
私は慌てて投げ捨てられた書状を拾い上げ、書かれている内容に視線を走らせると、そこには朽木谷の御座所を荒らした一向門徒を成敗しようと奮戦し、叡山とも刃を交えようとしている浅井備前守殿に叡山追討の命を将軍として出すように促す文言と、それを渋るようでは将軍として真価が問われるとまで記されていた。
もしこれが光源院様(義輝)であられたなら、将軍の御座所を荒らした不埒者を銭に目が眩み匿う叡山に対し、討伐の命を躊躇なく出されたやもしれぬ。
しかし、公方様は兄君・光源院様が御存命の頃は、興福寺の寺務を統括する別当にまで登られた僧侶であられた。その出自を考えると公方様が叡山討伐の命を出すことは相当に抵抗があると推察できた。そんな公方様に弾正忠様は、叡山討伐の命を出さぬのなら将軍として失格であると決断を迫って来たのだった。
近衛関白様の奏上にて帝の御舎弟であられる覚恕様は延暦寺座主の座を降りられ都にお留まりになられる事となった。これにより叡山討伐を忌避すべき障害は取り除かれたとも言え、朝廷は乱れた叡山を攻める様にと道筋をつけたととれる。
これだけの根回しをされて公方様が叡山の討伐に躊躇されるようならば、弾正忠様だけでなく朝廷からも征夷大将軍としての資格なし、と断じられても可笑しくない状況に追い込まれたのだ。その事に気付いた私は此度の事の絵図を書いた者に恐れ戦いた。
そんな私を余所に、弾正忠様からの書状を読んだ公方様が憤られる事は想定済みだったのだろう。十兵衛殿は平然とされておられたが、
「公方様。」
と呼び掛けられた。十兵衛殿のその声に公方様は顔を歪められて、
「叡山の討伐を浅井備前守に命ずる。ただし、延暦寺内の保管されている経典や書物など全て運び出すための猶予を与えた上でじゃ。良いな!」
そう御命じになられたのだった。公方様の言葉に十兵衛殿は満足そうに頷くと、視線を末席に座る朝倉左衛門督殿へと向けられた。
「朝倉左衛門督様。未だ越前にお戻りになられておられなかったのでござりますな。今、御国元では吉崎御坊跡に籠る一向門徒と朝倉式部大輔殿と浅井新十郎殿が率いられる朝倉・浅井軍が睨みあいを続けております。されど間もなく稲の取入れの時期となり、朝倉家家中では『和睦交渉もやむ無し』との声が上がってきているとか。
しかしながら、朝倉家の御当主が不在で賊徒との和睦など出来ぬと、式部大輔殿が難色を示されておられるも、国人達からの突き上げが日に日に強くなっておる様子。左衛門督様、備前守様は国元に戻り乱を起こした一向門徒や叡山と、公方様の御為に御働きになられておられると言うのに、左衛門督様はこのまま都に留まっておられては、国元の者達が貴殿をどの様にお思いになられることでしょう?
僭越ではござりまするが、一日も早く御国元に御戻りになられて如何かと愚行致しますが…。」
十兵衛殿の言葉に、左衛門督殿は顔を赤く染め十兵衛殿を睨みつけるも、その言葉に理があると思われたのか大きく息を吐き、
「公方様。何やら国元では某が戻らぬ事には何も決まらぬ様子にて、これより国元に戻ることと致しまする。
十兵衛!其の方が焚き付けたのだ、越前までの露払いはその方が務めてくれるのであろうなぁ!!」
と、公方様に暇の挨拶を手短に済ませると、十兵衛殿に越前までの道案内役を務めるように告げた。
しかし、十兵衛殿は幕臣から織田家の家臣へと身を移しており、しかも弾正忠様より直々に都の治安を務める様に指示を受けている為、おいそれとは都から離れることは出来ない身の上。
そんな十兵衛殿に敢えて越前までの道案内役をと求めるのは、先ほどの左衛門督様へ向けられた十兵衛殿の言葉に対するあてつけであったが、
「御懸念には及びませぬ。弾正忠様より左衛門督様を越前に御戻しする間は堺の代官である木下藤吉郎殿が都の治安維持に当たる事になっておりまする。
藤吉郎殿!」
「はっ! 公方様、御久方ぶりに御目通りが叶いましたこと望外の喜び。十兵衛殿が都を離れている間は某が都の治安に目を光らせますれば、御懸念無用にござります!!」
十兵衛殿の呼び掛けに、それまで大広間へと通じる廊下に控えていた小柄な男が大広間に入室すると、満面の笑みを湛え公方様に対し挨拶の言葉を発した。その姿に公方様は僅かに表情を曇らせた。
木下藤吉郎殿は確か尾張の百姓の出自でありながら、弾正忠様に見出されて多くの戦場で武功を上げ、上洛後に四国に落ちていた三好勢が弾正忠様の留守を狙い本圀寺に攻め寄せてきた戦の後に、堺の代官に抜擢された御仁だった筈。
出自は低いながらも中々の出来人であるとの評判であったが、公方様からすれば一時期は幕臣であった十兵衛殿の代わりなど務まらぬと思ったのやもしれぬ。
しかし、その思いを表情に出すのは控えていただきたかった。
今、都が穏やかなのは弾正忠様の御力なくしては考えられぬ事。その弾正忠様の覚え目出度い藤吉郎殿に、御不信と取られかねぬ事は厳に慎まなければならぬ事である筈。そう思い、私が口を開こうとするよりも先に藤吉郎殿は破顔し、
「か~はっはっはっは!流石は十兵衛殿じゃ。一時とは言え、十兵衛殿が都を離れると聞いて公方様は御心配になられておりゃす。しかし、それも僅かの間だでぇ、暫しの間はワシに任せてちょ。」
と額をペチンと叩き、尾張訛りで滑稽に見せる藤吉郎殿。そんな藤吉郎殿に公方様は虚を突かれていたが、私はその姿に畏怖した。
「弾正忠に兵庫頭め!」
左衛門督様と十兵衛殿、それに藤吉郎殿が去り、気心の知れた幕臣だけとなった大広間にて、公方様の怒声が響いた。
「左衛門督も同様じゃ。これまで自ら御所に留まり続けたのに、十兵衛の言葉で余への挨拶もそこそこに身を翻し越前に向かうとは。しかも、都の治安を預かる重要な役目を百姓上がりの者に任せるとは、弾正忠は余を蔑ろにしているとしか思えぬ!」
「まことにございます!南朝に与し朝敵となったにも拘らず、御目こぼしにて家を永らえている者が御所にて大言を吐くなど…」
公方様の憤りに便乗するように、兵庫頭殿に叱責された中務大輔殿が声を荒げた。その二人の言葉にその場に残った幕臣達は流され、次々と追従の言葉を口にしていった。
私はその状況に思わず弟・兵部大輔に視線を向けると、弟は眉間に皺を寄せ落胆した様子で、私にだけ分かるように首を横に振った。
そんな私たち二人を余所に場は弾正忠様と兵庫頭殿に対する罵詈雑言が飛び交い、遂には公方様から最悪の御言葉が発せられた。
「甲斐の徳栄軒に遣いを送るのじゃ。一刻も早く上洛し、都を本来あるべき姿に戻すように手を貸せと。それと、本願寺光佐に徳栄軒の動きに合わせ伊勢と尾張で一揆を起こすように伝えよ!!」
と。




