第九十一話 比叡山焼き討ち その五
「み、帝。それは一体如何なることにござりましょうか?わたくしに延暦寺座主の座から降りては如何かとは。」
「言葉のままじゃ。古に都の鎮守として日ノ本に仏の教えを広める第一の寺院と云われた比叡山も今やその見る影も無く、仏の教えを取得するために日々修行に勤しんでいる筈の僧達は坂本の町にて淫乱、魚鳥を食し、酒に溺れ己が欲望にうつつを抜かしているではないか。その様な場所に朕の弟である其の方を置いておくことなど出来ぬであろう。違うか准三宮。」
御簾の奥から告げられた帝の言葉に、驚きの表情を浮かべる覚恕様に対し帝は諭すように優しく語り掛けておられたが、その言葉には叡山に対する怒りが感じられた。
丹波から近衛関白を連れそのまま都に入った俺は既に都で動いていてくれた養父上・不智斎らと合流した。
関白が都に入ったと知れば義昭や関白の政敵である二条晴良などが騒ぎ出すことは間違いないため、関白の入京を察知されぬようにしながら事を進め、入京の翌日には帝の許へ参内して叡山の乱行ぶりとそんな叡山と浅井備前守が対峙している現状を伝え、都に留まっている御舎弟・覚恕を叡山に戻らぬ様に帝からお言葉をいただけますようにと奏上したのだ。
丹波から舞い戻った関白に帝は驚きつつも殊の外お喜びになられた。そして、近年は目を覆いたくなるほどの比叡山の乱行ぶりに御心を痛められていた帝も、此度の近江で起きた浅井家との争いを関白から聞くと大層憤られ、関白からの奏上の翌日には覚恕を宮中に呼び出し、延暦寺座主の座から降りこのまま都に留まる様にと御告げになられたのだ。
帝のお言葉に、覚恕は驚き聞き返したが帝は乱れた比叡山に弟である覚恕を座主の座に据えておくことは出来ないと告げられた。これは、帝は現状の比叡山を明確に否定されたという事に他ならなかった。
覚恕は帝の怒りを肌で感じ、否とは言えずこれを受諾したのだった。
この事は宮中のみならず都中へあっという間に広がり、三日も経たず義昭や二条晴良の耳にも届くこととなった。
晴良は覚恕が延暦寺の座主の座から降りる事となった帝のお言葉は、丹波から密かに入京していた近衛関白の奏上に端を発していると知ると、本圀寺の義昭の許へと駆け込んだ。
都を離れ丹波へと落ち延びたと思われていた近衛関白は都に姿を現し帝に奏上するなど許されざることと、義昭は近衛関白を捕らえようと兵を差し向けたが、義昭の兵は関白を護る北畠家の兵に追い返されてしまった。
この報せに激怒する義昭の許に、俺と養父上・不智斎が連れ立って姿を見せたとの報せが入り、本圀寺は騒然とするのだった。
「公方様に置かれましては岐阜城にて拝謁して以来にござります。織田三介信顕改め北畠兵庫頭信顕にござります。」
「北畠不智斎天覚にござります。織田・六角との和睦に際しお力添えを頂いた以来にござります。養子・兵庫頭に家督を譲り剃髪をした上は公方様に参上する事など無いと思っておりましたが、此度は目通りが叶いましたこと恐悦至極にござりまする。」
本圀寺の大広間に通された俺と不智斎。大広間には幕府の御歴々が居並び奥の上座には不機嫌を絵に描いた様な仏頂面をしている義昭が座っていた。
そんな大広間に臆することなく進み入ると幕閣の末席には未だ越前に戻らず都に留め置かれたままの朝倉左衛門督が座っていた。左衛門督を一瞥したものの、態度には出さずそのまま堂々と進み、義昭の前に座すると何事もないかのような態度で義昭に対し挨拶のべた。
そんな俺と不智斎に対し、義昭は顔を引き攣らせて挨拶を返す事無く俺達を睨みつけて来たが、義昭に代わり口を開いたのは摂津中務大輔晴門だった。
「不智斎殿。先ほど公方様の命により近衛関白様の許に兵を遣わしましたが、その兵が北畠家の者達に阻まれて追い返されたと聞き及んでおります。これは如何なることにござりましょうか?」
中務大輔の言葉に大きく頷き不智斎を睨みつける義昭に、睨みつけられた当の不智斎は大きな溜息を吐き、
「あの不埒者たちは公方様が差し向けた者にござったか。それは失礼を致しました。しかし、何の名乗りもせず館に乗り込もうとするような輩を、誰が公方様が御使いになられている者だと気付こうか。中務大輔殿、あのような不埒者を公方様が使われていると都の者たちに知られては物笑いの種となろう。以後は礼節を弁えた者を使うように致さねばならぬぞ。でなければ公方様が不憫じゃ。」
そう返されて中務大輔は顔を真っ赤にしたものの流石にこの場で喚き散らす訳にも行かず、そもそも北畠家は武家ではなく公卿家であり、不智斎も以前の官位は権中納言で中務大輔よりも上位者。平安の頃ならば対等に口が利けない程の身分の違いがあったためグッと堪えたようだ。
そんな中務大輔の様子を見て面白くなさそうにギリリっと歯軋りを鳴らした義昭は、中務大輔に下がる様に目配せをし、
「都を離れ丹波に落ちておった近衛関白様は都に戻られたと聞いたが、其の方ら何か知らぬか?」
挨拶を返す事もなくいきなり詰問してきた。そんな義昭に俺は平然と、
「近衛関白様ならば、丹波から我が領地である伊勢にお越しいただけないかと思い人を遣わしたところ、快い御返事を賜りまして某自ら関白様を御迎えに丹波まで御迎えに上がった次第。その最中、近江で備前守様が大層難儀をされておられると知り、関白様に御助力をお願いいたし都にお寄りいたしました。
幸いにも、帝は関白様の御話に耳を傾けられ覚恕様に延暦寺座主の座から降りる事をお勧めになられ、覚恕様も御承諾をいただきました。
これにて近江での懸念も薄れる事となり、晴れて関白様を伊勢にお迎え出来る事となりましてござります。」
と正々堂々と答えると、俺の言葉に驚き動揺したのか義昭は口をパクパクさせるだけで、何も言葉にできない様子。そんな義昭に代わり再び中務大輔が、
「近衛関白様には先の公方・光源院様(義輝)に対する三好家の弑逆に関与した疑いがあり詮議の必要がある。早々に御身柄をお渡し願いたい!」
と、くだらない事を言いたてて来た。
史実と同じく、義昭の実兄・十三代将軍足利義輝は三好家の者の手に掛かって弑逆されたが、義輝の正室で近衛関白の妹・大陽院は三好家に保護された。一方、側室で幕臣の進士晴舎の娘であった小侍従局は義輝と共に殺害された。
その為、近衛関白は事前に三好の義輝弑逆を知っていて、大陽院の命は穏便に取り計らうように依頼していたのではないか?と疑われたようだ。
しかし、義輝の母で近衛関白の叔母である慶寿院は室町御所に三好の兵が押し入り、義輝が弑逆されるとその場で自害した。
事前に近衛関白が三好家による義輝弑逆を知っていれば、妹・大陽院の保護だけでなく、叔母・慶寿院も共に保護を依頼するだろう。しかし、実際には慶寿院はその場で自害しているのだから、冷静に考えれば三好家が近衛関白と敵対関係になることを忌避して、大陽院の身柄を保護し近衛関白の許へと送り届けたと考えた方が納得がいく。
まぁ、実兄を殺され、それまで居た寺から逃げ出さなければならなかった義昭から見たら、自分は三好家に追われ、一方の大陽院は三好家に保護されて実家へ戻されたため、己の境遇との違いに大陽院だけでなく近衛関白に対し恨みを募らせたと言ったところだろう。
尤も、それは完全なる義昭の手前勝手な被害妄想なのだが、運良く父・信長の手を借りて都に戻り、将軍の地位についてしまったばかりにその手前勝手な被害妄想の鬱憤を晴らそうと駄々を捏ねている為に始末に悪かった。
「お断りいたします。」
平然と返す俺に対して、引き渡し要求を突き付けた中務大輔だけでなく義昭もその場に居並ぶ幕臣たちも一様に俺が何を言ったのか分からなかったという様に呆けた顔をした。
「ひ、兵庫頭殿。今何と申されたのでござるか?」
「聞こえませんでしたか?某はお断りいたすと申したのです。近衛関白様は某が是非にもと乞うて丹波から伊勢へ下向していただくのでござります。その途中に都に立ち寄り、我らの危急に御力添えを賜ったのです。
そもそも此度、浅井備前守様が叡山と矛を交えようとされておられるのは、堅田本福寺の一向門徒が一揆を起こし、畏れ多くも朽木谷に在る公方様の御座所を荒らしたが為。
謂わば公方様に弓引いた一向門徒を成敗しようとされた備前守様に対し、叡山が門徒からの銭に目が眩んで横槍を入れた為にござりましょう。
備前守様は公方様の為に叡山と事を構えたのでござります。そんな備前守様の御力添えに動かれた近衛関白様に対し奉り、その御身柄を拘束しようなど恩を仇で返すとは正にこの事。
中務大輔殿は公方様を“忘恩の徒”とされるおつもりかぁ!」
「い、いえ。左様な事をしようなどとは…」
俺の言葉に中務大輔は顔を青くして慌てて否定し、他の居並ぶ幕臣たちも一斉に黙り込み、義昭も俺が視線を向けると露骨に俺の視線を躱そうと顔を背けた。そんな中、
「兵庫頭殿、中務大輔殿は左様な事を御考えになる御方ではござりませぬ。」
「その通りにござります。ただただ、光源院様が弑逆された際にただ一人三好に保護された大陽院様について関白様に何があったのかをお話いただければと思っての事。決して関白様を害そうなどと考えている訳ではござりません。」
三淵大和守藤英と細川兵部大輔藤孝が中務大輔を庇おうと口を開いた。その言葉に義昭は我が意を得たりとばかりに大きく頷き俺の方へ顔を向けた。
「であれば、関白様の許に出向くのが筋であろう!それを言うに事欠いて「身柄を渡せ」とは何たる増長、身の程を弁えられよ!!」
「ひ、ひぃ~。お許し下さりませぇ~。」
本圀寺の大広間を揺るがす大音声が響き渡り、俺の怒気をその身に浴びた中務大輔は震え上がると謝罪と共に床に額を擦りつける様に平伏し、近くに居た義昭も怒気の余波を受けて顔面蒼白となった。
その姿に、俺の隣に座っていた不智斎は大きく溜息を吐き、
「兵庫頭、控えよ。我が養子・兵庫頭が失礼を致した。然れど、中務大輔の物言いは関白様に対し奉り不遜の誹りは免れぬ事、以後は弁えられるが宜しかろう。
お訊ねの件は関白様にお伝えいたす。関白様も公方様に斯様な疑いを掛けられておると御知りになられれば悲しまれようなぁ…」
そう告げると、用は済んだとばかりに立ち上がった。俺は不智斎に従いその場から立ち上がると揃って一礼し、大広間を後にした。




