第八十九話 比叡山焼き討ち その三
「御本所様、只今戻りましてございます。」
「次右衛門、よく戻った。して、首尾は如何であった?近衛関白様は何と申されておられた。」
長島に端を発した一向一揆を鎮圧して伊勢に戻った俺の許に、丹波国に派遣していた千賀地次右衛門が戻って来た。その顔は少々疲れが見えたが何処か誇らしげな表情に見えた気がして、逸る心のままに問い質してしまった。そんな俺に対し次右衛門は嫌な顔一つせず僅かに頬を緩めると、
「はっ!関白様に置かれましては、御本所様からの御誘いを殊の外喜ばれておられました。義弟であられる荻野(赤井)悪左衛門直政様への挨拶を済ませたら直ぐにでも伊勢へ下向したいとの事にございます。」
と答えた。その答えに俺は笑みを浮かべ大きく頷き、
「次右衛門、良くやってくれた。関白様は公方様に追われ都から丹波国へ落ちられたが、帝から最も信任厚き御方をそのまま放置しておくなど決して許されざる事。一時は伊勢にてお寛ぎいただき、再び帝の御傍近くに参じていただかなくてはならぬからな。」
この後の思惑を語って聞かせると、俺の言葉に次右衛門は頷き、
「関白様も、いずれは帝を御傍近くで御支えしたいとのご意向にござりました。それで、関白様より御本所様への文を預かって参りまして、ご披見下さりませ。」
そう言うと、懐から油紙に包まれた書状を取り出すと俺に差し出して来た。次右衛門が差し出した書状を受け取ると、一度頭より高く掲げてから開いた。
都落ちしたとは言え帝の御傍に仕え、官位も最も高い関白の地位にある御方からの書状をいきなり開くのは無礼と考える者もいるため、形だけでも敬っているという様なポーズをとる必要があった。こう言ったことを蔑ろにすると後で何を云われるか分からない。しかも、北畠家は武家でではなく元々公卿家のため常日頃から注意をしていないといけなかった。
次右衛門が預かったと言う近衛関白からの書状には、丹波国に落ちた自分を自領に招こうとする俺に対する感謝の言葉と共に、都への返り咲きに思いを馳せる言葉が書き連ねてあった。
その書を読み史実と変わらずなかなかに食えない御仁だと苦笑いを浮かべると、そんな俺を見て、
「御本所様、関白様の文に何事か書かれておられましたでしょうか?」
と次右衛門が怪訝な表情を浮かべ訊ねて来た。その言葉に失態だったと感じつつ、
「なに、大したことでは無い。丹波の地でもご壮健なご様子が感じられる文であったのでな…。さて、関白様から内諾がいただけた上は早々に動かねばならぬ。次右衛門、丹波から帰って来たばかりの所で済まぬが、長門守と話をして丹波行きの旅程を纏めてくれ。
長門守!」
俺が声を上げると、音も無く姿を現す長門守に次右衛門は一瞬腰に差す脇差へ手を伸ばし掛けたものの、姿を現したのが長門守だと認めるとスッと肩の力を抜いた。そんな次右衛門を長門守はジロリと睨みつけた後、次右衛門に並ぶように俺の前へと進み出た。
「藤林長門守、御呼びにより参上仕りました。」
「長門守。丹波まで近衛関白様を御迎えに参らねばならぬ。その為の警護を頼む。次右衛門と話を詰め、万難を排し伊勢まで関白様をお連れする算段をつけてくれ。
出迎えには某の他には都との繋がりを考えると、右近大夫将監義兄上と左近衛中将叔父上にも同道してもらわねばならぬであろう。あと、あまり丹波の国人領主を刺激したくない。その事を念頭に供の兵の数など長門守と次右衛門に任せる。」
「…畏まりました。」
一言告げると次右衛門を伴い下がっていく長門守の姿に、この後次右衛門は長門守に小言を言われるのだろうと苦笑するしかなかった。
数日後、丹波行きの日程を長門守と詰めた次右衛門は、その事を関白に伝えるため丹波へ出立し、俺は大広間に家臣を集め近衛関白様を御迎えする事が決まったことを伝えた。
その席で、関白様を御迎えに俺と共に丹波へ行く者たちが長門守によって告げられた。
正使は俺、北畠兵庫頭信顕。副使は木造左近衛中将具政と北畠右近大夫将監具房。率いる兵は丹波の国人領主を刺激せぬ様に極力抑えて百五十とし、その内の百の指揮は先の長島一向一揆との戦において騎馬隊を率いた慶次郎の下で抜群の槍働きを見せた家城主水頭之清に取らせることとし、寛太郎と五右衛門、藤次郎に一色喜太郎を供に加えた。
残りの五十は長門守と次右衛門が差配する忍び衆と定め、脇を固めることとした。
丹波行きの準備が進み近衛関白の下に向かった次右衛門が戻り、数日後には出立というある日…。
「兵庫頭様。」
丹波へ出立する前に片付けておかなければならない諸々の政務をこなしている俺に何の前触れもなく声を掛けられた。
「百地丹波守か。如何致した?」
掛けられた声は百地丹波守のものだった。丹波守は長島の願証寺が起こした一揆の後始末を終えたその後も願証寺はもとより本願寺をはじめ織田や北畠に敵対する諸大名の動向を探るために動いてもらっていた。
その百地丹波が先触れも無くいきなり俺に声を掛けてくるという事は何か余程の事が起き、急ぎ俺の耳に入れなければならないと判断しての事だろうと察せられたため、俺は手を止めると、背後に振り替えるといつの間に現れたのか、普段よりも僅かに強張った表情を浮かべた丹波守が控えていた。
「近江で起きた堅田の本福寺による一揆は浅井備前守様と六角左京大夫様により征されたものの、本福寺は堅田の門徒から銭を集めその銭を叡山へ収める事で、叡山に備前守様との和睦を取り計ってもらおうと画策いたし、叡山が本福寺からの五千貫に目が眩みそれを了承。
備前守様も当初は叡山からの話という事で堅田攻めを一旦中断いたし対応を検討している最中に、本福寺と叡山との間で行われたやり取りを知るに至りこれに激怒。
即座に堅田と本福寺攻めを断行したところ、堅田の門徒は果敢に反攻したものの本福寺の坊主どもは門徒を置いて叡山に逃走。
本福寺の坊主から備前守様に堅田が攻められたと聞いた叡山は面目を潰された事に怒り、叡山の僧兵三千を堅田に派兵したものの、堅田の門徒を置いて逃げた本福寺の坊主を追う浅井勢四千と鉢合わせとなり乱戦の中、双方に多数の死傷者を出すものの、後詰の左京大夫様の軍によって叡山の僧兵を撃退いたしました。
然れどその戦の中で備前守様の御舎弟・石見守政之殿が討ち死にと相成り、本福寺からの銭に目が眩み横槍を入れ、更に御舎弟を殺された備前守様は叡山のお膝元である坂本の町を囲みましてござります。
今はまだ左京大夫様や浅井家の皆様に諫められて坂本を囲むだけで留まっておられまするが、いつ叡山との戦となるか分らぬ状況にござりまする。」
「そうか。して叡山は如何なる事になっておる。確か叡山の座主・金蓮院准后覚恕様は帝の御舎弟様であられたが…」
「そうか」の一言を発しただけで、状況を把握し事後の手を打つために叡山の動きを訊ねる俺に、丹波守は眉をピクリと動かしたものの直ぐに俺の問いに答えた。
「仰せの通り、延暦寺座主の地位に在られる覚恕様は本福寺が一揆を起こす以前に叡山を離れて宮中を訪れ、未だ都にお留まりにござります。」
その答えに俺は安堵の息を漏らした。流石に帝の弟がいる叡山を攻めるとなれば、いくら正当な理由があろうとも非難は免れない。しかし、覚恕が叡山を離れ都に居るのならば、叡山の乱行を訴えることで非難を最小限に抑える事が出来るかもしれないからだ。
「寛太郎!養父上に此方まで足をお運び下さるよう伝えて参れ。某が内密にご相談いたしたき事があるとお伝えするのだ。急げ!
丹波守、不智斎様と共に都に上り叡山の乱行をふれ回れ。その際、此度の一件も人の葉に乗る様にするのだ。」
「覚恕様の言を封じるおつもりですな、畏まりました。ですが、不智斎様だけではこの一件で叡山攻めを朝廷が容認せざるを得ぬ状況を作り出すのは些か。」
「分かっておる。幸いこれより丹波国に近衛関白様を御迎えに上がる。早速ではあるが関白様に御助力を願うつもりだ。それまでの間に下準備を済ませる様に頼んだぞ!」
「はっ!」
こうして思い掛けず勃発する事となった比叡山攻めの風聞対策を取ることとなった。




