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第八十五話 長島一向一揆 小木江城攻防戦 後始末


「ま、まことにござりますか?拙僧らをご放免いただいた上、門徒と共に願証寺に送り届けていただけると、そう申されるのでござりますか。」


小木江城での戦が一揆勢の降伏によって終結を見た。しかし、事はそれで終わりではない。一揆といえども他国に攻め込んできた者達をそのまま放置する事など出来ない為、降伏してきた一揆勢には武装解除をした上でその身柄をどうするのかの交渉を行う事となった。

その交渉に先立ち、俺は彦七郎叔父上に一揆を起こした門徒と坊主は全て願証寺へ送り返す事を提案した。

この申し出に対し、彦七郎叔父上は難色を示されたがこの処置は後の願証寺攻めに繋がる布石だと話すと渋々ではあるが了承し、小木江城の大広間で行われた交渉の席で表明してくれた。

彦七郎叔父上の申し出に対し、銃弾に倒れた下間豊前守の後に一揆勢の指揮を取ることとなった願証寺の坊主は驚きの表情を浮かべ聞き返して来た。

そんな坊主の様子を苦虫を噛み潰した様な顔で彦七郎叔父上は、


「…我が兄、織田弾正忠から再三に渡って申し入れがあったにも関わらず、その兄の言を無視した上、兄が不在の織田家の領地に攻め寄せるなど万死に値するところなれど、兵庫頭の取り成しもあり格別の配慮を致し、其の方達を願証寺に送り届ける事と相成った。この後は兄・弾正忠の言をよくよく鑑み、二度と織田家の領地へ攻め込もうなどと考えぬ様にきつく言い置く。」


と返した。彦七郎叔父上からの言葉に、満面の笑みを浮かべて何度も頷き、


「は、はい!願証寺院家であらせられる左元(証意)様は尾張の御領地に一揆を起こす事には反対をされておりましたが、本願寺光佐(顕如)様の御指示を受けた下間豊前守様が強硬に押し進められて斯様な仕儀と相成りもうした次第。

此度の彦七郎様から格別なるご配慮を賜った事を証意様にお伝えいたし、御恩情を蔑ろにせぬように致します。」


と告げると、その場を下がり残ったのは一色治部大輔に長井隼人正、そして日根野備中守ら美濃国を追われ願証寺の客将となり、此度の戦に参陣した武士たちだった。


「さて、坊主と門徒の扱いは先に申した通り願証寺に帰すこととなるが、其の方達は如何致す?願証寺に戻り再び食客のならばそれでもよい。門徒と共に舟に乗れば事は済む。其の方らとて美濃国の主となった織田弾正忠の下につく事は難しかろう。」


そう彦七郎叔父上が声を掛けると、それまで俯き彦七郎叔父上と願証寺の坊主のやり取りを聞いていた一色治部大輔が顔を上げたが、その顔はまだ二十半ばの歳のはずが酷くやつれ三十路を過ぎた者の様な表情だった。


「…美濃国では多くの家臣に離反されて国を追われ、長島では坊主の思惑に翻弄されて敗軍の将となり申した。それに比べそこに居られる兵庫頭殿は某よりも十はお若いのにも拘らず名門北畠家を纏め、彦七郎殿の危機をお救いなられた。鑑みるに某には国主として器など無いという事が身に沁み申した。この後、再び願証寺に身を寄せれば坊主どもに唆され某は己の分を見誤ることとなりましょう。さすれば行く先は身の破滅。それでは、某に付き従ってくれた長井隼人正や日根野備中守があまりにも哀れにござる。」


「では、願証寺には戻らぬ御所存か。であればこの先如何されるおつもりか?確か治部大輔殿の御母上は浅井備中守殿の御祖父の娘御で在られたやに聞き及ぶ。この後は浅井備中守殿を頼られるおつもりにござるか。」


治部大輔の存念を聞いた彦七郎叔父上は、この後治部大輔が頼るのは母親である近江の方の伝手を頼り浅井家に身を寄せるのかと訊ねると、治部大輔は暫し考えを巡らした後、


「いや、浅井家に身を寄せれば備中守殿の御身内として某を担ごうとする者が現れる事にござりましょう。さすれば恩を仇で返す事になりかねませぬ。いくら愚かな某でもその様な懸念がある地に参ろうとは思いませぬ。」


「では如何なる存念をお持ちか有体に申されよ!」


治部大輔の言葉に納得しつつも、一体どうするつもりなのかと強い口調で問い質す彦七郎叔父上に対し、治部大輔は叔父上と目を合わせる事無く傍らに控える俺に目を向けた。


「出来ますれば、北畠兵庫頭様にお仕え致しとうござりまする!」


意を決して己の存念を口にした治部大輔の言葉に、その場に居合わせた者は皆言葉を失った。

「お、お待ち下さい治部大輔様。兵庫頭様は北畠家の御当主ではござりますが、弾正忠様の御子息でもござりますぞ。その事を承知で、兵庫頭様にお仕えしたいと申されておられるのでござりますか!?」


一早く正気(?)に戻り、治部大輔の発言に対し問い質すように声を上げたのは長井隼人正だった。そんな隼人正に対し治部大輔は泰然と構え、


「無論だ。兵庫頭様が・・を美濃国から追い落とした張本人である弾正忠の御三男であることは重々承知している。」


「ならば何故に兵庫頭様に臣従をと申されるのでござりまするか!憎き弾正忠様の御子息の懐に飛び込み、内から蝕もうとの御考えであればその様な考えはお捨て下さりませ。兵庫頭様にはかの竹中半兵衛殿が居り脇を固めておられます。

半兵衛殿ならば斯様な企みを看破する事など雑作もなき事。美濃国を離れてより耐え忍んできたは斯様に無様な企みの果てに死ぬためでないはず。

たとえ美濃国へ返り咲く事が出来ぬとも、美濃一色家の当主として正々堂々と御歩みいただきとうござりまする!!」


思いの丈をぶつける様に治部大輔に対し翻意を促そうとする隼人正の姿は、真に主君である治部大輔の事を慮る心からの諫言のように思えた。そんな隼人正の言葉に治部大輔は感じるものがあったのか、グッと唇を噛み締めて何かを我慢する様な表情を浮かべ、数瞬に間を置き己の感情を押さえ込むと、


「隼人正、其の方の忠言有難く思う。が、此度は其の方の思い過ごしというものだ。俺に兵庫頭様に対する二心は無い。兵庫頭様を主君と仰ぎお仕えしたいというのは本心だ。」


声を荒げることなく、むしろ穏やかな口調で語る治部大輔に隼人正も傍らで二人のやり取りを見守っていた日根野備中守や彦七郎叔父上をはじめとした織田家の者たちも言葉を失っていた。

それはそうだろう、美濃国を父・信長によって追われた治部大輔が尾張と伊勢の境に位置する長島の願証寺に客将として身を寄せていたのは、美濃への返り咲きを期しての事。

此度の一揆への参戦も、美濃まで攻め込むことは無理としても織田家の本貫地である尾張で一揆を起こす事で信長の足元を揺さぶり、ゆくゆくは美濃に返り咲くための布石を打つことが出来ればとの思惑があっての事だったはず。それが、願証寺の抑えとして置かれている小木江城を落とすことも出来ず、伊勢から来た俺が率いる北畠軍に一揆勢が敗れた途端、俺に仕えたいと告げたのは治部大輔の本心からの言葉だと言うのだから驚いて当然だった。だが、一人だけ驚いていない者が居た。


「…弾正忠様に稲葉山城を追われてより五年余り。その間に治部大輔殿もご苦労されたようにござりますな。その治部大輔殿から見て、兵庫頭様はお仕えするに足る御方と見定められたのでござりますね。私の様に…」


そう告げ微笑みを浮かべたのは半兵衛だった。半兵衛の言葉に、治部大輔は少し照れたように笑みを浮かべ大きく頷くのだった。

そういえば、史実で宣教師のルイス・フロイスがキリスト教の普及のために日本の事を書き記した書『日本史』の中で、治部大輔を「非常に有能で思慮深い」と評し、ガスパル・ヴィレラと問答をしその場にいた教会の関係者を驚かせたと伝わる。

僅か十二歳で父・義龍を失い美濃国の国主と成らざるを得ず、その重圧から放蕩に走った治部大輔であったが、国を追われ忍従に耐えた月日がフロイスをして「非常に有能で思慮深い」と評するだけの人物へと成長させたのかもしれない。

俺は半兵衛と治部大輔のやり取りにそんな事を思い出した。そして、


「分かり申した。治部大輔殿の身柄、某がお預かりいたす!」


「はっ!有難き幸せにござりまする!!」


俺が治部大輔の臣従を受けると告げると、間髪入れず治部大輔は深々と頭を下げた。

その後、長井隼人正、日根野備中守とその一党も俺に臣従する事となり、彦七郎叔父上からは「兄上から聞き及びし紛う方無き“たわけ”よな」と呆れさせ、右衛門尉には「流石は名に負いし“たわけ”様にござりまする!」と感心されることになった。


尾張国 小木江城 日根野備中守弘就


「お待ち下さい、治部…喜太郎様!」


此度の願証寺が尾張のご領内で起こした一揆に対しての仕置きが申し渡され、下間豊前守と共に本願寺からやって来た坊主ども大広間から追い出され、後に残された儂と長井隼人正殿、一色治部大輔様は織田彦七郎殿から坊主どもと共に願証寺に戻るのかと問われた。正直、儂は此度の戦いで一揆を起こしても織田の足元を揺るがすことは難しく、一族の事を考えると捲土重来を計るために諸国を放浪などするより織田弾正忠様に頭を下げた方が良いと思っていた。ただ、治部大輔様は織田様に頭を下げることを良しとはせぬであろう。隼人正殿はそんな治部大輔様に従い、儂らは袂を分かつことになると考えていたのだが、まさか治部大輔様は北畠兵庫頭様に臣従を申し出るとは。

治部大輔様も美濃を追われて五年余り、願証寺の客将といえば聞こえは良いが敗残の将であり、願証寺にいる坊主や門徒から向けられる蔑みの目線に耐え忍んできた事で随分と器が大きくなられ、人を見る目も養われたようだ。儂から見ても竹中半兵衛をはじめ錚々たる武将を従えておられ、その振舞いも堂々としたものでとても“尾張のたわけ殿”と評される御仁とは思えなかったが、治部大輔様の申し出をあっさりと飲んでしまわれたそのご様子になるほどと思わされた。

しかも、治部大輔様は兵庫頭様に臣従をお許しいただくと、「お仕えするのに“治部大輔”という仮名(官職名・通称)は畏れ多く、以後は『喜太郎』を用い一色喜太郎龍興と称することにいたします」とまで口にされた時には、余程の思いで兵庫頭様に臣従を申し出たのだと思わず感心してしまった。

治部大輔改め喜太郎様の臣従が許されると、隼人正と儂も一族の者たちを率い北畠家に臣従する事となり、大広間からの退出を許される事となったがその最中、前を歩く喜太郎様を隼人正殿が呼び止められた。


「…隼人正。其の方に諮らず兵庫頭様への臣従を決めた事については済まないと思う。だが、俺はこれで良かったと思っている。」


やはり、喜太郎様の申し出は隼人正殿と諮った上での事ではなく、独断であったのかと得心が言った。その上で長年自分を支えて来てくれた隼人正殿に謝罪を口にされた。そんな喜太郎様に隼人正殿は首を横に振られて、


「その様な事は宜しいのです。寧ろ、某に諮らずお決めになられた事が最善であったと思っております。

ただ、何故兵庫頭様だったのかお聞かせいただけませぬか?」


隼人正殿の申す通り、何故臣従する御方を兵庫頭様とお決めになられたのか儂も知っておきたいと耳を傾けていると、喜太郎様は少し苦笑を浮かべられた。


「…兵庫頭様の差配があまりにも見事であられたから、などと言うと笑われてしまうやもしれぬ。しかし、その思いが第一であった。

あと僅かで城門が破れ小木江城は落城というその切所に、いくら目が小木江城に注がれている中であったとは言え一揆勢に気取られることなくの背後を取り、一揆勢の半分ほどの兵で打ち破って見せたその手腕に惚れてしまったのだ。

しかも、それを差配されたのが僅か半年前に齢十五にして北畠家の当主と成られたばかりの兵庫頭様だと知った俺の驚きが隼人正には分かるか?

当主になって半年で、他国の手伝い戦に兵を率い勝ちを掴み取る事がどれ程の難業であったか、俺が兵庫頭様の歳の頃は美濃の国主の座の重さに圧し潰されて酒に逃げ放蕩の限りを尽くし、斎藤飛騨守の掌の上で良い様に転がされていた。その事を顧みて、国主(当主)として人の上に立つ者としての“器”の違いに魅せられたのよ。」


そう告げられた喜太郎様に対し、隼人正殿は笑みを浮かべられて、


「そうでござりましたか。ですが、兵庫頭様の御器量を御認めになられた喜太郎様の器量も御自身が思っておられるほど小さくはないと某は思いまする。そうではござりませぬか備中守殿。」


と、儂に話を振ってくる隼人正殿を軽く睨みつけてから引き攣りそうになる頬を懸命に堪えながら応えた。


「隼人正殿の申す通りにござります。正直に申せば、半兵衛殿に稲葉山城を奪われた当時の喜太郎様の放蕩振りには頭を悩ませたものにござりましたが、今の喜太郎様を見てあの時の苦労が報われた思いにござります。」


儂の言葉に、珍しく隼人正殿は笑いを堪えず吹き出し、喜太郎様は渋面を浮かべつつも儂を睨みつけるその目は笑っておられた。

その様子を見て、喜太郎様に『美濃の国主』という重荷を背負わせ続けていたのは儂や隼人正殿であり、兵庫頭様に臣従する事で喜太郎様はようやくその重荷を降ろされたのだと気付くのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] もしかすると一色治部大輔はチベット辺りの砂漠を放浪し、雄大な音曲に魅せられたのかもしれません。
[気になる点] 文字の間違いなのか知らないうちに官位が上がったのかわからなかったのでこちらに書きます。 以前は、「正六位下 兵庫助」だったと思うのですが 本話では、「従五位上 兵庫頭」になっています。…
[一言] 成長すれば天下統一後なら代官みたいな感じで美濃一国の管理くらいは任せられるかも?
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