第八十話 最初の忍び働きは…
「百地丹波守正永にござりまする。これより後は兵庫頭様の下知に従いお仕え致します。」
「藤林長門守正保にござる。良しなに願い奉りまする。」
「千賀地次右衛門保元にござります。そして、我ら三忍が配下、伊賀忍び衆百二十名北畠兵庫頭様にお仕えするため馳せ参じましてござります何卒宜しくお願い致します。」
霧山御所の大広間では此度臣従する事となった伊賀の者たちを迎える為、北畠家の主だった者が集まっていた。そんな中、百二十名の忍びを引き連れて大広間へと繋がる庭に丹波守たち伊賀の三忍が姿を見せたのだが、俺は有無を言わせず丹波守たちを大広間の中へと招き入れた。
大広間の左右に分かれて並ぶ北畠家の者達の視線に、多くの忍びは臆しているのか居心地の悪そうな表情を浮かべていたが、丹波守と長門守の二人は周りからの視線など意に介すことなく、上座に座る俺をジッと見詰めていた。
その視線は一片の隙も無く、俺の一挙手一投足から言葉を噤む際の呼吸に至るまで一切見逃さないという凄味を感じ、手練れの忍びとはこのような者なのかと感心させられた。
もちろん、その視線に怯むような醜態を曝さぬようと心構えをしていたが実際に伊賀の三忍を目の当たりにし、これほどの者たちを臣下に加えられるという喜びが勝り、俺はこぼれ出てしまいそうになる笑みを必死で抑え込み、口を開いた。
「百地丹波守、藤林長門守、千賀地次右衛門。そして、その配下として馳せ参じた伊賀の精鋭よ。大儀である!
お主たちが臣従してくれたことで、北畠家は掲げる旗に恥じぬ陣容を整えられる。これからのお主たちの力、大いに期待しているぞ。」
そう俺が告げると丹波守と長門守以外の者達は僅かに表情を緩めた。俺から直に『期待している』と告げられて一先ず安堵したと言った所だろう。そんな忍び衆の様子を確認したところで言葉を続けた。
「是より其の方達は北畠家の忍びとして北畠家の一翼を担う事となる。そんな其の方らに申し付けておく事がある。」
と、そこで一呼吸入れながら反応を窺うと、丹波守と長門守は動じることは無かったが次右衛門は僅かながら緊張した面持ちを浮かべた。
浄閑入道から家督を譲られたとはいえやはり先輩格である二人にはまだ及ばないが、これから次右衛門がどの様な忍び頭へと成長して行くか楽しみだなどと考えていると、そんな俺を窘める様に太刀持ちとして控える五右衛門が咎める様な視線を向けてきている事に気付き慌てて先を続けた。
「先ほど申したが、この後伊賀の忍び衆には北畠家は掲げる軍旗の『陰』の一字を任せることとなる。その際に最もないがしろにしてはならぬ事は、其の方らの“命”であると心得よ!」
そう言い切ると、今度は次右衛門だけでなく丹波守と長門守も虚を突かれた様な表情を浮かべ、配下の忍び達も俺が何を言っているのかと怪訝な表情を浮かべた。
これまで、忍び働きにおいて与えられた役目を全うする事を求められ、忍びの命など使い捨てて同然という扱いを受けて来た伊賀の忍びに、『最もないがしろにしては成らないのは役目を与えられた忍びの“命”』とこれまで伊賀の忍び達が抱いて来た常識とは正反対の事を俺が口にしたからだった。
「これまで其の方たち伊賀の忍びが他家の者からどの様な扱いを受けていたか些少は耳にしておる。が、他家は他家。北畠家が他家に倣う必要を認めぬ。そもそも、其の方らは北畠家の家臣。某は家臣を粗略に扱う愚かな当主などと呼ばれたくはない。
丁度よい機会でもあるし改めて皆にも告げておく!
鎌倉以来、武士は『命を惜しむな、名こそ惜しめ』などという訓えを伝えて来た。しかし、北畠家では笑止と心得よ!!
名を残す事ばかり考え命を蔑ろにするような愚か者は北畠家には要らぬ。『匹夫の勇』など最も恥ずべき事、一度の負けは一度の勝ちで償えばよい。なれど命を蔑ろにしてはそれも出来ぬ、某が軍旗に『波』を加えたはその為である。匹夫の勇に走り命を蔑ろにする者は北畠家の軍旗に泥を塗る行いであると左様心得よ。」
「「「「「「「「「「はっ!」」」」」」」」」」
吼える様に告げる俺の言葉に大広間に集う北畠家の家臣たちは一斉に返事を返した。その姿に、伊賀の者たちは呆気に取られていたが、長門守が戸惑いながらも声を上げた。
「お待ちください、我らは忍びにござります。御武家様ではござりませぬ。忍びである我らにまで命を惜しみお与えくだされた御役目が全うされなくとも良いと申されるのでござりますか!?そのような不甲斐ない様を我らに曝せと仰せられるのでござりましょうか。その様な仰せには…」
「考えよ!命を蔑ろにせずとも役目を全う出来る策を考えるのだ。そして、一度で役目が全う出来ねば二度三度と策を講じ仕掛けよ、それだけの力が伊賀の忍びには有ると思っている。それと、これまで他家で受けていた忍び働きが如何なる物であったかは知らぬが、某が其の方たちに求める忍び働きは調略と諜報そして防諜が主となろう。特に調略と諜報は生きて報せを届ける事こそ最たる役目であろう。違うか?」
長門守の言葉を遮る様に俺が伊賀の忍びに求めている忍び仕事を明かすと、長門守は言葉を失ったが、代わりに口を開いたのは丹波守だった。
「では、兵庫頭様は我らに敵対する大名・領主に対する調略と諜報だけに留め、排除(暗殺)はせずとも良いと?」
「防諜もだ、丹波守。加えて調略と諜報の手を伸ばす先は敵対する大名領主だけに非ず。この日ノ本に遍く手を広げる事となろう。」
「あ、遍くでござりまするか?それは…」
「ふっ。大風呂敷を広げ過ぎたか?だがな、この後織田弾正様は『日ノ本の静謐』を目指し動かれよう。当家もその動きに合わせる事となる。さすれば満更大風呂敷ということもあるまい。もっとも、当面は長島の一向宗と甲斐の武田家の動きに目を向けねばならぬがな。
一向宗は内の結束が固い、そこから門徒が何を考え如何に動こうとしておるか探るは容易くはないぞ。更に甲斐の武田家は透破と呼ばれる忍び衆を抱えておる。この者達の目と耳を掻い潜り探るは伊賀の忍びの力の見せ所となろう。
其の方らの働き如何によってこの北畠家が一向宗や武田家に蹂躙される事となる。敵将の排除(暗殺)も武略の一つではあるが、一人や二人排除したところで相手の敵愾心を煽るだけ。それよりも、其の方たちが探り出した事柄を元に戦場にて打ち勝ち相手を屈服させる方が後々面倒が少なく済むと思わぬか?」
「た、確かに…」
俺の言葉に丹波守は表情は変えなかったものの、紡ぎ出した言葉には動揺が漏れ出していた。まぁ、一向宗の内情や手練れの透破を揃える武田家が相手だと言われて動揺したとしても致し方ないだろう。それだけこの二つを相手にするという事は厄介なのだから。しかし、この程度で動揺していては困る。武田家の先には北条家の風魔に上杉の伏齅など一癖も二癖もある相手と鎬を削らなければならないのだから。
だが、その前に伊賀の忍び衆の初仕事としてやってもらいたい事があった。
「さて、本来ならば其の方らの忍び働きは秘して行われる物ではあるが、最初の仕事だけはこの場で告げることと致す。
次右衛門。其の方の父君・浄閑入道殿はその昔、万松院様(足利義晴)にお仕えしていた事があったであろう。その伝手を使い、いま丹波国に居られる近衛関白様と繋ぎを取り、関白様に某がこの南伊勢にお迎えしたいと考えているとお伝えいたせ。」
俺の言葉に次右衛門をはじめとした忍び衆だけでなく、北畠家の者も驚きの声を上げ、
「お待ちください兵庫頭様!近衛関白様を北畠家にお迎えいたす事大変な栄誉な事と存じまするが、その使者に忍びを使うというのは如何なものにござりましょうか。忍びなど使わずとも、我らにお任せいただければ必ずや近衛関白様をお連れ致しまする。」
そう声を上げたのは、これまで見た事の無い者だった。何者か分からず眉間に皺を寄せ傍にいる不智斎に視線を向けると、不智斎は素早く俺の意を汲み取り、
「藤方刑部少輔朝成にござります。」
と俺にだけ聞こえる様に教えてくれた。俺は不智斎に目礼を返してから藤方刑部少輔へと視線を向けた。
「藤方刑部少輔。控えよ!
伊賀の臣従により我が元に参った伊賀の忍び衆は北畠家の家臣。更に此度の我が命を申し付けた次右衛門並びに丹波守と長門守は我が直臣。近衛関白様に某の意をお伝えするに我が直臣を持って当てるに何の不都合があろうか。更に申せば、次右衛門には近衛関白様との繋ぎをつけ、その後に某自ら近衛関白様に南伊勢に御移りいただくようご説得申し上げるつもりよ。其の方の出る幕ではないわ!!」
そう一喝すると、俺の剣幕に刑部少輔は縮み上がり謝罪の言葉と共に平伏した。そんな刑部少輔を睨みつけた後、居並ぶ北畠家の者たちをぐるりと見回し、
「改めて申しておくが、伊賀の忍び衆はこの兵庫頭が乞うて家臣として召し上げたのだ。この後の北畠家にとって忍び衆の力は無くてはならぬ物。その忍び衆を蔑むはこの兵庫頭を蔑むことと同義であると心得よ!」
再び吼えるように声を張り上げる俺に、大広間に集う者は皆一斉に平伏した。
一方、俺と対面に座る丹波守たち三忍は流石に動揺することは無かったが、その後ろに控える忍び衆は俺の言葉と、その言葉に一斉に平伏する北畠家の者たちを目の当たりにして何が起きているのか理解が出来なかったようで、周囲を見回し隣り合った者同士で目を合わして目の前で起きている事が現実なのか否かを確認し合っていた。その様子に、これまで伊賀の忍び達が置かれていた状況が如何に過酷な物であったのかを垣間見た気がした。
俺はただ忍びだ!武士だ!と区別することなく同じ人間、同じ北畠兵庫頭に仕える家臣として認め合えと言っただけなのだが、この時代の常識では忍びと武士とでは天と地ほどの違いがあったのだと直視させられた気がした。
もっとも、だからと言って俺の考えを変えるつもりはない。どうせ織田の父上には「この大たわけが!」と大笑いされ面白がられるだろうけど…。
「さて、話を戻すと致そう。次右衛門は丹波に赴き近衛関白様に御目通りを願い某の願いをお伝えし関白様の御意向を伺って参れ。
丹波守、其の方は長島の願証寺と隣接する桑名を探ってもらいたい。知っておるやもしれぬが、越前を治める朝倉左衛門督殿がようやく公方様へ謁見するため上洛しているが、その隙をついて加賀の一向宗が騒ぎ出している。再三に渡り、織田弾正忠様から越前への乱入は慎む様に申し入れているが、このまま抑えが利かずに主不在の越前に乱入すれば弾正忠様は加賀に攻め込むこととなろう。その際、長島の願証寺が如何に動くか探り出してもらいたい。大変な危険を伴う仕事ではあるがよろしく頼む。
長門守、其方は先の南伊勢で起きた戦の際に北畠家の依頼を受け、六角家の甲賀、織田家の饗談の忍び働きを阻止してみせた。その技前を今一度北畠家の為に見せてもらいたい。」
そう告げると次右衛門と丹波守は了承の返答と共に平伏したが長門守は、
「お待ちください。先ほどの仰せ、某に兵庫頭様の護衛と北畠家の防諜をお任せいただけるという事でござりましょうか?防諜の任はそちらに居られる五右衛門殿の御役目だと拝察いたしておりましたが…宜しいのでござりますか?」
と、太刀持ちとして俺の背後に控えている五右衛門を見つつ訊ねて来た。そんな長門守に俺は苦笑いを浮かべ、
「長門守。確かに五右衛門はこの兵庫頭の股肱の臣ではあるが、配下の忍びを持たぬ五右衛門に北畠家を守る防諜の任を任せる事など出来ぬであろうが。それに、口惜しい事ながら某と同じように五右衛門もいまだ未熟。其方の様に多くの配下を自在に使えるようになるのは後二十年とは言わぬが“時”が必要だ。未熟な者が分不相応な役目に就くなど悪しき事ではないか。
もっとも、某は分不相応ながら不智斎様や半兵衛をはじめ多くの者が支えてくれるおかげで北畠家の当主という大役を何とか熟しておるがな。そうであろう、不智斎様。半兵衛。」
そう告げると、不智斎は俺の言葉を否定するように首を横に振り、
「何を申される。兵庫頭様は十分に北畠家の当主の任を務めておられますぞ。」
と言ってくれたのだが、
「と、不智斎様は申してくださいますが、公卿家である北畠家の当主としては些か型破りにござりましょう。この場に居並ぶ皆様も随分と兵庫頭様に振り回されておられるのではござりませぬか?」
と余計な事を言い出す半兵衛。その言葉に次々と追随する言葉が飛び出してきた。
「まことに半兵衛殿の申す通り。いきなり式目を作れと申され、いくら今川家の仮名目録を参考にと仰せられても些か弱りました。」
と半兵衛と共に北畠家の式目を定める様にと申し付けた鳥屋尾石見守が愚痴れば、
「左様、儂など楽隠居しようと思っておった所を呼び出され不智斎様と共に相談役を務めろと申されて…ぶっ、はっはっはっはっは」
大河内左少将まで仏頂面を浮かべる。が、直ぐに仏頂面を崩し吹き出して笑い声を上げると、それを切っ掛けに大広間で伊賀の三忍を囲んで顰め面を浮かべていた北畠の多くの者たちが一斉に笑い声を上げたために、長門守と次右衛門は何事がおこったのだ?というように戸惑いの表情を浮かべた。その様子に俺は溜息を一つ吐き、
「…といった具合だ。皆に無理難題を押し付け情けない限りだが、この者達のおかげでなんとか北畠家の当主を務めておる。丹波守、長門守、次右衛門、其の方達もよろしく頼むぞ!」
と何とも締まりの無いものとなってしまったが、なんとか伊賀の忍び衆の御披露目と初仕事の言い渡しを終えるのだった。




