第八話 出会い・その二
前回の続きになります。
長くなってしまったので二話に分けました。
「なんじゃお前は!ここを生駒の御屋敷と知っての狼藉かぁ」
「喧しい! 昨日、獣肉についていい加減な取り決めをした小僧を出しやがれぇ!!」
外出を許され、町の通りで起きた騒ぎに首を突っ込んでから数日後。いつもの様に横木に木太刀を振り下ろしていると、屋敷の表の方から何やら騒ぐ声が響いて来た。
騒いでいる者の声は如何聴いても声変りをしていない子供の様な甲高い声ながら、なかなかにドスが効き迫力のある声で、応対に出ている生駒屋敷の下男たちの声の方が押され気味のようだった。
「なんの騒ぎじゃ!・・・何者じゃ貴様ぁ、事と次第によっては手打ちにしてくれるぞ!!」
その内に騒ぎを聞きつけた八右衛門殿の声まで聞こえて来たが、来訪者はどうやら屋敷の主である八右衛門殿まで怒らせたようで剣呑な言葉が聞こえてきた。しかし、来訪者は八右衛門殿の脅し文句にも怯むことなく言い返した。
「良いだろう、斬れるもんなら斬ってみやがれ!だがなぁ、この屋敷に住む者の不始末に対し抗議しに来た者を気に入らないと斬ったら、後で恥を掻くのはおめぇらだぞぉ!!」
その言葉に俺はどうやらこの騒ぎの原因は数日前に商家の騒ぎを収めようとして口出しをした俺にあると分かり、慌てて騒ぎが起きている屋敷の表へ走った。
「この慮外者がぁ!」
八右衛門殿はそう吐き捨てると腰に差していた脇差を抜き来訪者に斬りかかった。
「伯父上!」
屋敷の軒先に駆け付けた俺の目に飛び込んできたのは、八右衛門殿が腰に差していた脇差を抜き襤褸を纏った子供に斬りかかろうとするところだった。俺は慌てて八右衛門殿を止めようと大声を上げたが、日頃から剣の稽古の際に声を上げて打ち込みを行っていたことが影響してなのか、建物を振るわせる様な大声が響き渡り、驚いた八右衛門殿は動きをピタリと停止させた。
「なっ、茶筅!?」
「伯父上…八右衛門様、お待ちください。この者が訪ねてきたのはどうやら某に用があるからの様でございます。見たところこの者は武士などではなく市井の者に見受けられます。市井の者が武士の屋敷に乗り込んでくるなど尋常な事ではございません。そこまでの事を成したこの者の話を某は聞きとうございます!」
八右衛門殿は大声の主が俺だと分かると困ったような表情を浮かべた。そんな八右衛門殿に俺は来訪者と八右衛門殿の間に入るようにしてその場に片膝をつき畏まって見せると、八右衛門殿は怒りを収めて脇差を鞘に戻した。
「確かにその慮外者は「獣肉についていい加減な取り決めをした小僧」と口にしておった所を見ると茶筅に用があるのじゃろう。じゃが、この者の言動は無礼にも程がある」
「お怒りは分かりますが、この者が申す通り某の不手際が原因だとすれば非は某にあることとなります。その話も聞かず無礼だと斬り捨てては生駒家の名に傷がつくことになるかもしれませぬ。どうか某にこの者から話を聞く機会をお与えください。」
そう告げて頭を下げる俺を見て八右衛門殿は大きく溜息を吐かれた。
「は~ぁ。そういった所は織田の殿に似ておるな…分かった。この始末、茶筅に任せる。」
そう言うと、屋敷の奥へと姿を消した。俺は八右衛門殿の姿が消えるのを待って、背後にいるであろう来訪者の方に顔を向けると、来訪者は斬り付けられる寸前だったところを助けられて、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をして硬直していたが、俺が自分の顔を見ていると気付くと慌てて怒り顔を作り声を上げた。
「て、手前が、寛太と駒形屋の間に入って獣肉についていい加減な取り決めをした小僧か!?」
「寛太という者の名は知らぬが、駒形屋で騒ぎを起こした者に自分達が食べる余剰の獣肉があれば駒形屋を通さず直接この屋敷に届けるように約したのは某に間違いない。が、その前に一応は命を救われた礼くらいは言ったらどうだ?」
来訪者の尋ね人は俺だと告げつつ、命の礼を言ったらと茶化すと、来訪者は慌てて、
「確かに武士に盾突いて斬られるところを救ってもらったことは感謝している。」
素直に礼を口にして頭を下げる姿に礼儀作法をそれなりに身につけている片鱗が感じ取れ、改めて俺は来訪者を観察した。
来訪者は俺とそれほど変わらぬ歳の男子で、数日前に会った河原者の男の子と同じような所々破れた襤褸の着物を身につけてはいたが、昨日の男の子と違い体臭が驚くほど薄く、着物の奥に見える体も鍛えているのか引き締まった筋肉が見えていた。
「うむ。礼は受け取った。それでは話を聞くとしようか…と、その前にお主の事は何と呼べばよい?名無しの権兵衛殿という訳にも行かぬだろう。」
矢継ぎ早に放たれる俺の言葉に、何を思ったか一瞬躊躇し言葉を詰まらせたが直ぐに、
「・・・五右衛門。五右衛門と呼べ」
と答えた。俺は五右衛門に笑みを浮かべて頷いて見せた。
「そうかそうか、五右衛門か。なかなか良い名ではないか。某は茶筅丸じゃ、可笑しな名じゃろう、父が酔狂なお方でな妙な名をつけられてしまったのだ。まぁ気楽に茶筅と呼んでくれ。さて、ここでは屋敷を訊ねてきた者の邪魔になる、ついて来い五右衛門!」
そう言って俺は五右衛門の手を掴み、先ほどまで剣の稽古をしていた屋敷の庭へと向かった。
強引に庭へ連れ込まれた五右衛門は、そこに置かれていた何度も打ち込まれてささくれだった横木を見つけると掴まれていた手を振り解くと、
「話を聞くと言いながら屋敷の奥に連れ込んで俺を口封じするつもりかぁ!河原者だからって馬鹿にしやがってぇ!!」
俺を睨みつけていきり立った。
そんな五右衛門に俺は手に持っていた木太刀を縁側に置き、使っていた横木と台座を片付けた。淡々と片付け作業を進める俺に五右衛門は警戒しつつも困惑したようで、おれの一挙手一投足に目を光らせていた。
剣の稽古道具を片付けた俺は、庭に面する縁側に腰を掛け屋敷の奥へ声を掛ける。いつもの様に屋敷の下男が木桶に水を入れて持ってくると懐に入れていた布を取りだし水に湿らせて体を拭い汗を拭きとり、木桶を持ち帰る下男に飲み水を二つ持ってくるように告げた。下男は直ぐに水を器に並々と注いて持て来てくれた。俺は下男に礼を言い、水の入った器を受け取ると一気に煽り喉を潤してから、未だに俺を睨みつけている五右衛門に声を掛けた。
「別にお主に危害を加えるつもりなど無い。某はお主から話を聞くためにここまで案内したのだ。そう睨めつけておらんでこちらに来て喉を潤したらどうだ?」
そう呼び掛け水の入った器を五右衛門の方へと差し出した。俺の言葉に五右衛門は屋敷に乗り込み啖呵を切ったことで喉が渇いていたのか、ゆっくりと近づいてくると俺の差し出す器を奪い取るようにして口元に運び美味そうに飲み干した。
「さて、それでは話を聞こうか。数日前、某が男子と約した獣肉についての何が問題なのだ?」
水を飲み干し一息ついた五右衛門に俺は屋敷に乗り込んで八右衛門殿に啖呵を切った件について話すように水を向けると、五右衛門は俺の顔をしばらく凝視してから、
「どうやら、茶筅は本当に話を聞いてくれるつもりのようだ。寛太も言っていたが随分と変わったお方らしい。河原者の話を聞こうとするとは…」
と、溢した。
「そんなに可笑しなことか?河原者だろうと同じ人だ。人が命をかけて談判に及ぶという事はそれ相応の理由があるはず、それを蔑ろにする訳にはいくまい。」
五右衛門の吐露に対し反論を口にする俺に、五右衛門は少し呆れたような表情を浮かべてから微笑んだ。
「そこが可笑しいと言うんだ、武士の子と河原者の子を同じ『人』などと公言する奴を俺は見たことが無いぞ。まぁいい、今の言葉から茶筅が寛太と約したことは善意からだという事が良く分かった。だが、寛太やその家族の為を思って交わしたことが今、寛太たちを追い詰めることになっているんだ。」
「なに!どういう事だ!!」
男子の家族を思い約したことが、家族を追い詰めていると聞いて思わず語気が荒れた。そんな俺の目を五右衛門は覗き込むようにして視線を合すと、
「今、寛太たちは他の河原者から居場所を追われようとしているんだ、己たちだけで旨い汁を吸おうとしているってな。茶筅は知らないだろうが河原者の間にも仲間意識からの取り決めってのがあってな。商家との鞣した革の取引も皆一律に行うようになっているんだ。
今回の駒形屋は革だけじゃなく獣肉まで手に入れようと河原者たちから買い叩いたんだが、寛太のところは駒形屋から受け取る鞣した革の報酬じゃ満足に食わせることも難しいってんで、皮を剥いで残った獣肉で飢えをしのいでいたんだ。駒形屋はその獣肉まで買い叩いたために飢えに苦しむ妹の姿を見て我慢できなくなった寛太が怒鳴り込んでいったんだ。
駒形屋にしてみりゃ、たまたま必要になった獣肉を手に入れようとしたらその入手先が獣肉を食わなけりゃならないほど飢えていたとは思わなかっただろうな。だからと言って、下手に約束を取り交わしたら周辺の河原者たちも同じように報酬を払わなきゃならない。だが、大量に持ち込まれたって売る先の目星が付かなきゃ損をするのは駒形屋だ。自分が損をしてまで河原者に報酬を払う商家なんていやしない。寛太たちにゃ悪いが泣き寝入りで終わりだったのさ。
それを茶筅、あんたが変えちまった。
寛太に獣肉の報酬を払う約束をしちまったんだ、そうすりゃ他の河原者だった自分もご相伴に預かりてぇと思うのは当たり前だ。だが、周辺に住む河原者が茶筅の下に獣肉を持ち込んだらどうだ?困るだろう。そう考えた寛太は約束を交わした茶筅の事を喋らなかったんだ。だが、それじゃ収まらない。
これまで一緒にやってきた仲間内の決め事を破るのかと折檻されて、それでも寛太は茶筅に迷惑をかけちゃならねぇと口を噤みっと、どこへ行く茶筅!?」
俺は五右衛門の話を最後まで聞かず縁側に置いておいた木太刀を手に駆け出していた。
俺の行動に驚き声を張り上げて俺の名を呼ぶ五右衛門の声に屋敷の方が騒がしくなったようだったが構わず俺は寛太と会った駒形屋に乗り込むと店の主人に寛太の住む場所を問い質して寛太の家族が住むと言う河原へ走った。
駒形屋の主人から聞いた河原には、雨を凌ぐのがやっと大風が吹けば吹き飛ばされるようなあばら家が何軒かあった。その中の一軒から子供がすすり泣く声が聞こえてきた。
その声に誘われて思わず飛び込んだ先で目にしたものは、何度も殴られたのだろう体中を青く腫らした寛太と、そんな寛太の患部の腫れがひくようにと濡らした布を当てて患部を冷やしながら涙を流す妹らしき少女の姿だった。
「寛太!こんなになってまで俺の事を隠さずとも良かったではないか。傷だらけになって…」
横たわる寛太の脇に駆け寄り涙をこらえながら呟く言葉に、腫れた体を冷やそうと患部を水で濡らした布を当てていた少女が口を開いた。
「兄さぁはあたしらのために駒形屋の旦那さんと話をつけてくれた貴方様のほんとに感謝して、「このご恩は決して忘れてはならねぇ!」って言っておっかねぇ男たちが脅してきても一切話さなかったんだよぉ」
その言葉に俺の涙腺は崩壊し、ポタポタと涙が零れ寛太の頬に落ちた。すると、寛太は小さな呻き声を発して体を捩り、閉じていた目が微かに開いた。
「ちゃ、茶筅さま。茶筅様がどうしてこんな…五右衛門、おめぇがこんな汚れたところに茶筅様をお連れしたのか!申し訳ありません茶筅様…」
自分を覗き込んでいる俺と心配そうに見つめる五右衛門を見て、寛太は五右衛門を責め謝罪の言葉をしようとしたが俺はその寛太の言葉を遮るように声を上げた。
「寛太!謝るのは俺の方だ。良かれと思っての事とはいえお主たちの事情をよく知らずに。それなのにお前はこんなになっても俺に気を使うとは。これ程の忠義に俺はどのように報いれば良いのだ!」
「は、はは。忠義だなんて、おらは茶筅様からの恩を仇で返さないようにと思っただけです。」
痛みに顔を引き攣らせながらも微笑む寛太の手を握り、俺は何度も頷くことしかできなかった。
「けっ、うつけの所の小僧が偉そうにしやがって!」
「その通りにございます。我ら河原者は川並衆の手下、幾ら織田の殿のお子様と言えど下手な横槍はごめんこうむりまする。にしても寛太の奴は強情でわざわざ将右衛門様にご足労いただいて申し訳ねえことでございます。」
そんな声があばら家の外から聞こえて来て俺は思わず外へ飛び出していた。突然あばら家から姿を現した俺に男たちは一瞬驚いたようだったが、すぐに毛皮を纏い山賊の様な姿の破落戸が声を荒げた。
「なんだテメェは、突然飛び出してきやがってぇ!」
今にも掴み掛ろうとする破落戸だったが、隣にいた武士が慌てて制止の声を上げた。
「やめいぃ! 茶筅様、先日もお目にかかりました木下藤吉郎が家来・前野将右衛門長康にございます。本日はこのような場所に一体何用で?」
俺の前に片膝をつき畏まって見せる将右衛門に対し、制止の言葉を投げつけられた破落戸は将右衛門の態度に目を白黒させ慌ててその場に跪いた。
「前野将右衛門殿、某がこの場に居る理由か?それはお主が連れているそこの破落戸から聞いているであろうが。」
怒気を纏わせた低い声で応じる俺に、将右衛門は額に汗を垂らし困ったように顔を顰めた。
「そもそも、駒形屋での一件の場にその方も藤吉郎殿と共に同席し話を聞いていたはずだ。その時に某の申し出に対し物申したきことがあれば、手下を使って寛太を折檻せずともその場で申せば良かったのではないか!」
問い質す俺の言葉にを聞いた将右衛門は俺を鼻で笑い、被っていた仮面を脱ぎ捨てた。
「ふっ、何も知らぬ小僧が聞いたような事をほざくわ。駒形屋で口を出さなかったのは藤吉郎が居たからよ。そうでなければ好い気になっている織田の小倅など殴り飛ばしていたわ。何の力もない小僧が親の威を借り好い気になりおって。川の事は川並衆を従える俺が縄張り。河原に住む者も俺の手下じゃ、それをどうしようと俺の勝手よ。それが嫌なら川から離れることだ、もっとも河原にしか居場所が無いような者を受け入れる物好きはおらぬだろうがなぁ!」
将右衛門の言葉に俺は腸が煮えくり返り怒りで髪の毛が逆立ち、思わず持っていた木太刀の柄を握ろうとしていたが、
「茶筅!駄目だ!!」
俺の右肩を強く握る五右衛門の言葉にハッとさせられた。将右衛門は川や河原は自分の縄張りだと豪語した。奴から見れば俺の方が己の庭先に土足で踏み込んで来た無礼者となる。ここで、木太刀を振るったら俺は縄張りを荒らした慮外者として殺されても文句は言えない。しかも、俺を殺した将右衛門は寛太兄妹を憂さ晴らしに殺すかもしれない。まぁ、あの父《信長》が自分の子を殺されて報復に出ないなどという事は無いだろうが、俺や寛太兄妹が殺されては何の意味もない。それを分かっていて五右衛門は俺を止めてくれたのだと理解した。
俺は五右衛門の手を肩から外すと俺を見つめる五右衛門に小さく頷き、
「嫌なら川から離れろか…分かった寛太一家の身柄は某が預かる。以後一切の手出しは許さぬ良いなぁ!」
そう告げ、俺は五右衛門と共に寛太兄妹と話をするために再びあばら家へと入った。そんな俺の背中に、
「はっ、尻尾を巻いて逃げ出したぜ。流石は将右衛門様だ、織田の小倅も川での事は将右衛門様に逆らえねぇってことが分かったと見えらぁ!」
「へっ、あたりめぇじゃねぇか。将右衛門様は泣く子も黙る川並衆の頭領だぜぇ、木曾の川で将右衛門様に逆らえる者はいやしねぇってことよ!」
「おい、小僧が俺の威に恐れをなして逃げるなぞ当たり前の事、そんなに持ち上げるんじゃねぇよ。」
と俺を嘲笑い将右衛門のご機嫌を取る手下の言葉と、その言葉に喜色満面といった将右衛門の声が響いていた。
「茶筅、よく耐えた。見直したぞ…」
悔しさに木太刀を握る手が白くなっている俺に五右衛門が優しく声を掛けてきた。その声にハッとなりあばら家に入るなり下を向いていた俺は顔を上げ、飛び込んできたのは寛太と妹の心配そうな顔だった。
その顔を目にして、俺は自分のしなければならない事を思い出した。
「寛太、それに妹御。二人のほかに家族はおらぬのか、居るなら皆に聞いてほしい話があるのだが。」
俺からの問い掛けに、寛太は寝たまま妹と顔を見合わせたあと顔を伏せた。
「お父とお母は先の大水で川に流された弟を助けようとして一緒に流されて…」
「そうだったか。兄妹二人きりという訳か、分かった。寛太、妹御、二人には申し訳ないが某の力不足で駒形屋との取り決めは反故にされるだろう。それだけでなくこのまま此処に居ては二人にとって良くない事が降りかかるだろう。」
将右衛門とのやり取りから寛太兄妹が迫害されるのは予想できた。その事を包み隠さず告げると、二人は顔を青くした。
「そこでだ、寛太と妹御は俺の所に来ぬか?将右衛門は嫌なら川から離れろと言った。お主たちが川から離れて暮らす分には手を出さぬと約した事になる。身なりからもわかると思うが某はそれなりの武士の子でな。近く家人となる者を付けられることになるのだが、三男では家人の成り手が居らぬのだ。どうだ?寛太、某の下に妹御と共に来て家人に成ってはくれぬか。」
俺の言葉に初めは何を言われているのか分からなかったのかポカンとしていた寛太兄妹だったが、次第に言葉の意味を理解し慌てだした。
「い、いや。そんなおらがお侍様の御子の家人だなんて恐れ多い。それに妹の事も・・・」
「妹御も共に来て最初は行儀見習いとして働き、行く行くは某の家の奥の取り仕切りを頼みたい。どうだ、二人で某を支えてはくれぬか?」
恐縮する寛太の言葉を遮るように妹御についても仕事はあると告げると、それまで黙って成り行きを見守っていた五右衛門が声を上げた。
「良いじゃねぇか寛太。俺も一緒に行ってやるよ、お周ちゃんと三人で茶筅の面倒を見てやろうじゃねぇか!そうと決まれりゃ俺は親仁に話を付けてくらぁ!!」
そう言ってあばら家を飛び出して行った。俺はそんな五右衛門の言動に呆れつつも勿怪の幸いと寛太に迫った。
「という事で、寛太と五右衛門二人が某の家人、妹御はお周ともうされるのだな。ではお周殿は行儀見習いとして入り、行く行くは奥女中という事で決まりだ!」
ゴリ押しして寛太兄妹と五右衛門を生駒屋敷に連れて行くと決めた。
もっとも、傷を負い満足に動けない寛太を俺と五右衛門の二人で戸板に載せて生駒屋敷に連れ帰えると、母(吉乃)と八右衛門殿に呆れられることになるのだが…
後に寛太と五右衛門の二人は信長からも茶筅丸の家臣として認められる事となり、茶筅丸と共に元服して生涯忠節を尽くし、“北畠中将の功臣”と称えられることになる。
◇
「百地の親仁!」
近江から美濃を抜け河原者の中に入り身を隠して三河からの知らせを待っていた儂の下に、周りの様子を見に行かせていた五右衛門が息を弾ませて戻ってきた。
いつもは世を拗ねたような仏頂面でいる奴に何があったのか上機嫌で帰ってきたと思ったらいきなり儂に声を掛けてきたのだ。普段との余りの違いに思わず返答を返してしまった。
「なんじゃ五右衛門か。どうした妙に機嫌が良いな。」
「親仁、俺は尾張に残ることにしたぞ!」
「なにぃ!?お前は三河の服部殿の元で使ってもらうために連れて来たのだぞ!何を勝手な事を言っておるかぁ!」
わざわざ伊賀の里から連れて来たのに、三河ではなく手前の尾張に残ると言いだした五右衛門に儂は怒鳴り声をあげていた。しかし、五右衛門の奴は儂の怒鳴り声などどこ吹く風とばかりに平然と
「三河の服部の所に行ったって、良い様に扱き使われて屍を晒すことになるだけだろ。それよりも、俺を尾張に残した方が伊賀にとっても良いと思うがなぁ。」
言い返してきたその顔には悪戯小僧が浮かべる様な生意気な笑みが浮かんでいた。儂をその五右衛門の表情を見てスッと頭が冷えた。
「…五右衛門、一体何があった?何を見て尾張に残るなどと言い出したのだ。」
「百地の親仁、もし俺が織田の御曹司と知り合い、家人に取り立てられたと聞いたらどうだ?」
「なんだと、織田の御曹司の家人じゃと?…話が見えぬ、何があったか全て話せ!」
威圧を込めて詰め寄る儂に五右衛門は臆することなく周囲を探りに行った先で出くわした出来事の全てを話して聞かせた。
五右衛門が話した内容は頭から信じられるようなものではなかったが、世に『うつけ』と評判の織田上総介が三男と顔を合わせ、気に入られたのは本当のことのようだった。何よりも、河原者のために涙を浮かべ、己の力が及ばないと知ると河原者を守るために身内へと引き込むと決めた茶筅丸に五右衛門は惚れたようだ。
伊賀の里に居た時は悪童として里の鼻摘み者だった五右衛門が、嬉々として語る織田の茶筅丸と言う小童に儂自身が惹かれている事に気付いた。
応仁の乱から間もなく百年が経ち、荒れ果てた日ノ本で根無し草の河原者に涙し手を差し出すような武士の話など終ぞ聞いたことが無かった。
河原者と同じように人として扱われず、僅かな銭のために命をすり減らし、時には野垂れ死にすることも多い儂ら伊賀者も、もしかしたらこの茶筅丸という小童は他の武士とは違った扱いをしてくれるのでは…五右衛門の顔を見ているとそんな夢物語を見てしまいそうになる己がいた。そんな自分に儂は苦笑してしまった。
「分かった。服部殿には儂が頭を下げておく。五右衛門、その茶筅丸という小童を確と見極めよ。見極め、己《忍》の主に相応しいと断じたら儂に知らせるのじゃ。良いな!」
儂がそう言って尾張に残ることを認めると、五右衛門は今までに見たことが無いような満面の笑みを浮かべ力強く頷き、駆け出して行った。
三河では手下の人数が約束よりも一人足らぬことに儂は服部殿に頭を下げ面目を失ったが、儂のこの時の決断によって後に伊賀の里が大きく飛躍する事になるとは神ならぬ身では知る由もなかった。




