第七十七話 伊賀調略 その四
伊賀国 平楽寺門前 蒲生藤次郎重郷
「伊賀の皆々様方、北畠兵庫頭にござる。少々宜しいか?」
伊賀の忍びの郷にある平楽寺で行われている惣評定に乗り込んだ兵庫頭様の言葉に、集まる伊賀の忍びたちが固まる姿に、某はとんでもない御方にお仕えしているのだと改めて思い知り、これから兵庫頭様が伊賀の者たちに対し行われようとされておられる事にゾクゾクッと武者震い沸き起こるのを感じた。
事の起こりは某が兵庫頭様に臣従して幾らも経たぬ時であった。
同輩である石川五右衛門殿が兵庫頭様に呼ばれ忙しく動かれている事には気付いていた。その事を同じく同輩の川之辺寛太郎殿にお訊ねしたのだが寛太郎殿にも知らされてはいない様で、
「藤次郎殿、五右衛門が兵庫頭様の命により動いている事は存じておりますが、その内容については私も詳しい事は知らされてはおりませぬ。」
と話して下されたが、それでも寛太郎殿は何かを察している様であった。
寛太郎殿と五右衛門殿は古くからの付き合いの様で、兵庫頭様がまだ茶筅丸様と呼ばれていた幼き頃に臣従したと聞いた。重臣で以前は茶筅丸様の傅役を務めておられた竹中半兵衛殿と並び兵庫頭様と最も付き合いの長い家臣だという。
はじめはお二人が織田弾正忠様の御重臣・丹羽五郎左衛門尉長秀殿と池田勝三郎恒興殿のお身内だと思っていた。だが、なんと寛太郎殿は元河原者。五右衛門殿は忍びであったという。
それが幼き頃から兵庫頭様にお仕えし、三河への人質にも同道され織田弾正忠様から直々に元服を許され烏帽子親を五郎左衛門尉殿と勝三郎殿が務められたのだとか。また、寛太郎殿の妹子は兵庫頭様の御妹君・徳姫様の侍女として北畠家に入られているというのだから、兵庫頭様からの御信任がどれ程篤いのか分かろうと言うもの。
その様な間柄であればこそ五右衛門殿が何に動かれているのかは知らされなくとも薄々察せられておられるのだろう。
そんなお二方の間柄に僅かな嫉妬を抱いていると、
「五右衛門からは聞いておりませぬが、察するところ五右衛門は兵庫頭様の命を受け伊賀の忍び頭・百地丹波守様の許に向かわれたのではないかと。」
と、某に耳打ちされた。その言葉に驚き、寛太郎殿をまじまじと見つめると寛太郎殿は照れ臭そうに笑みを見せられて、
「兵庫頭様に童の頃よりお仕えして五右衛門が兵庫頭様の御傍を離れた事が一度だけござります。それは兵庫頭様が三河の徳川様の元に質として向かわれる前のこと…」
と五右衛門の出自と伊賀との関係を教えてくれた。その上で、
「北畠家に入られた兵庫頭様は軍旗を“孫子の四如”に『陰』・『雷』・『波』を加えた“七如”と定められました。その中の『陰』が北畠家には足りぬと御考えなのです。
織田弾正忠様には“饗談”、六角左京大夫様には“甲賀”。そして、この後敵対する事になる甲斐の武田家は“透波”、北条家は“風魔”を抱えております。その様な者らと対等に伍して行くには北畠家も『陰』を司る者たちが必要なのだと御考えなのではと拝察いたします。」
某は寛太郎殿の言葉を聞き、驚きの余り数瞬の間言葉が出なかった。その間、寛太郎殿は某を急かすことなく静観を保っておられた。その間のおかげで某は正気を取り戻し、
「で、では兵庫頭様は伊賀の忍びを北畠家に迎え入れるおつもりなのでござりますか?」
と、やっとの思いで返す事が出来た。そんな某の言葉に寛太郎殿は静かに頷かれ、
「そうなのではないかと…間もなく五右衛門が戻って参る筈。そうなれば兵庫頭様は動かれましょう。藤次郎殿も御覚悟を固められその時にお備え下さい!」
某に支度を整える様にとご助言下された。そして、寛太郎殿の言葉は数日の後に現実のものとなった。
「兵庫頭様。只今戻りましてございます!」
「ご苦労!で、首尾は。」
寛太郎殿に「備えを!」と告げられた五日後の事、兵庫頭様の許に姿を現した五右衛門殿は、何処かに行かれておられたのか旅支度の装いのままであったが、その姿に兵庫頭様は何一つ言及せずただ労いの言葉と共に何事かを問い質された。それに対し五右衛門殿は微かに笑みを浮かべられると、
「はっ!丹波守様、浄閑入道様は概ねこちらの誘いを肯定的に受け止めておられるやお見受けいたしました。長門守様は少々戸惑っておられる様子にござりましたが、丹波守様と浄閑入道様と話し合われた様子にて問題ないかと。」
「それは重畳。では、後は惣評定にて村長たちが如何考えるかだな…寛太郎、小六郎殿と玄衛門に知らせを!
五右衛門、疲れているところ悪いが機を逸する訳には行かぬ。案内を頼むぞ!!」
「疲れなど大したことではござりませぬ。この一事に伊賀と忍びの未来が開けるか否かが掛かっておりまする。伊賀の忍びに籍を置いていた者として、伊賀への恩返しのつもりで励ませていただきます。」
力強く応えられた五右衛門殿の言葉に兵庫頭様は一瞬笑みを浮かべられたが、直ぐに表情を引き締めると某の方へと顔を向け。
「藤次郎。これより伊賀の忍びの郷へ参る。供をせよ!」
と告げられるとその場からすっくと立ちあがられた。
某は兵庫頭様の言葉に慌てて付き従う事しか出来なかったのだが、この事は予め準備を進められていたのか兵庫頭様の外出は、表向きは鷹狩りに向かうためとされ、その供の人数も某に寛太郎殿と五右衛門殿。それから蜂須賀小六郎殿が手配した勢子十数人と、大名家の当主が行う鷹狩りにしては少人数ではあったが、これまで兵庫頭様は領地を回られる際も少人数で行う事を好まれていた為、特に不審に思われることなく霧山御所から出立する事が出来た。
しかも、兵庫頭様は御父上・織田弾正忠様とよく鷹狩りに行かれていたことが織田家中では知られた話であったため、鷹狩りの衣装を身に纏った兵庫頭様を見た者たちは誰もその事を疑うことは無かった。
しかし、よく見れば平素の鷹狩りと異なり、供をする某たちや蜂須賀小六郎殿が小袖の下に鎖帷子を纏っていたり、勢子を務める者達が北畠領内では見掛けた事の無い者だと気付いただろう。
だが、その事に気付いていたのは竹中半兵衛殿や木下小一郎殿、前田慶次郎殿など兵庫頭様に長くお仕えしておられる極限られた方々だけであったに見受けられた。その方達も気付いてはいても特に咎めだてすることは無く、ただただ苦笑を浮かべられるだけであった。(慶次郎殿は『自分も連れて行け!』と言う様な物欲しそうな表情を浮かべておられたが…)
霧山御所を出て、雲出川に向かい雲出川で小六郎殿が用意した舟に乗って川を下り、初瀬街道に出て青山峠を抜け伊賀国に入った。
伊賀国に入った所で小休止を取っていると、土地の者と思われる百姓姿の男二人が近づいてくるのが目に入った。某は慌てて槍を構え何者か誰何しようとすると、
「藤次郎殿、ご案じ召されるな。その者達は拙者の見知り居りの者にござる。」
五右衛門殿がそう声を上げられ、百姓二人の許へと駆け寄り笑顔を浮かべ声を掛けられた。
「次右衛門殿!新左衛門殿!」
「五右衛門!伊賀の悪童から敬称で呼ばれる日が来るとはな。随分と成長したものよ。」
「まことに。あの悪タレ小僧が北畠家御当主の小姓を務め御信任いただいておること正に重畳。それで、兵庫頭様はどちらに居られる。早くご挨拶を申し上げたいが…」
「次右衛門殿、新左衛門殿!伊賀の悪童と呼ばれていたのはもう十余年も前の事、ご勘弁下さりませ!!それはさて置き、兵庫頭様は此方に…」
そう親し気に挨拶を交わすと五右衛門殿の案内で二人は兵庫頭様の前に進み出ると、着ていた野良着を脱ぎクルリと裏返し、真っ新な生地の小袖に転じ顔を覆っていた手拭いを取り顔の汚れをふき取ると精悍な表情の三十代と二十代半ばと思われる偉丈夫が姿を現した。
「北畠兵庫頭様でござりまするか。お初にお目にかかりまする、千賀地浄閑入道が一子・次右衛門保元にござりまする。」
「百地丹波守が一子・新左衛門正西にござりまする。これより伊賀の郷までの道中。我ら二人がご案内仕りまする!!」
二人は兵庫頭様の前に片膝を付くと、堂々と名乗りを上げ伊賀の郷までの案内を申し出た。某はその言葉に驚きを隠せなかった。
千賀地浄閑入道と百地丹波守と言えば、伊賀の忍びを纏める“三忍”の内の二人。その子息が伊賀に臣従を求める兵庫頭様の道案内を申し出たという事は、伊賀の三忍の内少なくとも千賀地家と百地家は兵庫頭様の申し出に対し拒否してはいないという事が考えられた。
伊賀国は武家が国を纏めている訳ではなく、伊賀国内に点在する村々の長が集まり『惣』を形成し、村長による評定によって伊賀を治めていると聞く。
兵庫頭様から臣従の誘いを書き記した書状が届けられた伊賀では、間違いなく村長たちによる惣評定が行われるだろう。
そんな節所を突き付けられた伊賀に突き付けた本人が乗り込もうとするその道案内を三忍である千賀地家と百地家が申し出たという事が驚きであった。
しかし、兵庫頭様は驚かれることなくむしろ満足げな表情をうかべられて、
「次右衛門。新左衛門。大儀!早速だが案内を頼む。」
と二人の名を呼び労うと即座に行動に移すべく立ち上がられた。そんな兵庫頭様に次右衛門殿と新左衛門殿は顔を紅潮させると意気盛んになり、先頭に立ち案内を始めた。
次右衛門殿と新左衛門殿は“伊賀の三忍”と呼ばれ畏れられる忍びの頭領を父に持ち、忍びの者たちから一目置かれておられる身の上ではあるが、他の大名・領主の下へ忍び働きに出れば格下の様に見下され、時には道具扱いされることもあろう。
忍びは時には雇った大名たちの命運を左右する様な働きを求められるにも拘らず、働きに見合った評価を受けることが少ない。
六角家では甲賀武士(忍び)の頭領を務める三雲家を重臣として重用している事もあり、甲賀武士を道具の様に見る者は少なかったが、これまで臣従をすることなく各地の大名に忍びを派遣し、忍び働きの対価として金銭を受け取っていた伊賀の忍びは大名家の当主自ら労いの言葉を掛けてもらったことなど皆無であった事だろう。
そんな次右衛門殿や新左衛門殿に北畠家の当主である兵庫頭様自らがお声掛けをされたことで、兵庫頭様が伊賀に臣従を求めた事実は偽りではないと感じたのではないのかと思った。
次右衛門殿と新左衛門殿の案内によって、一行は郷の周りに張り巡らせてある結界(警戒網)を潜り抜け、惣評定が執り行われるという平楽寺が目視出来る位置まで近づくと、兵庫頭様が先を行く次右衛門殿と新左衛門殿に声を掛けられた。
「次右衛門。新左衛門。案内は此処までで十分、この先へは我らだけで進むことと致す。」
その言葉に、お二人は表情を曇らせた。それは、信じようとしていた者に裏切られたと感じた者の顔の様に見えた。が、
「惣評定をしているという寺に近づけば、寺を警護している者達に見られることとなろう。我らは見られても一向に構わぬが、其の方ら二人は郷に外部の者を引き入れた裏切り者と見做されてしまうことは必定。そうなってはたとえ惣評定にて北畠家への臣従が決まったとしても、其の方達は裏切り者として伊賀から追い出されることとなりかねぬ。そうなってしまっては、其の方達に申し訳が立たぬ。評定が行われていると言う寺を目視出来た上は正々堂々と正面から乗り込み、評定を行っている伊賀の村々を治めている村長たちを説き伏せ、必ずや村長たちに伊賀の臣従を認めさせる所存。
此処で暫しの別れとなるが、北畠への臣従が決まった折には、其の方達が某の元を訪ね直臣として仕えてくれることを期待している。」
と兵庫頭様がご説得されると、得心が行ったのか次右衛門殿と新左衛門殿は表情を緩めつつ少し恐縮した様子で、
「兵庫頭様にその様にお気遣いいただき恐悦に存じまする。確かに仰られる通り我らが兵庫頭様を案内して来た事が知れれば千賀地家と百地家は他の者を差し置き兵庫頭様に通じていたとして要らぬ猜疑を向けられることになるやもしれませぬ。此処は兵庫頭様の御指図に従うが良策。
吉報が届くことを願いつつ我らは此処で失礼を致しまする。」
そう次右衛門殿は告げると、新左衛門殿と共に深々と頭を下げるのを見てこちらも返礼をと思い一瞬二人から視線を外した刹那の間に、某たちの目の前から二人の姿は消えていた。その事に驚き言葉を失っている某に対し、兵庫頭様や寛太郎殿に小六郎殿は特に驚いた様子はなく、五右衛門殿に至っては何処か満足気な表情を浮かべ、
「流石は次右衛門に新左衛門!見事な忍びの技にござる。」
と声を上げると、その言葉に兵庫頭様も大きく頷き、
「五右衛門の申す通り、見事な技前よ!あの者達ならば北畠の『陰』の一字を任せられよう。その為にも何としても伊賀の臣従を取りつけねば!!」
そう力強く申されると、先の言葉通りに平楽寺の正面から乗り込まれたのだった。
今回の更新で伊賀調略は終わると思っていたのですが、思いのほか長くなって…
次回で纏められれば良いのですが。
次回を年内に上げられるか?来年一発目になるか?




