第七十六話 伊賀調略 その三
伊賀国 平楽寺本堂屋根裏 藤林長門守正保
「各々方、これより惣評定を執り行う!百田藤兵衛(丹波守)殿。」
北畠家からの書状が届いて数日後。丹波守殿と浄閑殿の申された通り伊賀の各地に点在する村の長十二人が集まって行う惣評定が平楽寺にて執り行われた。
評定の進行役は廻り番で行われており此度は、依那具荘の地頭・小泉左京殿が務められる。その左京殿から長田荘の地頭を務める百田籐兵衛こと百地丹波守殿が発言を求められた。
丹波殿が口にされるのは勿論、北畠家から届いた伊賀への臣従の誘いであった。
「此方が先日某と千賀地浄閑入道殿、藤林長門守殿の下に届いた北畠家当主・兵庫頭信顕様よりの書状にござる。」
そう前置きし、丹波守殿は儂と浄閑殿が預けた書状を懐から取り出して村長たちから良く見える様に掲げてから、その中の一通を広げ皆の前で朗々と読みあげた。
丹波守殿が読みあげる書状の内容に、最初は戸惑いの表情を浮かべていた村長たちも徐々に表情を変え、ある者は笑みを浮かべ、ある者は眉間に皺を寄せ、またある者は表情を消し他の者の出方を窺うなど千差万別の様子を見せた。
そして、丹波守殿が書状を読み終えると、暫しの沈黙がその場を支配したが、
「では、藤兵衛殿が読みあげた北畠家からの書状について思う所がおありの方は申し述べていただきたい。」
と、進行役の左京殿が村長たちに意見を募ると、真っ先に声を上げたのは下阿波荘の地頭・植田豊前光信殿であった。
「北畠家からの書状とやらに書かれている事柄は我ら伊賀の者にしてみれば喉から手が出るほどの好待遇と言える。だが、書状に書かれているからと言ってそれが真の事であるとは到底思えぬ。そもそも、臣従を求めるのならば書状ではなく使者を立てるのではないのか?それを書状で済まそうとするなど我らを謀ろうとしているとしか思えぬ。そもそも、その書状を藤兵衛殿や浄閑殿、長門守殿の元に届けたのは何者なのだ。伊賀の郷を守る結界を潜り抜け、書状を届けるなど余程に忍びの技に長けた者であろう。先ずその書状を届けに来た者の氏素性を明らかにしていただかねば、これから後、枕を高くして寝られぬ!」
豊前殿の発言に同意を示す村長も数人見受けられた。それに対し丹波守殿は包み隠すことなく、
「書状を某の元に届けたのは、北畠兵庫頭様の小姓を務める石川五右衛門顕恒…皆も良く知っておる石川家の悪童・五右衛門にござる。
今から十年余り前に、三河に居られた浄閑入道殿の要請に応じて某が三河に連れて行く途中で、尾張の織田家の御三男・茶筅丸様の家人となった五右衛門が、織田家から北畠家に養子に入り当主となられた兵庫頭様の命により伊賀に参ったのでござる。」
と告げると、村長たちは伊賀の郷の鼻つまみ者・悪童として名をとどろかせていた五右衛門が書状を届けに来たと聞かされて驚きの表情を浮かべていた。
五右衛門の悪童振りは伊賀の郷では知らぬ者が居ないほどで、浄閑殿の要請により三河へと旅立つ事となった五右衛門に、郷の者たちは郷が平穏になると胸を撫で降りしながらも一抹の寂しさを抱き、郷の者たちは挨拶の代わりに「五右衛門は三河で無事にお勤めを務めるであろうか?」と語り合っていたものだ。
案の定、五右衛門は三河に向かう道中の尾張国で御役を放り出してしまうが、あろうことか織田家の子息の家人として仕えることになったと知ると、「五右衛門が御武家の家人など務まるのか?」と心配する声が上がっていた。
その五右衛門が南伊勢での戦で織田勢の総大将を務め、大河内城では酔狂にも一騎打ちを行い、城への総攻めにおいては一騎掛けを行い城を落とし、降伏した北畠権中納言様から和睦交渉の際に御自身の娘の婿にと請われ、北畠家に入り当主になられた北畠兵庫頭様の小姓に取り立てられ、伊賀の郷への使者として書状を届けたと聞いては、驚かぬ訳が無かった。
「…書状を届けた者が石川家の五右衛門とは驚いた。が、五右衛門ならば伊賀の郷の事は良く知っているはず。郷に施した結界を潜り抜ける事など造作もなかったことであろう。郷を離れて十年余り経つが、忍びの腕は衰えていなかったと見える。
それで、書状を受け取った藤兵衛殿いや丹波守様と浄閑入道様、それに長門守様は如何にお考えであられましょうや?」
書状を届けた者が何者であったのかを知り言葉を失っていた村長たち。その中からいち早く我ら三忍に対し問いを口にしたのは音羽荘の地頭・音羽半六宗重だった。
しかも半六は村長として名乗る“藤兵衛”ではなく、伊賀の忍び頭として名乗る“丹波守”を敢えて使う事で、村長としてではなく忍び頭として如何考えるかを問うてきたのだ。
しかも、本来ならばこの場に同席していないはずの浄閑殿と儂の名も上げ、北畠家から届いた書状について惣評定という枠を飛び越し考えなければならぬ事柄だという意思を示した。
その半六殿の言葉に同意するように何人かの村長たちが頷き、残りの者たちも致し方なしと言うように異を唱えることは無かった。それを見た丹波守殿は少し困ったように表情を顰めたが、
「お呼びとあれば、致し方ないのぉ。」
何処からともなく声が響いたと思った次の瞬間には、丹波守殿の傍らに姿を現す浄閑殿。そんな浄閑殿に先を越されたと苦笑漏らしながら儂も村長たちの前へ進み出ようとした時、平楽寺の周囲に放ち寺の警護を申し付けてあった忍びの一人が慌てた様子で、
「長門守様!寺の門前に見知らぬ者たちが…!!」
と侵入者を報告してきた。その知らせに儂は急ぎ惣評定の参加者たちにこの事を知らせねばと評定を行う村長たちの輪の中心へ飛び込もうとしたが、そんな儂の動きに先んじて本堂の扉をあけ放ち姿を現した者が…
「失礼仕る! 北畠兵庫頭様、御出座にござりまする。」
寺の周囲に放っておいた忍びからの知らせに儂は本堂に集う村長たちに警告を発しようとしたものの、儂の動きに先んじて本堂の扉を大きく開け放ち中に居る者たちへ声を掛けたのは、先ほどから話題にのぼっていた五右衛門であった。
そして、その五右衛門の言葉と共に本堂に姿を見せたのは、頭に綾藺笠、身には直垂を纏いその上に射籠手をつけ、足には鹿革の行縢といった鷹狩りの衣装を身に着けた北畠兵庫頭信顕であった。
しかも、兵庫頭が供として連れているのは五右衛門の他は五右衛門と年恰好の近い二人の若武者と四十余りと思われる屈強な武者が一人、そして鷹狩りの勢子の姿をしている老人だけであった。
しかし、寺の周囲からは数多の殺気が感じられ既に何者かによって平楽寺は包囲されている状態であることが容易に察せられた。
だが、平楽寺は伊賀の郷の中ほどにありこの地に辿り着くには郷の結界を潜り抜けなければならず、五右衛門一人ならまだしも忍びの技を心得ぬはずの兵庫頭様とその供まで潜り抜けて来られるとは到底思えず、更に平楽寺を包囲出来るほどの者達の動きを伊賀の郷の者たちが気付かなかったこと自体信じられぬ事であった。
否!信じられぬ事などと悠長な事を考えてはいられない。忍びの郷にあるまじき失態であり、伊賀の存亡に係る事態と言えた。
儂は急ぎ平楽寺の警護に当てている配下の者たちに、伊賀に侵入した敵の排除を命じようとした時、
「長門守殿、御懸念には及びませぬ。玄衛門!」
「ほっ、もう仕舞いとは張り合いのない事よ。」
儂の姿を見ていないにも拘らず兵庫頭様は儂が何を意図しようとしているのかを察し、見えぬ筈の儂に向かって声をかけられ次いで供の一人である老人の名を呼んだ。
名を呼ばれた当の老人は拍子抜けしたと言わんばかりに、鼻を鳴らし詰まらなそうに文句を言いながら小さく頷くと途端に寺を囲んでいた殺気が一瞬にして消え去ったのだ。
その余りの手際に、儂は驚きを禁じ得なかった。
伊賀に数多いる忍びの業を修めた者たちでも、此処までの技の持ち主となると限られてくる。しかも、その頭領と思われる老人は兵庫頭様に対し返事を返しただけで、寺を囲んでいた者たちに対し合図らしき物を送った形跡が無かったのだ。
もしやこの者たちが織田の忍び集団『饗談』か!?と身構えてしまいそうになる儂に件の老人が、
「お若いの、そう身構えずとも良いわ。儂らは、お若いのが考える様な類の輩ではない。本音を申せば、里のことなど関わり合いになりとうは無かったが茶筅様‥今は兵庫頭様であったな。恩ある兵庫頭様には逆らいとうないと言うだけで別にお若いのと矛を交えるつもりはないわ。もっとも、お若いのがその気ならばやぶさかではないがのぉ。」
と剣呑な物言いで儂を煽って来た。しかし、その挑発に乗るほど命知らずではない。ジッと動かずやり過ごすと、老人はつまらなそうに口を歪めると、
「玄衛門、止さぬか!目に余るようならば、役目を小源太か久兵衛に変えるが?」
と、兵庫頭様から威の籠った声が飛ぶと、老人は肩を竦めて大人しくなった。そんな老人の様子に兵庫頭様は小さく溜息を吐かれると、気持ちを入れ替える様にスッと息を整えられ、
「伊賀の皆々様方、北畠兵庫頭にござる。少々宜しいか?」
そう申されて、惣評定をしている村長たちの許へと歩を進められた。その余りにも堂々とした歩みに儂だけでなくその場に集う伊賀の者たちはただ黙って兵庫頭様の一挙手一投足を注視する事しか出来なくなっていた。




