第七十五話 伊賀調略 その二
伊賀国 藤林長門守正保
「それでは、これにて失礼を致します。」
「うむ。ご苦労であった、不智斎様と兵庫頭殿《‥》に長門守がお気遣いいただき感謝申し上げていたとお伝えいただきたい。」
儂の言葉に北畠家からの使者として我が屋敷を訪れた五右衛門はそれまでと同じく表情を崩すことなく一礼すると、音もなくその場から姿を消した。
悪タレ小僧として伊賀の里で鼻つまみ者であった石川家の五右衛門が郷を出て十年余り。今ではどこに出しても恥ずかしくない一廉の若武者として儂の前に現れるとは悪童時代を知る者としては及びもつかぬ事であった。
しかも、昨年織田勢の総大将として六角勢と共に南伊勢に攻め入って北畠家を降し、不智斎様から娘婿にと請われ北畠家の当主となった兵庫頭信顕の使者として兵庫頭と不智斎様の書状を携えてくるとは…。
しかし、厄介な事になった。
まさか北畠家の当主となってまだ一年と経たぬというに、伊賀に臣従を求めてこようとは。しかも、金で忍びを雇うと言うのでは無く現状で我らが領している地はそのまま安堵した上で、それとは別に禄を与え臣下として取り立て、これまで行っていた他家への忍び働きを取り止める替わりに相応の対価を用意する意向とは。
五右衛門は丹波守殿と浄閑入道殿の下にも儂の元に届けた書状と同じものを携え訪れているとなれば、御二方からこの事は伊賀の者らに知らされるはず。
間違いなく惣評定の場で取り上げられることとなろう。如何したものか…
これまで、伊賀は何者の支配も受けず伊賀国の各地に点在する村々の長が集まり“惣”を形成してきた。
というのも、伊賀国は山が多く稲作を行うに適している平地が少なく、限られた平地で稲作を行えば腰までつかる様な湿田ばかりで米の収穫量が少なく石高が上がらない地であった。そんな伊賀国を多大な労力をかけて領しようとする武士はいなかった。そんな事もあり、伊賀では村々が集まり“惣”をつくりこれまでやってきたのだ。
応仁の大乱から既に百年余りの年月が流れ、この乱れた世がこの後も続くのかと思っておった。金と引き換えに忍び働きを行う儂らは侮蔑の対象とされておることが多く、儂らに金を払い雇おうとする者でさえ、儂らを見る目はケダモノかムシケラを見るような目で見る者が少なくなかった。そんな儂らを臣下に加えようと考える者が現れるとはのぉ…。そう考えておると、
「考え事かな?長門守。」
「ほっほっほ、らしくないのぉ、隙だらけじゃぞ。」
と、儂の耳に声が飛び込んできた。慌てて即座に動けるように腰を浮かし懐に忍ばせている苦無を取ろうとする儂に、
「待て待て、そう殺気奔らなくとも良いわ。」
という声と共に、目の前の障子が開き二人の男達が姿を現した。
「丹波守殿に浄閑殿、御二方ともお人が悪い…」
姿を現した御二方を目にして儂は懐に延ばした手を懐から出すと、乱れた衣服を正し浮かせた腰を下ろした。
儂の様子を見て丹波守殿は小さく息を吐き、浄閑殿は「ほっほっほ」と笑い声を上げながら儂の前に進み出ると、先ほどまで五右衛門が座っていた場所に腰を下ろした。
「それで、お二人がお揃いで我が屋敷を訪れた要件はこちらですかな?」
家人に命じて丹波守殿と浄閑殿に白湯をお出し、部屋に誰も近づけぬ様にと命じて白湯を一口飲んで喉を潤し、五右衛門が持ってきた北畠兵庫頭殿からの書状をお二人に見える様に出す儂に対し、丹波守殿は小さく頷き浄閑殿は何も言わずに出された白湯を口に含まれた。その様子から、浄閑殿は儂と丹波守殿とのやり取りを先ずは静観するおつもりのようであった。
「迂遠な物言いはこの際省くと致そう。率直に申して某は兵庫頭様からのお誘いをお受けいたしてはと考えており申す。」
丹波守殿がその言葉の通り単刀直入に北畠家からの臣従の誘いに対して受けるべきだと言ってきた。その忍びに不似合いの余りに率直な言葉に儂は驚いたというよりも少し呆れてしまった。
浄閑殿が伊賀に戻られて早十年余りが経とうとしているが、浄閑殿が伊賀に戻られるまでは丹波守殿と我が父が二人で伊賀の忍びを差配し、この伊賀を支えて来た。
忍びの世界において“伊賀の百地丹波”と言えば、皆が畏れる海千山千の忍びの頭目として知られている存在。そんな丹波守殿が北畠家からの臣従の誘いに対しここまではっきり「臣従するべき!」と申されるとは思いもしなかったのだ。
しかも、北畠家と言わず“兵庫頭様”と北畠家の当主になられたばかりの御方の名を出されるとは…
「丹波。その様な言い方では長門が驚かれるであろう…が、如何やら長門が驚かれているのは丹波の物言いではないのぉ。うん?どうやら長門の元には兵庫頭様の物とは別にもう一通の書状が届いている様じゃな。」
「なんだと!?真か長門守殿。五右衛門の奴はお主にだけ兵庫頭様の書状と別の御方の書状も届けたのか?」
丹波守殿の言葉に驚く儂の様子を見て浄閑殿が丹波守殿を諫めようと口を開いたが、儂が驚いた事柄に気が付かれ視線を素早く動かし、儂の手元にある不智斎様からの書状に目を止められ指摘なされた。その目の鋭さに流石は伊賀を離れ各地で忍び働きをされてきた御方だと敬服しつつ、浄閑殿の言葉に儂に詰め寄ろうとする丹波守殿に不智斎様からの書状を差し出した。
丹波守殿はその書状を奪い取る様にして手にすると勢いよく広げて目を通された。儂はその様子を見ながら、
「その書状は北畠不智斎天覚様からの書状にござる。先の南伊勢で行われた六角・織田の連合軍に対し守勢に回った北畠家に助力した儂への感状にござった。
まさか、負け戦にも拘らず忍びの儂に感状が届くとは思いもよらぬ事。したが、その感状には裏があり、この後は北畠家の当主・兵庫頭殿に仕えて欲しいとの不智斎様の添え状にござった。」
と苦笑いを浮かべながら不智斎様から届いた書状の内容を打ち明けると、丹波守殿はあからさまに安堵の表情を見せ、そんな丹波守殿を見て浄閑殿は盛大に笑い声を上げられた。
「…浄閑殿、笑い過ぎにござりますぞ。」
「何を言う!泣く子も黙る百地丹波ともあろう者が、不智斎殿が兵庫頭様への添え状を書いたと聞いてあの様に安堵の表情を見せるなど、天地がひっくり返ったとて早々御目に掛かれるものではない。此処で笑わずして何時嗤うと言うのじゃ?そうではないか長門。」
そう儂に話を振る浄閑殿に、儂は苦笑を浮かべ、
「確かに浄閑殿の申される通り、丹波守殿のあのような顔を見られるとは思いもしませなんだ。」
と此処まで口にした後、儂は表情を引き締め目の前に居る二人の忍び頭を見据え問い質した。
「が、それだけ兵庫頭様に丹波守殿が心酔されておられるという事とお見受けいたしました。しかも、浄閑殿も丹波守殿と近しい思いを抱いているご様子。
兵庫頭様とはそれ程の御方でござりまするか?」
何の駆け引きも無いままに投げ掛けた問いに対し、丹波守殿は表情を引き締めジッと儂の顔を見つめ、浄閑殿も好々爺然とした装いを保ちながらもその目の奥では儂の心の奥を覗き込んで来る様な、ヒリヒリする凄味を感じた。
そんな丹波守殿と浄閑殿の視線を一身に受けながら儂が考えていた事は、お二人が北畠家の当主となられた兵庫頭様を如何見ておられるのかという好奇の思いであった。そんな儂の心底を読み取られたのか浄閑殿が先にフッと視線を緩められ、
「儂は丹波と違い直接兵庫頭様とお会いしたことは無い。ただ、忍びである五右衛門に対するお心遣いと、三河に残して来た六男・弥太郎(服部半蔵正成)からの書状でそのお人柄に触れたのみじゃ。
しかし、伊賀を離れ都の万松院様(足利義晴)や三河の松平次郎三郎様(清康)にお仕えしてきて、忍びにその様なお気遣いを掛けて下さる御方は居られなかった。儂は兵庫頭様ならば信じても良いのではと…忍びとしては甘いことよなぁ。」
と苦笑された。その言葉に対し丹波守殿は大きく頷き、
「某が兵庫頭様を知ったのは浄閑殿の要請に応え、五右衛門をはじめ数人の者たちを三河に連れて行く最中の事であった。その道中、尾張国に入り三河に入る前に周囲に探りを入れていた折に、尾張を治める織田上総介様(織田弾正忠信長)の御子の一人に変わった御方がいると耳にしたのだ。それが兵庫頭様の事だと知ったのは五右衛門が兵庫頭様の元に仕えたいと申し出てきてからの事であった。
当時は茶筅丸と名乗られておられたが、五つか六つの齢にも拘らず兵庫頭様は関わりを持たれた河原者の幼き兄妹の為に、河原者たちを牛耳っていた川並衆の頭領と敵対し、河原者の兄妹を懐に入れ。兄は自身の従者とし、妹は侍女見習いとした。
その兄と言うのが五右衛門と共に常に兵庫頭様の御傍近くに居る『川之辺寛太郎顕秀』にござる。長門守殿も先の戦の折に目にしたのでは?」
「川之辺寛太郎と言えば兵庫頭様から最も信を得ている者の一人。あの者が元河原者であったとは…」
儂は丹波守殿の言葉に思わず呟きを漏らしていた。その呟きに対し丹波守殿はゆっくりと頷き、
「某も驚いてござる。織田家の御子の従者が河原者と忍びなど何かの間違い。いずれ、遠ざけられることになると…されど兵庫頭様は決してそのような事をなさろうとはしなかった。ご自身が三河に人質に入る際、五右衛門が三河の服部殿に咎められ兵庫頭様に難儀が降りかかる恐れがあると、自ら身を引こうとした時も浄閑殿に五右衛門の事を許して欲しいと書状をしたためられ、五右衛門に持たせて伊賀に向かわせたのだ。先ほど浄閑殿が申された気遣いとはこの事にござる。大名の子息が忍びの為に謝罪の書状をしたためなど某は聞いたことが無い。長門守殿は如何にござる?そのような事を耳にしたことがござるか。
しかも、その事を包み隠さず父の織田上総介様に申し上げ、三河に人質に入る際には五右衛門と河原者の兄を供とすると告げると、上総介様は三河から人質の役目を果たし尾張に戻った時には、兵庫頭様の元服に合わせ五右衛門と河原者の兄も元服させると申され、実際に上総介様の側近である丹羽五郎左衛門殿と池田勝三郎殿を烏帽子親として烏帽子親からそれぞれ一字貰い川之辺寛太郎顕秀と石川五右衛門顕恒の名を賜ったのでござる。」
儂は丹波守殿の言葉に絶句してしまった。忍びである五右衛門に対してだけでなく河原者を他家へ人質に入る際の供にし、それを父親である織田弾正忠に認めさせるだけでなく、人質としての役目を全うし尾張に戻り自身の元服の際に供をした二人を元服させるだけでなく、名まで与えさせるようにするなど到底考えられることではなかった。
何処の領主・大名でも忍びを下に見る事が多く、中には人とすら見ずただの道具とする者も少なくない。その中で、忍びと同じく人と見てもらえぬ河原者を一人の人として扱い、自身の側近とした兵庫頭様にも驚くがその事を父親である織田弾正忠様まで認め、名を与えるとは…長年伊賀の忍びたちを他家へと働きに向かわせていた丹波守殿が兵庫頭様にこれほどに傾倒している訳がようやく分かった様な気がした。
「長門。儂も伊賀を離れ多くの領主や大名さらには公方様を観る機会を得て来た。
しかし、兵庫頭様はこれまで儂が観て来た武士とは違う何かを持っておる様な気がしてならぬのじゃ。
お主も兵庫頭様から送られてきた書状を読んだであろう。
忍びを武士として取り立て臣下に加え、さらにこれまでの忍び働きで他家から得ていた銭の代わりとなる物を用意すると提示された御方がおられたか?」
それまで好々爺然と笑みを浮かべておられた浄閑殿が、浮かべていた笑みを消し真剣な表情で儂に問い掛けて来た。
伊賀の忍びが銭で忍び働きをしているからより一層その傾向が強いのかもしれないが、浄閑殿の申された通り、儂ら忍びに対しこれほどの気遣いをみせた御方は今までおられなかった。
しかし、だからといって書状だけで兵庫頭様の事を信じても良いのかという思いが、しかとした返答を返すことを躊躇わせ儂は無言を貫くことしか出来なかった。
そんな儂に対し、浄閑殿は先程の真剣な表情が嘘の様に好々爺然とした笑みを浮かべると、
「そうよな。書状だけで判断せよと申しても無理と言うものじゃな。それで良い、儂ら三人が挙って兵庫頭様に傾倒しては他の者が困惑するであろうからのぉ。それに、伊賀に臣従を迫るとなれば、それは儂らが判断する事ではなく惣評定で行うものじゃからのぉ。」
そう言い儂に暫しの時を与えてくれた。が、数日の後に行われた惣評定において儂は度肝を抜かれることとなるのであった…。




