第七十三話 蒲生賦秀と重郷
「お寛ぎのところ失礼を致します。御本所様(国司の尊称)、六角家より後藤但馬守様がお越しにござります。」
国入りから間もなく半年が経とうとしていたある日、俺の許に寛太郎が少し困惑気味の表情を浮かべて六角家より後藤但馬守が来訪したと告げて来た。
後藤但馬守とは南伊勢攻略戦の折に、六角家から軍監として参陣していた後藤喜三郎定豊のことで、三七郎兄上が左京大夫に任官されるのに合わせて観音寺騒動の際に六角義治に殺された父・後藤但馬守賢豊の官位である但馬守を名乗る事を許されていた。
六角家とは兄・左京大夫が当主に就き、南伊勢攻略戦で共に戦ったということもあって織田家を支える有力大名という事だけではない密接な繋がりを持っていた。そんな六角家の重臣である後藤但馬守が先触れもなく突然俺を訪ねてくるなど早々ある事ではない為、寛太郎も戸惑いを隠せなかったのだろうが、それだけで厄介事が舞い込んできたという事が察せられた。
「後藤但馬守殿が先触れもなくか…相分かった、此方にお通しせよ。待て!小一郎にも同席させねばならぬな。急ぎ小一郎を呼ぶのだ。」
「はっ!直ちに!!」
そう言うと寛太郎は小気味よい足音を残し小一郎を呼び但馬守を迎え入れるために俺の私室を後にした。寛太郎を見送ると隣から、
「兵庫頭様…」
「兄上?」
と共にいた雪と徳の二人が心配そうな顔を向けて声を掛けて来た。そんな二人に俺は大したことでは無いと言うように笑顔で、
「但馬守殿とは以前より親しくしている。左京大夫兄上から内々に何か某にお話があるのであろう、心配せずとも良い。だが、その方たちを同席させるという訳にも行かぬであろう。自室に戻られるが良い。」
それぞれの部屋へ下がる様に告げると雪は素直に頷き立ち去ろうとしたが、徳は不機嫌な顔になり、
「左京大夫兄上からのお話ならわたくしが同席していても良いのではありませぬか?」
と、このまま留まりたいと言い出した。
徳の性格から一度言い出すと生半可は事では引かぬ事は国入りの際に骨身に染みているため何と言って退室させるべきかと顔を顰めて思案していると、
「徳姫様。その様に兵庫頭様を困らせるような事を申してはならぬと御義母上様から申しつけられていたのではありませんでしたか。」
と雪が告げると途端に徳の表情が引き攣り、
「兄上、それでは失礼を致します!」
と急ぎ部屋から出て行った。そんな徳の様子に呆気に取られていると、
「兵庫頭様がお国入りされた際の事を耳にした御義母上様が、わたくしと徳姫様に公卿家の娘子として恥ずかしくない様にすると行儀作法のご指導を申し出てくださりまして、わたくしもですが御義母上様に徳姫様は頭が上がらなくなっているのでございます。」
と言い残し部屋を辞した。雪が告げた“御義母上様”とは不智斎の正室・弓様のことだ。弓様は管領代を務められた六角定頼の娘で、承禎入道の妹になり右近大夫将監具房・長野次郎具藤兄弟の実母で雪にとっては義母に当たるが、北畠家の正室として奥向きの事を取り仕切る女傑でその立ち振る舞いは『流石は管領代様の御息女よ!』と称えられるほど凛としたもので、雪にとっては憧れの義母だったようだ。そんな弓様の耳に俺がお国入りした際にいきなり立ち合いを始めた雪と徳の所業が伝わり、奥向きを取り仕切る弓様の逆鱗に触れたようだ。
このことは雪に仕える侍女から聞いた話しなのだが、俺と雪の祝言が済んだ数日後、徳が日課としている自顕流の打ち込みをしている場に雪を従えた弓様が姿を現し、徳に打ち込みだけでは腕がなまるだろうから手合わせをと申し出て来られたそうで、弓様の申し出を徳は嬉々として受けたのだが実際に弓様と立ち会った徳は手も足も出ず、最後には握っていた木太刀を払い飛ばされ木薙刀を首元に突き付けられて負けを認めさせられたそうだ。
そんな徳に対し弓様は、毅然とした態度でこの後は武芸の鍛錬はもちろん行儀作法も身に着ける様に手ずから指導すると告げられたのだとか。
弓様の言葉に徳は何も言えずただただ頷くことしか出来ず、以来日々弓様からの厳しい指導を受けているそうだ。
まぁ、これで“生駒の鬼姫”が少しでも大人しくなり武家の嫁としての教養を身に着けてくれれば、良き嫁ぎ先も見つかることだろう…たぶん。
それは兎も角、私室に一人となった俺の許に寛太郎から知らせを受けた小一郎が、小六郎と半兵衛を連れて姿を現した。
なんでも、寛太郎が小一郎の下に知らせを届けた際、小一郎は小六郎と共に半兵衛の元で式目についての話をしていたようだ。
小六郎は小一郎と共に南伊勢攻略戦の折に南近江から兵糧を届ける役割を務め、六角家の者たちとは少なからず誼を通じており、先触れもなく六角家の重臣である後藤但馬守が俺を訪ねてきたことに驚き同席を願い出て来たのだった。
そして、半兵衛は今は北畠家の式目策定に鳥尾屋石見守と共に尽力しているが、元々は俺の傅役を務めていた事から危急の知らせに馳せ参じたと言った所だろう。
そんな半兵衛に俺は苦笑を浮かべたものの、知恵者が側にいてくれれば不測の事態にも何かと対応し易いだろうと同席を認めた。そうこうしていると、
「後藤但馬守様とお付きの方が参られました。」
と言う寛太郎の言葉が私室の外から掛けられたため俺は、
「お通しいたせ!」
と入室を認めた。その声に対し即座に私室へと繋がる廊下から、
「失礼仕りまする!」
と一言断りを入れると後藤但馬守が顔を隠したみすぼらしい格好の男を連れて部屋へと入って来た。但馬守に付き従い入室してきた男は薄汚れた従者然とした格好に加え、頭から手拭いを被り顔が見え難くなる様にしていたが俺にとっては見覚えのある男だった。
「突然の訪問、失礼を致します。此度は兵庫頭様の御力をお借りしたき儀がござりまして先触れもなくお訪ねした次第にございます。」
但馬守はそう言うと俺に深々と頭を下げ、付き従う男も但馬守に倣い床に額を擦り付ける様に深々と頭を下げた。
「頭をお上げ下さい。先ずは何が起きたのか話を聞かぬ事には何も始まりませぬ。但馬守殿。藤次郎殿。」
頭を下げたままなかなか上げようとしない二人に頭を上げるように促す俺の言葉に、但馬守と藤次郎は少し驚いた様な表情を見せた。
「よく某の事がお分かりになられましたな。大河内城での戦の折に顔を合わせただけでござりますのに…」
そう言う藤次郎に対し俺は笑顔で、
「某を危機からお救い下された藤次郎殿の顔を忘れるなど、あり得ぬ事にござりましょう。大河内城での一騎打ちの折はかたじけのぉござりました。」
そう告げる俺に藤次郎は少しはにかみ、一方の但馬守は少しホッとした表情を見せた。
そんな二人の顔が次に口にする言葉で歪むのだろうと思い、ちょっとした心の痛みを感じながら、
「それで、但馬守殿が先触れもなく突然某の元をお訪ねになり、しかも藤次郎殿はその素性を隠すようにされておられるとは何か尋常ならざる事でも起きたのでござりましょうか?」
と来訪の理由を問うと案の定、藤次郎の顔から浮かべていた笑みが消え俯く様に下をむいてしまい、但馬守は表情を引き締めて周囲を窺うように視線を走らせた。そんな但馬守に、
「但馬守殿。ご案じ召されるな、既に人払いをしこの部屋には何者も近づかぬようにと申し付けてござります。この部屋でお二人を出迎えた者たちは某が信を置き、六角家と当家との間を結ぶように尽力する者のみ。この場での事は決して外には漏らすような真似は致さぬ者ばかりにござります。」
と告げると、但馬守は俺の言葉をはかる様にジッと見詰めた後小さく息を吐き、
「失礼を致しました。こちらが兵庫頭様におすがりすると言うのにその御方を疑うような真似を致したこと伏してお詫びをいたします。」
そう言うと再び深々と頭を下げた。
「で、何が有ったのでござりまするか?」
「お恥ずかしき事ながら…」
そう前置きをし、但馬守が語る所によると六角家を支える重臣の一人、蒲生左兵衛大夫賢秀の嫡男・藤太郎賦秀と次男・藤次郎の仲が拗れてしまって、このまま藤次郎を六角家家中に置いておいては無用な争いが起こりかねないという状況になってしまったとの事だった。
そして、その発端が先に行われた南伊勢攻略戦において武功を上げようとして阿坂城に兵を率いて突出して父・左兵衛大夫に叱責された藤太郎に対し、俺の供に名乗り出て大河内城での一騎打ちの際に横槍を入れて来た北畠兵の一人を討ち取った藤次郎の武勇が称賛されたことだったという。
しかし、それは藤太郎が蒲生家の次期当主となる嫡男であり軽挙妄動は慎まなければならないのに対し、藤次郎は当主・藤太郎の下で一武将として働くこととなる立場の違いから生まれた物だ。しかし、武に重きを置く傾向にある藤太郎は初陣となった南伊勢攻略戦で蒲生家の嫡男である自分を差し置いて名を成さしめた藤次郎を疎ましく思い、藤次郎がいなければ自分の武勇が評価されていたと考え南近江に戻ってからは事あるごとに藤次郎に対して辛く当たり、次期当主である藤太郎の意を汲んだ蒲生家の家臣たちまでも藤次郎を御家に仇なす者と捉えている節が見受けられるようになり、蒲生家を揺るがす大事へと発展してしまいかねない事態へとなっているのだと言う。
史実でも重郷の死因について、重郷の武勇に嫉妬した氏郷が家臣に命じて重郷を暗殺したのではないかという御家騒動的な事がまことしやかに語り継がれていることから、重郷に対する氏郷の嫉妬は他の者から見ても明らかだったのだろう。
しかし、賦秀の嫉妬に火を点ける出来事に俺が絡むことになるとは思いもせず、頭を抱えたくなった。
「…南伊勢攻略戦の折に六角家から軍監として織田勢に付けられた某の元に藤次郎殿から兵庫頭様の下で働ける様に口利きをと頼まれていたのでござりますが、一騎打ちから僅か一日で大河内城を落としその数日後には北畠家が降伏を申し出て来たため、藤次郎殿の事を兵庫頭様に伝える間もなくそのままになっていたのでござる。そして、此度の蒲生家で起きた騒ぎに左京大夫様も御心を痛められ南伊勢攻略戦の折に軍監として兵庫頭様の御傍近くで面識のある某に、藤次郎殿が望むのなら六角家を致仕いたした上で兵庫頭様の元に身を寄せるも致し方なしと申され、その仲介をと…」
但馬守の話を聞き、事が左京大夫兄上の耳にまで届いているという事に驚きを隠せず、その渦中にいる藤太郎も引くに引けなくなり藤次郎も身の危険を感じ六角家を致仕せねばならぬほどの大事なっているのだという事が理解できた。
もしかしたら、史実の氏郷も今回の様な状況に追い込まれ重郷を殺さざるを得なくなったのかもしれない。
自らが抱いた些細な嫉妬が周囲に侍る者たちに伝わり実弟を殺すことになってしまったことに、苦悩したことだろう。
ひょっとすると、氏郷は弟殺しの苦悩を既存の御仏の教えや神道では晴らす事が出来ず、異国から伝わった新たな神に縋ることで苦悩から逃れようとキリスト教に帰依したのかもしれない。
考えてみると、キリスト教に帰依した大友宗麟や高山右近も身内と争い肉親を殺している。その業から逃れるためにキリスト教へ傾倒していったのかもしれない。
ともあれ、左京大夫兄上の許可もあることだし若いながらも一騎打ちの際に示した武勇の持ち主を召し抱えられるのなら否はない。
「分かり申した。では藤次郎殿を某の家臣として召し抱えることと致しましょう。と、申して知行を与えるという訳にも参りませぬ。先ずは寛太郎や五右衛門と共に某の近習といたしまする。」
俺がそう告げると、それまで顔を伏せ俯いていた藤次郎は驚きの表情と共に俺の顔を凝視した後、
「はっ!ありがたき幸せ。藤次郎重郷、兵庫頭様のためこの身を投げうちお仕え致しまする!!」
と声を上げると深々と平伏した。
「では藤次郎。某の下で近習として仕えるに当たり申しておく事がある。某はその者の出自で差別せぬ。その者の能力・力量によって重く用いるか否かの判断を致す。
某の近習を務める寛太郎だが元は河原者であり五右衛門は伊賀の忍びであった。
されど、某が幼き頃より仕え常に某を支えてくれて来た者達であり、寛太郎は某の傅役であった半兵衛や蔵人の薫陶を受け政にも明るい。五右衛門は前身にて身に着けた能力で某の元に集まる情報を精査し、政や戦で某が判断を下す手助けをしてくれている。
さらに、二人とも剣は某と同じ自顕流を修め、槍は三河の本多平八郎殿から手解きを受けた剛の者であり、二人が元服の折には烏帽子親を父・弾正忠の側近である丹羽五郎左衛門殿と池田勝三郎殿が務め、諱は父・弾正忠が直々に与えた。
藤次郎は六角家の重臣・蒲生左兵衛大夫殿の御次男ではあるが、致仕いたしたという事は六角家から離れ浪々の身になった後に某に仕えることとなるのだから、蒲生家の次男であったという出自を自ら捨てたという事に他ならない。その事を心の奥底に留め置き、先ずは近習の先達である寛太郎と五右衛門に教えを乞い、その上で寛太郎や五右衛門には無い藤次郎の強みを見出して行くが肝要であると心得よ。」
俺が口にした寛太郎が元河原者で五右衛門は伊賀の忍びだったという事実に、藤次郎は二人の顔を凝視するのに対し、寛太郎と五右衛門はおもねること無く『だからどうした!』と言うように俺の言葉を肯定するように頷いた。その姿に藤次郎は感じる物があったのか二人に向かってスッと軽く頭を下げると俺の方に向き直り、
「兵庫頭様のお言葉をしかと肝に命じ、寛太郎殿と五右衛門殿に教えを乞い大役を務められるよう精進致します!」
そう力強く応える藤次郎の顔は何処か晴れがましく見え、その顔を見てその場に集った者たちは安堵と共に表情を綻ばせた。
藤次郎重郷が北畠家の家臣となったことで、賦秀は安堵したのか落ち着きを取り戻し六角家の重臣・蒲生家の当主として家臣たちを纏め左京大夫兄上を支えて、織田家が西国へ勢力を拡大する中で大いに力を発揮する事となる…。
南伊勢攻略戦の際にしようと考えていたものの、そのタイミングを逃していた為ここで重郷を主人公の家臣にしてみました。
来週は地域の会合など予定が立て込んでいる為、更新できないかもしれません。




