第六十五話 大河内城攻城戦 その五 乾坤一擲!
遅れました。
今回は話の流れから二話分の文量を一度に上げることにしました。
少々長くなっていますがお許しください。
◇伊勢国 大河内城 北畠具教
「物足りぬな…」
「御隠居様、何か?」
「いや何でもない。間もなく夜が明ける、六角と織田の軍勢が攻め寄せて来よう、気を緩めるではないぞ!」
儂が漏らした独り言に近習の者が何事かと問い直して来た事に儂は慌ててはぐらかし、間もなく姿を現すであろう六角と織田の軍に対する注意喚起を告げたのだが、近習の者は特に気を張る事もなく笑みさえ浮かべながら、
「六角と織田の軍など如何ほどの事がありましょうか。大軍を擁して御城を取り囲んでから既に十日。その間、六角と織田は御城の御門前まで攻め寄せては参りましたが、そこで攻め手を欠いているのか矢を射っては御門を破ろうと丸太を担ぎ寄せては来るものの、御門を守備する左少将様が指揮される弓隊の矢に恐れをなし御門に辿り着く前に這う這うの体で退く有様。『恐るる足らず』とは正にこの事にござりましょう!」
と、六角と織田を甘く見ておることがありありと見て取れた。しかし、それは目の前の近習だけに限った事ではなく、城に籠る兵たちの多くが同じ考えであることが城内の雰囲気からヒシヒシと伝わって来ていた。
「その左少将が安濃津城で撤退を余儀なくされ、岩内主膳正具俊が討ち死にしたことを忘れたか!さらに、阿坂城を守っておった大宮含忍斎は城兵の命と引き換えに自らの首を差し出し、大之丞影連は六角の将・進藤山城守の兵によって捕らわれの身となっているのだ。彼の者たちの苦渋を何と心得るかぁ!!」
そう叱りつけたものの、斯く云う儂自身がこれまでに聞いていた六角と織田の戦振りと、この九日実際に目にした戦振りの余りの違いに戸惑っているのもまた事実であった…
「御隠居様!」
そんな儂の下に、慌てた様子の石見守が駆け寄って来た。石見守は城門を守る左少将を補佐していた筈。その石見守の顔には困惑と戸惑いの色が浮かんでいた。
「如何したのだ石見守。」
「申し訳ござりませぬ御隠居様。急ぎ物見櫓にお上がりいただき御門前の様子をご確認いただきたいと左少将様が申されまして…某もどうしたら良いか判断に迷いましてござりまする。」
「何、石見守ほどの者が判断に迷うじゃと?」
儂は石見守に促されるままに物見櫓に上り城門の方へと視線を向けると、六角と織田の旗を掲げた五騎の騎馬武者が城門前に迫り来るところであった…
時系列を少し巻き戻し…
◇伊勢国 マムシ谷 大河内城前 織田三介信顕
「三介、正気か?準備が整ったのであれば早々に大河内城を攻め落とせば良いではないか!?」
俺の申し出に対し、三七郎兄上は諸将が見守る中にもかかわらず顔色を変えて問い直して来た。もっとも、三七郎兄上からの反応は想定していた事であったため、俺は何事も無いように平然と返した。
「勿論にございます。熱田から待ちかねていた荷が届き、何時でも大河内城を落とす準備が整った故、申し上げているのでござりまする。」
そう返す俺に三七郎兄上は心底困ったと言うように顔を顰めた。そんな兄上の様子に共に上座にて俺の申し出を聞いていた承禎入道が口を開いた。
「三介殿。尾張から荷が届き大河内城を攻め落とす準備が整ったというのならば、一気呵成に攻め落とせば良いのではないか?何故に北畠に一対一での一騎打ちをもち掛けるなどといった面倒な事を申されるのじゃ。」
承禎入道の言葉に俺とのやり取りを見守っている六角の諸将の何人もが承禎入道の言葉に同意するように首を縦に動かしていた。俺はそんな六角の諸将を一度見廻した後、
「このまま大河内城を攻め落とそうとも北畠家は自らの敗北を認めるとは思えぬからにござりまする。北畠家は先代当主・権中納言具教殿をはじめ多くの者が彼の剣聖・塚原卜伝殿に剣を学び兵法剣術において一家言を持つ者が多いやに聞き及んでおります。その者らが籠城する城を大軍を以って力押しして落としたとしても、己らが負けたことを素直に認めるかどうか…もし、六角と織田が数を頼りに攻め寄せたため城を落とされたが、同数の兵力であれば城は落とされることもなく、北畠が勝っていたなどと考えるやもしれませぬ。そうなれば、此度は平定したとしても南伊勢に騒乱の種が残り、その種を取り除くために再び出兵となるやもしれませぬ。その様なことが起きぬよう、北畠には完膚なきまでに己たちが負けたのだと思い知らせる事が肝要にござります!」
力強く言い切ると、北畠の剣術狂いの話を聞き及ぶ者たちは俺の言葉になるほどと理解を示したが、三七郎兄上は納得できなかったのか再び口を開いた。
「確かに、三介の言も一理あるであろうがその一騎打ちにその方が出ることは無いではないか。三介の配下には前田慶次郎、奥村助右ヱ門をはじめ父上の馬廻りを勤める者も与力として参陣していると聞く。それに六角家にも武勇を誇る者は数多おるのだ。その者らに任せればよいではないか!」
その言葉に俺はゆっくりと首を振り、
「兄上、これは某が成さねばならぬ事なのです。この儀ばかりは某の我儘をお許しいただきたく伏してお願いを申し上げます。」
深々と頭を下げる俺に対し、それでも兄上は翻意を促そうと口を開こうとしたが、それを承禎入道が止めた。
「三七郎。三介殿のたって願いじゃ、此処は快く送り出してやるのが兄としての務めではないか?
三介殿、そこもとの願い六角承禎が聞き届けた、存分になされるが宜しかろう。」
「はっ!三七郎兄上、承禎様。某の我儘をお聞き届けいただきありがとうござりまする。三介、北畠家の者たちに我が武威を見せつけて御覧に入れまする!」
承禎入道の言葉に俺は間髪入れず決意表明をし、もう一度深々と頭を下げその場より下がろうと席をたった。
「お待ち下さい!三介様が北畠の者たちにご自身と織田の武威をお示しになられるのならば某も六角の武威を示すため御同道致したく、何卒お許しを!!」
そう声を上げたのは蒲生藤太郎賦秀だった。
「この痴れ者がぁ!」
そんな藤太郎に対し声を荒げ右腕を一閃し殴り飛ばした左兵衛大夫は俺に膝を付き地面に額を付ける謝罪の態度で示そうとしたが俺はそんな左兵衛大夫に、
「左兵衛大夫殿、某に対しその様な振舞いは不要にございます。」
と、押し留めて左兵衛大夫に殴り飛ばされた藤太郎の下に歩み寄り、その傍らに片膝をついた。
「藤太郎殿、先の阿坂城での事お忘れになられたのかな?そこもとはこの後の蒲生家を背負って立つ身のはず。万が一の事があっては御家の一大事でござりましょう。御自重なされませ!」
強い語気と共に威圧するように藤太郎の目を覗き込む俺に対し、藤太郎は左兵衛大夫に殴られた頬に右手を当てたまま瞳を泳がせながら何度も小刻みに頷いた。と、
「ならば、拙者に三介様の御共をさせて下さりませ!」
そう申し出て来たのは藤太郎の後ろに控えていた若者だった。その者の言葉に左兵衛大夫を驚いたように目を大きく見開き、
「藤次郎!お主まで何を言い出すのだ!?」
と、困惑した様子だった。
「父上。嫡男である兄上は御家の事を考えれば三介様の供をすることは控えねばならぬやもしれませぬが、次男の拙者ならば問題な無いのではござりませぬか?
三介様、お願いにござりまする。拙者を三介様の御共にお加え下さりませ!!」
その親子のやり取りに、阿坂城から大河内城までの行軍に最中に後藤喜三郎から左兵衛大夫が次男・藤次郎を俺の下に出仕させたいと内々に打診があった事を思い出し、この者がそうかと思いながら藤太郎と同じように藤次郎の瞳を覗き込むと、一瞬怯み視線を外そうとしたものの、奥歯を噛み締めてグッと我慢をして俺と視線を合わせて来た。
「まだ、そこもとの名を窺っておりませぬ。某の供にと願い出るのであればそこもとの名を名乗るが宜しかろうと存ずるが。」
「失礼を致しました。蒲生左兵衛大夫が次男、藤次郎重郷にござりまする!」
堂々と名乗りを上げる藤次郎に俺は静かに頷き、視線を上座に座る三七郎兄上と承禎入道に向け、
「兄上。承禎様。蒲生藤次郎重郷を暫しの間某にお貸しください。仮に北畠の者との一騎打ちに某が敗れた時には、藤次郎殿に某の首を持ち帰っていただこうと思いまする。」
俺のその言葉に承禎入道は静かに頷き、一方の三七郎兄上は険しい表情を浮かべながら、
「三介の覚悟のほどしかと分かった。藤次郎は若輩でありながら六角家の次代を担う武辺者と目される若武者。三介が良しとしたのならば私に異存はない。されど必ず生きて戻ってくるのだ、三介の死に場所は南伊勢の攻略などと言う小さき戦であるはずがないのだからな!!」
そう言い俺の我儘を許してくれた。
俺はそんな兄上に深々と一礼すると、その場に集う諸将には軽く頭を下げると藤次郎を供として従え六角の本陣を後にし、そのまま待機させてあった慶次郎率いる騎馬一千と共に大河内城の城門前へと押し出した。
城門前五町まで近づいたところで慶次郎は騎馬隊を止めると、俺は羽織っていた陣羽織を脱ぎ、俺は誰だか分からないように顔を隠す鬼が牙を剥き出しにした様な意匠の面具(目の下頬)を付けると、寛太郎から愛用の長巻を受け取って小脇に抱え寛太郎と五右衛門、慶次郎と藤次郎を従え城門の三町ほど手前まで進み出た。
一方、城に立て籠り九日間守勢に徹していた北畠勢は、城門前に姿を現した騎馬一千に対し、“すわ敵襲か!?”と身構えたものの、五町ほどの距離で進軍を停止した騎馬隊の中から五騎だけが城門前に進め出て来たために、どう対処したらよいのか分からず射撃を命じる声は上がらなかったものの、悠然と近づく俺たちに侮りを受けたと感じた数人の弓兵が矢を放ってきた。
その矢に対し、素早く馬を動かし俺の前に出た慶次郎は自身が持つ朱槍を一閃、飛んできた矢を薙ぎ払うと、
「わっはっはっはっは! 北畠の矢の何とも軽い事よ。まるで霧雨の様ではないか!!」
そう笑い飛ばすと、城門を守る弓兵が一斉に矢を番え射撃体勢をとった。その時、
「止めよ!たった五騎にて御門の前へと進み出て来た者に寄って集って矢を射かけるなど、北畠の武名を貶めるつもりかぁ!!」
城兵を一喝する怒声が轟いた。
その声の主へと視線を移すと、立派な当世具足を纏った偉丈夫の姿が目に飛び込んで来た。
「大河内左少将具良殿にござります。」
五右衛門が声を上げた人物の名を囁いた。それを聞いて俺は思わず感心してしまった。
大河内左少将といえば安濃津城に派遣された北畠の援兵の指揮を取っていた将の筈。城門へと押し出した騎馬隊が背負う指物を見れば、その騎馬隊が安濃津城で煮え湯を飲まされた織田勢の者だという事は一目瞭然。そんな織田勢を目の前にして己の気持ちを抑え北畠家の武名を慮り射撃を止めたその忠心に、史実で織田との戦で和睦し三介具豊(信雄)を養子として押し付けられたことで反発した北畠具教に三瀬の変で暗殺されるまで忠義を尽くした人物であった事を思い出した。
そして改めて、三瀬の変などという蛮行を起こすことが無い様にしなければと心に期した。
そもそも、史実での大河内城攻めは兵八千で籠城した北畠具教に対し、兵七万を擁した織田信長は攻めきれず、一か月の籠城を許し和睦するに至ったため北畠側としては自分たちが負けたとは納得していなかった。それなのに和睦の条件として信長の子を養子とする事を飲まされたことで反発を招いたことは容易に想像できた。
北畠顕家好きの俺としては北畠の者たちに対し暗殺などと言う手段を取らず、俺の下でこの戦国の世を生き延びてもらうために堂々と大河内城を落として見せ、自分たちが織田の武威の前に屈したのだと得心させなければと考えた。
更に、武名を重んじる北畠家に対し俺個人の武威を見せつけることで、俺ならば主として戴いても良いだろうと納得してもらうため乾坤一擲の大勝負に出ることに決めたのだ。
そんな俺の心中など知らない左少将具良は城門前まで進み出て来た俺たちに誰何の声を上げた。
「五騎のみにて御門前に歩を進める度胸は褒めて進ぜよう。されど我らも武士!侮りを受けて黙っておることは出来ぬ。何用あって五騎にて参ったか申すがよい!!」
左少将の問い掛けに、それまで嘲笑の笑みを浮かべていた慶次郎も笑みを消し、サッと馬首を返して俺の後方へと動くのに合わせて慶次郎と入れ替わる様に俺は馬の腹を蹴り数歩前進させ、大河内城の物見櫓に立派な鎧を纏った数人の者たちが駆け上がり城門の方を窺っているのを確認してから大きく息を吸い込むと、周囲の空気が振るえるような大音声で、
「大河内城に籠る北畠家の方々!某は織田上総介の臣。大河内城を囲みて早九日、攻城の支度が準備万端整い、総攻めを以って大河内城を打ち破らんとせしが、安濃津以降は木造城に続き阿坂の城でも北畠家の武威をこの身にて味わう機会を得ずでは残念至極。
六角家御当主・三七郎信賢様にお願い申し上げ一日の猶予をいただいた。某に北畠家の武威を馳走いたそうと思う剛の者は出て参られよ!!」
と、籠城する北畠勢を挑発した。
俺の言葉を受けて、激高した城兵は左少将の命で一旦弦から外した矢を再び番え、この不埒者を射殺さんと弓を引き絞った。が、
「止めよと命じたであろう!伊勢国司たる北畠家の将兵が剣神社の宮司(織田上総介のこと)に仕える雑兵如きの戯言に取り乱して如何するぅ!!」
と、左少将が一喝した事で番えた矢を弓から外していったが、俺に対する敵愾心が静まることは無く、眉間に皺を寄せ睨みつけているのが良く分かった。
「織田上総介の臣とやら。大言壮語も大概にいたすが良い、城を囲んでより九日。
その間、六角と織田は攻め手を欠き、儂が守る第一の御門さえ破れずにおる有様ではないか。それが、準備が整ったから総攻めにて打ち破るなどと片腹痛いわ!
更に申せば、その方は『織田上総介の臣』とは申したものの自身の名を明かそうとはせぬ。その様な輩と伊勢国司たる北畠の者が一騎打ちを願うなど身の程を弁えてモノを言うがよい!!」
そう言い放つと踵を返し城門の奥へと去ろうとする左少将に俺は更に挑発を繰り返した。
「城門を守りし将ともあろう者が臆したと見える。
名を名乗らぬから北畠の者は相手に出来ぬと申すか?ならば敢えて『津田大戯之介《つだおおたわけのすけ』と称しておこう。見事、某を討ち取った後に『天下一の愚か者、津田大戯之介』として某の首を晒すが良い。
それとも、此処まで言われても得物を手に某を討ち取ろうという者が現れぬか?それならば、鎮守府大将軍(顕家)様をはじめとした北畠家の武名はすでに過去の物であったという事となるが、それで宜しいかぁ!?」
俺の挑発にその場から去ろうとしていた左少将は一転俺の方へ振り返り憤怒の形相を浮かべ怒声を上げた。
「言うに事欠いて鎮守府大将軍顕家様の御名を出すとは、もはや許せぬ!そのそっ首を叩き落とし望み通り『天下一の愚か者・津田大戯之介』と表札を立てて晒してくれるわ。馬引けぇ!!」
その声に城門に詰める兵たちの動きが俄に慌ただしくなり、槍を手にした左少将具良が馬に乗りこちらと同じ四騎の騎馬を従えて城門を開き姿を現した。
「望み通り我が槍を馳走してくれる!」
そう告げて従えた四騎の騎馬を城門近くに待機させると単騎で進み出てくる左少将に対し、俺は改めて名を問う。
「某の不埒極まる物言いに対し進み出られた北畠家の剛の者は何方様にござりましょうや?」
「北畠権中納言様が臣、大河内左少将具良。いざ参る!」
名乗りを上げた左少将は俺の返答を待たず、槍を片手に騎馬を走らせ容赦のない一撃を俺の胸元に向かって繰り出して来た。
左少将の槍は確かに鋭い物ではあったが、つい半年前まで本多平八郎を相手に修練を繰り返していた俺にとって左少将の槍は見劣りするものだった。
「温いわぁ!」
一喝するように言い捨て、俺は右手に持った長巻を跳ね上げるようにして突き出された槍の穂先を掬い払った。
繰り出した槍を下から掬われる様に払われた左少将は僅かに体勢を崩したものの落馬には至らず、そのまま俺の横を駆け抜けると少し離れた位置で馬首を返すと、
「儂の槍を正面から打ち払うとは、敵城前に僅か数騎を伴い一騎打ちを所望するだけの事はあるという事か…じゃが、今の一撃で儂の首を取らなんだのが主の若さを物語っておるわ。戦場とは命のやり取りの場よ、好機など早々巡ってくるものではないにも拘らず打ち払う事に留めるなど戦場を知らぬ童の如き所業!戦場の作法も知らず儂の前に立ったことを悔やむが良い!!」
そう吼えると、再び槍を構えて馬を駆る左少将に対し、俺も馬にけりを入れると手綱を放して馬を走らせながら両手で長巻を持って天高く掲げると、
「キェェェェェ!!」
裂帛の気合いと共に発した猿叫が周囲に響き渡り、一騎打ちを見ていた者たちの心の臓を縮み上がらせた。俺と対峙している左少将と騎乗する馬にも影響を与え、僅かではあったが馬の足の運びが鈍り、槍を構える左少将の体も強張るのが見て取れた。
「一騎打ちに際し相手の気合いに恐れを成すとは何事かぁ!」
左少将の醜態に対する罵声を浴びせながら俺は長巻を振り下ろした。左少将は俺の罵声を受けて強張りを見せる体を無理やり動かし、振り下ろされた長巻を打ち払おうとしたのか槍を合わせて来たが、十分な体勢から振り下ろされた長巻を防ぐことは出来ず、長巻の刃をその身から反らすのが精一杯。そのまま馬の背から吹き飛ばされて強かに地面にその身を打ち付けることとなった。
それでも、地に伏したままでは居られぬとの北畠家の武士の矜持からか、必死に身を起こそうとする左少将だったが、
「勝負はつき申した、ここまでにござります。」
俺はそう言いながら長巻の切っ先を左少将の首元に突き付けて左少将の動きを封じた。
「…そこもとの申す通りよ。儂の首を取りその方の武名の証とするが良い。」
馬上より長巻の切っ先を突き付ける俺を見上げそう告げる左少将に俺は怒りを覚えた。
「彼の今川治部大輔義元様は桶狭間での戦で、織田上総介様の兵に首を取られた時、槍を突かれ太刀を失っても最後の最後まで生き延びようとされたそうにござる。
そんな治部大輔様の決して諦めぬ生き様に感銘を受け、我が前立てにその心意気を現し申した。
ところが、某の申し出を受け一騎打ちに及びし者は一騎打ちに敗れると早々に生を諦めてしまわれた。これが北畠家の臣とは鎮守府大将軍様も草葉の陰でお嘆きであろう…
興が冷めたわ。」
俺はそう吐き捨て、左少将の首元から長巻を離すと馬首を返し慶次郎や藤次郎の方へと馬を向けた。そんな俺の行動に困惑の表情を浮かべる左少将。
「待たれよ!一騎打ちに勝ちを得たにも拘らず儂の首をそのままにしてゆくつもりかぁ!?」
「早々に生を諦める様な者の首を取ったところで何の価値があろう。某の思いを覆したくば、明日にも行われる総攻めに生き残って見せるがいい!」
俺は振り返ることなくそう言い放つと、馬の腹を蹴り左少将の下から離れる。が、そんな俺を見て左少将と共に城門を出て来た騎馬武者が示し合わせた様に槍を掲げて俺を背後から襲撃しようと馬を駆けはじめた。その動きに真っ先に気付いたのは左少将で、
「何をするつもりじゃ?止めぬかぁ!」
と、騎馬武者の動きを止めようとしたが左少将の声に反し騎馬武者たちは脇目も降らずに俺に襲い掛かって来た。
「「さ、戯之介様ぁ!」」
「痴れ者がぁ!」
「させねえよ。」
真っ先に反応したのは寛太郎と五右衛門の二人で、即座に馬を走らせ俺の許に駆け寄ると迫る北畠の騎馬武者に対し槍を向けて牽制し、次いで藤次郎と慶次郎が槍を掲げて騎馬武者に躍り掛かかる。
藤次郎は一騎の武者と対峙し直槍で右肩を突き、手傷を負わせて退けた。一方、慶次郎は三騎の騎馬武者から槍を突かれる所を掲げていた大身の槍を一閃。迫る三騎の騎馬武者の一人目は首、二人目は肩から胸、最後の一人は胴を切り払い、槍の一振りで三騎の武者を打ち倒して見せた。
慶次郎の武威に目を見開き驚きの表情を浮かべる左少将に俺は顔を顰め、
「慶次郎。お主が本気を出しては某と左少将との一騎打ちが霞んでしまうではないか…」
と愚痴を溢すと、慶次郎は憮然とした表情を浮かべ、
「これを俺の本気と思われては甚だ遺憾にござる。この程度の事に五分の力も出してはおりませんぞ!」
と言ってのける始末で苦笑するしかなくかった。
「さようか。では大河内城攻めでは慶次郎の力、大いに期待しよう。藤次郎殿もご助力忝い。流石は蒲生左兵衛大夫殿の御次男にござる。噂にたがわぬ武威にござりました。」
慶次郎には城攻めでの活躍を期待し、もう一人の騎馬武者を討った藤次郎も褒め称えた。
藤次郎は俺の言葉に素直に頷いたがその視線の先には慶次郎の姿があり、慶次郎が映る瞳には憧憬の色に染まっていた。
「さて、左少将殿。北畠の者は一騎打ちの作法も心得ぬと見える。このまま捨て置くというのも一興ではあるが…」
瞬く間に四騎の騎馬武者を討ち取られて静まり返る城門前で俺は再び馬首を返し左少将に近づくと、城門に詰める兵はもとより物見櫓で成り行きを見守る御仁の耳の届く様に大きな声で非難の声を上げると、左少将に向かって二度長巻を振る。一度目で被っていた兜の緒を斬り、二度目で兜を払い飛ばす。
寛太郎が払い飛ばした兜を拾い俺の下へと差し出すのを受け取り、
「この兜を一騎打ちにて某が勝ちを得た証と致す。では明日、再びあいまみえようぞ!」
そう告げ颯爽と騎馬隊の元に戻り悠然と自陣へ戻った。そして…
「放てぇ!!」
元亀三年・師走。大河内城への総攻めは織田の陣から発せられた砲声
から始まった。




