第六十四話 大河内城攻城戦 その四
◇伊勢国 大河内城内 北畠具教
「そうか、大之丞は捕らわれ含忍斎は城兵の助命を願い出る替わりにと腹を召したか…」
「御命をお救いする事が出来ず、面目次第もございませぬ。」
阿坂城での戦いがあったとの知らせに、詳細を聞いた儂が思わず漏らしてしまった言葉に、知らせをもたらした藤林長門守正保が謝罪の言葉を口にしたため、儂は浅はかな己の所業に情けなくなった。
「長門守が謝罪をすることでは無い。霧山から大河内城に移り、阿坂城を含忍斎親子に任せた時から覚悟はしておったのだ。それに、含忍斎は城主としての役目に殉じた。武士の最後としては決して侮られる事の無い物であった、あの者は日頃より「死ぬのならば戦場で!」と申しておった。城兵の命を守るために己が命を散らしたのじゃ、本望であったであろうよ。」
「はっ。」
含忍斎の死は無駄ではなかったと告げる儂に、長門守は短い言葉で同意を示し含忍斎の冥福を祈る様に黙祷を捧げた。
「それで、阿坂城を落としたのは六角勢だったというのだな。これまで、織田勢主体で戦を進めて来たがいよいよ六角勢も本腰を入れたと見えるのぉ。」
「…六角も鈴鹿川に安城津と織田に功を立てられ、焦りが出たのやもしれませぬが、」
言葉を濁す長門守。伊賀の忍びを束ねる頭領格の一人である長門守の配下には腕利きに忍びが揃い、これまでも様々な事を北畠家のために収集して来た。そんな長門守が言葉を濁すなど終ぞなかったことだった。
「実際のところは分からぬか…。敵の本陣に探りを入れておるのであろう、如何なのじゃ?」
「はっ、六角の本陣は三雲新左衛門が率いる甲賀の忍びが周囲を固めているため、近づく事さえ出来ませぬ。
織田の陣では、誠に遺憾ながら、百地丹波守正永殿、千賀地浄閑入道保長殿の手の者が動いている様で此方も…さすがに長野家や伊勢の国人の陣までは手が足りぬようで、これまでの所それらの下へ探りを入れるのがやっとという有様にて、面目次第もござりませぬ。」
その言葉に、儂は思わず溜息を吐きそうになり慌ててその息を呑み込んだ。
六角には甲賀武士からなる忍び衆を抱えている事は良く知られており、長門守の手の者でも六角の陣には容易に探りを入れることは難しいとは思っておったが、織田の陣まで忍びによって固められているとは…それも伊賀の忍びによってなどとは考えも及ばぬ仕儀であった。
伊賀の忍びには長門守の他にもう二人の忍びの頭領がおり、三名の頭領によって纏められているのだが、残りの二人というのが長門守が挙げた百地丹波守と千賀地浄閑入道であった。
伊勢の国司たる北畠家として南伊勢の平定を進める中で、これまで伊賀の忍びには大いに力をかり北畠家の優位を保つことが出来ていた。
しかし、此度の六角と織田による南伊勢への侵攻が始まった途端、丹波守と浄閑入道配下の忍びは北畠家を離れ、残ったのは長門守配下の忍びだけ。これは一体どういうことかと思案しておったところであったが、まさか織田についていようとは思いもよらぬ事であった。
もっとも、今のところは伊賀の忍びたちは織田の陣を固めておるだけに動きを留めている為、我らが警戒せねばならぬのは甲賀の忍びに限定されている。おかげで、長門守の手の者だけで対処出来ておるのが救いと言えば救いか…されど織田は一体どうやって丹波守や浄閑入道を引き入れたのか、皆目見当もつかぬ事であった。
「長門守、お主が頭を下げる必要はない。しかし、丹波守と浄閑入道は何故に織田の陣を固めておるのだ?伊賀の忍びは雇い主を選り好みはせぬという事は儂も知っておる。だが、これまで北畠家は幾度となく伊賀の忍びを雇い、無体な事はしてこなかったつもりじゃ。いくら織田が上洛を果たし公方様をお支えしているとは言え、これまでの繋がりを考えても些か解せぬのだが。」
儂の問い掛けに長門守は表情を歪めると、
「仰せられる通り、これまで我ら伊賀の忍びは北畠家に雇われ多くの仕事をこなしてまいりました。その縁あって某は此度も北畠家の御声掛けに乗り、丹波守殿も浄閑入道殿も某と同じものと思っておりました。しかし、蓋を開けてみれば北畠家についたのは某だけ。そこで某も使いの者を送り真意を問うたのですが…」
と言葉を濁す長門守に儂は強い口調で問い質した。
「長門守、申せ!丹波守と浄閑入道は何と応えたのじゃ。」
「御二方とも、『伊賀の将来を見据えてのこと』と…。」
苦し気に応える長門守の言葉に儂は何も言えなくなってしまった。
伊賀の忍びを従える頭領二人が揃って伊賀の将来を考えて織田についたと答えるとは思いもしなかったのだ。
その言葉は、忍びの頭領二人がこの後の伊賀を託すに足ると考え者が、今攻め寄せて来た織田勢の中に居るという事に他ならないからだ。
伊賀の忍びはこれまで雇われる事はあっても特定の者の下に仕えるという事は無かった。それは、伊賀の地は貧しく領しようとも旨味のある地では無かったからという事もあるが、一癖も二癖もある忍びを御する事が出来る者が居なかったという事もあった。そんな御する事が難しい伊賀の忍びの頭領二人から、伊賀の将来を託すに足ると思われている者が間もなく大河内城に迫り来る軍勢の中に居ると思うと、武者震いがして来た。
「ご、御隠居様、如何なされたのでござりまするか?」
「なに、大したことでは無い。そんな事よりも、六角と織田の軍は如何ほどでここに攻め寄せてくると思うか。」
儂の様子に長門守は怪訝な表情を浮かべ問い掛けてくるも、大したことでは無いとはぐらかし六角と織田が何時大河内城に姿を現すかと問うと、長門守は表情を引き締め、
「はっ、阿坂城での仕置きを終え早々に軍を発すると思われますので、遅くとも四・五日。早ければ一両日中にでも軍の先手が姿を現すと思われまする。」
と答えた。その言葉に儂は大きく頷くと、
「では、出迎えの支度を整えねばならぬな!」
そう声を上げると立ち上がり、皆が集まる広間へと歩み出すとそんな儂の背後に付き従うように長門守も同道するのだった。
◇伊勢国 マムシ谷 大河内城前 織田三介信顕
「これが大河内城にござりますか。見るからに守るには易く攻めるには難し山城にござりまするなぁ。」
そう声を掛ける俺に三七郎兄上は眼前に聳え立つ山の上にその威容を見せつける城を睨みつけたまま小さく頷きながら問い掛けて来た。
「三介。先の阿坂城でのお主の言葉を疑うことは無い。されどこの堅牢なる山城を落とす手立てが早々あるとは思えぬ。私は才あるお主をこの様な山城と引き換えにする気は毛頭ない。この山城の攻略は私に任せぬか?」
俺は三七郎兄上の目を見る。三七郎兄上の瞳には真摯に俺の身を案じての言葉だという事が分かる心配の色合いが浮かんでいた。そんな兄上に心の中で感謝をしつつ、俺は首を横に振る。
「兄上のお心遣いは誠に有り難いのですが、この大河内城は某をはじめとした織田勢にて攻め落としたく思います。
これからお話する事は此処だけの事として兄上の心の内に留めておいて欲しい事なのでござりまするが、南伊勢の攻略を果たした後に某を伊勢国に置くことを父上は御考えです。」
そう告げると兄上は驚いたように目を見開いたものの口を真一文字に結び、声を発することなく続きを話すように目線で促して来た。
「この後、父上はこの日ノ本に静謐を齎すべく動く御考えにござります。その際、五畿内の平定の為に三七郎兄上の六角家、新九郎殿の浅井家そして未だ重い腰を上げておりませぬが左衛門督殿の朝倉家の力を合わせようとの御考えです。
西に向かう尾張の背後は徳川様と伊勢に置かれる某が守りを固めつつ動くこととなりましょう。尾張の背後・東には武田徳栄軒信玄公が虎視眈々と領土拡大を狙っており、その東には関東の雄・北条、北には“軍神”上杉不識庵謙信公がおられまする。
どちらの御方達も一筋縄では行かぬ御方ばかり。そんな方々と対峙する為には、某はそれ相応の力を付けねばなりませぬ。その為には、ただ南伊勢を攻略するのではなく、長野家や北畠家に従ってきた伊勢の国人に織田と某の力を見せつけねばならぬのです。」
「…その為に北畠家一の堅城である大河内城をお主が落とすというのだな。だが、この堅城を落とす手立てがお主には有ると言うのか?」
そう言って俺の目を覗き込むように凝視する心配性の兄上に失礼ながらクスリと笑ってしまった。その途端、顔を赤くして
「笑い事ではないぞ茶筅!」
と思わず俺の幼名を口にする兄上に、史実とは異なり俺は良き兄を持ったとこの世に俺を送り込んだ何者かに感謝した。
「兄上。某に十日の猶予を下さりませ。十日の後には兄上の心配を払拭させるとお約束いたします!」
そう力強く応える俺の言葉に虚を突かれて一瞬動きを止めた兄上だったが、期限を切り力強く応えた俺の様子を見て多少安堵したのか少し表情を緩ませた。
「十日か、相分かった!茶筅の言葉を信じると致そう、ではこれより十日の間如何する。任せた上は、その方の下知に従おうぞ!」
「忝けのうござります。然らば、九日の間は凡戦を繰り返し北畠の慢心を誘い、十日の後に準備が整い次第北畠の鼻っ柱を叩き折り、一息に城を落として見せましょうぞ!!」
俺はそう強く言い放つのだった。




