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第六十三話 大河内城攻城戦 その三

前話で史実の蒲生忠三郎賦秀(氏郷)の名に関して『忠三郎』となった経緯に信長の婿として召し出されたためという事が分かり蒲生家代々の名『藤太郎』へ変更しました。


「お見事にござりました!」


阿坂城攻略を終え、次なる軍事行動のために六角の本陣に向かった俺は、六角家の諸将が集まる本陣に入ると、居並ぶ諸将を前に上座に座る三七郎兄上をはじめとした六角家の者たちに向かって開口一番、称賛の言葉を口にした。

そんな俺の言葉に、三七郎兄上は少しホッとした様な、それでいて気恥ずかしい心の内が垣間見える様な照れ笑いを浮かべて、


「初陣早々に鈴鹿川と安濃津城で武勲を上げた三介に『見事』と評してもらえると、阿坂城の攻略を六角家でと申し出た甲斐があったと言うものだ。そうであろう、山城守、左兵衛大夫。」


そう兄上から水を向けられた進藤山城守と蒲生左兵衛大夫は誇らしげな表情を浮かべ力強く頷いた。


「まことに!吉田助左衛門殿をはじめとした日置流弓術を治める方々により城の弓隊を黙らせるや否や山城守殿と次郎左衛門尉殿が相計り、瞬く間に南郭に攻め入り南郭を預かる大宮大之丞殿を捕縛した手並み、感服いたしました。

さらに、大宮含忍斎殿が指揮する北郭は蒲生左兵衛大夫殿の指揮により攻城戦が行われ、中でも左兵衛大夫殿の御嫡男、藤太郎殿が城攻めの先陣を務め北郭の城門を抉じ開けたとお聞きいたしました。

藤太郎殿は此度の戦が初陣とか、にも拘らず城攻めの先陣を務め見事のその御役目を果たされた。生半可な者に成せぬ事にござります。蒲生家の安泰は此処に確約されたようなものにござりましょう!」


兄上の言葉に合わせ、南郭を落とした進藤山城守と目賀田次郎左衛門尉、それに北郭攻略の指揮を取った蒲生左兵衛大夫とその子で北郭の城門を破った藤太郎賦秀を褒め称えると、山城守と次郎左衛門尉は満更でもないような笑みを浮かべ、藤太郎は少し顔を紅潮させ満面の笑みを浮かべた。その息子の顔を見た左兵衛大夫は困ったように顔を顰めると、


「三介様、愚息をその様にお褒め下さいますな。安濃津城で初陣を果たしたとは申せ、まだ未熟者にござる。此度の事も某の許しを得ず勝手に先陣に赴き、兵に混じって勇み足を踏んだにすぎませぬ。たまたま運よく功を上げましたが、一つ間違えば命を失っていたに相違ござりませぬ。蒲生家の嫡男ともあろう者が戦功に焦り、雑兵と共に先陣を駆けるなどあってはならぬ事。愚息の猪武者振りに汗顔の至りにござりまする。」


その言葉通り、左兵衛大夫の顔は朱に染まっていた。当然、“猪武者”と父親から評された藤太郎は先程まで浮かべていた笑みが消え去り仏頂面を浮かべ父親を睨みつけていた。

その様子に、史実でも若き頃の蒲生忠三郎賦秀(氏郷)は武功に逸る猪武者だったが、才気あふれる鶴千代(氏郷の幼名)を気に入った信長が自身の娘婿とし、傍近くにおいて武将の心得などを見習わせたことで、猪武者から名将へと成長したといわれていた事を思い出した。

 しかし、史実で蒲生家は六角家から離れ織田の直臣となったため鶴千代は信長の近くに呼び出されることとなったが、六角家に三七郎兄上が養子として入り蒲生家も六角家の重臣という立場のままの状態では、父・信長に召し出されるという事は考え難い。家族大好きな父が三七郎兄上の重臣の子を己の手元近くに引き抜くなんて真似が出来る訳ないからだ。

となると、藤太郎は史実の忠三郎の様に父・信長に感化されることは無い訳で、左兵衛大夫が評するところの“猪武者”のままになってしまうのではという不安が…と思っている所に、“猪武者”然とした藤太郎が父・左兵衛大夫の言葉に憤慨したように顔を紅潮させて立ち上がり声を上げた。


「猪武者とはあまりのお言葉!父上はいつも俺の事をその様に申されるが、戦において先陣は武士の誉れではございませぬか。それに、先陣に立った者は俺だけではござりませぬ。藤次郎も共に城門に打ち掛っており申す。それなのに父上は藤次郎には小言の一つも言わず俺にばかり。理不尽にござる!!」


居並ぶ六角家の諸将の前で“猪武者”と評されたのが余程、腹に据えかねたのか顔を真っ赤にして左兵衛大夫に対し食って掛かる藤太郎だったが、そんな藤太郎に左兵衛大夫の雷が落ちた。


「この愚か者がぁ!次男の藤次郎と嫡子たるお主では立場が違うという事が分らぬのかぁ!!」


普段は理知的で感情的になることが無いように見える左兵衛大夫が、顔を真っ赤にして息子である藤太郎賦秀を怒鳴りつける姿に、俺だけでなく成り行きを見つめていた六角家の諸将までもが驚きの表情を浮かべていた。しかし、怒鳴りつけられた当の本人《藤太郎》は左兵衛大夫の言葉の意味を理解していないのか憤懣遣る方無いといった表情を浮かべ、左兵衛大夫を睨みつけていた。

さすがに諸将が集まる軍議の場で親子喧嘩は不味いと思ったのか、藤太郎の後方に控えていた藤太郎よりも若い武士が、この場は控えるようにと藤太郎の肩に手を掛け腰を下ろさせようとしていたが、藤太郎は頑として受け入れず腰を下ろそうとはせずその場に嫌な空気になりそうになり、


「是は之はこの後の六角家を支える若き将は何と血気盛んな事か。頼もしき限りにございますな、兄上!」


と俺はその空気を払うように三七郎兄上に声を発し、そのまま突然声を上げた俺を見る藤太郎へ視線を向けた。


「初陣に滾るなと申してもそれは無理と言うもの。藤太郎殿が六角家の面目を保つため力にならねばと動かれた事、某は分かる様な気がいたします。」


俺のその言葉に藤太郎は『我が意を得たり』とばかりにそれまで浮かべていた顰めっ面がドヤ顔へと変わった。しかし…


「されど、御父君左兵衛大夫殿の申すことも尤もな事にござりましょう。藤太郎殿は蒲生家の嫡男。ゆくゆくは御父君の後を継ぎ、三七郎兄上を支える重臣となられる御方にござります。御命を顧みず功を求めることは慎まなければなりませぬ。以後はお控えいただきたく思いまする。」


そう諭すように続けた言葉に、思いもしない事を耳にしたというような驚きの表情を浮かべると、


「これは異なことを申される。三介様は元服の前より三河の徳川様の下へ自ら質に入られ、元服を果たすや此度の南伊勢攻略の軍を率い、鈴鹿川に安濃津と戦功を上げられておられるではござりませぬか。そんな三介様の口から「御命を顧みず功を求める事は慎まなければ」などと言う言葉を聞くとは思い致しませんでした。」


と南伊勢攻略戦においてこれまで最も戦功を上げて来た俺に対し揶揄するような言葉を投げ掛けて来た。そんな藤太郎に左兵衛大夫は顔を青くし、


「止めぬか藤太郎!三介様、愚息の申したこと平にご容赦下さりませ。」

と、その場に膝をつき平謝りしようとする左兵衛大夫に俺は、何でもないとばかりに笑顔を浮かべ、


「左兵衛大夫殿、床几にお戻りください。

藤太郎殿、某と貴殿とでは立場が違うのでござります。藤太郎殿は蒲生家の嫡男として家を継ぎ、次代に繋いで行かねばならぬお立場だという事はお分かりにござりましょう。それに引き換え、某は織田上総介の三男にすぎませぬ。

幼少の頃であれば兄・勘九郎様に何かあった時の予備としての役目がござりました。ですが、勘九郎兄上がご成長されてより予備としての役目もなくなり、新たに織田家のために役立たせるためと、徳川様の下に質に出されたのでござります。

また、此度の南伊勢の攻略においても六角家にご養子に入られた三七郎様をお守りし、南伊勢攻略を速やかに進めるのが某の役目になり申した。

ハッキリ申せば某の命など南伊勢の攻略のために使い潰しても一向に構わぬのです。そんな某が命を顧みて功の機会を失うなど許されぬ事にござります。

お分かりいただけましょうか?某と藤太郎殿の立場の違いが。」


淡々と告げる俺の言葉に、何故か本陣に集まった諸将は物音一つ立てることなく静まり返り、語り掛けた藤太郎は顔面蒼白となり何かに慄きながら崩れ落ちる様に自身の床几に腰を下ろした。


「流石は三介、見事な心構えよ。されど、この場に集まりし者たちはその方の命を南伊勢攻略のために使い潰そうなどと考えておる者などおらぬ。決して軽々に命を散らそうなどと考えるではないぞ。

さて、それではこれより軍を発することといたそう。次なるは北畠家でも一二を争う堅城と名高い大河内城よ。皆、よろしく頼むぞ!!」


静まり返る本陣に声を上げたのは三七郎兄上だった。三七郎兄上は、誇らしげにしつつも俺の言葉に少しだけ悲しそう目をされたが、直ぐに諸将に向けて次なる大河内城の攻略に向けて檄を飛ばすと、三七郎兄上の檄に皆呼応した。



◇伊勢国・阿坂城前 六角本陣 蒲生藤次郎重郷


「三介様が斯様な御覚悟を持って此度の南伊勢攻略に臨んでおられたとは…御屋形《三七郎》様、斯様な御覚悟をお持ちの三介様に対し、「六角家の面目を立てよ」と半ば強引に阿坂城の攻略に横やりを入れた事、恥じ入るばかりにござりまする。」


阿坂城攻略の後の軍議において、兄・藤太郎と父・左兵衛大夫が諍いを起こした際に兄・藤太郎に対して織田三介様が申された嫡子と他の子息との違いとご自身の御覚悟を耳にし、軍議を終えて織田家の方々や長野家をはじめとした伊勢の国人衆が去られた後、本陣に残った六角家の者たちは忸怩たる思いをその胸中に抱き本陣を散開する事が出来ずにいた。

中でも、進藤山城守様と父・左兵衛大夫は此度の阿坂城攻めを六角家の面目を立てるため任せて欲しいと三介様に願い出たこともあって、三介様に実兄であり我らのお支えするべき六角家の御当主となられた御屋形様に対し、差しで口を申したことを謝罪した。しかし、そんな山城守様と父・左兵衛大夫に対し御屋形様は首を横に振られて、


「山城守。左兵衛大夫も謝罪には及ばぬ。三介が斯様なまでの覚悟をもってこの南伊勢攻略に臨んでいたなど、実の兄である私でも気付かなかった事。その方たちが三介が心の奥底に秘めし事を察するなど出来ぬ事だ…。」


そう山城守様と父をお許しになられたものの、御屋形様はどこか悲し気なご様子であられた。その御様子を見て兄・藤太郎が問い掛けた。


「御屋形様。御舎弟三介様の御覚悟、とても元服を済ませられたばかりの御方がお持ちになられるものではないように思うのですが、三介様は幼き頃よりあのような御方だったのでござりますか?」


「この慮外者がぁ!己が三介様の事を理解できぬからといって御屋形様に誰何するとは何事かぁ!!」


兄の言葉に父は慌て叱責したが、そんな父を止めたのは御屋形様であられた。


「まぁ待て、左兵衛大夫。藤太郎が不思議に思うもの尤もな話だ。斯く云う私自身も、三介には幼き頃より驚かされてばかりなのだからな。だが、私にとって三介が摩訶不思議な弟というよりも、恩人と言った方が良い弟なのだ。

この事は御養父上には申し上げた事があるのだが、私と弟は産まれ年が同じで僅か十数日しか変わらず、私は織田家内での力が弱い坂氏の生まれ。一方の三介は、織田家家中でも力を持つ生駒家の生まれで、しかも嫡男の勘九郎兄上と同腹という事もあり、家中では三介を次男、私を三男の様に扱う者が多かったのだ。

そんな空気を幼き頃の私は敏感に感じ取り、私は陰に籠った疳の虫の強い童であった。」


思いもよらぬ御屋形様の告白に、兄はいうに及ばず父・左兵衛大夫や山城守様、次郎左衛門尉様、も驚きの表情を浮かべられた。そんな中、加賀守様は表情を変えることなく、


「今の御屋形様の御様子からは想像も出来ませぬな。で、今の御屋形様となる起点を作られたのが三介様だと申されるのですかな?」


と話の続きを促された。その加賀守様の言葉に御屋形様は表情を緩められ、


「私と三介が三歳になった年。父・上総介は御正室・帰蝶様と勘九郎兄上を伴い私と母それから三介と御母堂さまが一堂に会する機会を作られた。その際の事なのだが、父上が帰蝶様と兄上を伴い姿を現すと真っ先に三介が挨拶の口上を口にしたのだがその際、兄・勘九郎に対するのと同じように私を兄と呼び己が三男であると一同が内揃う中で宣したのだ。この三介の行動に父上は苦笑を浮かべたものの三介の言葉を肯定し、この出来事は即座に家中の間に広がり、それまで家中に広まりつつあった三介を次男、私を三男とする声は跡形もなく消え去り、生まれた時期は早かったにも拘らず生まれ在所の家の力量によって三男とされる屈辱から私は解放された。

その後も、三介は私や勘九郎兄上を事ある毎に立ててきた。

皆も此度の出陣に際し三介が身に纏う鎧兜を目にしておると思うが、織田の兵を率いる三介の前立てに織田の家紋が掲げられていない事を不思議に思わなかったか?」


「た、確かに織田家の家紋、織田木瓜紋は使われておらず波の図を巴にあしらった前立てでござりましたが…。」


御屋形様の問い掛けに真っ先に声を上げたのは後藤喜三郎殿でござりました。後藤殿は此度の戦では軍監の任を与えられ三介様の御傍近くに居られたため直ぐに気付かれたのでしょう。その喜三郎殿の言葉に家中の多くの者が頷いていました。


「出陣前、岐阜城に出陣の挨拶に三介が赴いた際、出迎えた帰蝶様、勘九郎兄上の前で父上が三介の兜の前立てを見て織田家の家紋を用いても良かったのでは、と仰せられたそうなのだが三介はそんな父上に、勘九郎兄上ならばいざ知らず三男の自分が織田家の家紋を掲げるなど畏れ多い事、代わりに心意気を掲げたと申したそうだ。

『波は大きな岩に当たり返されようと絶えることなく打ち寄せ、岩を打ち砕きまする。そんな波にあやかり“諦めぬ事、波の如し”との思いを三つの立浪が代わる代わる打ち寄せる様を模した前立てとしたのでございます』と。

それを聞いた帰蝶様は感涙の涙を流されたと聞く。

帰蝶様の御父君・斎藤道三入道様が使われていた家紋も波。その波の家紋を三介が前立てに掲げ初陣を果たそうとしている姿に亡き御父君を思い出されたのだろう。三介とはそういった漢なのだ。」


そうしみじみと語られる御屋形様に、兄をはじめ家中の者たちは御舎弟を称える度量の大きな御方を六角家にお迎えできたと喜んでいた。

しかし、某は御屋形様がお話になられた三介様に強く惹かれている自分に気付いた。そして、そんな某の心根に気付いた父はその日の内に軍監を勤められる喜三郎殿の下を訪れ、喜三郎殿の下に某を付ける様に願い出て某は喜三郎殿配下として北畠家との戦いを三介様の傍近くにて送ることとなるのだった…。



という事で、蒲生氏郷の弟・蒲生重郷の登場です。


 史実では、武勇に優れた蒲生重郷はそれを嫉妬した氏郷によって暗殺されたという逸話があるようで、この体験から氏郷はキリスト教に帰依したのではないかという説も…。

実際、キリシタン大名として有名な高山右近や大友宗麟なども身内を殺してしまった罪悪感から逃れるためにそれまで日本になかったキリスト教に救いを求めキリシタンとなったのではないかという説があるようです。


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