第六十話 安濃津城開城
遅くなりました。
少し説明臭くなってしまったかもしれません。
「長野次郎具藤殿並びに長野家の方々、お見えになりました。」
六角家本陣に六角と織田の諸将と安濃津城での戦が始まる前に臣従を申し出、城を囲んでいた伊勢の国人領主が集まる中、雲林院慶四郎祐基、細野壱岐守藤敦、分部興三左衛門光嘉の三人と共に鎧を脱ぎ捨て直垂に着替えた長野次郎具藤が姿を現した。
安濃津城は籠城して七日で開城し降伏を申し出てきた。
次郎具藤は北畠からの援軍を頼りとして籠城していたが、北畠勢が城と対峙していた六角・織田の軍勢を背後から急襲したものの、後背に陣を敷いていた織田の軍が用意していた竹束と改良火縄銃を用いて北畠の鉄砲隊と足軽兵を打ち崩すと、北畠勢は足軽兵を立て直すための時を稼ごうと騎馬五百を繰り出して来た。
しかし、その動きは織田の軍師を務める竹中半兵衛によって予見されており、敵が騎馬を繰り出すより先に前田慶次郎率いる騎馬一千をもって機先を制し敵の騎馬隊を粉砕するとその余勢を駆って北畠本陣へと迫った。
されど、北畠も南伊勢に威を張る強者揃い。慶次郎の突撃を本陣間近に詰めていた兵が槍衾を作って妨げると、早々に撤退を断行した。
その北畠勢の動きに流石の半兵衛も驚きつつも感嘆の声を上げると、追撃を要求してきた慶次郎に「深追いは許さぬ!」と帰陣を命じる一方で、弓隊を率いる奥村助右ヱ門に弓による射撃を命じて北畠勢を追い散らすと全軍に勝鬨を上げるよう厳命した。
弓矢に追われ逃げて行く北畠勢と勝鬨を上げる織田勢の姿は、北畠の援軍の攻勢に合わせて安濃津城から打って出ようとしていた次郎の目にもはっきりと映ることとなった。
織田勢に追われて撤退して行く北畠からの援軍を見て、『もはやこれまで!』と討ち死に覚悟で六角勢に突撃をしようとした次郎と細野壱岐守。そんな彼らを止めたのは雲林院慶四郎と分部興三左衛門だった。
雲林院慶四郎には蒲生左兵衛大夫と三雲新左衛門から北畠からの援軍が撤退した時を見定めて次郎具藤に六角と織田に降るように説得するようにと命が届いていたため、それを実行に移したのだが、分部興三左衛門にはその様な知らせは届いていなかった。にもかかわらず雲林院慶四郎と共に次郎と壱岐守の説得へと動いたのは、興三左衛門独自の動きだった。
“剛の者”として知られた兄・細野壱岐守に対し弟・分部興三左衛門はどちらかと言うと武より智の人物で、神戸家や関家など伊勢の国人領主を傘下に収めていた織田の動きを注視し独自に情報を集め、六角と共に南伊勢に侵攻してきた織田に対して抗戦は難しいと判断していた。
しかし、実兄・細野壱岐守は“武”に重きを置くと分かっていた為、壱岐守が織田と六角の武威に一目置く時を狙い、壱岐守に六角・織田に降るよう説得に動いたのだった。
慶四郎と興三左衛門の二人から説得を受けた次郎と壱岐守は、その言葉に従い北畠勢が退いて早々に開城と降伏の意を伝えて来たのだった。
皆が集まる本陣に入った次郎具藤はその場に集まる者たちの中に、戦の前まで長野家に身を寄せていた国人領主の姿を見つけると一瞬眉間に皺を寄せたが、直ぐに何事もなかったように表情を整えると、本陣奥に座る三七郎兄上と承禎入道に前へ進み出て片膝をついた。
「初めての御意を得まする、長野次郎具藤にござりまする。」
そう言うと深々と首を垂れる次郎と同様に雲林院慶四郎も細野壱岐守も分部興三左衛門も頭を下げた。
その姿に、三七郎兄上は一つ大きく頷くと、
「頭を上げられよ。既に戦は終わり、次郎殿は我らに恭順の意を示された。この後は心を同じくし共にこの乱れた世を平らかにいたそうぞ。」
「はっ!雲林院、細野並びに分部共々もこの後は六角家そして織田家の下で粉骨砕身いたしまする!!」
三七郎兄上の言葉に次郎は長野家の分家筋にあたる三家共々力を尽くすと宣すると、本陣まで案内をしてきた者に従い集まった者たちの末席に加わった。その姿を見届けた三七郎兄上はそこで一呼吸置き、居並ぶ諸将の顔をぐるりと見回してから、
「では、軍議を始める。この後は速やかに軍を纏め次なる相手、北畠家に向かって進軍を開始する。
言うまでもないが、行軍の際の乱取りなどは許さぬ。さよう心得よ!」
三七郎兄上の言葉に六角と織田の諸将は即座に首を垂れ同意の意思を示したが、安濃津城攻めに際して臣従を申し出て来た伊勢の国人たちは怪訝な表情を浮かべていた。ただ次郎や慶四郎、壱岐守と興三左衛門たちは鈴鹿川の戦の後に俺たちが取った行動を知っていた為、動揺することなく頭を垂れていた。
「長野家に関してであるが、慶四郎殿と興三左衛門殿は従軍するに及ばず、当地の安定に努める様に、次郎殿と壱岐守殿は我らの軍に随行されよ。」
「はっ!ご配慮いただきましてかたじけのうございます。三七郎様の下知に従いまする。」
そう答える次郎の顔は引き締まり悲壮感が漂っていた。まぁそれも致し方のない事だろう、緒戦に敗れ城に籠って援軍を待つも頼りにしていた援軍が早々に敗走し、降るしかなかったのだから。
しかも、これから向かう“敵地”は生まれ在所である北畠家の領地となればその心情は察するに余りあるというもの。しかし、これも戦国の習いと割り切ってもらうしかない事だった。
三七郎兄上はそんな次郎を一瞥すると、表情を改め檄を発した。
「皆の者。南伊勢の攻略にまで残すは北畠家のみ!だが、南伊勢に威を張る北畠家の力は先の戦で見せた様な生温いものではあるまい。その事を肝に命じ、侮ることなく与えられた職を全うするように。出立は明日の早朝、皆抜かりなく支度を整えよ!!」
「「「「「「「「「「はっ!」」」」」」」」」」
三七郎兄上の檄に諸将は一斉に返し、即座に立ち上がると率いる兵たちの下へと小走りに掛けて行った。その姿を見送り、兄上と承禎入道並びに六角家の重臣六名と滝川彦右衛門、織田方からは俺に傅役兼軍師の竹中半兵衛がその場に残った。
「…とは申したものの如何すべきか。」
三七郎兄上が溜息交じりに弱音を吐露した。本来ならば家臣の前で弱音を見せるなど当主として避けなければならない事ではあったが、誰もその事に言及せず兄上と同じように渋面を浮かべていた。
「何をお気の弱いことを。既に長野家を降し、北畠からの援軍も退けたではござりませぬか。先ほども申されたように、粛々と隊列を組み堂々と北畠領に入り雌雄を決すれば良いだけの事。」
三七郎兄上を鼓舞するようにそう声を上げる俺に対し、六角家の者たちの表情は優れなかった。
「三介様。六角家の皆様はこれまで安濃津城に対するけん制などに終始し、長野家と本格的に矛を交えたのは織田方ばかりで六角家が手を出す前に事が進んでしまっている事に危惧をお持ちなのですよ。」
「半兵衛殿それはあまりのお言葉…。」
俺を諭すように告げた半兵衛の言葉に、目賀田次郎左衛門尉が声を上げたものの最後まで言い終わらぬうちに声が小さくなりそれと同時に下を向いてしまう有様で、半兵衛の言葉を自ら認めてしまったようなものだった。そんな次郎左衛門尉に対し承禎入道が、
「良い、次郎左衛門尉。半兵衛殿の申す通り、鈴鹿川での戦いに続き、安濃津城攻めでも我らは大した戦功など挙げてはおらぬ。実際に矢面に立ち、長野家に続き北畠家の軍を打ち払ったのは三介殿が率いられる織田勢よ。にもかかわらず三介殿は我らを立て、まるで我らの命で織田勢が動いたかのように振舞っておられる。それを情けなく面映ゆいと感じるは武門に生きるものとしては当然抱く思いであろう。」
「御養父上の申す通りだ三介。岐阜での評定の折、父・上総介より南伊勢の攻略を命じられ、三介が率いる織田勢よりも多くの兵を我らに求められたことで、此度の南伊勢攻略は六角家が主、織田勢が従と思っておった。
しかし、蓋を開けてみれば兵数の少ない織田勢が奮戦し我ら六角勢はその姿を見守るばかり。さりとて今さら我ら六角家がしゃしゃり出るなど恥の上塗りと申す物。」
承禎入道に続き口を開いた三七郎兄上の言葉に同意するように六角家の者たちは皆首を縦に振り、俺の言葉を待ち望むようにジッと俺を見つめた。その様子に、半兵衛は小さく頷き俺を促した。
「分かり申した。其処まで皆様が申して下さるのであれば某も否はありませぬ。
この後の北畠家に対する動きでござりますが、長野家の援軍として参った北畠勢が撤退したのに合わせ三七郎兄上が皆に下知した通り、明日の日の出を合図に進軍を開始いたしますが、撤退する北畠の軍を追撃する必要はございませぬ。長野領に進軍した時と同様に隊列を整え堂々と北畠領に迫るが宜しかろうと考えまする。その我らの動きを見て北畠の者たちは如何考えると思われましょうや?」
「乱取りもせず軍を進める我らの事を警戒する事でござりましょう。さらに、長野家の援軍に出した者からの知らせが届けばその思いは一層深きものとなる筈。そして、伊勢の国人領主の兵を吸収し三万余の大群となった我らに野戦を挑んで来るとは思えませぬ。」
俺の問い掛けに答えたのは、軍監として織田の陣に同席し北畠からの援軍を織田の諸将が打ち払う光景を目の当たりにすることとなり、お目付け役という軍監の職務を忘れ羨望の眼差しを、俺をはじめ織田の諸将に向けていた後藤喜三郎だった。
流石に、軍議の場では六角家の家臣として立ち位置を思い出したのか、鳴りを潜めているものの織田への友好の情を隠しきれずにいた。
そんな喜三郎の様子に、蒲生左兵衛大夫や平井加賀守などは苦笑し、進藤山城守や目賀田次郎左衛門尉は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつも、まだ若い喜三郎が鈴鹿川に続き安濃津城での戦いにも完勝してみせた俺に傾倒するのも致し方ない事だといった心情がにじみ出ていた。そんな六角家重臣たちの様子を確認しつつ俺は話を続けた。
「確かに三万余に膨れ上がった我らの軍を見て進んで野戦に打って出る者は少なかろうとは思いまするが、北畠の御隠居殿は剣豪と名高い御仁。その様な御仁が己が領地を我が物顔で進軍する我らの様子を見て、何もせず籠城を良しとするとは思えませぬ。最終的には籠城を選ぶにしても、何かしらの動きを示すのではないかと…もし、何も動きもなく城に籠ったとすれば、城の守りに余ほどの自信があるのだと考えるべきでござりましょう。」
俺が表情を引き締め告げた言葉に、喜三郎をはじめ六角家の者たちは北畠攻めに対し一切の慢心を示さぬ俺の様子に生唾を飲み込み、戦いはこれからが本番なのだと表情を引き締めた。
そんな中、終始表情を変えず話を聞いていた三雲新左衛門が口を開いた。
「三介様は北畠が我らを領地の奥に引き込み籠城戦を仕掛け、時を費やし我らの焦りを誘う事で失策を誘発させようとしているとお考えか。であれば籠る城は何処になると思われまする。」
新左衛門の問い掛けに俺の代わりに半兵衛が答えた。
「十中八九、大河内城に籠城するものとみております。大河内城は背後に川が流れる小高い山の上に築かれた堅城。 攻め寄せるには狭い山道を使うしかないため、此方が大軍を擁していたとしても攻め落とすのは容易ではありますまい。」
その言葉にそれまで無表情保っていた新左衛門は僅かに表情を崩した。
「流石は“今孔明”と称される竹中半兵衛殿。その見立てを拙者も支持いたしまする。それで、守に易く攻めるに難しき大河内城に対し如何なる手法を用い攻め寄せるお考えにござりましょうや。」
新左衛門の問いに対し半兵衛は一瞬俺に視線を向け、その視線に軽く頷くと半兵衛はそれまで浮かべていた柔和な表情を引き締め、
「大河内城を囲んで凡戦を十日費やし、此方が攻めあぐねていると北畠家に思い込ませた後にこれまで用いられた事の無い方法を用いて一息に落とす所存。
今、私が申した言葉を決して忘れる事の無きようにお願いを申し上げまする!」
そう強い口調で告げると、普段は飄々としている半兵衛が見せた覇気に六角家の者たちは呑まれ、ただただ頷くしかなかった。
すいません。お盆過ぎから果物の収穫で忙しくなり更新が遅れて行くと思います。
これから“書きたい”と楽しみにしていた場面へ入って行くところなので作者自身も残念なのですがお許しください。




