第六話 妹、徳姫の誕生と母上延命計画
一体何が起こっているのでしょうか?公開四日にしてランキングに入ってしまっています。
本当にありがとうございます。
「茶筅丸様、元気な姫様にございますよ。可愛らしゅうございますねぇ♪」
父から剣の稽古と肉食の許しを得てから剣の稽古に励み、父が手配してくれた獣肉を食べて体作りに注力する中、生駒屋敷は早朝から大騒ぎとなっていた。
母が三人目の父の子を産んだのだ。
どうやら俺の剣の稽古の様子を見に来た時に父と母が励んだ結果の産物のようだが、この姫の誕生に俺は危惧を抱いた。
史実ではこの姫・徳姫(五徳姫)の誕生の後、母は産後の肥立ちが悪く体調を悪化させて数年後にはその命を散らすことになる。
父は母の死に力を落とした。父・信長にとって母・吉乃は愛する女性というだけでなく、幼少よりあまり受ける事の無かった母性愛を満たしてくれる対象でもあったようだ。
もちろん、父だけでなく兄・奇妙丸も実母を亡くしたことでその後の人生に多大な影響を受けた事だろうが、最も影響を受けたのは徳姫だった。
母は徳姫を産んだのちに体調を崩し、回復せずにそのまま亡くなったことから、己が生まれたせいで母が死んだのではと思い込み徳姫の心は大きな傷を負うこととなった。
そんな徳姫を父は可愛がっていたものの、重要な同盟相手である松平家(徳川家)との約束で、十歳になる前に信康の元に嫁がせることとなった。しかも、それが母の死後一年後の事であり、母を亡くしたばかりにも拘らず他家に嫁ぐこととなった徳姫の心は、戦国の世の習いとはいえ心痛あまりあるものがあったことだろう。
そんな徳姫に対し、松平家では姫は産むもののなかなか跡取りたる嫡男を産めなかった徳姫につらく当たり、信康との仲が拗れて行き悲劇を招くこととなったと言われている。
もし仮に、母が健在であり徳姫が松平家に嫁いだ後も文のやり取りなどが行われていれば、徳姫と信康の仲もそれほど拗れることはなく悲劇は回避出来たかもしれない。
何よりも、子として母には長生きをして欲しいと言うのが俺の偽らざる気持ちであり、前世の知識を持つ俺がなんとしても母の延命に尽力せねば!と、徳姫の誕生に際し心に期した。
そこで、改めて産後の肥立ちが悪くなる原因について記憶をたどる。この時代、庶民や農民などは食料が乏しく、栄養不足も一つの原因と考えられるが、母は父・織田信長の側室。生活する生駒家は馬借の元締めとして力を持ち、食料を手に入れることも容易であり栄養不足が原因とは考えにくい。となると、考えられるのは産褥期(妊娠および分娩によってもたらされた母体の変化が、分娩の終了から妊娠前の状態に戻るまでの期間)の間に感染症に罹患したことで体調を崩すことではないかと考えられた。
では一体、原因となる感染症は何所からもたらされたか?その可能性が一番高いのは父による性行為だった。
分娩後の子宮は大きな傷を負った状態。そんな状態で性行為を行う事は現代では考えられないものであり、古代中国でも『坐月子』と呼ばれ少なくとも約一か月間は生活上の制限は設けられ母体は守られていた。
坐月子での生活上の制限とは、『入浴および洗髪をしない』『歯を磨かない』『階段を登らない』など数々ある中『性行為の禁止』も挙げられていて、母体にとっては危険な行為と考えられていた。
坐月子の考えは平安の頃には中国大陸から日ノ本にも伝えられていたが、戦国時代はその事が忘れ去られてしまい出産直後から平気で性行為が行われていたようだ。(戦国期だけでなく日ノ本では長らく忘れ去られており、産後の肥立ちが悪く死を迎える経妊婦が多かったようだ)
とは言え、中国の書物には書かれている事柄であり医師や寺などなら坐月子の事が書かれた書物があるだろうと俺は徳姫誕生に沸く生駒屋敷の家人を使い、手当たり次第に書物を当たらせ何とか入手することに成功した。そして…
「父上、姫様の誕生おめでとうございます。」
「おお、茶筅か。お前も妹が出来て嬉しかろう、可愛がってやるのだぞ。この姫は時期が来たら織田と松平の絆を強固にするため松平家に嫁ぐさだめの子だ。松平家の竹千代殿の元に嫁ぐその日まで大切に育てねばな。」
「殿、産まれたばかりの姫様にその様な話は早過ぎまする!」
「そうか?しかし、既に約定を交わしているのだ。覆ることはない話と心得よ。わっはっはっはっは!」
姫の誕生に喜びの言葉を贈る俺に、父はご機嫌な様子だったが、まだ生まれて間もない赤子の嫁ぐ話をする父に、母は困ったような顔をしていた。
そんな二人の前で俺は懐に忍ばせていた一冊の本を取り出して父の前に差し出した。
「なんじゃこれは?」
俺が差し出した本を凝視する父と母。俺は一拍の間を置いてからその本について話した。
「こちらの書物は、中国より伝わった医学書にございます。某が剣の稽古で打ち身などした際にお世話になっている医師が持っていたものですが、この中にお産を終えた女性が気を付けるべきことが書かれておりました。」
「ほ~ぉ、産後の女性が気を付ける事か?何と書いてあったのだ。」
父は隣で産まれたばかりの姫を抱く母を横目でチラリと見てから、俺に問い質してきた。産後の女性が気を付ける事が書かれていると告げられ、隣にいる母の手前無視することは出来なかったようだ。
「はい、この書物には産後の女性の体が元に戻るまで一・二か月ほどの時を要すとの事にございます。この間の女性の体は非常に弱っており、生活をする上で様々な制限をした方が良いとの事にございます。」
「生活をする上での制限だと?それは一体何だ。」
「はい、こちらの書物によると、産後の女性は入浴や洗髪、歯磨きは控え、階段の上り下りをしないようにし冷たい水や食材を避け、泣いてしまう様な気持ちが落ち込むようなことを避け、性交渉はきつく戒め、縫い物などで長い間座らないようにするべきであると書かれていました。中でも、性交渉は特に注意すべきこととされ、これを違えれば命にも関わりかねないとの事にございます。」
そう俺が言い切ると、父は眉間に皺を寄せて少し考えた後、
「で、あるか。戒めるべきことは分かった。が、他に書かれておらなんだか?例えば産後の女性がやった方が良い事などは。」
と頷いた後で、他に書物に書かれたことは無いかと訊ねてきた。
「ありまする。お産の際に血を多く失いまする。その血を補うために鶏肉を米酒で煮た料理を食すと良いと書かれていました。ただ、某の様に獣肉を食すことに慣れた者ならば平気で食べることは出来るかもしれませぬが、母上は普段あまり肉をお好みにはなりませぬ、そんな母上には少々食べ辛いかと。母上に食していただくならば鶏の肉を用いるよりも卵を用いた方が良いと思いまする。例えば粥を炊くときに鶏の卵を溶き解した物を混ぜれば、癖もなくお食べいただけるのではと。しかも、卵は肉よりも滋養に良いと聞きます。お産をし体力が衰えた母上には格好の食材ではないかと思いまする。」
立て板に水が流れるが如く話す俺に父は少し驚いたような顔をしたが、直ぐに苦笑を浮かべ、
「であるか。では茶筅が指揮し母上に孝行するが良い。儂も可愛い姫の顔を見ながらお主の仕置きが如何なるものかを見聞するといたそう。」
そう言うと、父は俺の頭を乱暴に撫で回し母や産まれたばかりの姫に視線を戻し、いつもの親バカ全開の緩んだ表情を浮かべて母の労をねぎらいつつ姫を存分に愛でてから清州の城へ戻って行った。
その後も、十日に一度は必ず生駒屋敷にやってきては母と徳姫(史実通り妹姫には徳と名がつけられた)を愛で、笑いながら俺の頭を乱暴に撫で回して帰るといったことが続いた。
母も、俺が用意した卵入りの粥を文句を言わず食べ、体力が回復してくると何故か今までは口にしなかった獣肉を俺と一緒に少しづつ口にするようになり、二か月も過ぎると妊娠する以前よりも顔の血色も良くなり元気に徳姫に自ら乳を飲ませ甲斐甲斐しく世話を焼くようになっていた。
その姿に生駒家に奉公する女中たちは驚き、
「奇妙丸様をお産みになられた時も、茶筅丸様をお産みになられた時も産後の肥立ちが悪く、ご自分のお乳を飲ませる事が出来ず悲しい思いをされていたお方様が、徳姫様の時には元気にお乳を飲ませられておられる。これも茶筅丸様のお言いつけに従い養生をされたおかげでございますね。」
と、口々に喜びの言葉を口にしていた。
また父も、生駒屋敷を訪れるたびに元気になって行く母の姿に喜んでいるようで、俺が告げた坐月子の期間である二か月を過ぎても、用心の為だと言って母と閨を共にすることを控え、三月が過ぎてようやく以前と変わらず生駒屋敷に泊まるようになった。
父はこの一連の出来事を鑑み、尾張国内においては出産後、女性には一・二か月の『坐月子の戒め』として、生活する上での制限を義務としその間は隣近所で相互に助け合い、時には生活のための金も領主が出すと御触れを出した。
その結果、その後尾張の国を始め織田家が統治する国では産後の肥立ちが悪く死んでしまう女性が減少していった。
史実では、信雄(茶筅丸)が産まれた一年後には徳姫が産まれていますが、この作品では茶筅丸がやんちゃだったために徳姫の誕生が遅れた事にしてしまいました。
というか、この時期は尾張に今川の脅威が迫っており信長は最初の上洛や桶狭間の戦いに向けて大忙しだった中で、茶筅丸に三七、徳姫とよく頑張るなぁと感心してしまいました。
産後の肥立ちが悪く、死に至る例は性交渉によるものだけでなくストレスや鬱などもあり、現代においても大きな問題だと思います。
ただ、戦国時代やお風呂などが普及し体を清潔にする習慣が広がる前では、産褥期の性交渉は非常に危険なものなのではないかと考え、産後の肥立ちを悪くする原因に挙げさせていただきました。
この件に関して子供がいないという事もありますが、自分の理解が足りず異論・反論のある方も居られるとは思います。
お許しください。




