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第五十九話 安濃津城攻城戦 その五

すいません、遅くなりました。



「さて…これで敵方は前後から我らを挟撃できると考えておる事にござりましょうなぁ。」


安濃津城の前に軍を布陣させて七日目の昼、長野次郎からの要請を受けた北畠右近大夫将監具房の命により北畠勢凡そ一万が姿を現し、安濃津城を攻める俺たち織田・六角勢の背後に布陣した。

その動きは、明らかに城に籠る長野勢の動きに合わせようと意図している事は一目瞭然だった。

そんな北畠勢の動きを見て俺に話し掛けて来たのは、北畠勢の動きを物見の働きにより知った六角の者たちが後方に陣を敷き北畠勢と対峙しようとする俺たち織田勢の動きを見て送って来た軍監・後藤喜三郎定豊だった。

 後藤喜三郎は六角家の重臣で進藤山城守と共に『六角の両藤』と称された後藤但馬守賢豊の次男で、父・但馬守と兄・壱岐守治豊が観音寺騒動で六角右衛門督義治によって誅殺されたために後藤家の当主となり六角家に対し兵を挙げたが、蒲生下野守定秀と左兵衛太夫賢秀親子と三雲三郎左衛門定持の仲裁に応じ、他の進藤山城守賢盛や平井加賀守定武ら重臣と共に右衛門督義治の専制を許さないとした『六角氏式目』を結ばせた人物で、他の重臣に比べると若輩だが、観音寺騒動以前は右衛門督義治から一字を貰い“高治”と名乗っていたが、右衛門督義治に父と兄を殺されたことで高治の名を廃し、六角家を管領代にまで押し上げた弾正小弼定頼から一字を取り、名を “定豊”と改めるなどなかなかに気骨のある人物だと権六や小一郎など承禎入道が織田に臣従し三七郎兄上を養子として迎えるまで南近江で睨みを利かせていた織田の武将たちは評していた。

そんな喜三郎の問い掛けに対し俺は微かな笑みを浮かべ、


「そう考えるが常道でありましょうな。ですが、常道であるがゆえに読みやすい。違いますかな?」


笑みを浮かべ北畠と長野の動きを「読みやすい」と評した俺に、喜三郎は眉をピクリと動かし少しだけ表情を引き攣らせながら俺の問いに答えた。


「確かに三介様の申す通りではござりますが、常道ゆえにそれを覆すことはなかなかに難事であることもまた事実。にもかかわらずその様に泰然とされておられるという事は、既に勝算がお有りなのですな。」


「されば、先ず北畠勢は安濃津城に籠る兵の数を多く見積もっている事にござりましょう。長野次郎殿から援軍の要請を受け既に七日。にもかかわらず、安濃津城は六角と織田の兵によって大した痛手を被っている様には見えませぬ。それだけ攻めあぐねていると見るでしょう。その要因が安濃津城に籠っている長野勢の兵数が多いからだと考えても致し方なき事。

更に、長野勢は昼夜に渡る六角と織田の弓と火縄による攻撃を間断なく受け、疲弊しているとは思ってはおりますまい。」


その俺の言葉に、喜三郎は驚いたように目を大きく見開いた。


「な、なんと。では三介様は援軍に来た北畠勢の目を偽るために、これまで安濃津城に対する攻撃を弓と火縄によるものだけにするよう進言されたのですか?!」


「喜三郎殿。長野勢が北畠からの援軍を待ち、城に籠る事は北畠家と長野家の関係を考えれば容易に察する事が出来まする。その時、もっとも我らが行っては成らぬ事は籠城している敵方に攻め込んでいる最中に敵の援軍の急襲を受けることにござりましょう。

であれば、城に籠る長野勢が容易に打って出られぬように弱体化を図りつつ、援軍にのこのことやって来た北畠勢には城方との挟撃が出来ると思い込ませその隙を突くことが肝要であると某は考えたのでござりまする。某の考え、稚拙でござりましょうか?」


鈴鹿川の戦い以降、俺が献策した物は全て今、目の前に姿を現した北畠家の援軍を打ち破るための布石だったのだと打ち明けると、喜三郎は言葉を失いながらも俺の「稚拙でござりましょうか?」という問い掛けに首を左右に振るのだった。



◇安濃津城西方・北畠軍、鳥屋尾石見守満栄


「よしっ!六角の背後を取ったぞ。後は我らの攻勢に城に籠る次郎様が呼応し打ち掛ってくだされば織田に降り弱腰となった六角など一捻りよ!!」


長野次郎具藤様の要請により右近大夫将監具房様の命を受け北畠軍を率い安濃津城を攻める六角と織田の軍の後背に回り込み城方と敵軍を挟撃しようとしている大河内左少将具良様が笑みを浮かべ吠えられた。

その声に、居並ぶ北畠の諸将も左少将様の言葉に同意するように力強く頷き、今にも腰の太刀を抜き敵軍へ打ち掛らんとする中、某は何か言い得ぬ不安に襲われていた。


「なんじゃ、石見守。如何した?」


そんな某の様子に目を止められた左少将様が声を掛けてくだされ、左少将様の声によって諸将の視線が一斉に某に向けられた。そんな周りからの視線に慌てて、


「い、いえ。杞憂とは思うのですが、いくら六角が弱腰になったとはいえ戦において周囲に物見を放っていなかったのかと思いまして…」


「なにぃ?」


「織田は知りませぬが、六角には甲賀者とその頭領である三雲がおりまする。長野家との初戦を制しその勢いのままに安濃津城に籠城する長野家を屈服させようとしているとはいえ、周囲に物見を放っておらぬという事はありますまい。にも拘らずこうも容易く我らに背後を取られる愚を犯すものかと…」


語気も荒く睨みつけてくる左少将様に某が抱いた懸念を伝えようとしたのだが、言い終わらぬうちに岩内主膳正具俊が口を開いた。


「石見守殿の考え過ぎではござらぬか?先ほど左少将様も申されたではないか、六角は織田に降り弱腰になったと。しかも、此度の戦は織田上総介の三男が初陣にもかかわらず主将を務めているやに聞く。

初戦の勝利に舞い上がり籠城する長野勢に目を奪われ、とても周囲に物見を放つなど考えてもいまい。その結果が今のこの状況なのではないのかな。」


と、某の懸念など取るに足らぬものだと一笑に付した。

その主膳正の言葉に思わず眉間に皺を寄せて睨みつける某に左少将様から声が掛った。


「そう怒るな石見守。主膳正の申す通り、織田を率いるのはこの戦が初陣という小童じゃ。それにお主が案じる甲賀者を束ねる三雲は六角が織田に降ったのを契機に代替わりをしたばかり。これまで名を馳せて来た甲賀者も頭領が代替わりをしたばかりでは満足な働きも出来まい。案ずるな!」


主将を務められる左少将様にそう言われてしまい、某は反論を口にする事が出来なくなってしまった。

だがこの直後、某は如何に煙たがられようとも左少将様に注意をしていただくよう進言しなかったのかと後悔する事となる。


 左少将様の差配の下、我らは安濃津城の前に布陣する六角と織田の軍に攻め掛かった。

敵の陣構えは安濃津城と正対する形で六角の軍が前面に出ており、その後方我らに一番近い敵陣の後方には織田の軍が陣を敷いていた。

織田上総介信長は鉄砲にご執心と聞いていた。そんな上総介が伊勢に手を伸ばしてきている事を知った北畠家では鉄砲による攻撃を受ければ織田の者らはさぞ驚く事であろうと大枚をはたいて大湊で鉄砲を買い求め、編成してきた鉄砲隊を先鋒にして先ずは織田の兵どもに鉄砲の玉を馳走する事とした。

 鉄砲隊の後方から弓隊による牽制射撃を加え鉄砲の有効射程へと近づいて行く。弓隊の牽制射撃に対し織田方は右往左往し牽制の弓矢を除けるためなのか軍の前面に兵の姿を隠す程の高さに切り揃えられた竹垣の様な物を立て掛けて弓矢を防ごうとしていた。そんな織田の動きを見て左少将様をはじめ北畠勢の多くの将は嘲笑っていた。なぜなら弓はただの牽制で本命は大湊にて大枚をはたいて購入し、新たに編成した鉄砲隊による一斉射撃だったからだ。しかし…


「なっ…なんだと。どういう事だ、一体何が起こったのだぁ!?」


弓隊の放った矢を防ぐために用いられているとばかり思っていた竹垣の様な物など、鉄砲の鉛玉を受け穴だらけになるものと思っていたのだが、鉄砲隊から放たれた一斉射撃を受けたにも拘らず、織田勢の前面に立てられた竹垣は一斉射の前と変ることなく軍勢の前に立っていたのだ。

その様子に左少将様は何が起こったのだと周囲の将兵に問い質したのだが、某も含め誰一人として左少将様の問いに答えられる者はいなかった。

そんな将兵の姿に、左少将様は鉄砲隊へ再度の一斉射撃を行うよう命を発し、鉄砲隊に今度こそはと狙いを定めて織田勢に向かって鉄砲を放ったのだが、一回目と同様に辺りに黒煙が立ち上っただけで織田勢は平然と竹垣の様な物は押し立てて我らの方へとにじり寄って来た。そして…


「竹束ぁ、掲げぇ!」


「放てへぇ!!」


織田勢から二つの号令がたて続けに発せられると、それまで我らに向かって立てていた竹垣が足軽兵によって頭上に掲げられると、その裏に隠されていた織田勢の鉄砲隊が火を噴き、前面に押し立てていた北畠の鉄砲隊に鉛玉が襲い掛かった。

しかも、北畠の鉄砲隊とは異なり一斉射では終わらず、織田の鉄砲隊は鉛玉を放つと直ぐに後方に控えていた者と入れ替わり、絶え間なく鉄砲による射撃が続いたのだ。その結果、軍の前方に置かれていた北畠の鉄砲隊は織田の鉄砲隊によって僅かの間に壊滅し、鉄砲隊の一斉射の後に突撃を予定していた長槍足軽隊の徴用農兵たちも鉛玉の餌食となり、頭や胴体などに穴を穿たれ屍を晒す同輩や、腕や足がちぎれ飛び血を流してのたうち回る様を目の当たりにして恐慌状態に陥っていった。

軍勢の前方に置かれた壊滅の憂き目にあった鉄砲隊は別として、織田の鉄砲によって死傷した農民足軽兵は実際にはそれほど多くは無かった。

しかし、目の前で北畠の鉄砲隊が壊滅に追い込まれ、同輩が鉛玉を受けて死傷する姿を目の当たりにした農民足軽兵が抱いた恐怖は尋常なものではなかった。

これまでも、戦に駆り出されることがあった農民兵は弓や槍による死傷を目にする機会はあったが、戦場に響き渡る轟音と共に目に見えないもの(視認できなかった)によって体に穴が開き、腕や足が千切れ飛ばされる姿を目の当たりにして怪異や物の怪の所業の様に感じてしまったとしても致し方なかったことだろう。

そして、その恐怖が周囲へ伝播していくのも早かった。

死の恐怖に正気を失い、次第に統制が取れなくなってゆく足軽農兵に対し、足軽を統括していた北畠の将たちは声を張り上げ懸命に落ち着かせようとした。だが、そんな北畠の将たちを嘲笑うかのように織田の鉄砲隊の後方に控えていた足軽兵五隊が率いる将の号令に従い一斉に我らの足軽兵へと襲い掛かった。

 足軽兵が持つ長槍は、将の号令の下に一同内揃い頭上に掲げられた後、振り降ろされれば大きな威力を産み出すが、今の北畠の足軽兵の様に恐慌状態に陥り統制が取れない場合には、長槍は動きを阻害する足枷に変わってしまう。

そんなまともに迎撃態勢が取れない足軽兵に、織田の足軽兵は一隊一隊がさながら一本の巨大な長槍と化し五本の巨大な長槍となって襲い掛かった。

五本の巨槍に蹂躙される北畠の足軽兵。その状況を目の当たりにした主膳正は主将である左少将様の元に駆けよると、


「左少将様!このままでは鉄砲隊に続き主力の足軽兵までも壊滅の憂き目に遭いますぞ!!」


足軽兵を撤退させるか、救援のために兵を動かすよう進言をした。だが、その進言に対し左少将様は、


「足軽頭に兵を落ち着かせ、足軽兵に今は己が命を保つよう命を発しよ!石見守ぃ!!」


と某を呼ばれた。その声に某は急ぎ左少将様の下へと進み出ると左少将様が、


「石見守、如何見る。」


と、問い掛けられた。


「さよう、今からでは次郎様が城から打って出られたとしても如何ともなりますまい。六角と織田の軍を挟撃するという策など所詮は絵に描いた餅にござります。」


「そうか…どうやら儂らはこの場へ誘い込まれた様じゃな。儂らの鉄砲を防いだあの竹垣の様な物を周到に準備していた事といい、鉄砲を一斉射撃するのではなく連続して射撃を行う運用といい、織田《‥》は長野を餌に我らをこの場に誘い込んだのであろう。見事に織田の術中に落ちてしまったという訳じゃな。であれば、この後は如何すればよいと思うか!」


左少将様の問いに某はしばし沈黙してしまった。なにせこの後口にしなければならない言葉は南北朝の御代より伊勢国司として威を張っていた北畠家にとって屈辱的な言葉であり、北畠の力を頼りに城に籠った長野家と次郎様を見捨てる事に繋がる為だ。しかし、此処で兵を損ねるはこの後に待ち構えている北畠の存亡を左右する戦いにまで影を落とす事となる。そうならない為に某がこの場で口にしなければならぬ言葉は一つしかなかった。


「口惜しき事ながら、織田の攻勢がこれで止むとは考えられませぬ。二の矢三の矢と策を講じ攻め掛かってくるはず。この場から退き、この後に御家(北畠)の御領地へ攻め寄せてくる六角と織田に備えるが肝要と心得まする!」


左少将様は某の言葉に悔しさを滲ませながらも理解を示された。しかし、我ら二人の話を耳にした者から怒声が上がった。


「退くなどなりませぬぞぉ!次郎様は我らの助けを今も城に籠りて待っておられるのです。その我らがこの場から退けば、次郎様は長野家家中を押さえる事が出来ず長野家は六角の軍門に降る事となりましょう。

御先代・天祐(晴具)様より対立して来た長野家をご隠居様(具教)が降し、次郎様を御当主として長野家に入れることでようやく長年の憂いを解消する事が出来たのですぞ、それが水泡に帰すこととなりまする。それでよろしいのでござりまするかぁ!!」


そう声を上げ某に今にも斬り掛ってくるような目で睨みつけて来たのは、先ほど左少将様に足軽兵の立て直しを図るよう命を下し、この場から退けたはずの主膳正だった。

 確かに主膳正の云う通り、御先代・晴具様そしてご隠居様の二代に渡り長野家を屈服させるのに腐心し、次郎様を養子として入れ御当主にしたことでようやく安定する事となった北畠と長野の関係が瓦解する事は火を見るより明らかではあったが、長野家に執着するあまり北畠家を危機に陥れてしまう訳には行かない。その事を主膳正にも理解してもらわねばと口を開こうとした某を左少将様が制し、口を開かれた。


「では主膳正は如何せよと申すのじゃ?」


「はっ!足軽兵を立て直す時を稼ぐために、騎馬にて織田の横腹を突きますればまだまだ挽回できまする。某に騎馬の指揮をお命じ下さりませ!!」


左少将様の問い掛けに主膳正は鼻息荒くそう進言した。その言葉に左少将様は暫し黙考された後、


「主膳正。お主の配下を率い騎馬五百にて織田を抑えよ!」


「左少将様ぁ!?」


左少将様の命に思わず声を上げた某に主膳正は勝ち誇ったような顔を向けた後、


「直ちに騎馬五百にて織田の横腹を突き戦の流れを変えて御覧に入れまする!」


と叫ぶと、肩で風切るようにして出陣していった。その主膳正の後ろ姿を見送り、左少将様に視線を向けると左少将様は悲しげな表情を浮かべられていた。


「石見守、お主の云いたいことは重々承知してるつもりじゃ。石見守の申す事は尤もであると理解はしておる。されど、このまま次郎様を見捨てて退いては右近大夫将監様と御隠居様から軍を預けられた儂の面目が立たぬのじゃ。されど、儂の我儘も此処までよ。主膳正が上手く織田を抑える事が出来れば良し、石見守が懸念した通りに織田の策が上回れば即座に退くことと致そう。」


左少将様の言葉に某はそれ以上何も言えず首を垂れるしかなかった。


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