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第五十八話 安濃津城攻城戦 その四

安濃津城。

細野壱岐守藤敦の居城で、北に流れる安濃川と南に流れる岩田川に挟まれた三角州に築かれた城で、南北の川とさらに東の海を天然の外堀とする事で攻め手は西からしか攻めることが難しく平城でありながらも十分な防御力を備えた城で、史実でこの地を治めた織田信包、藤堂高虎もこの地の利点を生かし堅固な城を築いた。

今、俺の目に前に在るのはそんな堅城の基礎となる城だが、攻め難さは後年に築かれる城と変わらないものがあるように思えた。

 鈴鹿川の戦いで敗走した長野家はこの安濃津城に入り防御を固め籠城の構えを見せていた。もちろん、これには南の北畠家からの援軍を期待してのことであることは火を見るよりも明らかだった。

そんな長野家の思惑を見越した上で俺たち南伊勢攻略軍は六角を前面に押し立て後背を織田が詰める形で城の西側に布陣した。

ただ、城攻めには城方の三倍の軍勢が攻め手には必要だとされているため六角と織田の軍勢合わせて二万では安濃津城を落とすには些か足りないように思われたが、実際に安濃津城に入った長野勢は五千弱だった。

 この様な事になったのには訳が有る。先に行われた鈴鹿川での戦いで長野勢は自軍よりも少数の織田勢に一方的に打ち崩され敗走したため、兵として徴された農民兵はそのまま己の村へと逃げ帰り、自らが体験した長野と織田の戦いの様子を村の者たちに話して聞かせた。

話を聞いた村の者たちは長野家を一蹴した織田の軍に加え、長年に渡り南近江で威を張り先代・定頼が管領代にまで叙せられた六角家までもが攻め込んで来たとなれば、自分たちは一体どうなるのかと上に下への大騒ぎとなったのだが、実際に長野領へ進軍してきた六角と織田の軍は隊列を組み、乱取りをする者など一兵もおらずその堂々とした姿に自然と頭を垂らす者が続出した。

そんな自領の民の姿を見た地侍たちは、それまで領主としていた長野家から離れ六角と織田の下へ馳せ参じた。その数四千余。これは安濃津城に入った兵とほぼ同数が長野家を見限り六角と織田の連合軍に付いた事になる。

この事態に一番驚いたのは六角の諸将だった。

確かに初戦を完勝したことでこの後の戦いも優位に立てるとは思っていたが、まさか領内に進攻した自分たちに侵攻を受けた地の民が首を垂れて恭順の姿勢を示し、地侍たちが馳せ参じるなど思いもよらぬ事だった。

しかも、それが乱取りを行わず隊列を組み侵攻する姿を見せたことで起こった事だと知り、乱取りの禁止と隊列を組んでの侵攻を献策した俺を畏怖したという。

もちろん、俺は織田の軍を率いていたため六角の諸将が俺を畏怖したなどと知る由もなかったが、安濃津城を取り囲んだ後から俺に対する六角家の者たちが俺を立て、対応も丁寧になったことに何度も首を傾げることとなるのだが、この一件は・・と六角家との力関係が成立した瞬間だった。

何はともあれ、安濃津城を前に布陣した俺たちは当初の想定よりも有利な状況に持ち込む事が出来ていた。



「さて各々方、長野の者たちは亀のように城に籠る所存のようであるが如何致そうか?遠慮は要らぬ思う所があれば申すが良い。」


六角と織田の諸将が六角家の本陣に集まる中、三七郎兄上は皆を見渡すと安濃津城に籠った長野勢に対し如何するか意見を求めた。その言葉にイの一番に口を開いたのは蒲生左兵衛太夫賢秀だった。


「然らば、既にこちらに恭順の意向を伝えてきている雲林院慶四郎へ繋ぎを取り、城を明け渡し我らへ降るよう説得させては如何でござりましょうか。我らが狙いは南伊勢の攻略にござります。長野家に対して兵を損なえば、この後にぶつかる北畠に対し劣勢を強いられることになるやもしれませぬ。」


左兵衛太夫の進言に、隣で大きく頷くのは雲林院慶四郎に調略を掛けた滝川彦右衛門一益や三雲新左衛門尉成持だった。

しかし、その進言に対し面白くなさそうな顔をしたのは進藤山城守と目賀田次郎左衛門尉をはじめとした六角家の者たちだった。

彼らは上洛戦の折に観音寺城を捨てて三雲城へと居を移した承禎入道と右衛門督義治を見限り、父・上総介に逸早く臣従したものの、三七郎兄上が承禎入道の養子として入り六角家が観音寺城に返り咲いたことで改めて六角家の下に就くことにしたものの、その立場は未だ父へも臣従したままであり、織田と六角の二家に就き三七郎兄上と承禎入道を見定めようとしている状態だったのだが、これまでのところ三七郎兄上と承禎入道さらに三七郎兄上を支える蒲生に三雲そして滝川がそれぞれ互いを立てながら六角家を動かしている姿を目の当たりにし、様子見をしている場合ではないと気が付いた(尻に火が付いた状態)様だ。

このまま左兵衛太夫の進言通りに、雲林院慶四郎に安濃津城に籠る長野勢を説き伏せさせて降伏などされてしまうと、六角家内での蒲生・三雲・滝川の力が強まり相対的に自分たちの影響力が低下してしまう。それは何としても避けたいが、この後北畠との戦が控えているため調略によって長野家を降伏させ、兵の損耗を押さえるという左兵衛太夫の言葉を覆すだけの説得力のある進言は思いつかないでいたため、渋い顔になっていたのだ。


「兄上、某からも宜しいでしょうか?」


六角家内の権力構造の変化を見ながら俺は静かに発言を求めた。


「三介、何か良き考えが有るのなら遠慮は要らぬ。申すが良い。」


「はっ。では某からも一言。左兵衛太夫殿の策、まこと良き策と思いまする。が、今はまだ早計ではないかと考えまする。」


俺の言葉に左兵衛太夫をはじめ彦右衛門や新左衛門尉は驚きの表情を浮かべた。彼らは俺ならば賛同してくれるものと思っていたのだろう。

一方、山城守や次郎左衛門尉たちは俺が『早計』だと告げたことでそれまで浮かべていた渋面から、自分たちの見せ場が得られるのではという期待をかける表情へと変わった。


「長野家の当主、長野次郎殿は北畠右近大夫将監殿の御実弟。我らに敗れ安濃津城に籠城を決めたのならば、右近大夫将監殿と実父・権中納言殿に援軍を要請した事にござりましょう。

・・、雲林院慶四郎殿から我らに降る様に進言されたとしても、北畠からの援軍を待つ次郎殿は首を縦には振りますまい。

むしろ、我らに内通しているとして雲林院慶四郎殿を誅するかもしれませぬ。それでも構わない、と言われるのであれば左兵衛太夫殿の策を用いれば良いとは思いまするが、雲林院慶四郎殿をみすみす見殺しにするような策を用いればこの後六角家からの調略に乗る者は減ることになりましょう。」


「では三介様は真正面から安濃津城に攻め掛かり落とせと申されるのでござりまするか!?」


北畠から援軍を待つ長野家に今、雲林院慶四郎を使い降伏を持ち掛けるのは得策ではないと告げる俺に彦右衛門が険しい表情を浮かべ声を上げた。そんな彦右衛門に俺はゆっくり大きく首を横に振り、


「某は雲林院慶四郎殿を使うのは・・ではないと申しているのだ。先ずは長野家が降伏もやむ無しとする状況を作らねばならぬ。それには長野家の要請を受け此方に向かっているであろう北畠の援軍を安濃津城からも見える位置まで引き付けて打ち払う。さすれば長野次郎殿も雲林院慶四郎殿からの降伏の打診に首を縦に振るであろう。

兄上、先ずはこちらに向かって来ている北畠の援軍を呼び込むまでの間、城に籠る長野勢に対し火縄や弓による牽制を行いつつ悠然と城を囲むが良いと考えまする。しかる後、城に近づいてきた北畠の援軍を打ち払い、その上で雲林院慶四郎殿に降伏の進言をさせるのが良いと考えまするが如何にござりましょうか。」


俺の言葉に三七郎兄上は暫し黙考し、


「確かに三介が言うように順序立てて事を運べればそれに越したことは無いであろう。しかし、北畠家からの援軍を城から見える位置まで誘い込むと言うのは些か危うくは無いか?北畠の援軍に呼応し城に籠る長野家の者共が打って出てくれば、我らは背と腹に敵を抱えることとなるのだぞ。」


そう懸念の口にした。


「確かに兄上の仰る通りにござりまする。が、安濃津城は三方の川と海に囲まれた城。打って出てくるとすれば、我らが布陣した城の西側だけにござります。北畠からの援軍が来たと喜び勇んで打って出た長野勢など飛んで火に入る夏の虫、正面から叩き潰せばよいだけの事、兇るるに足りませぬ。

更に、北畠家が派遣する援軍も自国の守備を考えれば多くても一万を超えることはありますまい。先の岐阜城での評定にて申した通り、北畠の援軍は我ら織田勢が打ち払って御覧に入れまする!」


兄上の懸念に対し、堂々と言い放った俺に兄上は少しだけ困ったように苦笑を浮かべたが直ぐに表情を元に戻し、


「相分かった!左兵衛太夫の策は安濃津城に籠る長野勢が縋る北畠からの援軍を打ち払った後、用いることと致す。それまでは緩むことなく城に籠る長野勢に圧力をかけ続け、北畠の援軍に呼応し城から打って出て来たならば六角の武威を存分に知らしめてくれようぞ!!」


「「「「「「「「「「応!」」」」」」」」」」


兄上の檄に六角の諸将は声を上げると、各々が差配する兵の下へと席を立った。



この評定の後、六角家の諸将は安濃津城に対し鉄砲や弓を用いて断続的に攻撃を行い、長野勢に圧力をかけ続けた。

もちろん、城へ鉄砲や弓による攻撃を続ければ矢玉が減少するのだが、その補給には六角勢では平井加賀守定武が、織田方では蜂須賀小六郎正勝と本来の役目に戻った木下小一郎長秀が絶え間なく補給を行う事で鉄砲と弓による絶え間ない攻撃を支え続けた。

結果、長野勢は手も足も出ず亀のように城に籠る事しか出来ずにあっと言う間に六日が過ぎていった。

そんな長野勢の下に遂に待ち望んでいたものが姿を見せたとの知らせが届いた。が、六角と織田の軍に城を攻められ続け、敵方が鉄砲や弓による攻撃から城を落とす総攻撃に打って出るのかと生きた心地のしない日々を過ごしていた長野次郎は物見の知らせを受けて発した第一声は、


「遅い!我らが援軍を求めてから何をちんたらとしておったのだ、大腹御所はぁ!?」


という兄・右近大夫将監具房に対する罵声だったという。



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― 新着の感想 ―
[一言] 続きはよ!
[一言] てっきり新兵器が使われるものだと思ってたけどまだここでは使われませんでしたか、続きに期待ですね。
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