第五十六話 安濃津城攻城戦 その二(鈴鹿川の戦い)
「物見より知らせがござりました。長野勢、間もなく鈴鹿川の対岸にて姿を現すとの事にございます。」
「知らせ大儀。三介様、いよいよでござりますな。」
観音寺城を発した織田勢は関家の居城・亀山城の近く、史実では後に東海道の宿場町・関宿となる街道沿いの村へと進み、その村を通り過ぎたところで街道を逸れると街道から三・四キロ離れたところを流れる鈴鹿川の手前で陣を敷いた。
関家は先の上洛に先立ち滝川彦右衛門の働きにより神戸家と共に織田家に臣従した北伊勢の国人領主。今回の南伊勢攻略では神戸家と共に織田勢の道案内役を命じられていた。
史実では神戸家に入った三七郎信孝の下に付けられたが、関家と神戸家は元々関家が本家、神戸家が分家の間柄だったため、いくら主君の子供(三七郎)が養子に入ったとはいえ分家筋の神戸家の下につく事を快く思っていなかったようだ。
しかし、三七郎兄上は六角家に入り関家と神戸家の力関係には変わりなかったため、特に不満に思う事もなく、関家の当主・中務大輔盛信は妻の実家である蒲生家の面目をたて養子は入れたものの六角家を南近江に戻した父に好感を抱いたようで、今回の南伊勢攻略でも非常に協力的だった。
今も、自らが手配した物見の知らせを受けると上座に座る俺に向け闘志漲る表情を浮かべて声を上げた。
「中務大輔殿の差配、感服いたします。お陰で此方も長野家に対し十分な手配りが出来るというもの。そうではないか、半兵衛。」
「はい。三介様の申される通りにござります。織田勢でも物見を放ってはおりまするが、この地を掌握されておられる中務大輔殿にはかないませぬ。」
俺の言葉に俺の隣で軍配を預かる半兵衛もいつもの柔和な顔で中務大輔を褒め称えた。
織田勢を率いる将が一堂に会する場で主将である俺と俺の軍師として軍配を預かる半兵衛から褒められた中務大輔は顔を紅潮させ今にも破顔しそうになるのを必死に抑えようとしていたが、抑えきれない様だった。そんな中務大輔の様子に集った一同からは羨望の眼差しが向けられるのを確認し俺は声を上げた。
「さて、各方。お聞きいただいたように物見の知らせによれば間もなく川の対岸に長野勢が姿を現しまする。
既に半兵衛から各々には話を通してある事ゆえ某からクドクドと申すことはござりませぬ。各々に振られた役目を果たし、この一戦にて長野勢を安濃津城へと追いやり、六角家の者たちに織田の力を見せつけましょうぞ!」
「「「「「「「「「「おーぉ!」」」」」」」」」」
俺の檄に居並ぶ織田家の将たちは雄叫びを上げると、各々率いる兵の下へと駆け出していった。
「い、いよいよだな半兵衛…」
皆が陣屋を後にする姿を見送り、一気に人気がなくなった事でそれまで抑えていた不安感がドッと押し寄せて来て思わず横にいる半兵衛に声を掛けると、半兵衛はいつもの柔和な微笑みを少しだけ意地の悪い笑みに変え、
「これは珍しい。三介様でも初めての戦ともなると震えまするか?」
と小刻みに震えている俺の手を凝視して揶揄してきた。俺はそんな半兵衛に、
「仕方あるまい、俺とてこれが初めての戦なのだ。しかも、この戦は南伊勢攻略のためだけでなく、六角家の重臣共に対しても織田家の武威を見せつけ織田家に対し謀反の思いを抱かせぬ様にせねばならぬのだからな。承禎様が御存命で三七郎兄上の事を真の嫡子の様に思っていただいている内は良いが、承禎様が御隠れになった時、重臣共が兄上に反旗を翻せぬ様にせねば!」
と声を荒げてしまった。そんな俺に半兵衛は少し困ったように苦笑し、
「分かっております。ですがその様に力を入れ過ぎていると、いざという時に判断を狂わせる事にもなりかねませんよ。力を籠めるのは体にではなく芯(心)に、そう常日頃申されているのは三介様ご自身ではありませんでしたか?」
と言われて、俺は自分が気負い過ぎている事にようやく気付かされた。
「はぁぁぁぁぁ~、すぅぅぅぅぅぅぅぅ。」
体の中に溜まっていた二酸化炭素を全て搾り出すように大きく息を吐き、それから吐き出した分の空気を取り戻す様にゆっくりと静かに鼻から息を吸い込んだ。
そんな俺の様子を見て、半兵衛は笑みを深めた。
「どうですか?少しは落ち着かれましたか。」
「相済まぬ、初陣に気負い過ぎていたようだ。もう大丈夫震えも止まった!」
念押しをするように訊ねる半兵衛の問いに対し、俺は素直に謝意を告げると共に震えの止まった手を半兵衛に向かってかざして見せると、半兵衛な満足したように小さく頷くと、日頃の柔和な笑みを消し、ゾクリとさせる様な真剣な表情へと変えると凍える様な怜悧な声で軍師としての貌を露わにした。
「それはようござりました。間もなく長野の軍が姿を現します。ご用意を!」
その半兵衛の言葉に促され俺は寛太郎と五右衛門それと小一郎を従えて陣屋を出ると、陣屋の前に整列している直属の改良鉄砲隊五百の前に立った。
「間もなく鈴鹿川の対岸に長野家の軍一万が姿を現す。後詰に六角家一万二千の軍勢がいるが、此度の合戦は我ら織田勢のみで長野家に対する事となる。こちらは権六殿・左衛門尉殿の兵まで合わせて八千と僅かではあるが少ない。だが案ずるには及ばぬ!長野家の軍を破る策は此処に居る半兵衛が立て、その意に従い織田勢の諸将は動いておる。その方たちはこの三介が直属の新鋭鉄砲隊だ、半兵衛の策を信じこの三介に従い小一郎の指揮で長野家の者どもを討ち払うのだ!!」
「三介様率いる織田勢に勝利を。鋭意!鋭意!」
「「「「「「「「「応ぉ!!」」」」」」」」」」
小一郎の掛け声に応え、五百名の鉄砲隊は一斉に鬨の声を上げた。
◇鈴鹿川の戦い
後の世に“鈴鹿川の戦い”と呼ばれることとなる織田・六角連合軍による南伊勢攻略に向けての最初の 戦いは、東海道の宿場町となる関宿からほんの数キロほどしか離れていない鈴鹿川を挟み対陣した織田三介信顕率いる織田勢八千と長野次郎具藤率いる長野勢一万との間で行われた。
鈴鹿川の北伊勢側に布陣していた織田勢は、対岸に布陣した長野勢に対し奥村助右ヱ門永富率いる弓隊からの先制。対して長野勢は数を頼りに鈴鹿川を渡り織田勢に襲い掛かろうと突撃を開始した。しかし、助右ヱ門の弓隊による射撃に気を取られた長野勢は対岸に陣を構えた織田勢の最前列に並ぶ鉄砲隊に気付いていなかった。
弓隊の攻撃を掻い潜り一気に鈴鹿川を渡って織田勢に肉薄しようとする長野勢に対し、鉄砲隊は三介から指揮を任された木下小一郎長秀の号令の下、改良火縄銃が一斉に火を噴いた。
小一郎が指揮する鉄砲隊は二百・百五十・百五十の三隊に分けられていた。
史実では長篠の戦で三介の父・上総介信長による三段撃ちにより戦国最強と恐れられた甲斐武田氏の騎馬隊を撃破したとされているが、鈴鹿川の戦いでの鉄砲隊の運用はその規模は小さいものの史実の長篠の戦いを彷彿とさせるものだった。
三隊に分けられた鉄砲隊は改良火縄銃を放つと素早く後方に下がり早合を用いて素早く弾込め作業を済ませ射撃体勢をとり次射に備え、再び小一郎の号令の下に一斉に発砲を行うと言った連続射撃を行った。
鉄砲隊の銃撃によって長野勢は主力の長槍足軽歩兵千余が瞬く間に死傷し鈴鹿川に浮かぶこととなり、鉄砲の集中運用という新しい戦術に長野勢は完全に浮足立つこととなった。
そんな長野勢の動きを見逃さず追撃に動いたのは上総介信長から付けられた織田母衣衆の毛利新左衛門(新介)良勝、佐脇藤八郎良之、長谷川右近橋介、山口飛騨守正盛、加藤弥三郎順家の五人が指揮する長槍足軽歩兵二千五百と柴田権六勝家、佐久間右衛門尉信盛率いる兵二千、総勢四千五百の織田勢主力。
この動きは予め織田勢の軍師・竹中半兵衛重治によって指示されていたものだった。
前衛が織田の鉄砲隊によって崩され浮足がっている所への長槍足軽歩兵による追撃に長野勢の対応は遅れに遅れ、将の命に従い一糸乱れぬ動きで襲い来る長槍足軽歩兵に散々に打ち伏せられることとなるが、この裏には鉄砲の射程では届かない長野勢に対し助右ヱ門が指揮する弓隊による継続的な援護射撃があったればこその戦功だった。
長野勢は助右ヱ門配下の弓隊による援護射撃と、小一郎指揮の鉄砲隊による銃撃を受け鈴鹿川に浮かぶ自軍の死傷者によって足を止められ、身動きがままならない所に織田勢主力の長槍足軽歩兵の突撃を受けたために、長野勢前衛の長槍足軽歩兵は多大な損耗を出すこととなった。
しかし、総勢一万の兵数は伊達ではない。長野勢は事態の打開を図ろうと後陣に置いていた軍勢を投入しようと軍を動かした。
だが、その指示を受けて後陣に置かれていた軍勢が動き出すと、その時を待っていたかのように前田慶次郎利益率いる騎兵千が長野勢の横腹を突いた。
この慶次郎率いる騎兵の横撃により長野勢は総崩れとなった。
慶次郎が騎兵を率いて横撃を加えたのは前衛の加勢にと動き出していた後陣の軍勢に対してだったのだが、その様子を間近で目撃した長野次郎以下長野勢の将たちは、自軍の後陣に襲い掛かった騎兵の矛先が、自分たちの居る本陣に向かうのではと恐れを抱き、安濃津城へと逃げ出した。
その長野家本陣の動きを騎兵に横撃を受けた後陣の軍勢は目の当たりにし、織田の長槍足軽歩兵に叩かれる前衛を救助することなく放置したまま本陣に居た長野家の将と同じように安濃津城の方向に我先にと逃走し長野家の軍は総崩れとなったのだった。
もちろん、そんな後方の動きに前衛で戦っていた長野勢の兵たちが気付かない訳が無く、次々と投降するか戦場からの逃走を図った。そんな長野勢の動きに織田三介は投降する者への危害は禁じ、逃走を図る者へ追撃の手を緩めることは無かったものの深追いをする事は戒めたという。
この様子を織田勢の後方では六角家率いる軍勢は目撃することとなり、初めのうちは高みの見物と余裕の表情で眺めていた六角家の諸将たちも、寡兵でありながら終始戦の主導権を握り続け、長野勢を圧倒してみせた織田勢とそれを率いる織田三介に畏怖し、この後三介と織田家を侮る者はいなくなったという。
合戦のシーンですが、敢えて淡泊に書いてみました。
主人公の目線(主観が入った)の描写の方が良かったでしょうか?
主人公目線だと、全体の流れなどが欠落してしまう様な気がして、この様な手法を取ったのですが
この後も敵側の視線で進めるなど試行錯誤をして行こうと思います。




