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第五十五話 閑話・小一郎の嫁取り(婚約)

「三介様!お待ちくだされ三介様!!」


観音寺城の大広間で行われた評定(軍議)を終えてその場から去ろうとする俺に声を掛ける者が居た。振り返り声の主を確認すると、それは先程の評定で俺の発言に騒ぐ六角家の家臣たちを一喝し騒ぎを静めた平井加賀守定武だった。


「加賀守殿、先ほどは某の失態に対しご助力いただきかたじけのうござりました。して、何か御用で…」


そう答える俺に加賀守は少し恥ずかしそうな表情を浮かべると、


「助力など、あれは当家の者たちが醜態を晒しそれを咎めただけの事、お気になさりますな。それで、これから出陣される三介様にこの様な話をするのは憚られるのでござりまするが、御当家(織田家)の木下小一郎殿と三介様が昵懇の仲とお聞きしましたゆえ…」


「小一郎殿でござりまするか?確かに某がまだ幼き頃より兄の藤吉郎殿と共に何かと世話になり、此度の戦でも参陣しておりまするが…そうであったな権六殿。」


加賀守から小一郎の名が出たため少し困惑しながらも、小一郎の上役に当たる権六に確認すると権六は大きく頷き、


「はっ!小一郎は蜂須賀小六郎と共に拙者の配下にて荷駄の差配を任せております。」


と返答した。その権六の言葉に加賀守の表情は少し緩んだように見えた。しかし、何故に小一郎が荷駄の差配を任されていると聞いて表情を緩めるのか。普通で考えれば小一郎と何かしらの知り合いであれば、荷駄の差配という戦功の立て難い役目についていると聞いたら残念がると思ったのだが…と思うとその事が表情に出たのか加賀守は、


「小一郎殿が荷駄の差配をしていると聞いて安堵するなど、儂も武士としてあるまじきことと思うのでござりまする。愚かな父とお笑い下され。」


と申し訳なさそうにしながら自分の事を嘲笑するような苦笑が浮かんでいた。


「それは…先ほど某が長野家との戦の先陣を賜った事と何か関係が…」


「はい。三介様は御存じか分かりませぬが、儂の娘は浅井新九郎殿の元に嫁ぎましたが、浅井家が六角家と袂を分かつ際に離縁されてござります。その後、新九郎殿の元には織田家からお市の方様が嫁がれたのでございます。」


「加賀守殿の娘子が…それはお労しい事にござります。」


浅井新九郎に嫁いだ市叔母上のことに言及され返答に窮する俺に加賀守は首を横に振り、


「この乱世、聞かぬ話ではござりませぬ。むしろ命を取られることなく戻されただけ良かったと思うております。ですがそれは親の思いにて、娘にしては家と家との諍いによって離縁をされ、戻されるというのは辛きものであった思いまする。ですが、それだけでは終わらず当家に戻された娘に対し、右衛門督(六角義治)から「離縁されこの先行く当てもないであろうから側室(妾)として貰ってやっても良い」と申し出がござりました。その物言いに、いくら主筋しゅすじとはいえあまりにも娘が不憫で儂はお断りいたしたのでござります。ですが、その話は直ぐに六角家家中に広まり六角家内で娘の嫁ぎ先を求めることは出来ぬ事となり申した。」


そう話す加賀守の表情は苦悶に満ちていた。しかし、流石は観音寺騒動を引き起こした右衛門督義治、とんでもない愚物だと改めて認識させられた。

加賀守の娘子が浅井に嫁いだのは六角家の意向だったはず、言うなれば六角家のためにその身を捧げたのだ。その娘子に対し、離縁されたとはいえ「行く当てもないだろうから妾に貰ってやろう」とはあまりの言い草。とても主君として人の上に立つ者の言葉ではない。そんな事を考えている内に俺は自分でも知らないうちにギリリと奥歯を噛み締めていた。

その俺の態度に加賀守は顔を綻ばせながらも慌てて言葉を続けた。


「時を置かず、野良田の戦で六角家は敗れ、その後も右衛門督による後藤但馬守・壱岐守親子の殺害に端を発した観音寺騒動、そして三介様の御父上・上総介様の御上洛に際しての戦に敗れるなどにより六角家の当主に就いていた右衛門督の勢威は地に落ち、更に織田家からの臣従の誘いに対しても一人頑強に反対したことで承禎様にも愛想をつかされ六角家から放逐されることとなり申した。っと、右衛門督の事などもう関りの無き事。申し訳ござりませぬ、話が横道にそれてしまい申した、如何も年を取ると話が長くなっていけませぬなぁ。」


そう言って恥ずかしそうに軽く後頭部を叩いた加賀守は一息間を開けて話を娘子へと戻した。


「ご上洛の折の戦にて織田家への臣従を決めた儂は、上総介様からそれまで治めておりました領地を安堵され、南近江に入られた柴田権六殿を仰ぎ合力しておりました。儂が織田家に臣従を決めると娘は新たに嫁ぐことよりも仏門に入る事を考えるようになっておりました。そんな時、娘は南近江の寺にてある御仁とお会いしたのです。」


「…それが小一郎殿であったと?」


そう訊ねつつ後ろに控えていた権六に視線を向けると、権六も初めて聞いた話だったようで、俺の視線に慌てて首を横に振っていた。そんな権六をフォローするように、


「権六殿も知らぬ事と存ずる。なにせ儂もついこの間お藤から話を聞き出したばかりでござりますからなぁ。」


と加賀守は困ったような嬉しいような表情で告げた。その言い回しに何か引っかかる物を感じ、


「ついこの間、娘子から話をお聞きになった?それは何故でござりますか。」


そう言って話の続きを促すと、加賀守はとんでもない爆弾を投下してきた。


「お恥ずかしき事なのでござりまするが、親でありながら娘が身籠っている事に気付かず、寺に入ってから庵主殿から娘が身籠っていると知らされたのがこの間のことでして。慌てて娘に腹の子の父親は何者かと問い質したところ、山門の前でお会いした木下小一郎と申される織田家家中の御方だと白状いたしました。

娘の話によると小一郎殿と山門でお会いしすぐに恋仲になり、小一郎殿が南近江を離れると知り、今生の別れに一度の逢瀬をと…その為に娘も腹に子が宿っているとは気付かず仏門に入ったようなのです。」


加賀守の言葉に俺は後ろに控えていた権六に、


「今すぐに小一郎を連れて参れ!急げ!!」


と声を張り上げていた。

俺の声に権六も挨拶もせず脱兎の如く駆け出し、その様子に廊下ですれ違った者は『何事か!』と驚いたという。俺は加賀守を観音寺城の一室に招き小一郎が来るのを待った。


 半刻後。

頭から汗を垂らしゼーゼーと息を切らす権六と共に、神妙な面持ちの小一郎が俺と加賀守の元に現れた。


「木下小一郎長秀、お呼びと窺い罷り越しましてございます。」


「小一郎、こちらは平井加賀守殿だ。六角家の六宿老と呼ばれておられた御仁で、此度の南伊勢攻略に際し先ほどの評定において一方ならぬ助勢をいただいた。

そんな加賀守殿から其方について由々しき話をお伺いしたのだ…小一郎、其方南近江にて兄・藤吉郎殿と共に滞在していた折、とある寺の山門で娘子と会ったであろう。

その娘子とはどのような関りも持ったか有り体に述べよ!!」


俺と加賀守の前で深々と頭を下げる小一郎に対し、俺は敢えて強い口調で詰問の言葉をぶつけた。そんな俺の剣幕に、隣にいた加賀守は目を見開き驚きの表情を浮かべていたが、詰問された当の本人《小一郎》は特に慌てる様子は無かったものの少し頬を赤らめ恥ずかしそうにしながらも胸を張り堂々と返答を返して来た。


「三介様がお訊ねの娘子とは“お藤殿”の事にござりましょう。

上総介様が義昭公を立ててご上洛された後、甲賀で失地回復の機会を狙っておられた承禎様、右衛門督殿に対するため此方におられる柴田権六殿と兄・藤吉郎は南近江に詰めておりました。その兄に帯同する形で私も南近江に居たのです。忙しき日々の中、予定が何もない日が不意に訪れ、静かな地で一服をと生蓮寺という寺院に足を延ばした折、山門でお会いしたのがお藤殿でござります。

お藤殿は伏せられておりましたが、武家の御方のようでその立ち居振る舞いと、穏やかな御心根に心惹かれ、その後も幾度かお会いするうちにこの御方を妻に娶りたいと思うようになったのでございます。ですが、三介様もご存じの通り私は百姓上がり。お武家の御息女であるお藤殿を娶るには、それ相応の御役目を果たしてからと思いその事をお伝えしたのですが、お藤殿はなかなか首を縦には振っていただけませんでした。そうこうしている内に、滝川彦右衛門殿の御働きにより承禎様が織田家への臣従をお決めになられたことで、南近江に詰めていた権六殿と兄・藤吉郎にそれぞれ異なる命が発せられ南近江を離れることとなってしまったのです。

私はその事をお藤殿に話し、私が迎えに来るまで待っていて欲しいと願いしたのです。

お藤殿は少し困ったような御顔をされていたものの、最後には了承くださいました。

兄・藤吉郎と袂を分かったのは、大恩ある三介様に対し忘恩の言葉を口にする将右衛門殿を庇う兄に対し、憤りを抱いたという理由が第一ではございますが、堺の町の代官となる兄の元よりも、三介様の下で戦に参陣される権六殿の下でなら明確な手柄を立てられ、一日も早くお藤殿を迎えられると思ったからにござりまする。」


そう答えた小一郎には疚しい気持ちは欠片も見えず、実に堂々と惚気て見せたのだった。そんな小一郎に俺は少し呆れつつも、俺の隣で娘との惚気話を聞かせられた加賀守はどの様な顔をしているのだろうと思い、恐る恐る目を向けると其処には目から涙を流しながら笑みを浮かべる好々爺が居た。


「小一郎殿!」


大きな声で小一郎の名を呼びにじり寄ったかと思うと、小一郎の手を取り両の手で握りしめる加賀守に、何が起きた!?と戸惑い俺に救いを求める小一郎。そんな小一郎の様子を無視して加賀守は堰が切れた様に話し始めた。


「お藤が生蓮寺に赴いたは、仏門に入るつもりだったのでござる。儂や奥、倅の右衛門尉(高明)は浅井との事は無かったものと忘れ、良い縁を結べばよいと諭したのでござるが、六角家が上総介様に敗れ儂が織田家に臣従すると決めたのを機会にと、儂たちに知らせず一人で平井家の菩提寺である生蓮寺に赴いたのでござる。

その時に偶然お会いしたのが小一郎殿でござった。

娘はこれまでにお会いしたことのない殿方である小一郎殿に惹かれたようで、仏門に入る事を一旦思い留まったのでござる。その様な事があったなどとは露とも知らず、儂ら家族は浅井家を離縁されてから、いつもふさぎ込んでいた娘が以前の様に明るく穏やかに日々を過ごす姿に安堵いたしておりました。

 ところが、承禎様が上総介様に臣従すると決められ三七郎様をご養子にし観音寺城に入られ、これまで南近江に詰められておられた柴田殿や木下殿が南近江を離れると、娘は再びふさぎ込むようになり儂達には何も言わず仏門に入ってしまったのでござる。」


加賀守の言葉に最初は驚いていた小一郎だったが、仏門に入ったと聞いて顔を青くして下を向き、


「…お藤殿、二世を誓った私との言葉は偽りだったのか。」


と、溢した。だが、そんな小一郎の手を再び加賀守が強く握ったことで顔を上げると、


「偽りではござらぬ。お藤は小一郎殿の事を好いてござった、されど自分が小一郎殿のもとに行けば、織田家御家中の御方である小一郎殿に肩身の狭い思いをさせてしまうのではと思い、小一郎殿の思いを胸に仏門に入ろうとしたのでござる。ですが、そんな娘の浅はかな考えを御仏はお笑いになられたようだ。

仏門に入るための得度を受けるその間際、娘が懐妊していることが分かったのでござる。小一郎殿には心当たりがござろう!」


「たっ、確かに。南近江を離れる間際、お藤殿と一夜を供にいたしました。では!?」


「お藤の腹に宿ったは小一郎殿のお種にござる。お藤は一度浅井家に嫁いだものの、新九郎殿には八重と申されるお気に入りの女性が居られ、新九郎殿の嫡男・万福丸殿は八重殿のお腹の子にござる。新九郎殿とは嫁いだ夜は閨を共にしたものの、その後は一度として訪れる事がないまま離縁の運びとなり、浅井家を離縁されたお藤に言寄る者は南近江の国人にはおらず、尾張の出である小一郎殿だけにござる。

今、お藤は子を宿していた事で得度を取り止め当家に居りますが、小一郎殿は如何されまするか?」


「もちろん、お藤殿のもとへ…」


小一郎は「もちろん、お藤殿のもとへ参りとうござりまする。」と答えたかったのだろうが、加賀守が告げた『浅井家を離縁された』という言葉に俺の方に目線を向け言葉に詰まってしまった。

たぶん、織田家と浅井家の関係に考えが及んだのだろう。だが、浅井家の嫡男である万福丸は側室・八重の方の子となれば、お藤殿は離縁されている訳だから何の問題はない。もし、何かいう者が織田家家中にいるのなら、小一郎を俺の下に就けてしまえば良いだけの事。俺からしてみれば、小一郎という有能な家臣を手に入れられ、しかも六角家との間に加賀守(平井家)という太いパイプが作れるとなれば“濡れ手に粟”とは正にこの事。


「小一郎!何を愚図愚図しているのだ、加賀守殿に同道しお藤殿の元へ行ってくるが良い。後の事は某がなんとでも致す。何をしている、早く行かぬか!!」


そう活を入れると、小一郎は満面の笑みを浮かべ加賀守と共に走って行った。

二人の後姿を見送る俺の耳に『ズルズルズル』と鼻を啜る音が…振り返ると、


「しゃんしゅけ様(三介様)、流石にごじゃりまする。(ズル~~ッ)小一郎に成り代わりこの権六、感謝を申し上げまする!」


と、涙と鼻水を垂らしながら俺にすり寄る権六に顔を引き攣らせることになるのだった。


木下小一郎長秀(豊臣秀長)は史実では四十歳過ぎ(45歳前後)まで独身だったようですが、奈良の法華寺という尼寺に居た女性(尼)と恋仲になり女性が妊娠をしたことで寺を出ることとなり結婚出来た様です。(尼さんと出来ちゃった婚!!)

 小一郎の名前ですが、何人かの読者の方に『秀長』なのでは?と指摘されました。これは故意に『長秀』を使っています。秀長の名を名乗るようになったのは小牧・長久手の合戦以降で、兄・秀吉が信長の後継者と目されるようになってからの事の様でそれまでは『長秀』と名乗っていたようで此方を使っています。

 平井加賀守の娘ですが、浅井長政の下に嫁いだものの直ぐに離縁されたようで、長政の嫡男・万福丸の母については加賀守の娘という説と、この時すでに長政には側室がいて長政から寵愛をうけていたその女性(八重の方)が母ではないかという説があるようです。

今作では浅井長政の嫡男は側室・八重の方の子という説を採用しました。

今回、小一郎とお藤の出会いの場となった生蓮寺ですが、平井加賀守のお墓があるお寺なので作中では平井家の菩提寺としました。

ちなみに、お藤という名前は史実の豊臣秀長の正室(尼から還俗した時の名)のもので此方も使わせていただきました。


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― 新着の感想 ―
[一言] ホント、豊臣秀長の結婚が晩婚過ぎするのが戦国時代屈指のなぞなんですよね〜 兄夫婦やノッブは一体何してんだよ·······ってレベルですよ! この件に関しては同じ悩み(嫡子出来無くて弟の子を養…
[一言] 戦国最強のNo.2の小一郎が1番好きな武将なので出番と寿命をもっと増やして下さい!(土下座)
[一言] 近江を舞台にした仮想戦記では平井家の離縁された娘さんは良く出てきますよね。六角家の中での平井家のポジションや浅井長政に離縁されたという経歴が興味を誘うのでしょうか。
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