第五十三話 初陣・三つ追い立浪巴の前立て
「まぁ!何と凛々しい。若き頃の上総介様によく似ておられますよ。」
「兄様、お似合いにござります!!」
「…元服の折の直垂姿は如何にも着慣れぬ物を着せられていると言った風体であったが、鎧姿は一端の武将然と見えるのは如何なる事じゃ?」
元亀三年(1572年)十一月。南伊勢攻略のために軍を挙げる事となった。
俺は寛太郎・五右衛門と共に、ウチの内政面を一手に取り仕切る利久と政次の二人が手配した甲冑師・加藤彦三郎正之作の鎧を身に纏い、母と徳姫それに八右衛門の叔父上の元へ出陣の挨拶に向かうと、母と徳姫からは鎧姿を褒められたものの、元服の際に身につけた直垂姿と比べて鎧姿が板についている様子を八右衛門の叔父上には不思議がられることとなった。
が、実はこれには理由があった。父から南伊勢攻略の命が告げられた時から俺たち三人は鎧に慣れるようにと密かに準備をしていたのだ。
この二か月、日常的に着物の下に鎖帷子を着て過ごし、剣や槍(俺は長巻)騎馬の鍛錬の際には足軽の鎧を借りて身につけた状態で鍛錬に励むようにしていた。
たった二か月とはいえ毎日の激しく動く鍛錬に足軽の物とはいえ鎧を身につけて動いていた事で、初陣にしては鎧姿が様になるくらいには着慣れたようだ。
しかし、この二か月は出陣に向けて忙しない毎日だった…
先ず、父から預けられた五千の兵だが、俺の直臣と言えるのは傅役の半兵衛以下寛太郎と五右衛門に利久とその養子の慶次郎に利久の城代を勤め慶次郎の竹馬の友である助右ヱ門、それと三河で召し抱えた政次の七名しかおらず、いきなり兵を率いろと言われても将となる人員が足らなかった。
そこで、父の母衣衆から毛利新左衛門(新介)良勝、佐脇藤八郎良之、長谷川右近橋介、山口飛騨守正盛、加藤弥三郎順家を五千の兵と共に付けてもらえるようお願いした。
この五人は史実でも南伊勢攻略のため出陣した父の下で北畠家が立て籠った大河内城の戦いに参戦していた。しかし、毛利新左衛門以外の四人は大河内城の戦いの後に父の勘気に触れて織田家を出奔。家康の元に身を寄せるも三方ケ原の戦いで戦死してしまう。
ただ、俺は『父の勘気に触れて織田家を出奔』というくだりを少し疑っていた。何故なら佐脇藤八郎ら四人に尾張統一戦の際に戦死した岩室長門守重休を加えた五人は、父の弟で謀反を起こし父に誅された勘十郎信勝叔父上の誅殺(暗殺)に関わっており、桶狭間の戦の際にも父が清洲城から唐突に出陣した時に父と共に真っ先に駆け出したのがこの五人で、父が最も身近に置いた者たちだったからだ。
勘十郎叔父上の暗殺にも関わっていたというのはちょっと引っかかるが、『勘気に触れて出奔』をする様な者たちには思えず、しかも出奔した先が家康の下で直ぐに武田の侵攻に遭い、三方ヶ原での戦で戦死というのも出来過ぎている様な気がしてならなかった。
何はともあれ、父の元を離れるのなら俺の手元に引き入れたとしても問題はないだろうと今の内から布石を打ち、四人を此方に手繰り寄せようと仕向ける様に利久に言い含め、新左衛門も含めそれぞれから話を聞く様に指示した。
この役目を利久に任せた理由は、利久が佐脇藤八郎の実の兄だったからだ。
藤八郎も身内である利久ならば他人には秘する事も話すのではないかと思ったからだが、利久は俺の期待に見事に応えてくれた。
藤八郎たちそれぞれから話を聞いた利久によると、新左衛門からは父に対する不満や懼れと言ったものは聞かれることは無かったのだが、藤八郎とあとの三人からは、この所の父から向けられる視線に違和感というほどではないものの今までと違うモノを感じるようになったという言葉があったそうで、史実と同様に南伊勢の攻略の後に父とこの四人の間で何かが起こりそうだという事が分かった。
そこで、史実では大河内城の戦いでは尺限廻番衆という吏僚(役人)としての仕事をしていた五人に五百の長槍を装備した足軽兵を率いる将として働いてもらい、史実で五人が担っていた尺限廻番衆の役目は利久と政次に努めてもらう事とした。
この事を伝えると、毛利新左衛門以下父から俺の下へ付けられた面々は俺の計らいに喜び、南伊勢攻略での活躍を誓った。
父から預かった五千の残り二千五百の内、二千を慶次郎と助右ヱ門に預けそれぞれ千を率いてもらい、あとの五百は俺の直属の兵とした(実際には差配を揮うのは半兵衛になるだろうが)。
慶次郎と助右ヱ門に任せた二千だが、慶次郎に任せた千は騎馬隊。助右ヱ門に任せた千は弓兵隊で、俺直属の兵には加藤清兵衛と福島与左衛門が改良した種子島を持たせるかわりに槍はもちろん太刀も取り上げ、己の身を護る物は改良した種子島しかないのだという事を徹底させ、鉄砲の扱いは勿論のこと銃身の先に着ける穂先を使った銃剣ならぬ銃槍での戦闘訓練を課し身に付けさせた。
この改良種子島の調練は俺が兵たちに指示した。もちろん、元服したての俺を見た兵たちは俺の事を“童”と侮り、露骨に手を抜く者も見受けられたがその様な者には寛太郎と五右衛門が手にした木太刀を振り下ろした。
厳しい調練と手を抜く者に対する容赦のない罰に反抗的な態度を示す兵もいた。
そんな兵の多くは俺や寛太郎に五右衛門は厳しい調練を課して来る、“父親の威を借りた口だけの小僧ども”と陰口を叩いていた。その事を耳にした翌日、俺は調練の指揮を半兵衛に任せて兵たちに混じって同じように調練を受けて見せた。
日頃から様々な鍛錬を自らに課してきた俺たちは、共に調練を受ける兵たちの誰よりも早く弾込め等の射撃準備を整え、号令と共に種子島を撃てば正確に標的を打ち抜き、銃身の先端に取り付けた穂先を使った銃槍による戦闘訓練でも誰よりも鋭い動きを見せ、戦闘訓練の一環で行った勝ち抜き戦でも三人揃って十人抜きをやってのけると、その日を境に兵たちの俺たち三人を見る目が変わり、兵たちは俺が課した調練に文句を言わず取り組むようになり、僅か一か月ほどで精強な鉄砲隊に生まれ変わり、その姿を目の当たりにした毛利新左衛門たち長槍隊も慶次郎の騎馬隊、助右ヱ門の弓隊も鉄砲隊に負けじと調練を重ねて指揮官の号令の下、機敏に動く精強な軍へと変わっていった。
もちろん調練だけでなく、三七郎兄上などと連絡を密に交わし進軍の経路や兵糧の保管場所なども決めて行った。
全ての準備を整え、生駒屋敷で甲冑を纏い母と妹に初陣姿を見せた後、俺たちは一路岐阜城へと向かった。
岐阜の城下町に入る手前で軍を止め、俺は半兵衛に軍を任せると各将を引き連れ岐阜城に赴くと、城門前に父と勘九郎兄上それに帰蝶様が待ち構えていた。
「父上。これより一路近江に向かい三七郎兄上並びに承禎殿と合流し南伊勢の攻略へ向かいます。」
城門前に出て待っていた父の前に兜を脱いで片膝をつき出陣の口上を上げる俺に倣い各将も同じように片膝をついて父に首を垂れた。そんな俺たちを父は眺め、
「三介、大儀!余の者たちは三介を助け南伊勢攻略を果たすよう尽力せよ!」
「「「「「はっ!」」」」」
父の言葉に一斉に声を上げる各将に父は満足そうに大きく頷いた後、俺に近づいてしゃがみ込み声を掛けて来た。
「三介。朱の鎧とはなかなかに傾いたではないか。それにその前立て、何か意図があっての事か?」
俺の纏う朱色の甲冑と兜の前立てについて訊ねて来た。
俺の甲冑は加藤彦三郎が俺の意向を汲んで仕上げたもので、朱色の漆が塗られた桶川胴に朱塗りの日根野頭形兜、肩から二の腕を守る袖は小鰭にし、小手と臑当ては堅牢な筒小手・筒臑当てに仕立てた如何にも父好みの尾張具足に仕上がっていた。そんな兜には三つの波が連なり円を描く“三つ追い立浪巴”と後に呼ばれる前立てが付けられていた。
「鎧を朱に染めたのは父上の意を汲んでの事でござります。
此度の南伊勢へ向けての出陣に某を名指しされたのは、某を三七郎兄上と同様に北畠家に養子として送ることで織田家の本貫である尾張の西を固めようとのお考えと拝察いたします。
北畠権中納言殿は“武”を好まれる御方とお聞きいたします。此度の南伊勢攻略の軍にて織田家の武威を示すことで織田家への臣従を容易ならしめると共に、その軍を率いた将である某が養子として赴くことで、権中納言殿の叛意を押さえ込む。その為には某の事を権中納言殿に知らしめる必要があると思い、一目見れば忘れる事の無い様に朱に鎧を染めたのでござります。」
「…で、あるか。」
俺の答えに父は一言返すだけだったが、共に俺の話を聞いていた勘九郎兄上と帰蝶様は俺へ心配そうな視線を向けた後で、父を非難するように睨みつけた。
二人の視線に居心地の悪さを感じたのか父は俺を睨みつけると少し苛立ちながら、
「将として兵を率いるならば兵たちに一目で見分けがつく事は良き事ではあるが、敵の兵にとっても同じ事。その事を肝に命じ功を焦り生命を粗末にするではないぞ!」
と言うと少し不貞腐れたような顔をして、続きは任せたとばかりに勘九郎兄上に向けて顎をしゃくり上げると横を向いてしまった。
そんな父に、帰蝶様は袖で口元を隠しながら小さく笑い声をあげ、そんな二人を見て勘九郎兄上は小さく溜息を吐くと直ぐに気を取り直して、
「鎧を朱に染めた理由は分かった。それでは、その前立ては如何考えの物なのだ?先ほどの話ならば織田家の家紋を前立てにした方が良いのではないか。」
「勘九郎兄上ならば前立てに木瓜紋を掲げても可笑しくはございませぬが三男の某では少々畏れ多い事かと思い、それならば某の心意気を掲げようと思ったのでございます。」
「三介殿の心意気でござりますか?」
「はい、その通りにござります御養母上《帰蝶》。まだ某が幼かった折のことにござります。父上が戦からお戻りになられて、某にお話しくださったのです。
『良いか茶筅。今は分からぬかもしれぬが覚えておくのだぞ。貴様は今川治部大輔の様な決して諦めぬ男になるのだぞ。どの様に無様な姿を晒そうと構わぬ。命があればいくらでもやり直しはきくのだからな。よいな。』と。
某は父上の言葉を片時も忘れずにおりました。その教えを前立てにと考えた時、決して諦めぬ治部大輔様と寄せては返す波が重なったのでございます。
波は大きな岩に当たり返されようと絶えることなく打ち寄せ、岩を打ち砕きまする。そんな波にあやかり“諦めぬ事、波の如し”との思いを三つの立浪が代わる代わる打ち寄せる様を模した前立てとしたのでございます。」
俺の言葉を聞いて帰蝶様はハッとしたように目を大きく見開いた後先ほどと同じように袖で口元を覆ったが、先ほどとは違い笑い声は無く大きく見開かれた瞳に涙を湛えた。そんな帰蝶様の背中に父が優しく手を添えると、帰蝶様はそんな父の心遣いが嬉しかったのか、涙目で微笑みを浮かべた。
「三介!“諦めぬ事、波の如し”の心意気、天晴れである。その前立てに掲げし心意気に恥じぬように。武運を祈る!!」
「はっ! 三介信顕、三七郎兄上と諮り南伊勢の攻略を果たして御覧に入れまする。」
勘九郎兄上の檄に応じた俺は、寄り添う父と帰蝶様に礼をし、控えていた織田軍の将を率い南伊勢に向け出陣した。




