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第五十二話 南伊勢攻略、始まる!

遅くなってすいません。


「これより南伊勢の攻略についての軍議を行う!」


元服を済ませた数日後、俺は岐阜城の大広間で行われる軍議に参加する事となった。

大広間に集いし面々は、父・信長をはじめ、勘九郎信重兄上に彦七郎信興叔父、家老職の林佐渡守秀貞、佐久間右衛門尉信盛、柴田権六勝家、丹羽五郎左衛門尉長秀、池田勝三郎恒興など織田家家臣。更に、六角三七郎信賢にその養父となる承禎入道に滝川彦右衛門一益、蒲生左兵衛大夫賢秀といった六角家の者たちまで。

そんな中、俺は傅役の竹中半兵衛と寛太郎顕長、五右衛門顕恒と共に下座に座った。

 軍議が始まると早々に、三七郎兄上から彦右衛門一益と左兵衛大夫賢秀を中心に行われてきた南伊勢の国人に対する調略の進捗状況が報告された。


「彦右衛門と左兵衛大夫によって南伊勢の国人に対し調略を掛けましたところ、八風街道を押さえる梅戸家、千種街道を押さえる千種家をはじめ多くの国人領主は織田家への臣従を約してございます。しかし、伊勢国の国司・北畠家とその支配下に置かれている国人たちは北伊勢並びに南近江に手を伸ばした織田家の動きを警戒している様子が見受けられましたので調略はかけておりません。」


三七郎兄上の報告に承禎入道が補足した。


「父・定頼の代より六角家は南伊勢に手を伸ばしており、梅戸家は六角家と血縁関係にござります。また、左兵衛大夫が治める日野の地に繋がる八風街道・千種街道を介し千種家とも繋がりがござりました。されど、その関係から北畠家と長野家は六角家への警戒心が強く、これ以上六角家が表立って動くことは悪しき結果を招くと考え、敢えて動いてはおりませぬ。」


三七郎兄上と承禎入道の言葉に父は大きく頷き、


「あい分かった。承禎殿の申される通り、北畠・長野両家に対して六角家が動くと相手を硬化させることとなろう、良き判断であったと儂も思う。梅戸家と千種家をこちらに引き込んだだけで十分である。これで南伊勢に南近江と北伊勢の二方向から攻める事が出来るが、さてどちらから攻め込むのが良いか?」


父の問い掛けに集った者たちは眉間に皺を寄せた。兵力が十分にあれば二正面作戦を取る手も無い訳ではないが、今は父が率いる織田の本隊を動かすと、越前に攻め入ろうと虎視眈々と狙っている加賀の一向宗に隙を見せることとなる。

仮に一向宗が越前に攻め入れば、越前朝倉家に上洛を促すためにも約定通り加賀に兵を進ませなければならない。そうなれば、長島に居る願証寺が兵を挙げ、川を渡って尾張に攻め込まないとも限らない。

と、なると父が南伊勢攻略の軍を率いる訳には行かず、父が本国に留まるとなれば勘九郎兄上も動かない。必然的に三七郎兄上が率いる六角家の軍で南伊勢をという事になるのだが…そこまで考えたところで、上座から俺に向けられる視線を感じ顔を上げると、ジッと俺を見つめる父と目が合いニヤリを口角がつり上がるのを見た。


「三介!儂の元から兵五千と権六に右衛門尉を与力に付けてやる。その者たちを使い南伊勢を攻め取って参れ。三七郎と承禎殿は六角軍を率い、三介と諮り南伊勢の攻略に尽力せよ!!」


「「「はっ!」」」


父から名指しで命を受けた俺と三七郎兄上に承禎入道は一斉に返事を返して頭を下げると、そんな俺たちに続いて竹中半兵衛、寛太郎に五右衛門を筆頭に柴田権六、佐久間右衛門尉、滝川彦右衛門と蒲生左兵衛大夫も俺たちに倣いその場に首を垂れた。

その姿を見て父はニヤリと笑うと、


「後は任せたぞ!」


と声を上げるなりその場から立ち上がり、さっさと大広間から出ていってしまい、そんな父の後を勘九郎兄上は慌てて追い掛け、丹羽五郎左衛門尉と池田勝三郎は苦笑を浮かべ後に続き、林佐渡守だけは苦虫を噛み潰したような苦り顔を浮かべて退出していった。



「さて、三介様。南伊勢の攻略、如何なされるおつもりかな?」


父たちが退室し、南伊勢攻略を命じられた者たちだけが残った大広間で真っ先に声を上げたのは承禎入道だった。その目は『三七郎兄上《六角家》を差し置いて南伊勢攻略に対し一番に名を告げられた三介とは如何ほどの者か?』という思いを抱き俺を値踏みしていることが一目でわかった。

ただ、承禎入道がそう思っているという事は、三七郎兄上を養子として受け入れ六角家の名を継がせることに異論がないという事の証左であり、三七郎兄上と承禎入道の養父子関係が上手くいっているという事を示していた。

その事に安堵しながら俺は一度頭を下げてから承禎入道の問い掛けに答えた。


「されば某が考えますところ、南伊勢を攻略するには長野家と北畠家を武力で以て屈服させることが肝要と心得まする。とは言え、長野家は北畠家からの養子を受け入れておりますので、南伊勢の本丸は北畠家となりましょう。

幸い、承禎様や左兵衛大夫殿のお力で八風街道を押さえる梅戸家、千種街道を押さえる千種家はこちらのお味方となりました。そこで、八風・千種街道を使い一息に長野家の居城・安濃津城へと迫り、六角家を中心とした軍にて長野家を攻めてはと考えております。」


「ほ~ぉ。六角家を中心にでござるか。して、三介様は如何なされるおつもりかな?」


南伊勢攻略の本丸は北畠家だと言っておいて、その前哨戦でしかない長野家との戦いを六角家に任せると告げた俺に対し、眉間に皺を寄せ睨みつけるようにしながら問い質す承禎入道。そんな承禎入道の眼光を真正面から受け止めた上で少し微笑みを浮かべ返答を返した。


「某は此度の戦が初陣となり申す。その様な者が大将面をしてしゃしゃり出るなど愚か者のすることだと心得ております。

先ずは、先達である承禎様と三七郎兄上の戦の差配を拝見しつつ、六角家を中心とした軍で長野家を安濃津城に押し込めれば後詰に北畠家が出張って来るやもしれませぬ。その抑えに某の率いる軍で陣を敷き、北畠家がのこのこと現れた際にはその出鼻を挫き追い返す所存にございます。北畠家の救援が目の前で打ち崩され逃げ出す姿を目の当たりにすれば、安濃津城に籠った長野家もこれ以上の抵抗は無駄だと覚り開城する事にござりましょう。その上で、北畠家へ軍を向け南伊勢の攻略を果たしたいと考えておりまするが如何でござりましょうか?」


「う~ん…確かに三介様の申される通りに事が進めば北畠家は伊勢国司の面目を失い、長野家も早々に降伏いたすであろう。しかし、その様に事が運ぶか?」


立て板に水が流れるが如く、整然と返答を返した俺に承禎入道は目を白黒させ、疑問を呈しながら周囲に居並ぶ者たちへと視線を向ける。

俺のことを良く知る権六や半兵衛たちは、承禎入道の視線に微動だにしなかったが、滝川彦右衛門をはじめ蒲生左兵衛大夫などは俺の言葉に半信半疑といったような表情を浮かべていた。俺はそんな六角家の面々に対し闊達な笑い声を上げ、


「はっはっはっは。ご不安に思われるのは尤もな事だと存じまする。某などは元服を済ませたばかりで此度の戦が初陣となるわっぱにござります。その様に深刻に捉えられては面映ゆい限りにござりまする。それに、父上には申されておられませんでしたが調略の手は梅戸家・千種家に留まらず北畠家の傍近くまで伸びているのではありませぬか?であれば、それほどご懸念されることは無いと思われまするが。」


と、滝川彦右衛門の手が北畠家内部(木造家)へ伸びているのではないかと振ると、彦右衛門の額からは汗が拭き出し慌てて懐から取り出した懐紙で汗を拭き取っているところから、史実と同じく調略の手が木造具政に及んでいるのだろうと察せられた。

額から汗を垂らす彦右衛門を見た承禎入道は一度目を閉じて一つ大きな溜息を吐いてから再び目を開けて俺の顔を見つめたがその目には先ほど浮かべていた鋭い眼光は無く、むしろ穏やかといえる視線を湛えていた。そして、


「なかなかにお考えのようであるな。であれば大枠は三介殿の策を取り上げ、それに付随する細々とした事は若い者たちに任せると致そう。三七郎、それで良いかな?」


皆の前で俺が献策した案を認めると告げる承禎入道に、三七郎兄上も大きく頷き南伊勢への出陣はこの二か月後となる十一月の上旬と決めてこの場は散会となり、俺の行く道が決まる“運命”の南伊勢の攻略がこうして始まったのだった。



◇岐阜城控えの間、六角承禎


岐阜城の大広間で行われた南伊勢攻略に向けての軍議を終えて儂たちは用意されていた控えの部屋へ下がった。

南伊勢の攻略には六角家を中心とした南近江勢と織田家本家から上総介様の御三男・三介信顕殿が将として軍を率い、その脇を織田家古参の重臣である柴田権六勝家と佐久間右衛門尉信盛が与力として付くことになった。

六角家からは大将に当主である六角三七郎信賢。蒲生左兵衛大夫、滝川彦右衛門などが三七郎を補佐し凡そ一万二千の軍勢が。

三介信顕殿には織田本家から五千の兵と柴田・佐久間が三千の八千。全軍二万の軍勢を以て当たることとなった。

 はじめこの話を耳にした時、儂は上総介様の正気を疑った。これまでも何かと関りを持つ六角家が南伊勢の攻略に当たることは分からなくもない。しかし、織田本家の軍を預かるのが先日元服を済ませたばかりで、いまだ初陣前の三介殿となるとは…。

いくら上洛戦の際に儂を三雲城へと敗走させた柴田権六殿と、上総介様からの信任厚い佐久間右衛門尉殿を与力に付けたとはいえ荷が重いのではないかと思ったのだが、儂の問い掛けに対しあのように明快に南伊勢攻略に対する策を示すとは。

儂は皆を前に大きな溜息を一つ吐くと隣に座っていた三七郎に声を掛けた。


「三七郎。あれがその方が話しをしておった“織田のたわけ”殿か。観音寺城で話を聞いた時には弟の事だから少し誇張して話しておるのかと思っておったが、『聞きしに勝る』とはこの事じゃな。初陣となる戦を前にして浮かれたところなど微塵も見せず、我ら六角をも手足の様に使おうとする手練手管は既に一廉の武将の風格さえ漂っておる。

彦右衛門の話に乗り上総介様に臣従し、三七郎を六角家へ養子として受け入れてから驚く事ばかりよ。」


儂が苦笑交じりにそう話すと、三七郎も儂と同じように苦笑し、


「御養父上。某が冬姫と三河の徳川次郎三郎信康殿との婚儀のために岡崎城に赴いた事は覚えておいででしょうか?

その際、三介に伝える様に南伊勢の攻略を織田の父上から申し付けられていたのです。三介ならば先に話したような策を考え付く事など造作もなかったことにござりましょう。なにせ某が初めて三介と対面した幼き頃より既に只人ではございませんでしたから。

当時、織田家中では勘九郎兄上と同腹の三介を次男、某を三男にしようとする動きがござりました。その事に某は苛立ちを募らせ、癇癪持ちの陰気な童になっておりました。そんな某たち兄弟が初めて顔を合わせた折の事にござります、三介が「奇妙丸兄様!三七兄様!」と兄上と某をたて続けに呼び父の前で某を兄としてたててくれたのです。この一言で某が次男、三介が三男と織田家中で確定する事となり某の苛立ちは解消され陰気な性分も影を潜めたのです。

その後も三介と同腹の妹姫と三河の徳川様の嫡子との婚儀にある問題が発生した時、岡崎城の三河守様の元に乗り込み直談判にて織田家と徳川家の盟約に生じようとしていた綻びを、自らが徳川家へ質に入る事で収めて見せたのです。

また、武術の鍛錬にも積極的に取り組み自らに剣の修行を課し、修業の末に鹿島から招き某と勘九郎兄上に香取神道流の剣を教授してくれていた剣術指南役と織田の父上の命で立ち合い、剣術指南役を退けて見せたのです。この他にも三介が成した事は枚挙にいとまがござりませぬ。」


そう告げた三七郎に儂や左兵衛大夫だけでなく、織田家の直臣である彦右衛門まで驚きの表情を浮かべていた。


「これ、彦右衛門。織田家の直臣であるお主がその様に驚いていて如何致す!」


そう彦右衛門を窘めると、彦右衛門は面目無さそうに、


「はぁ、三介様は勘九郎様や三七郎様と異なり上総介様の元ではなく御母堂様、妹姫様と共に生駒八右衛門殿の屋敷に住んでおられましたので、織田の家中でもそれほど親しくしていた者は多くはござりませんでした。確か、柴田権六殿と今は堺にて代官の職を勤めている木下藤吉郎殿くらいしか親しい間柄の者はいなかったかと…」


そう言い訳を口にすると、そんな彦右衛門に三七郎が困ったような表情を浮かべ、


「彦右衛門。お主の血縁に当たる前田慶次郎殿は養父・前田蔵人殿、奥村助右ヱ門殿と共に荒子城での騒動の後に三介に召し抱えられたのではなかったか?」


「はっ!確かに慶次郎めは蔵人殿、助右ヱ門殿と共に三介様に召し抱えられたようにござりまする。しかし先ごろ迄、慶次郎と助右ヱ門殿は尾張を出奔したとばかり思っておりましたので…面目次第もござりませぬ!」


三七郎の問いに進退窮まったとでも言うように平伏しつつ謝罪の言葉を口にした。そんな彦右衛門に儂は小さく溜息を吐き、


「よい、頭を上げよ。儂もその話なら耳にしておる。元服前の童が城を追われた城主とその養子さらに城代まで召し抱え、養子と城代に諸国漫遊を許しその間両者の家族の面倒までみるように手配りを整えるなど誰が考えよう。彦右衛門が尾張を出奔したと思っても致し方ない事じゃ。

 されど、その様な事を取り仕切る様な者が南伊勢攻略において儂らの後塵に拝し、好しとしておられようか?」


と心底を吐露すると、左兵衛大夫と彦右衛門はハッとし眉間に皺を寄せた。しかし、そんな儂たちを三七郎は笑い飛ばした。


「ぷっはっはっはっは!御養父上、三介が某たちを謀り南伊勢攻略の手柄を独占せんと画策しておるとお考えでござりますか?

それはあり得ませぬ。いや、結果的に南伊勢攻略の一番手柄を三介が挙げたとしても、必ず軍議で某たちから了解を取ってからの事となりましょう。」


「三七郎様、それはあまりにも三介様をお信じすぎなのではございませぬか。

人は誰しも“欲”がござります。これまでは勘九郎様、三七郎様をたてて来られた三介様だったとしても、目の前に南伊勢攻略の功がぶら下がっておれば三七郎様を蹴落としてでも奪いに行くのが武士と言う者。その功を軍議の席で自ら公にされると言うのは…」


三七郎の言葉に苦言を呈し諫めようとした彦右衛門だったが、そんな彦右衛門の言葉を遮るように三七郎は更に続けた。


「彦右衛門はこれまで三介と関りを持たずにいたから分らぬであろうが、三介とは我らの当たり前が通じぬ者。でなければ某は六角家に養子には入っておらず神戸家か関家にでも出されておった。

これは三介が三河に質と入る折の事だが、織田の父上が三河への質は某《三七》でも良いのではないのかと三介《茶筅》に問うたそうだ。その問いに対し三介は、父を睨みつけると、

「父上!三七兄上を質になどなりませぬ!!三七兄上は勘九郎兄上を補佐し、織田家を支えて行く御方。そんな御方を質になどなりませぬ。三河守様の元に二年とはいえ質に出るのであれば某に申し付けられるが道理にございます。」

と声を荒げて父上を諫めたそうだ。

その三介の意を汲み、父上は御養父上《承禎》が織田家への臣従をお決めになられた時、織田の本貫である美濃・尾張と都を繋ぐ近江の六角家へ次代の織田家の当主となられる勘九郎兄上を支える役目を負うた某を養子として出され、六角家を織田家の一門衆とし他の臣従した者と別格の扱いと決められたのだ。

それも全て三介の進言あってのもの、織田の父上から“たわけ”と称されている三介を見誤っては成らぬ。

織田の父上は若き頃“うつけ”と呼ばれ、只人とは異なる考えを元に荒れていた尾張国を統一し美濃国も手に入れられた。そんな“うつけ”の父上が“たわけ”と称するにはそれ相応の訳が有る。南伊勢の攻略において、もし三介が某を謀ったように見えることが起きたとしても、それはそれに至る必然があるのだ。その事を肝に命じ南伊勢の攻略に当たるのだ。よいな!」


そう告げる三七郎の威勢に、彦右衛門はもとより左兵衛大夫も即座に平伏し三七郎に従う姿勢を示した。そんな当主然とした姿に、三七郎に任せておけば六角家は安泰であると改めて確信をし、儂の頬は緩むのだった。

しかし、これほどの者が全幅の信頼を置く織田の“たわけ”殿がどの様に南伊勢の攻略で力を見せるか…


長い長い準備期間を経てようやく副題へ向けて動き出します。


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[気になる点] 余りにも長いセリフの場面がちょっと多いかな
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