第五話 剣の稽古
「キィエェェェェェェェ!」
早朝にもかかわらず屋敷中に響き渡る奇声に、初めの内は生駒屋敷の下人たちも『何事か!』と騒いだものだが、三月も経てば慣れるもので、今では『あぁ、またか』と苦笑しながら各自に与えられた仕事をせっせと進めていた。
そんな下人たちの様子を横目に屋敷の主人である生駒八右衛門家長は渋面を浮かべて隣で畏まる妹に語り掛けた。
「吉乃。織田の殿様からお許しを頂いたとはいえ毎日毎日あの声は何とかならんのか?この頃では生駒の屋敷には妖か物の怪が居るのでは?などと陰口を叩く輩もいるのだ。お前から茶筅に何とか言ってくれぬか。」
そんな兄の言葉に吉乃は深々と頭を下げながらも首を横に振った。
「申し訳ありませぬ。初めはわたくしも茶筅にあのような奇声を上げて木太刀を振るうのは控えては?と言ったのです。ですが、茶筅は首を縦に振らず『某が大声を上げて木太刀を振るうのは、ただ闇雲にやっている訳ではありませぬ!』と言うのです。あの子はあの子なりに信念をもって剣の稽古に取り組んでいる様子。それを周囲からの雑音を気にして妨げるような真似はわたくしにはできませぬ。」
「なんじゃと?奇声を上げながら木太刀を振るうのに何ぞ理由があると言うのか。」
「はい。茶筅が言うには、声を上げると共に『敵を打ち倒す』という気迫を込め、その気迫のままにただひたすらに木太刀での打ち込みを行うことで、気迫を込めて声を上げたら即座に打ち込むことを体に覚え込ませているそうなのです。一連の動きを体に覚え込ませれば、戦場などで実際に敵と対峙した時にも声を上げるだけで臆することなく稽古の時と同じ事が出来るようなるのだと言うのです。兄上。兄上は戦場で太刀を抜き敵と向かい合った事がおありだと思います。敵と向かい合い太刀を構えると斬られるかもしれないという恐怖に一歩が踏み込めなかったことはございませぬか?」
吉乃の問いに八右衛門は顔を赤くして、否定の言葉を口にした。
「な、何を言うか!儂は戦場で太刀を抜いて臆したことなど無いわ!!」
「さようでございますか、流石は兄上でございます。ですが、皆が兄上の様に振舞える訳ではございませぬ。殿も茶筅からこの話を聞いて『なるほど一理ある』と仰っておられました。」
「なっ…」
八右衛門は信長が戦場で敵と対峙した時、太刀を抜いて向かい合った際にはお互いに間合いを窺い踏み込めなくなるのものだと認めたと聞いて言葉を失った。まさか、織田家の頭領である信長がある意味“臆病者”と嘲られるようなことを認めるとは思ってもみなかったのだ。
先程の妹からの問いには虚勢を張り否定したが、実際には戦場で太刀を抜いて敵と向き合った際に、自分から踏み込むことが出来ず敵に先手を取られてしまい、危うく命を落とすところを味方の雑兵が横槍を入れてくれたおかげで命を拾った経験をしていたからだ。
妹の前で虚勢を張った己と、素直に認めた信長の器の違いに打ちのめされる思いの八右衛門に吉乃はさらに続けた。
「『某も太刀を持って敵と向き合えば臆してしまうでしょう。しかし、織田家の者として敵を目の前に一合も太刀を合わせずに無様に逃げる訳には参りませぬ。であればこそ、声に気迫を込め遮二無二に打ち掛るが某の『剣』にございます。』そう言い切った茶筅の言葉に、殿はいたくお喜びになり、『存分に己の剣を磨け!』とその場で免状までお書きになられたほどで…」
そう言い、着物の袖の中に入れてあった書付を八右衛門に手渡した。
八右衛門は、震える手で吉乃から書付を受け取り広げると、確かに信長直筆の免状がしたためられていた。
その書面を何度も読み返した八右衛門は、大きな溜息を吐くと広げた書付を元の形に折り畳み吉乃に手渡しながら、
「あい分かった。茶筅の良い様にいたせ。」
と告げると、少し肩を落としその場から立ち去ろうと数歩進んだところで立ち止まった。
「吉乃。やはり殿のお血筋かのぉ。奇妙丸様といい茶筅といい、馬借に毛の生えたような我が生駒家から生まれたとは思えぬ童じゃ。もっとも茶筅には信長様の『うつけ』の血が色濃く出ているかもしれんが…」
苦笑を浮かべながら呟いた。そんな八左衛門に対し吉乃も苦笑を浮かべながらも賛同するように頷いた。
…といったやり取りが俺の知らない所であったようで、木太刀を振り始めて三か月ほどたってからは生駒の者たちは俺に何も言わなくなっていた。
時を少し遡る。
父・信長から剣の稽古を許してもらった俺は、前世で身につけていた薬丸自顕流を思い出しつつ独自に剣の稽古を始めた。
二つの台の上に横に渡した枝木(横木)の奥に目標を置き、目標を斬るつもりで右袈裟・左袈裟と交互にひたすら横木に打ち込む。
気魄を込めてあげる声は『猿叫』と呼ばれ、腹の底から大声を上げることで己の心を奮い立たせて太刀を振る動きへとつなげ、横木の奥にいる敵に目掛け木太刀を振り下ろす。これをただひたすらに反復することで、一連の動きを体に染み込ませて敵と向き合った際に億することなく太刀が振れる心体に鍛練しようとしていた。
修行を始めて一月ほど経った時、生駒屋敷に来ていた父が俺の稽古の様子を見て声を掛けてきた。
「茶筅、何じゃそれは?剣の稽古がしたいと言っておったが、それがお前の言っていた剣の稽古か。」
眉間に皺を寄せた怪訝な表情で問い掛けてきた父に、俺は一旦手を止めて袖で汗を拭いながら、
「はい父上。お許しを得てから毎日剣の稽古に励んでおります。」
と元気に応じたのだが、父の表情は困惑の度を深めていった。
「儂には奇声を上げて棒きれを振っておるようにしか見えぬが、それが剣の稽古だと言うのか?貴様が剣の稽古がしたいと願い出た時には高名な兵法家を呼んで師と仰ぐと思っておった。いずれ貴様から師をと言ってくると思い、いつでも織田家の兵法指南役に相応しい者は呼ぶ手立てを整えておったに。貴様、一体何を考えておる?」
「父上。父上は某の歳を幾つだとお思いですか?まだ三歳にございます。三歳の某にわざわざ高名な兵法家を呼ぶなど銭を捨てる様なものにございましょう。今はこうして庭先で棒切れを振り、体を鍛えるが肝要と心得まする。それに気魄を込めて大声を上げ木太刀を振るい続けることで、体に気魄を込めて大声を上げたら即座に打ち込む動きを体に覚え込ませ、実際に敵と対峙した時にも同じ事が出来るようにしたいと。憚りながら某も織田家の男子にございます。敵を目の前にして一合も太刀を合わせずに無様に逃げる訳には参りませぬ。戦場に立った時、臆さぬように今の内から体だけでなく心も鍛えねばと一心不乱に木太刀を振っているのでございます。」
俺がそう返すと、父は少しつまらなそうに口を歪めた。
「なるほど、道理である。…いずれは奇妙や三七にも剣の稽古を積ませねばならぬ。その時には良き師を呼ぶことになろう。貴様も気が向いたら奇妙らと共に師について学ぶがよい。」
そう言い捨てると父は脇に控えていたお小姓に筆と紙を用意させ、その場で何事かをしたためた。そして、
「茶筅の存念、確と聞いた。よってここにそれをさし許す」
そう告げながら同じことが書かれた紙を俺に見せた。
「この免状を吉乃に預けておく。貴様の稽古に何か申す者が居ればこの免状を見せよ。茶筅、存分に己を磨くがよい!」
吠えるように告げると、大声で笑いながら母の下へと去っていった。この父の言葉と免状のお陰で俺の剣の稽古は父のお墨付きを頂いたことになり誰に遠慮することなく毎日木太刀を振るえるようになった。
俺は一年ただひたすらに台の上に横に寝かせた枝木の前で木太刀を振り続け(『続け打ち』)、二年目に入ると枝木から三間ほど離れた位置から木太刀を構え、走り込んで枝木に打ち下ろす『掛り』と木太刀を腰に差した帯刀の姿勢から一息で木太刀を下段から切り上げてから手を返し上段からの斬り下ろす『抜き』を稽古するようになり、『続け打ち』『掛り』『抜き』の三つを愚直に続けていった。そして、間もなく六歳になろうとする五歳の師走。俺は父に清州のお城に呼び出された。
「奇妙、三七、茶筅。ここにおるのは鹿島より貴様らに剣を教えるために呼んだ香取神道流の松本市之丞政守じゃ。これよりこの松本市之丞を師と仰ぎ剣を教わると良い。」
清州のお城の一室に向かうと兄たちが既にいて、俺は二人の兄たちにそれぞれ挨拶を済ませ待っていると父が一人の男を従えて部屋に入ってくるなり俺たちに男を紹介した。
「織田上総介様にご紹介いただいた松本市之丞にござる。この後は香取神道流の剣を伝授いたすが、修業は厳しきものでござる。さよう心得お励みなされよ。」
そう言うと男は爽やかな笑い顔を見せた。その顔を見て俺が躊躇している間に、奇妙丸兄上が声をあげた。
「織田奇妙丸にございます。世に知られし香取神道流を学べること誉にございます。」
「織田三七にございます。良しなに願いまする。」
奇妙兄上に続き三七兄上も挨拶をするのを見て一拍遅れて俺も続いた、
「茶筅にございます。」
しかし、松本市之丞は俺と三七兄上は一瞥しただけで、奇妙兄上ばかりを見て俺たちには興味はないことが丸分かりだった。しかし、香取神道流と言えば北畠具教も門人の一人として名を連ねていたはず。北畠に養子に出されるはずの俺には少しでも香取神道流を身につけておけば、北畠に養子に入った時に史実よりも具教の印象が良くなるかもしれないと思い、これまで続けていた稽古に加えて松本市之丞から香取神道流を学ぶこととなった。




