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第四十五話 さらば岡崎! その二


 三七郎兄上が先触れの使者として訪れてより半年が過ぎ、遂に竹千代の元に冬姫が輿入れして来る日を迎えた。

冬姫の輿入れに先立ち竹千代は元服の儀を執り行い、何故か俺もその場に立ち会う事となった。

竹千代の烏帽子親は岡崎城の城代・酒井小五郎忠次が務め、名を徳川次郎三郎信康と改めた。次郎三郎は松平家の当主が最初に名乗る仮名で、信康の『信』は俺の父・信長の一字を、『康』は徳川家の通字から来ている。

いわば、家康と信長から一字ずつとり合わせることで、織田と徳川の絆を強固なものにしたいという意思の表れとも言えるものだった。

 次郎三郎信康が待つ岡崎城に冬姫が輿入れをして来たのは元亀二年の九月吉日だった。

冬姫の輿入れ行列はその数五千。天文二十二年(1553年)に北条・武田・今川の甲相駿三国同盟が結ばれたことで武田から北条に嫁いだ北条氏政の正室(黄梅院)の輿入れには武田が一万もの輿入れ行列を仕立てたと言われているが、これはこれまで敵対していた北条に対し武田の力を誇示するための輿入れ行列だった。一方、冬姫の輿入れ行列は今さら徳川に織田の力を誇示する必要性は薄く、単純に親馬鹿の父が娘可愛さに仕立てたものであり家族大好き親父の面目躍如といった所だろう。

輿入れ行列は供奉頭として佐久間右衛門尉信盛が差配しその中に何故か柴田権六と木下小一郎、蜂須賀小六郎の姿もあった。

そんな総勢五千もの輿入れ行列に対し、岡崎城の城門にて出迎えたのは城代の酒井小五郎をはじめ本多平八郎や服部半蔵などの三河衆。その中に俺の姿もあった。

本来、人質である俺がこの様なハレの場に立ち会う事などないのだが、遠江に向かう家康から岡崎城に居る間は竹千代や小五郎に力を貸して欲しいと言われ、この一年ほど岡崎を中心とした西三河の統治に竹千代や小五郎に請われるまま助力・助言を惜しむことなく尽くしてきた。そんな俺の姿勢と竹千代の矯正や瀬名の方(築山殿)と家康との仲を紡いだ事などもあって岡崎では、人質であるにも拘らず俺が様々な場に竹千代や小五郎と共に顔を出すのが当たり前になっていた。

しかも、今回は竹千代改め次郎三郎信康から是非とも御立会いいただきたいと懇願されたため、三河衆に混じって織田の輿入れ行列を出迎えることとなった。

岡崎城に到着した輿入れ行列を代表し前に進み出た佐久間右衛門尉は出迎えの三河衆の中に俺の姿を見つけて目を見開き驚きの表情を浮かべていたが、流石に己の役目を忘れなかったようで直ぐ表情を改めると、


「織田上総介様がご息女、冬姫様。徳川次郎三郎信康様とのご婚儀のためご到着にござりまする。」


高らかに口上を述べた。対して徳川側からは酒井小五郎が進み出て、


「遠路ご苦労様にござりました。三河徳川家家臣一同、冬姫様の御成りを心待ちにしておりました。次郎三郎様もまた然り、本丸御殿にて姫様のお越しをお待ち申し上げておりまする。」


と返し、冬姫をはじめ佐久間右衛門尉らを城内へと招き入れた。

それから三日間、様々な婚礼の儀式と宴会を済ませて冬姫は次郎三郎に嫁ぎ、俺は無事に質の役目を果たしたのだった。そして…


「茶筅様、もうお戻りになられるのですか?今少し某をお助けいただく訳には…」


「次郎三郎様、ご無理を申されては成りませぬ!茶筅丸様が岡崎に参られたのは織田家と徳川家の縁を途切れさせぬよう、冬姫様の輿入れまでと決められておりまする。それに、次郎三郎様は冬姫様の良人おっととなられた上は茶筅丸様に頼られていては成りませぬ。」


「それはそうなのだが…」


婚礼が滞りなく済み、冬姫とその側仕えとして残る数人の侍女を残し佐久間右衛門尉をはじめとした輿入れ行列の供奉らが尾張に戻るのに合わせ俺たちも岡崎を離れることにした。

その見送りの為に城門まで顔を見せた次郎三郎は、情けない顔をしながら俺に縋り付こうとするところを脇に控えていた小五郎が押し留め叱咤していた。

その小五郎の言葉を理解しながらも、弱音を吐く次郎三郎。その様子に俺が苦笑していると、次郎三郎の後ろに控えていた冬姫が良人の着物の袖を摘まみ悲し気な声を上げた。


「次郎三郎様。次郎三郎様はわたくしよりも茶筅丸兄上様が岡崎におられた方が良いのですか?」


その言葉に次郎三郎は目を大きく見開きギョッとした顔をした直後、冬姫の方へと向き直ると強張った笑顔を浮かべると、


「何を言う!某が冬姫の事を疎んじる訳が無いではないか。ただ、茶筅様には岡崎におられる間なにかとご助力ご助言を頂いていた為、今少し岡崎に残っていただけぬかと思っただけなのだ、しかしこれは某の我儘であった。

茶筅様、これまで岡崎並びに西三河のために様々なご助力を頂きましたこと感謝の申しようもござりませぬ。この後は茶筅様から頂いた薫陶を胸に精進してまいります!」


見事な手の平返しをみせた。

俺が言うのもなんだが織田家の兄弟姉妹は皆眉目秀麗の美男美女揃い。本丸御殿で到着を待っていた次郎三郎は冬姫を一目見るなり顔を紅潮させ、以後は体の動きがギクシャクしていたが、如何やら次郎三郎は冬姫に一目惚れをしたようだ。

男というものは好いた女子の前では良い格好をしたいもの。西三河の統治のためにもう少し助力を得たかったというのが本心だろうが、「某の我儘」と己の弱さを見せながらも領主となるべく精進すると言い切った姿はなかなかの漢ぶりだと思う。

実際、そう言い切った次郎三郎を冬姫がうっとりしながら見つめている所を見るとこの二人は上手くいってくれるだろうと安堵した。

そんな二人を微笑ましく思っていると、共に尾張・美濃へと戻る佐久間右衛門尉から出立の準備が整ったと告げられた。

俺は半兵衛をはじめ寛太、五右衛門、利久そして新たに加わった小野和泉守に目配せをすると、準備万端と言うように皆頷き返した。


「岡崎での二年は某にとって有意義なものにござりました。平八郎殿をはじめ小五郎殿、半蔵殿並びに徳川家のお歴々の方々。大変お世話になり申した。茶筅丸、この二年の楽しき充実した日々を決して忘れませぬ。

そして、次郎三郎殿。岡崎に来てより親しくさせていただき申した、失礼ながらいつしか某は次郎三郎殿の事を弟の様に感じておりました。この度、冬が輿入れし晴れて次郎三郎殿とは“義兄弟”となり申した。この縁がこの後も保たれる事を切に願っております。

この度は約定に従い岡崎の地を離れまするが、必ずや皆様とお会いできると思うております。それまでご壮健でいてくださいませ。」


俺が別れの言葉を口にすると、その言葉に次郎三郎をはじめ岡崎の三河衆は怪訝な表情を浮かべた。


「茶筅様。再びお会いできるのは嬉しき事ではございますが、何故それほどに確信をもって言われるのでござりまするか?」


三河衆を代表して次郎三郎が俺の言葉の真意を訊ねて来た。そんな次郎三郎に俺はそれまで浮かべていた笑みを消し、厳しい表情を浮かべて応えた。


「次郎三郎殿。何故、三河守様が遠江に腰を据えて威を張っておられるかお忘れか!

約定を交わしたとはいえ、決して気を緩めてはならぬのが武田にございますぞ。

武田はこれまでも幾度となく約定を破って他家の領地を侵してきているではございませぬか。現に今も今川との約定を破り駿河に攻め込んでおりまする。その武田の矛先が何時遠江そして三河へと向けられるか分かりませぬ。その事を心に留め備えを怠らぬようにせねばなりますまい。」


「たっ、確かに武田の約定破りはこれまでも…茶筅様の仰られる通りその時になって慌てぬよう備えを整えねば!」


「その気構えにござりまする次郎三郎殿。某はこの後どの様な御役目を父・上総介から言い渡されるか分かりませぬ。しかし、武田が御当家のご領地を侵したその時には、父の命がなくとも必ず馳せ参じる所存。それまでしばしのお別れにござる!」


そう言い放ち俺は次郎三郎たちに背を向けると離れて隊列を組んで待っている佐久間右衛門尉たちの方へと歩を進めた。そんな俺の背中に次郎三郎の声が、投げ掛けられた。


「茶筅様!次にお目に掛かれる時には西三河をまとめ上げ、茶筅様の隣に立っても恥ずかしくない武士となるよう励みまする~!!」


その言葉に俺はニヤリと笑いながらも振り返ることなく、拳を天高くつき上げることで返答とすると、俺の行動に呼応したのか次郎三郎をはじめ岡崎の三河衆が一斉に拳を突き上げ、鬨の声をあげた。

その声を背中に受けながら俺は岡崎を後にしたのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 次郎三郎がだいぶいい男になってきましたね
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